19.最低最悪な来客たち
セラフィナは紅蓮の一番隊の一員として、派手ではないが着実に成果を上げていた。アルフも隊員たちも、彼女にはとても良くしてくれていた。
そうしていたある日、彼女に一つの知らせがもたらされた。かつて彼女を危地に追いやった女性たちの処分が決まったのだった。
魔石の粉をくすねた者、実際にそれをまき散らし、かつセラフィナが一人で残るよう細工した者、そして防壁の上でセラフィナを狙撃しようとした者。その三名については、除隊の上投獄となった。
そして残りの女性たちについては、懲罰部隊への異動が決まった。防壁の東西の端で働く懲罰部隊は、厳しい監視下で来る日も来る日も防壁を作り、延ばしていくのが仕事だ。
彼女たちがアルフやセラフィナと顔を合わせることは、しばらくないだろう。本部に戻ってこられるのは、少なくとも三年ほど後になる。
その処分を聞いたヴァレリーは、頬に手を当ててこう言っていた。
「……アルフに焦がれていた彼女たちにしてみれば、アルフから引き離されてしまったというのが一番の罰なのかもしれないわねえ」
そんなこんなで、セラフィナはもう彼女たちにおびえずに済むようになった。彼女は安心して、アルフとちょくちょく遊びに出かけるようになっていた。
時にはヴァレリーやカミーユも誘って、四人で町に繰り出すこともあった。さらに彼女たちを通じて、どんどん新たな知り合いも増えていった。
気の合う仲間たちと楽しく暮らし、力を合わせて魔物と戦う。あの学園からの旅の間に思い描いていた通りの生活を、ようやくセラフィナはつかむことができたのだ。
けれど、そんな夢のような生活をひっくり返すとんでもない知らせが、ある日いきなり舞い込んできた。
その日、紅蓮の一番隊は本部での待機を命じられていた。偵察に出ている純白の隊の報告を待ちながら、ただじっと待つのだ。魔物が見つかったら、すぐさま倒しにいけるように。
複数ある鍛錬所の一つを借り切って、彼らがめいめい好きに過ごしていたその時、上官から呼び出されていたアルフがふらりと戻ってきた。
「ああ、みんな集まってもらえるかな。……ちょっとだけ、内緒の話があってさ」
その声に、隊員たちはわらわらとアルフのもとに集まる。もちろんセラフィナも、興味津々で彼のそばに立った。最近では、アルフの隣が彼女の定位置になっていた。
全員の顔を見渡して、アルフが声を思い切りひそめる。
「……まだ他の隊には内緒なんだけどさ、実は今度、リシャール王子がここに来ることになった。視察だってさ。それで俺たちは……ん? セラフィナ、どうかした? 大丈夫……じゃなさそうだね」
アルフがそう言うのも無理はない。セラフィナはリシャールの名が出た瞬間、真っ青になってしまったのだ。両手でぎゅっと胸を押さえ、震えながら必死に息を整えようとしている。
「だ、大丈夫……ではありませんが、どうぞ話を続けて」
「う、うん。それで、リシャール様の出迎えに、俺たち紅蓮の一番隊が選ばれ」
アルフはみなまで言うことができなかった。隣のセラフィナがふらりとよろめいて、そのまま崩れ落ちそうになったからだ。
彼はとっさに彼女を支えるのには成功したが、なにぶんとっさのことだったので、しっかりとセラフィナを抱きしめるような形になってしまっていた。
「なんてこと……なんてことなの。どうしてよりによって、ここに、あの方が」
しかしセラフィナは恥ずかしがりはしなかった。彼女は青ざめたまま、うわごとのようにそんなことをつぶやくだけだった。
それを見て、アルフと隊員たちは悟っていた。彼女は、おそらく過去にリシャールと何かあったのだと。
かつて、辺境軍に彼女の噂が流れていた。彼女は王子の婚約者だったが、傲慢なふるまいのせいで婚約破棄され、泣く泣く辺境に逃れてきたというものだった。
今ではその噂もすっかり消え、みなあれは根も葉もないものでしかないと考えていた。実際のセラフィナは、少々融通が利かないところがあるものの、とても真面目で一生懸命な、好感の持てる女性だったからだ。
しかしもしかしたら、王子の婚約者だったというところだけは真実だったのかもしれない。口にこそしなかったけれど、みなそう思っていた。
けれど誰一人として、彼女の過去を問いただすようなことはしなかった。過去がどうであれ、今のセラフィナは大切な、頼れる仲間の一人になっていたから。
「……君は、欠席したほうがいいね、うん」
セラフィナを抱きしめたままつぶやくアルフの言葉に、みなは力いっぱいうなずいていた。
そんなやり取りがあってからしばらくして、とうとうリシャールが視察に来る日になってしまった。第一王子じきじきの視察ということもあって、本部には緊張が走っていた。
と言っても、意外なくらいに本部はいつも通りだった。この辺境軍には、日々現れる魔物をここで食い止めるという使命がある。その仕事は、一日たりともさぼっていいものではない。
