23.勝負は正々堂々と
それからもセラフィナは、やはりリシャールたちから逃げ続けていた。そして最近の彼女は、自由時間のほとんどをアルフと一緒に過ごすようになっていた。
そうして今日も、二人は並んで歩いていた。今日は仕事の日なので、赤い制服に身を包んで。
「昨日の料理屋、中々だっただろ?」
「中々どころか、素晴らしかったです。とても居心地が良くて、料理もおいしくて」
「君に喜んでもらえて良かった。俺、まだまだ良い店知ってるからさ。前みたいに町の外に出てもいいし」
和やかに話していた二人だったが、不意にセラフィナが顔をくもらせる。
「……ごめんなさい、休みのたびに連れ出してもらって……あなたの休みを奪ってしまっているようで、少し申し訳なくて」
「気にしないで。俺、君の力になれて嬉しいしさ。それに君の近くにいれば、君が無事かなって心配しなくて済むし」
「ふふ、ありがとう。でしたらあなたを心配させないよう、これからも頑張って逃げ回り続けますわ。彼らがここを去る、その日まで」
「ああ、俺も君を全力で手助けするよ。この辺境に平和が戻ってくる、その日まで」
そんなことを言い合いながら、二人は親しげな視線を見かわす。その仲睦まじい姿に、すれ違う者たちはみな小さく微笑んでいた。
しかし数少ない例外が、二人の前に立ちはだかった。
「君がアルフだな。少し話をしたいのだが」
橙色の制服のリシャールが、たいそう不機嫌な顔で廊下のど真ん中に立っていた。いつもなら真っ先にセラフィナに声をかける彼が、なぜかアルフをまっすぐにらんでいた。
「あれ、リシャール様。今なら多少時間はありますけど、俺に何の御用ですか? 俺、リシャール様に声をかけられる覚えはないんですが」
自分が辺境軍で最も尊敬を集める紅蓮の一番隊隊長であることも、セラフィナをリシャールから遠ざけるのに一役どころか二役も三役も買ってしまっていることを思いきり棚に上げて、アルフはしれっとそう答える。
「私はセラフィナを連れ帰るためにここに来た。しかし不思議なくらい、彼女には会うことができない」
「セラフィナなら、まさに今ここにいますよ?」
とぼけたようにまぜっ返しながらも、アルフはセラフィナをかばうようにそっと腕を伸ばしていた。リシャールがそれ以上彼女に近づくようなら、すぐに阻止できるように。
「ああ、そうだな。だが、やみくもに彼女と話をしても無駄だろうと、今はそう思っている」
まるで演説でもするかのように、リシャールは堂々と立ち、胸を張っている。近くを通りがかった者たちが、巻き込まれないように距離を取りながら、それでも興味津々といった顔で彼らを観察していた。
「おそらく、私の目的において一番の障害となっているのは、アルフ、君だ」
「ええっ、俺何かしましたか?」
している。周囲の人間たちは無言のまま、全員同時にそう考えた。
「今のセラフィナは、君を頼りにしている。彼女が君の庇護下にある限り、その心を動かせそうにない」
普段はたいそうにぶいリシャールは、珍しく的を射た発言をしていた。彼はそのまま、高らかに宣言する。
「だから私は、君に決闘を申し込む。『三度の死闘』だ」
三度の死闘とは、この国に古くから伝わる決闘のひとつだ。一戦目と二戦目の内容は、対戦する両者が一つずつ決める。学問やら、論争やら、手合わせやらだ。当然ながら、一勝一敗となることが非常に多い。
そして三戦目は運試し、すなわちくじ引きだ。両者の健闘を見届けた戦いの神が、ふさわしいものに勝利を手ずから与えるのだと、そう言われている。
こんな不確かな勝負をリシャールが持ち出してきたのには、れっきとした訳があった。この『三度の死闘』の勝者には、ある特権が与えられるのだ。
勝者は敗者に、一つだけ命令をすることができる。それがよほど理不尽なものでない限り、敗者はその命令に従わなくてはならない。そんな特権だ。
もちろん、勝つかどうかは五分五分だ。だが王子たる自分には、きっと神の加護があるだろう。リシャールは何の根拠もなく、そう信じていたのだ。
三度の死闘に勝利し、アルフがこれ以上セラフィナにまとわりつかないようにする。それがリシャールの目的だった。
「ああ、はい、了解です。俺、『三度の死闘』って初めてなんですよ。うわ、緊張してきた」
リシャールの思惑は分かっていただろうに、アルフは決闘の申し込みをいともあっさり受け入れてしまう。
そんな彼にひたすら心配そうな目を向けているセラフィナに、リシャールは心の中で呼びかけていた。
そんな男より私のほうが上なのだと、君に見せてやろう。婚約を破棄したことを、後悔させてやろうではないか、と。
そうして、『三度の死闘』当日。一番大きな鍛錬所の真ん中で、アルフとリシャールは向かい合っていた。周囲の壁際にはたくさんの人間が詰めかけていて、押すな押すなの大騒ぎをしている。
一戦目の内容は、アルフが指定した。使い慣れた剣を用いた一騎打ちだ。万が一に備えて、回復を担当する青海の隊員は全員集まっている。
当然ながら、マリオンもその一群の中にいた。彼女はリシャールのことよりも、離れたところでアルフを応援しているセラフィナのことが気になって仕方ないようなそぶりを見せていた。
リシャールはやけに自信のある顔をしている。彼はこの辺境に来てから、一度も魔物に出くわしていない。当然ながら、実戦経験はまったくなかった。
彼は毎日のように他の兵士と手合わせしていたが、その相手たちは必死に手加減していた。
同じ辺境軍の一員とはいえ、王子をうっかり負傷させてはまずい。みな、そう考えたのだ。そしてリシャールは、手加減されていることに気づいていなかった。
そんなこともあってリシャールは、自分の剣の腕にすっかり自信を持ってしまっていたのだ。
そして、一瞬で決着はついた。リシャール以外のほぼ全員が予想していた通りに。アルフはリシャールの最初の一太刀をするりとかわすと、大きく踏み込んで手刀でリシャールの手首を打ったのだ。
からんと音を立てて、リシャールの剣が地面に落ちた。手の込んだ装飾が施された宝飾品のような剣は、踏み固められた土の床の上できらきらと輝いていた。
顔をしかめて手首を押さえるリシャール。予想よりも遥かにあっさりとした結末に、その場のみなは黙りこくっていた。
「あー……。一応、手加減はしましたけど……ほっとくと、たぶんあざになっちゃいますね。おおい、青海のみんな、王子様に回復魔法を頼むよ」
きまり悪そうに、アルフが言う。彼の軽やかな声に導かれるようにして、青海の隊員たちが一斉にリシャールのもとに向かっていった。
それと同時に、観客たちがアルフに殺到する。よくやった、相変わらず強いなと言いながら、彼らはアルフを取り囲んでいた。
アルフに寄り添うようにして、セラフィナが笑っている。学園にいる頃には一度も見せなかった、とりつくろったところの全くない晴れやかな笑顔が、人垣の隙間からちらちらとリシャールにも見えていた。
セラフィナと、気のいい仲間たちに囲まれて笑み崩れている軽い男。対して自分はどうだ。
自分を囲んでいる者たちは、ただ彼の傷を治すためだけにそこにいる。自分自身を案じてくれているのではなく、王子という彼の立場を案じてくれているだけなのだ。そのことを、今さらながらにリシャールは思い知らされていた。
「……私は、今まで何をしていたのだろうな」
そんなリシャールのつぶやきは、アルフを称える歓喜の声にかき消されて、誰の耳にも届くことはなかった。




