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16.向こう側の、その奥

 そうして紅蓮の一番隊は、隊長であるアルフを先頭に、どんどん北へ進んでいった。


 セラフィナは新人ということもあって、アルフのすぐ横に控えている。この行軍においては、そこが一番安全なのだ。他の隊員は、二人の後ろに列を作っている。


 防壁のすぐ北側には、明るい林が広がっていた。そこを歩きながら、アルフがほんの少しだけ浮かれた声で言う。


「この辺りは、君も来たことがあるよね。魔物もそう多くないし、比較的安全だ。だから、肩の力を抜くといいよ。そうがちがちになっていたら、いざという時に力が出せないからさ」


「ええ、気をつけますわ。油断してはならない、でも無駄に緊張するのもよくない……そうですわね」


「ああ、そうさ。もし何かあっても俺が何とかしてみせるから、大丈夫」


 アルフが胸を張り、堂々と言い切る。セラフィナはそんな彼を見つめて、小さく微笑んだ。


 二人の背後では、隊員たちがこっそりと笑いをかみ殺している。


 アルフのやつ、いいところ見せようとしてるな。張り切ってやがる。そんなささやき声が、ひそひそと交わされていた。


 一行はそのまままっすぐ北へ進み続ける。やがて、林の終わりが見えてきた。


「ほら、そこに草原があるだろう。その先は、俺たち紅蓮の隊と、あとは偵察の専門家である純白の隊の人間くらいしかこないところだね。ほら、見てごらん」


「……まあ……」


 アルフが腕を伸ばして、前方を指し示す。そこに広がる光景を見て、セラフィナは息を飲んだ。


 林の北側には、見晴らしのいい草原が東西に細長く伸びていた。そして草原のさらに北は、一面真っ白だったのだ。


 遠くにそびえたつ高い山も、枝だけになっている木々も、岩も、地面も、全てが真っ白な雪に覆われ、きらきらと輝いていた。


「綺麗だろ? なぜかあそこから先は、年がら年中雪に閉ざされているんだ」


 不意に吹いてきた冷たい風に、セラフィナが小さく身を震わせる。


「ええ、とっても綺麗……魔物が出る危険な場所なんて、とても思えないわ」


「寒いなら、俺が温めてあげるよ……って言いたいところだけど、周囲の視線が怖いからやめておくよ。ほら、ちょうど目的地が見えてきた」


 草原の向こうの雪原に、何かの影がいくつも集まっている。セラフィナたちに気づいたらしく、こちらに向かってきていた。それを見て、アルフが軽やかに言った。


「あそこに集まっている魔物を、一体残らず倒すこと。それが、今回の俺たちの任務さ。よし、じゃあいくぞ!」


 その言葉に、隊員たちはにやりと笑ってうなずいた。


 ここに来ているのは紅蓮の一番隊だけで、遠くに見える魔物はやけに数が多かった。これは不利な戦いになるのではないかと、セラフィナが内心そう思ったくらいの数の差だった。