だからリシャールを出迎えるのは、司令官をはじめとした上官たちと、あとは紅蓮の一番隊だけだった。セラフィナは体調不良ということにしてあるので、出迎えには参加しない。
先日、セラフィナは大いに取り乱してしまった。しかしそんな彼女を見ても、誰もその理由を尋ねてはこなかった。どうやら何か事情があるらしいと察して、そっとしておいてくれたのだ。今のセラフィナには、その心遣いが何よりもありがたかった。
「……もう、来てしまったのかしら」
セラフィナは自室に閉じこもって、ひたすらに気をもんでいた。リシャールは最低限の従者のみを連れて静かにやってくること、歓迎の式典などの派手な出迎えは不要であると言っていたこと、それらについては彼女も聞かされていた。
つまりそれは、いつリシャールがやってきたのか、ここからうかがい知ることが難しいということでもあった。静かにやってきて、静かに帰っていく。ありがたいような、困ったような。セラフィナはそんな心境だった。
「はあ……彼が帰るまで、耐えなくては……」
そうしてセラフィナは、本日何度目になるのか分からないため息をついていた。
ちょうどその時、リシャールの出迎えに出ていた者たちは大いに困り果てていた。
「だからこの辺境軍に、セラフィナという女性が所属しているだろう!」
「お答えしかねます、殿下」
いらだちを隠せずに詰め寄るリシャールに、司令官が涼しい顔で答えている。
「その情報について、私は何もお話しできません。陛下の命令であれば、また話は違いますが」
「私は何も、軍事機密を教えろと言っている訳ではないのだ。女性一人がいるかいないかくらい、話してくれてもいいだろう」
「いいえ、殿下。ここには素性も事情も様々な者が集まります。過去を捨ててきた者も、少なくはありません。ですので、理由もなく兵士の過去を暴いてはならないと、そう軍規にも定められております」
「私が、彼女の元婚約者であってもか」
リシャールが口にした言葉に、彼を出迎えていた紅蓮の一番隊の面々は思わず声をもらしそうになった。ああ、やっぱりか、と。それでもどうにか、無表情を貫く。
しかしアルフだけは、ついうっかり動揺を顔に表してしまった。その様子に、リシャールが一瞬だけいぶかしげな顔を彼に向ける。そしてリシャールはまた司令官に向き直り、声高に語った。
「彼女は私に婚約破棄をつきつけて、そのままここへ逃げ込んだ。……私は父上の命により、どうしても彼女と話をしなくてはならないのだ」
堂々とセラフィナの過去をばらしてしまったリシャールに、紅蓮の一番隊の隊員たちがひっそりと反感を覚える。
先日、セラフィナは彼の名を聞いただけで恐ろしく動揺していた。きっと、リシャールが話している以上の、何か良くない事情があるに違いない。彼らはそう確信していた。
王の名が出たことにも全く動じずに、司令官は静かに言葉を返す。
「それでは、陛下からの書状をお持ちではないでしょうか。セラフィナという女性を探す許可と、彼女と話す許可について」
「なぜそのようなものを求めるのだ。私は王子で、王の命によりここに来ているのだぞ」
「ここは、特殊な決まりのもとに運営されている組織です。私たちに命令するのであれば、陛下の書状くらいは必要ということですよ、リシャール殿下」
まるであてこするように、司令官は『殿下』を強調して言った。そしてリシャールはその意味を理解していた。まだ王子でしかない彼を特別扱いするつもりは毛頭ない、そういうことだった。
リシャールは口を閉ざし、整った上品な顔をこわばらせて考えこんでいた。そんな彼を、周囲の人間たちは興味と反感の目でじっと見つめていた。
時を同じくして、自室に閉じこもっているセラフィナのところを訪ねてくる者があった。
「セラフィナさん、お届け物です」
やけにくぐもった、聞き覚えのない声にセラフィナは首をかしげたが、すぐに入り口の扉に向かっていく。
「届けてくれて、ありが……」
そこまで口にしたところで、セラフィナは硬直した。
扉の前に立っていたのは、彼女より少し年下の少女だった。赤みを帯びたふわふわの金髪に、緑がかった黄色の目の、とてもか弱げな少女。セラフィナはその顔に、嫌というほど見覚えがあった。
「えへっ、セラフィナ様みいつけた!」
その少女は、マリオンだった。彼女はいそいそとセラフィナに駆け寄ると、嬉しそうに彼女の腕に抱き着いた。
「あのあとすぐにいなくなっちゃうから、あたし寂しかったんですよお。こっちに来てるって言ってたし、急いで追いかけたかったんですけど、中々学園を出られなくって」
奇妙なほど親しげに、マリオンは話しかけてくる。しかしセラフィナは、彼女の腕を振り払う余裕すらなかった。
「……悪夢ですわ……」
セラフィナはただうつろな目をして、そんなことをつぶやくだけだった。




