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2.知らない少女と知らない噂

 悪夢の中で出会った、知らない少女。それが自分の前に立っていることに動揺しながら、セラフィナはリシャールに問いかける。


「リシャール様、そちらの女性は……」


「ああ、君は面識がないのだったか。彼女はマリオン、男爵家の令嬢だ」


「えへっ、初めましてセラフィナ様。あたしはマリオンっていいます」


 セラフィナは呆然としたまま、頭を下げる少女を見つめていた。あの夢で見たのと同じ赤みがかった金髪が、ふわりと揺れている。


「階段で転んだところを、リシャール様に助けていただいたんです。それがきっかけで、時々お話するようになりました」


 マリオンと名乗った少女は、明るい黄緑の目をきらきらと輝かせてセラフィナを見つめている。そこには、子供のような憧れが浮かんでいた。


「セラフィナ様のことも、たくさん聞かせてもらいました。それで、セラフィナ様とお友達になりたいなあって、ずっと思ってたんです。……その、駄目ですか?」


 無邪気な言葉に、セラフィナは即答できなかった。彼女の脳裏には、今朝の夢がよみがえっていたのだ。夢の中でマリオンに頭を下げた時の、胸を切り裂くような悲しみも。


 彼女と知り合いになってしまっていいのだろうか。彼女に近づいてしまったら、あの夢が正夢になってしまうのではないか。そんなためらいを心の奥底に押しやって、セラフィナは微笑む。


「ええ、よろしくお願いいたしますわ」


 マリオンが、それは嬉しそうな笑みを浮かべる。そんな二人を、リシャールも穏やかに微笑みながら見守っていた。




 それからセラフィナは、ずっとあの夢のことが気にかかっていた。あの夢の中で、自分はリシャールに婚約破棄され、マリオンに謝罪した。


 リシャールは、セラフィナがおごりたかぶり、他者を踏みつけにするようなふるまいをしていたと、そう言っていた。マリオンがその被害者だったのだ、とも。


 もちろん、実際にそんなことをした覚えはないし、するつもりもない。今まで通りに暮らしていれば、そんなおかしな勘違いをされることもないだろう。


 彼女はつとめて楽観的に考えようとしていたが、それでも不安は消えなかった。


 それは、マリオンと知り合ってしまったせいだった。夢の中の知らない少女が、本当に存在していた。それはとても、不吉な前触れのように思えてならなかったのだ。


 けれどその不安を、リシャールに打ち明けることはできなかった。あまりにも、突拍子のない話だとしか思えなかったのだ。


 夢の話をしても、きっとリシャールは信じてくれないだろう。くだらないことに気を取られるなと、叱られるに違いない。


 仕方なくセラフィナは、一人で不安と立ち向かうことになった。といっても、できることなど限られている。


 彼女は今まで通りに学生生活を送りながら、周囲の噂に耳を澄ませるようになった。


 あの夢の中でリシャールは、セラフィナの悪しき行いが噂になっていると言っていた。だから、そんな噂が立っていないことを確かめられれば、少しは安心できるのではないか。彼女はそう考えたのだ。


 しばらくの間は、平穏に時は過ぎていった。しかしとうとう、その噂は彼女の耳に届いてしまった。


 公爵令嬢セラフィナは、リシャール王子と婚約したことをかさに着て、やりたい放題している。他の者の悪口を広めたり、きまぐれに持ち物を壊したり、偶然を装って転ばせたり。特に、リシャール王子に近づいた女性に対しては、容赦なく攻撃を加え、追い払う。そんなとんでもない噂が、ひそかに流れていたのだ。


 ああ、なんてことですの。この噂を放っておいたら、あの夢が現実になってしまうかもしれませんわ。それは真実ではないのだと、どうにかしてみなに知っていただかなくては。セラフィナは戸惑い、すぐに決意した。


