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26.また、破滅の夢を見た

 こうしてセラフィナは、ほぼ元通りの、平穏で幸せな日々を過ごしていた。


 マリオンはまだまとわりついてきていたが、周囲の協力のおかげもあって、そちらもどうにかやり過ごせていた。いずれリシャールがここを去る時に、彼女も一緒にいなくなってくれるだろう。セラフィナはそう楽観的に考えていた。


 けれど、今度はまた別の問題が、彼女の背後に忍び寄っていた。




 それは、現実のような、とても生き生きとした夢だった。これはきっといつもの夢、破滅を告げる夢なのだと、セラフィナはすぐに気づく。


 彼女は、真っ白な世界に立っていた。赤い制服を着て、魔法銀の細身剣を手にして。


 ここは防壁の北、『向こう側』と呼ばれる魔物たちの世界、その奥地のようだった。いつもは遠くに見えている高い山が、ずいぶんと近くにあった。


 周りには、紅蓮の一番隊の仲間たちがいる。前には、アルフの背中が見えていた。セラフィナたちは、雪の中を北へ北へ、ひたすらにまっすぐ進んでいたのだった。


 新雪を踏みしめて進みながら、セラフィナは震えをこらえていた。寒さは感じていなかった。ただ彼女は恐れていた。この後にやってくるだろう、破滅を。


 最初の夢、リシャールとの婚約破棄を予言した夢は、結局夢とは違う形で破滅がやってきてしまった。けれど二回目、セラフィナが魔物に囲まれてしまったあの夢の結末は、アルフが変えてくれた。


 だったらこの三回目だって、何とかなるかもしれない。そう考えてはみたものの、恐ろしさは少しも減らなかったのだ。


 それにしても、とセラフィナは不安げに辺りを見渡す。どうして自分たちは、こんなにも北に、敵地の奥深くに分け入っているのだろうか。


 いつも陽気に騒いでいる一番隊の面々が、やけに静かだ。きっとそれだけ、事態は深刻なのだろう。


 雪を踏みしだく、ぽくぽくという音だけが彼女の耳に届いてくる。辺りは、ぞっとするくらいに静かだった。


 女性の悲鳴のような、大きな叫び声が響き渡るまでは。




「はあっ……はあ……」


 肩で息をしながら、セラフィナは飛び起きる。薄手の寝間着は、汗を吸ってじっとりと重くなり、彼女の肌にまとわりついていた。


 彼女は自分を抱きしめるように腕を回しながら、今しがた見たばかりの夢の内容を思い出していた。


 甲高い悲鳴がした次の瞬間、辺りからたくさんの魔物がわいて出たのだ。どうやら魔物たちは、岩陰や雪の中にひそんでいたらしい。あの悲鳴は、襲撃の合図だったのだろう。


 あっという間に魔物、それもとびきり強い魔物たちに囲まれてしまった彼女たちは苦戦を強いられ、一人また一人と倒れていった。やがてセラフィナも魔物の一撃を受け、雪の中に沈んでいった。


 薄れゆく意識の中、彼女が最後に見たものは、ただ一人立っているアルフの背中だった。


「……この夢は、どうしても防がなくてはなりませんわね」


 最初の夢、そして二度目の夢では、破滅するのはセラフィナ一人だった。でも今の夢はそうではない。彼女の大切な仲間たちの命が、これからの彼女の行動にかかっているのかもしれない。失敗は許されない。


 そう考えると、余計に恐ろしくてたまらなかった。けれど、もたもたしている訳にもいかなかった。


 セラフィナは疲れ果てた体をひきずるようにして、寝台からゆっくりと降りていった。




 その日は一日、彼女はずっと上の空だった。今度こそ、夢が現実になるのを止めなくてはならない。しかしやはり、どうしたものか見当もつかない。


 そもそも、本当にあれは正夢なのだろうか。ただの偶然なのかもしれない。そんなことを考え始めたら、動けなくなってしまったのだ。


 彼女はもう一人ではない。アルフならきっと、彼女の夢の話を聞いてくれるに違いない。ヴァレリーならきっと、親身になってくれるに違いない。研究者であるカミーユなら、夢自体に興味を持つかもしれない。


 そんな風に自分を奮い立たせていたけれど、やはりセラフィナは誰にも打ち明けることができなかった。


 そして夕食も済み、彼女はとぼとぼと自室に戻っていた。丸一日無駄にしてしまったと、すっかり落ち込みながら。


「……今日はもう眠ってしまいましょう。そうしてしっかり頭を休めて、明日こそ対策を練らなくては……」


 思いつめた顔で、セラフィナがため息をつく。制服のまま寝台に腰かけた彼女は、うなだれたまま動かなかった。


 その時、扉がこんこんと叩かれる。続いて、軽やかな声が聞こえてきた。


「セラフィナ、まだ起きてるかな」


「ええ、起きていますわ。どうしましたのアルフ、こんな時間に」


 今の今までぐったりとしていたとは思えないほど機敏に、セラフィナが立ち上がった。そのまま扉に駆け寄り、開ける。その向こうには、やはり制服姿のアルフが立っていた。


「……ちょっとさ、話したいことがあって。今、時間いいかな」


 妙に真剣な雰囲気のアルフに、セラフィナはこくりとうなずく。そうして二人は連れ立って、夜の廊下を歩いていった。




 アルフは慣れた足取りで、本部の建物をどんどん上に向かっていく。


 基本的に上の階は、司令官をはじめとする上官たちの仕事場や、『向こう側』を警戒、監視するための見張り場になっている。しかし、アルフが向かっていったのはそのどちらでもなかった。