 それなのに、隊員たちの顔には余裕すら漂っていた。めいめい得物を構え、魔物に向かって突進していく。


 少し出遅れたセラフィナの横を、笑みを浮かべたアルフが駆け抜けていく。広いその背中を、手にした金色の剣を、彼女はまぶしそうな目で見ていた。




 そうして戦闘が始まってから、十五分ほどが経った頃。


「どうにか片付いたかな。後から後からわいてきたけど、みんな相変わらず強くて助かるよ」


 無傷のアルフがさわやかに声を張り上げた。それから彼は、近くのセラフィナに向き直る。


「セラフィナも、ありがとう。俺たちと一緒に戦うのが初めてだとは思えないほど、いい動きをしてたよ」


 その言葉に、周囲の隊員たちも力強くうなずいていた。ひとまず彼らも、彼女の剣の腕を認めたようだった。


 たったそれだけのことがとても嬉しくて、セラフィナは魔法銀の細身剣をしっかりと握りしめてうつむく。うっかり口を開いたら、涙してしまいそうだったのだ。


 ところがその時、いきなり緊迫した声がいくつも聞こえてきた。雪原の北から、白い制服を着た一団が血相を変えて走ってきたのだ。


 白い制服は、純白の隊の証。防壁近くの偵察を行う翠緑の隊とは違い、純白の隊は防壁から離れた、より危険な領域の偵察を担当している。


「おおい、紅蓮のみんな! あっちに、でかぶつが出た!」


「というか、俺らを追いかけてきてる。まこうとしたんだけど、失敗した。ほっとくとまずい。あの感じだと、たぶん本部まで追いかけてくる」


「済まんが頼むぞ、『微笑みの死神』殿。貴殿なら、あれも簡単に倒せるだろう」


 純白の隊員の一人が口にした言葉に、アルフは露骨に口元を引きつらせている。


「微笑みの……死神?」


 セラフィナが首をかしげながら、口の中でつぶやいた。アルフはその言葉を故意に無視して、金色の剣を高々と突き上げる。


「ようし、もう一仕事いくぜ! へばってるやつは、ここで待機してろ!」


 彼の言葉に、紅蓮の隊員たちは不敵に笑う。かすり傷を負っている者もいたが、みな元気そのものだった。


「あの程度でへばるかよ。肩慣らしにもなりゃしねえ。次が来る? 上等だ」


「でかぶつが来るっていうのに、俺たちが歓迎してやらなくて、誰がやるんだ」


「俺たちは紅蓮の一番隊。辺境軍随一と呼ばれるこの力、見せつけてやろうぜ!」


 とても楽しそうに言い合いながら、彼らはきっちりと隊形を組み直す。セラフィナもあわてて、アルフのすぐ横についた。そんな彼女を、アルフが心配そうに見る。


「君は紅蓮の隊として戦うのは初めてだし、やってくる魔物がどれだけ危険か分からない。君はそこの純白の隊の人たちと一緒に、本部に戻ったほうがいいと思う」


「いえ、わたくしも戦います。まだ戦えます」


 その言葉は強がりではなかった。先ほどの戦いにおいて、アルフのみならず他の隊員も、みな彼女のことを気にかけていたのだ。


 おかげで彼女は、さほど多くの魔物を相手にせずに済んでいた。体力も気力も、十分過ぎるくらいに温存できていた。


 アルフは少しだけ考え込んでいるようだったが、やがてふっと笑った。思わずセラフィナがどきりとしてしまうような、優しい笑みだった。


「分かったよ。じゃあ、全員前進! 目標、たぶんその辺にいるでかぶつ!」


 純白の隊の者たちの熱い視線を浴びながら、紅蓮の一番隊は勢い良く駆け出していった。




 さほど進まないうちに、紅蓮の一番隊は魔物と出くわしていた。しかし彼らは、どうにもてこずってしまっていた。


「こいつ、しぶといなあ、おい!」


「毛皮が刃を弾いて攻撃が通りにくいな。腹側か、あるいは顔面を狙えれば……」


「切りつけるよりぶっ刺すほうが効きそうだが、あいにくと今日ここにいるのは剣使いばかりだ。槍使いを連れてくりゃ良かったな」


「あるいは、魔法か?」


「うーん、この乱戦で魔法を使うのは危ないしなあ」


 でかぶつと呼ばれるだけあって、その魔物はとても大きかった。


 二階建ての小屋くらいはあるだろうか、鮮やかな赤い毛皮をした、熊のような姿の魔物だ。体格を生かして腕を高いところから振り下ろし、大暴れし続けている。


 手練れぞろいの紅蓮の一番隊は、そのとんでもない一撃を軽々とかわすことができた。


 しかし彼らの方も、一向に魔物に致命傷を与えられないままでいたのだ。忙しく立ち回りながら、ああでもないこうでもないと相談し合っている。


 セラフィナは少し間合いを広めにとって、魔物の動きをじっと観察していた。かつて彼女が学園にいた頃、剣術指南役に言われたことを思い出しながら。


『君は魔力を剣に伝わせ、剣の威力を上げることに長けている。今まで私が見てきた生徒の中でも、一、二を争うくらいに』


『それに、足さばきについても中々のものだ。むしろ体が小さい分、回避については男性よりも上かもしれない』


『だが君がきゃしゃな女性である分、体力に劣る点だけはどうしようもない。だから私から、一つ助言をさせてくれ』


『もし、楽に勝てない相手と勝負をすることになったら、下手に攻撃を繰り出さないことだ。最低限の動きで相手の攻撃をかわし続け、隙を見つけるといい。そしてその一瞬に、全力の攻撃を叩き込むんだ』


 学園の剣術指南役は、こうして彼女が魔物と戦うことになるなどみじんも想像していなかっただろう。だからあれは、剣術をたしなむ者としての、ただ純粋な助言だったのだろう。


「でもそれが、役に立ちそうですわね……わたくしの攻撃が通用すれば、ですけれど」


 そんなことをつぶやきながら、彼女はなおも食い入るように魔物を見つめる。うまくいくかは分からないが、彼女は魔物の隙を見定めようとしていたのだ。


 けれど、もししくじったらただでは済まないだろう。緊張と恐怖にセラフィナが身震いしたその時、アルフの明るい声が辺りに響いた。


「こいつ、ちょっとやばいよな。俺が何とかするから、少しの間だけ、そこに足止めしてもらえるかな?」


 彼の声が広がると同時に、戦場を満たしていた緊張が一気に緩んだ。戦っていた隊員たちの肩の力が、ふっと抜けたのだ。


 さっきまでぴりぴりしていた隊員たちが、笑みを浮かべてアルフに叫び返す。


「おうおう、任せとけ!」


「大きな口叩いたからには、きっちり決めろよ!」


 その声援を受けて、アルフは魔物を大きく回り込むようにして走り去っていった。任せてよ、という軽やかな声を残して。


 ここからどうなるのか、セラフィナには見当がついていなかった。けれど、アルフの言葉は信じられる、彼女はそう感じていた。


 そしてそれは、他の隊員たちも同じようだった。同じように感じて、同じ目的のために戦う仲間がいる。セラフィナはそのことを、とても嬉しく思っていた。


「わたくしも、頑張らなくては……」


 セラフィナは魔法銀の細身剣をしっかりと握り、魔物に向かって進み出す。恐ろしい戦いのさなかだというのに、彼女の口元には明るい笑みが浮かんでいた。

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