 そうして、セラフィナは動き始めた。彼女は空いた時間ができるたびに学園のあちこちに顔を出し、手当たり次第に令嬢たちに声をかけるようになったのだ。


「ごきげんよう。一つ尋ねたいのですけれど、みなさまはわたくしについての噂をご存知かしら?」


 真正面から切り込んでいく彼女の言葉に、話しかけられた令嬢たちはみな一様に困った顔をしていた。しかしセラフィナはお構いなしに、言葉を続けていく。


「わたくしが、他の方を傷つけている。そんな噂ですわ。わたくしは身に覚えがないのですけれど、それでもわたくしは知らぬうちに他の方を傷つけてしまっているのかもしれません」


「そ、そうなのでしょうか……」


 大いに戸惑う令嬢たちに、セラフィナは深刻そうな顔で答える。


「ええ、その可能性は捨てきれませんわ。ですので、その方を探し出して、お話を聞きたいの。必要であれば、謝罪をしたいですから」


 こんなことを面と向かって言われてしまった令嬢たちは、生きた心地がしなかった。


 遥か格上の、しかも王子と婚約している女性について、面白おかしく噂を流していたなどということが明るみに出れば、最悪この学園からの追放もあり得る。それはこの国の貴族たちにとっては、大いに不名誉なことだった。


 そういった訳で大いに震え上がっていた令嬢たちだったが、セラフィナが事を荒立てるつもりがないと知って、ついに白状した。


 彼女たちは実際にセラフィナが何かをしているところを見たのではではなく、たまたま噂を小耳にはさんだだけなのだと。聞いた噂を、そのまま他人に話しただけなのだと。


 噂を聞いた時の状況について二、三尋ねてから、セラフィナはにっこりと、晴れやかに微笑む。


「教えてくださって、ありがとうございます。とても助かりましたわ。それでは、ごきげんよう」


 深々と頭を下げて立ち去るセラフィナを、令嬢たちはぽかんとした顔で見送っていた。


「……やっぱり、あの噂、間違ってたんだね」


「うん。セラフィナ様と話すのは初めてだったけれど、すごく立派で、堂々とした方だったし……」


「とても、他の人をいじめるような人には見えなかった」


 令嬢たちはそんなことを口々に言いながら、セラフィナが去っていったほうをじっと見つめていた。


 そんなやり取りを幾度となく繰り返しているうちに、セラフィナに関する噂も少しずつ落ち着いていた。けれどおかしな噂がどこから出てきたのかは、依然として分からないままだった。


 普段通りに講義を受けながら、その合間に聞き込みをこなしていく。そんな生活をしているせいで、セラフィナは毎日とても忙しくなっていた。それこそ、婚約者であるリシャールとろくに顔を合わせる余裕すらないくらいに。


 一方で、なぜかマリオンがセラフィナにくっついてくるようになっていた。どこへ行くにも、彼女はセラフィナのすぐ後ろをついてきていたのだ。


 回復魔法の実技だけは得意だが、あとは劣等生のマリオンと、全ての科目で優秀な成績を修めているセラフィナ。最下層の貴族であるマリオンと、最上位の貴族であるセラフィナ。


 二人は身分から何からまるで違っていたのだが、マリオンはそんなことを気にも留めていないようだった。


 彼女の可愛らしい顔には、ただセラフィナと一緒に居られて嬉しいと、そう大きく書かれていた。どうしてそんな顔をしているのか、セラフィナには全く分からなかった。ただ戸惑いながら、マリオンを適当にあしらい続けた。


 そうこうしているうちに、セラフィナとリシャールたち三年生に、最後の成績表が渡される日がやってきた。


 セラフィナは受け取ったばかりの成績表を手に、一人で廊下を歩いていた。久々に、リシャールに会いに行こうとしていたのだ。彼女の足取りは、いつもよりずっと軽かった。


 早く、この成績表をリシャールに見せたい。そうして、褒めてもらいたい。彼女の頭には、そのことしかなかった。


 そして、セラフィナは見た。人気のない廊下の窓辺にたたずむリシャールを。こともあろうに彼は、マリオンと口づけを交わしていた。

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