21.頭痛の種が居座った
リシャールたちは、本部ではなく最果ての町の宿屋に泊まった。
本部はあくまでも辺境軍の者が暮らす場所であるため、武骨でごみごみしていて、騒がしい。客人を、それも王子を泊めるにふさわしい場所ではない。
ごくたまに視察にやってくる貴族などをもてなすための高級な宿が、最果ての町にある。今夜はそちらでお休みくださいと言って、司令官が丁寧に、しかしせかすようにしてリシャールたちを本部から追い出したのだ。
おかげで、セラフィナはようやくマリオンと、あとリシャールから解放されて、ゆっくりと休むことができたのだった。
「それにしても、どうして彼女はあそこまでわたくしのそばにいたがるのでしょう……?」
次の朝目覚めたセラフィナは、目を開けるなりそうつぶやいた。
リシャールがまた婚約を迫ってきたことよりも、マリオンがやたらとセラフィナにくっついてくることのほうが、彼女にとっては不思議でならなかったのだ。
首をかしげながら、セラフィナは身支度を整えていく。赤い制服をまとい、通信の水晶を腕に着け、魔法銀の細身剣を腰に下げた。
リシャールが来ようがマリオンが来ようが、自分のなすべきことに変わりはない。セラフィナは背筋を伸ばして、いつもと同じように自室を出て行った。
その日セラフィナは、リシャールにもマリオンにも出会わなかった。あきらめて王都に帰ることにしたのだろうかと思いながら、彼女は自室へ戻る道を歩く。
次の角を曲がれば、自室のある居住棟だ。彼女がほっとしかけたその時、信じられない、信じたくないものが目に飛び込んできた。
「ああ、やっと会えたな、セラフィナ。これからよろしく頼む」
「こんばんは、セラフィナ様。えへ、これで仲間ですね」
そこに立っていたのはリシャールとマリオンだった。しかも二人とも、辺境軍の制服をまとっている。
「私はここに滞在したい。けれど部外者のままでは、行動に大きく制限がかかる。王子といえど、特別扱いはしてもらえないようだからな。ならばいっそ、辺境軍に一時所属するのも悪くはないと、そう思ったのだ。これなら、君の近くにもいられるしな」
リシャールがまとっているのは橙色の、マリオンがまとっているのは青色の制服だった。そして当然ながら、二人の腕には訓練兵の身分を示す腕章があった。
「私は陽光の隊に配属された。防壁近くで魔物を迎撃する、守りのかなめだな」
「あたしは青海の隊です。怪我した人たちを、魔法でぱぱっと治してあげればいいみたいです。戦うのとかほんと怖くて無理なんで、ちょうどよかったです。あっ、でも血で汚れるのは嫌だなあ」
それを聞いて、セラフィナはほっと胸をなでおろす。
防壁の北、『向こう側』の奥深くへと踏み込んでいく紅蓮の隊と、防壁近くを巡回する陽光の隊では、活動場所がまるで違う。そして負傷さえしなければ、青海の隊の世話になることもない。
「………………まあ、そうでしたの。でしたら、これからは仲間ですのね」
セラフィナは上品に微笑んで当たり障りのない返事をしながらも、心の中では頭を抱えて叫んでいた。
お願いですからとっとと学園なり王都なりに帰ってくださいまし、という悲鳴と、かかわりの少ない隊で本当に良かった、という安堵の思い、そして二人をそこの所属に決めたであろう司令官への感謝を。
彼女のそんな真意を見抜けなかったのだろう、リシャールはどこか誇らしげな笑みを浮かべていた。マリオンは昨日と同じ、うっとりとした目でセラフィナを見つめ続けていた。
それからというもの、セラフィナは二人から逃げて逃げて逃げまくった。
二人がこの辺境にやってきた時の騒ぎは、あっという間に辺境軍全体に広まっていた。おかげで、辺境軍の兵士たちはみな彼女に味方してくれていた。
そんなこともあって、セラフィナはさほど苦労することなく、二人から逃げることができていた。
こうも早く噂が広まったのは、あの場に居合わせたのが紅蓮の一番隊だったことが大きかった。みなに尊敬されている紅蓮の一番隊は、周囲への影響力も強かったのだ。
もちろん、一番隊の面々が進んで噂を広めるような真似をした訳ではない。ただ彼らは、王子について尋ねられた時に言葉をにごしたり、あるいは二言三言、思うところをつぶやいたりしただけだった。
けれどその様子から、周囲の人間もなんとなく事情を察していた。