 魔物のすむ北の地と、人が暮らす南の地。それらを区切る高い防壁よりも、さらに高い塔。そのてっぺんの小部屋に、二人はいた。


 周囲の壁は低く、部屋のすみには太く長い柱がそびえ立っていた。柱に支えられた天井の中央から、古びた鐘がぶら下がっている。


「ここって……鐘楼ですのね? 鐘が鳴っているところを聞いたことはありませんけど」


「これは緊急時だけ鳴らされる鐘だからね。担当者以外は、絶対に触るなって言われてる。というかここへたどり着く道は魔法でうまいこと隠されてるから、担当者と、あとは俺みたいな古株くらいしかここにはやって来ないよ」


「それって、わたくしが来てしまってよかったのかしら……」


「いいっていいって。ただ、他の人には教えないでくれよ? 俺がバティストのおっさんに怒られるから」


「ええ、もちろん黙っておきますわ」


 そんな他愛のない話をしているうちに、セラフィナのこわばった心がほぐれていった。今なら、打ち明けられるかもしれない。そう悟った彼女は、きゅっと唇を結んで、それからまた口を開く。


「……アルフ、実はあなたに聞いて欲しいことが……」


 そうして彼女は、全てを語った。今朝方に見た、恐ろしい夢について。それまでに見た二つの夢と、その結末について。


 アルフは最初こそ驚いているようだったが、すぐに重々しくうなずいた。


「……そっか。予知夢ってあるらしいし、君の夢もそういうものなのかもな」


 目を伏せてうつむくセラフィナの肩に、アルフが優しく手をかける。


「ああ、暗い顔しないで、俺がついてるから。その夢が現実にならないように、俺は全力を尽くすよ。君が、みんなが倒れていく未来なんてごめんだからね」


 その言葉に、ようやくセラフィナが肩の力を抜く。


「……そうですわね。紅蓮の一番隊を率いるあなたなら、きっと何とかしてくれる。あなたが隊長で、本当に良かった」


 しかし今度は、アルフが顔をこわばらせた。セラフィナから顔をそらして、静かにつぶやく。


「……確かに俺には、隊長として隊員を守るという責務がある。だから君の夢の話だって、ただの夢だと聞き流す訳にはいかないんだ。でもさ、それはそれとして」


 アルフが顔を上げ、セラフィナをまっすぐに見た。彼の金色の目は、彼女をしっかりととらえていた。


「隊長とか、そういうの抜きにして……俺は、君の力になりたい。君を支えたい。君を守っていきたい」


「……どうして、ですの?」


「だって俺、君のことが好きなんだ。初めて会った時から、なぜか君から目が離せなかった。そうして君に近づいてみたら、もう君以外見ていられなくなった。これってさ、絶対に恋だろ」


「アルフが、わたくしのことを……」


 思いもかけない方向に転がっていった話に、セラフィナがぼんやりとつぶやく。甘い夢の中にいるような、そんな表情だった。


「うん。俺さ、本当はこのことを言いたくて、君をここに連れてきたんだよ。他の連中の目のあるところじゃ、真剣な話なんてとてもできないし」


 そこまで言って、ふとアルフが身をこわばらせる。おそるおそる、セラフィナに尋ねた。


「……もしかして、嫌だった?」


「嫌ではありませんわ。ただ、あまりに突然のことで、頭がついていかなくて……」


 そう答えはしたものの、セラフィナは自分の心に既に気づいていた。


 もともと努力家で、たいがいのことは一人で何とかしてしまう彼女が、アルフには素直に頼ることができた。彼がいてくれれば大丈夫だと、そう信じることができた。


 それだけではなかった。彼女は無意識のうちに、彼のそばにいたいと思うようになっていた。彼の朗らかな笑顔を、軽やかな声を、近くで感じたいと思うようになっていたのだ。


 自分は間違いなく、彼に好意を抱いている。そう確信できたのはいいものの、セラフィナはすぐにそう答えることができなかった。照れくさくてたまらなかったのだ。


 だからセラフィナは言葉をにごしたのだが、アルフはほっとしたように深々と息を吐いた。


「よかった、ひとまず断られずに済んだ。いきなりここで振られたら、俺もう立ち直れないところだったよ」


 そう言って、ひときわ爽やかな笑顔をセラフィナに向ける。


「返事は急がない。どうかこれまでと同じように俺のそばにいて、俺のことをゆっくりと見極めてよ。それと、君自身の気持ちについても。君が答えを出すのを、俺は待っているから」


 そうして二人は、並んで星空を見ていた。周囲をぐるりと星空に囲まれたこの鐘楼で、ぴったりと寄り添って。

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