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22.彼の意外な一面

 そうして、リシャールにまつわる噂は、辺境軍の隅々まで広まってしまった。それも、どうしようもなく誇張されて。


 気まぐれに婚約者をいたぶり、虐げ、そして打ち捨てた外道の王子。現在のリシャールの評判は、こんな感じになっていた。


 もちろんリシャールも、その噂に抵抗しようとはした。かつて、セラフィナが学園でそうしていたように。しかしその試みは、全くと言っていいほどうまくいかなかった。


 王子として挫折を知らないまま育った彼には、どうにも尊大な態度がしみついてしまっていたのだった。


 彼を尊敬する臣下たちは、彼のそんなところを「王者にふさわしい」と言って褒めていた。しかしどうにも王家への敬意に欠ける辺境軍では、彼のそんな態度は完全に裏目に出てしまっていた。


 おまけに、彼は人の心の機微には疎かった。彼が気を遣わずとも、周囲の者が勝手に配慮してくれていたからだ。


 要するに、リシャールは甘やかされて育った、どうにも幼いところのある青年だった。そしてそのことを、彼は全く自覚していなかった。


 そんな彼には、周囲の人間と根気よく接して誤解を解くことなど、できるはずもなかった。それにそもそも、彼がセラフィナを苦しめたことは、変えようのない事実だったのだから。


 ちなみにマリオンについては、『外道王子を色香でたぶらかした悪女』という噂が立ったが、こちらの噂はそこまで勢いよく燃え広がることはなかった。


 辺境軍の女性陣はマリオンのことを大いに警戒していたが、多くの男性陣は彼女に対して悪い感情を持っていないようだったのだ。女性に嫌われ、男性には好かれる。マリオンは、そんな少女だったのだ。