辺境軍の兵士たちは、あくまでもにこやかに礼儀正しくリシャールとマリオンに接していた。しかし彼らは裏で、どんどん噂を広めていった。悪気なく、ただ興味本位で。
「おはよう、セラフィナ。なんだか、噂がすごいことになっているわねえ」
リシャールたちがやってきて数日後の朝、セラフィナと廊下で出会ったヴァレリーが、小声でそう言った。
「あなた、もうすっかり悲劇のヒロインになっているわよ? あの王子様に捨てられたあげくに辺境に追放されたとか、そんな感じ。毎日少しずつ、話が大げさになっているのよねえ」
セラフィナは噂には詳しくない。そもそも、噂というものに興味がなかったのだ。だからヴァレリーの言葉にも、あいまいに笑ってうなずくことしかできなかった。
「……それで、本当のところはどうだったの? ちょっとだけ、教えてもらえると嬉しいわあ」
明らかに好奇心を隠せていない顔で、ヴァレリーがセラフィナに迫ってきた。あくまでもごく普通の世間話をしているふりをしながら、さりげなくセラフィナの腕をとって、人気のないところに誘導している。
「どう、って……」
「ほら、噂がすっかりおかしなことになっているでしょう? 真実を知る人間が一人くらいいてもいいと思うのよ、あなたの他に」
「そういうもの、なのかしら?」
「ええ。だって、これから大急ぎで噂を訂正しなくてはいけなくなるような事態になるかもしれないでしょう? そんな時にあなたしか真実を知らなかったら、ちょっと面倒なことになると思わない? 大丈夫よお、誰彼構わずに喋ったりしないから」
ヴァレリーはおっとりと笑いながら、会話の主導権をこっそりと取りに行っていた。
セラフィナは知らなかったが、実はヴァレリーはこうやって色々な人間と話し、噂話を集めるのが大好きだったのだ。
彼女はそのために、他の隊からの勧誘を断ってまで翠緑の二番隊に留まり続けていたのだった。
新人はそのほとんどが、ひとまず翠緑の隊に配属される。だからこの隊にいれば、より多くの人間と関わることができる。
さらに、各色の隊の代表たる一番隊と比べて、二番隊は背負う責任も少なく、自由に気楽に動くことができる。
もっともヴァレリーは、集めた噂を広めて回ることはなかった。他人にあまり興味がなくとても口の堅いカミーユ相手に、時々お喋りするくらいで。
セラフィナは迷っていたが、やがておそるおそる口を開いた。
「そうね。あなたなら、信用できますし……その、内緒にしてくれる、のですよね?」
「ええ、もちろんよ。話せばきっと楽になると思うの」
そうしてセラフィナは、今までずっと黙ってきた、あの学園でのことを話し始めた。最初はためらいつつ、そして少しずつ勢いがついてきて、最後のほうは身振り手振りまでつけながら。
一通り聞き終えた時、ヴァレリーは深々とため息をついて、セラフィナの肩にそっと手を置いた。
「大変な目にあったのねえ。それなのにあの王子様が追いかけてくるなんて……辛いわよね。わたしで良ければ力になるから、遠慮せずに何でも言ってちょうだいね?」
心底同情しているヴァレリーの言葉に、セラフィナはちょっぴり涙ぐみながらうなずいていた。
そうしてヴァレリーは、セラフィナと別れたその足でアルフのもとを訪ねていった。
「セラフィナから事情を聞いたの。噂とはちょっと違っていたけれど、彼女がひどい目にあったことは確かだったわあ。……だからあなたが、彼女の力になってあげて。あの王子様から、あの子を守ってあげてね」
小声でささやくヴァレリーの言葉の端っこを、通りすがりの者が小耳にはさんでいた。
セラフィナは確かに、あの王子にひどい目にあわされていた。その言葉だけが、さらに辺境軍の中に広まっていった。静かに、しかしものすごい勢いで。
そして、ある日のことだった。リシャールはいつものように訓練兵たちに混ざって鍛錬していたが、眉間にしわを寄せてマリオンに尋ねた。
「……マリオン、みなが私たちを遠巻きにしているのは、気のせいだろうか」
「たぶん気のせいじゃないと思いますよ、リシャール様。そんなことより、セラフィナ様に全然会えないのが寂しいです。あーあ、せっかくこんなところまできたのになあ」
リシャールとマリオンは、どこからともなく聞こえるひそひそ声を聴きながら、二人そろってため息をついていた。本日八回目の、深々としたため息だった。