「……それにしても、見事に噂が広まってしまいましたわ……」


 そんなある日、食堂でセラフィナは複雑な顔をしていた。周りには、紅蓮の一番隊の仲間たちの姿もある。彼女たちは急きょ入った討伐任務を終え、遅い昼食にしていたのだ。


「確かに、リシャール様とは色々ありました。ですが……リシャール様があそこまで悪く言われているのを聞くと、どうにも……」


「おい、まさかあいつに同情してるのか? あんた、ひどい目にあったんだろ?」


「あんなところに嫁に行くとか言わないよな? いじめられるだけだぞ」


 セラフィナのつぶやきに、一番隊の面々は少々あわてた様子で口を挟む。セラフィナは目を丸くしながら、急いで首を横に振った。


「彼のもとに戻るつもりはありませんわ。この思いは、同情とも違うと思います。ただちょっと、不公平かしらって思っただけで」


 その言葉を聞いて、一番隊の面々は一斉に安堵のため息をついた。その様子が不思議だったのか、今度はセラフィナが首をかしげる。そんな彼女に、みながてんでに声をかけた。


「あんたはやっぱりいい子だよなあ。自分をいじめた王子にまで、公平だなんだってことを気にするなんて」


「でもな、その言葉はアルフの前では言わないでくれよ」


 アルフは報告があるので、遅れてここにやってくることになっている。みなは彼がここにまだ来ていないのを確認するかのように、ちらちらと食堂の入り口に目をやっていた。


「アルフのやつ、怒ってるんだよ。あの王子様がセラフィナをひどい目にあわせておいて、そのくせ堂々とここまでやってきたことに」


「そうそう、こないだヴァレリーがアルフに頼んでたし……っと、何でもない」


「彼があそこまで怒っているのは、初めて見たな」


「そうなのですか? 彼はいつも通り、快活で優しかったように思うのですが」


 先ほどの任務のことを思い出しながら口を挟むセラフィナの表情はとても柔らかく、少しはにかんでいるような可愛らしいものだった。


 乙女らしいその表情に、みなはつられて微笑んでいたが、またすぐに小声で説明を加えていく。


「かっこつけてるんだよ、あいつは。あんたの前でみっともないところを見せたくないって言ってたな」


「でもあんたのいないところでは、驚くほどぴりぴりしてるんだ。どんな魔物相手にも余裕を崩さないあいつが、あんな顔をするなんてな」


「セラフィナは大丈夫だろうか、あの王子にからまれていないかって、そんなことばかり心配しているな」


「それで、俺たちに聞くんだよ。どうやったらあの王子をとっとと追い返せるだろうか、って」


「人懐っこくて男女お構いなしにがんがん近づいていくアルフが、あそこまで誰かを嫌うのは珍しいな」


 一気にそうたたみかけられて、セラフィナはさらに目を丸くした。しかし次の瞬間、彼女は感極まったように目を細め、眉を下げる。


「そんなにも、わたくしのことを案じてくれるなんて……本当にアルフは、頼りになる隊長ですわ。わたくし、彼の仲間で良かった」


 しかし一番隊の面々は、同時に苦笑した。セラフィナが一番大切なところを勘違いしてしまっているのを、どうしたものか、と。アルフが誰にでも優しく、そしてセラフィナが少々にぶいせいでこうなった、それは確かだった。


 彼らはしばらく、にやにやと笑顔を見合わせていた。さすがのセラフィナも異変をかぎ取った頃、中の一人がこほんと気取った咳ばらいをする。


「アルフは、確かにあんたのことを大切な仲間だと思ってるさ。でも、それだけではないんだ」


 その言葉に、全員が食事の手を止めて発言者に注目した。全員の視線を浴びながら、彼はもったいをつけて言う。


「アルフはな、あんたのことをこの隊で、いや辺境軍で一番大切に思っているんだな。つまりそれは、あいつがあんたに惚れ」


「おい」


 ちょうどその時、発言者の後ろから手が二本伸びてきた。その手は彼の両頬をつかんで、外側にぐいっと引っ張る。そのせいで彼の言葉は途中から不明瞭になり、彼はもごもごと抗議の声を上げるだけだった。


「いっはいあにふんだよ……って、アウフ!」


「そ。俺。俺のいないところで、なあに噂してたんだよ? 何か、とっても危ない言葉が聞こえた気がしたんだけど」


「いやあ気のせい気のせい、なあみんな?」


 ようやく解放された発言者があせりながら笑うと、今まで話を聞いていたほかの面々が、一斉に笑顔になってこくこくとうなずく。


 金色の目を不機嫌そうに細めてそんな面々を見すえていたアルフに、セラフィナがそろそろと声をかけた。


「あの……アルフ、彼はわたくしにあなたの考えを説明してくれていた、それだけですわ」


「でもさあ、俺の気持ちを勝手にばらされるとか、ちょっと、いやかなり困るんだよね」


「……でしたら、その……あなたの口から聞くのは駄目でしょうか。あなたが、わたくしのことをどう思ってくれているのか、について」


 恥ずかしそうに目線をそらして、セラフィナがそう提案する。彼女には見えていなかったが、アルフは彼にしては珍しいことに、頬をほんのりと赤らめていた。


「ん、まあ……おいおい、な。それよりさ、君は午後、空いてるよね? 俺たちみんな非番だし」


「ええ、空いていますわ。……リシャール様たちにうっかり出くわさないように、今日はどこに逃げ込もうか考え中ですの。自室は危険ですし」


「だったら、俺と過ごさないか? ちょうどいい隠れ家カフェ、知ってるんだよ」


「ええ、ぜひ。楽しい午後になりそうですわね」


「光栄です、姫君」


「もう、アルフったら」


 あっという間に二人は、ほかの隊員たちをそっちのけで仲良く話し始めてしまった。


 アルフはいつも以上にさわやかで、そしてとても嬉しそうだった。セラフィナは令嬢としてのくせが抜けないのかそこまで大きく表情を変えてはいなかったものの、それでも幸せを感じていることはまる分かりだった。


 隊員たちはそんな二人を無言で見ていたが、やがて誰からともなくつぶやき始めた。


「……仲、いいな。あの二人」


「あの王子のせいで、余計に仲が進展しているようにも思えるな」


「さっきの俺のセリフ、全部言っちまっても大丈夫だっただろ、これ」


「俺もそう思う。というか、人懐っこいせいで軽く見られがちなのにてんで奥手なアルフに、あそこまで仲のいい女性ができるとか、想像もしなかった」


「そうそう。いつもはあいつが女の子に声かけて、じきにがち惚れされて、俺はそんなつもりじゃなかった、お友達になりたかったんだって謝るのがお決まりの流れだったんだがなあ。いい加減こりておとなしくしろよって、いっつも思ってたんだが」


「セラフィナもてっきり、お友達の一人になるんだとばかり思ってたな。まさか、こうなるとは」


 親しげに話しこむ二人の周囲では、そんな会話がひそひそと続けられていた。

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