11.差し伸べられた救いの手
「アルフ……?」
突然現れたアルフに、セラフィナはぽかんとしたまま呼びかけた。隙だらけの彼女に襲いかかろうとした魔物を、アルフは軽々と切り伏せる。金色に輝く、重厚で古めかしい剣で。
「そう、俺。君の危機に駆けつけられて良かったよ。ほんと、間一髪ってところだったね」
町を歩いている時と同じ、のんびりとして軽やかな笑み。魔物に満ちたこの地にはまるで似つかわしくないと思いながらも、セラフィナはその笑顔に強く引きつけられていた。
アルフがまとっているのは、赤い制服だった。常に辺境軍の先頭に立ち、率先して魔物の群れに突っ込んでいく、紅蓮の隊。彼はそこの一般兵だった。まだ訓練兵でしかないセラフィナからすると、はるか雲の上の存在だ。
「さあ、さっさとこいつらを片付けよう。あっ、君は疲れてるだろうし、俺の後ろで休んでいるといいよ」
「いえ、大丈夫ですわ。わたくしも戦います」
我に返ったセラフィナも、魔法銀の細身剣を握り直してアルフの隣に立つ。そうして二人は、残った魔物を次々と倒していった。すべての魔物が倒されるまで、そう長くはかからなかった。
「ふう、君、けっこう強いね。それに、太刀筋がとても綺麗だ。俺、戦いながら何度も見とれたよ」
アルフがにっこりと笑って、セラフィナに声をかける。かなり激しく立ち回っていた直後だというのに、彼は呼吸一つ乱していなかった。
「いえ、アルフのほうが、ずっと……助太刀してくださって、ありがとうございました」
「どういたしまして。俺としても、君の力になれて嬉しいよ」
ぺこりと頭を下げたセラフィナの視線が、ふとアルフの首元で止まる。彼女は青紫の目を真ん丸に見張って、ぴたりと動きを止めた。
アルフの制服のえりには、数字の一を表す飾りがついていた。そしてその横には、銀色の小さな星がひとつ。
「紅蓮の……一番隊、隊長……」
呆然と、セラフィナはつぶやいた。彼女がそんな反応をするのも無理はなかった。
紅蓮の隊は最も腕が立ち、最も勇猛な者が所属する隊だ。それゆえに、辺境軍では一番尊敬され、憧れられている。
そして一番隊は、その紅蓮の隊の中でも特に戦いを得意とする者で構成されている。その頂点に立ち、彼らをまとめているのが、一番隊の隊長なのだ。
すなわち、アルフはこの辺境軍で一番強い。少なくとも、剣の腕において右に出る者はいない。そのことを、今ようやくセラフィナは知ったのだ。
セラフィナにまじまじと見つめられたアルフは、少しばかり照れくさそうに頬をかきながら視線をそらす。
「ああ、うん。俺が、紅蓮の一番隊の隊長だったりするんだ。なんか偉そうだし自慢っぽくなりそうだから、黙ってたんだけどさ」
「偉そうというか、偉いのでは……?」
「いやいやいや、偉くなんてないって! 俺、魔物を叩きのめす以外にとりえなんてないし! ごくごく普通の若者だよ、うん!」
謙遜しているのではなく、どうやら彼は本気でそう思っているようだった。セラフィナはそれに気づき、くすりと小さく笑みをもらす。
「とりえなら……ありますわ」
「えっ、何なに? 教えてもらえると嬉しいんだけどな、俺、知りたいよ」
「……内緒です。またいつか機会があれば、教えますから」
アルフは周囲の人間の気持ちを明るくしてくれる、気遣いのできる人だ。
前に、落ち込んでいるセラフィナを励ましてくれた。そして今も、彼女が萎縮してしまわないよう、努めて明るくふるまってくれている。
セラフィナはそんなことを考えていたのだけれど、それをそのまま口にするのは気恥ずかしかったのだ。だからアルフに可愛らしく笑って、あいまいにごまかしていた。
はぐらかされてしまったアルフだったが、彼はまったく気を悪くした様子もなく、セラフィナに手を差し出した。
「それじゃあ、防壁まで戻ろうか。俺がエスコートするよ、お姫様?」
「もう、アルフったら……。ところで、どうしてあなたがここに来てくださったんですの? 援軍は陽光の隊の方だと、そう聞いていたのですけれど」
「ああ、俺はたまたま別の用で、一人でのんびり出撃してたんだ。そうしたら、防壁の近くに魔物が集まってるって知らせを受けてさ。大急ぎで駆け付けたんだよ」
そう言って、アルフは左手首につけた通信の水晶をぽんぽんと叩く。
「でもそこで君に会えるなんて、ついてるなあ。……いや待てよ、君が危ない目にあってたんだし、ついてるって言っちゃっていいのかな……?」
アルフは凛々しい眉をぐっとひそめ、真剣に悩んでいる。その表情がなんだかおかしくて、セラフィナはくすりと笑った。
彼女は、かつて彼女にからんできた女性たちのことを思い出していた。彼女たちはアルフのことを様付けで呼び、彼と親しくしたセラフィナを責め立てていた。
あの時のセラフィナは、どうして彼女たちがそこまでアルフに執着するのか、いまいちぴんときていなかった。
けれど今の彼女は、なんとなくその理由が分かるような気がしていた。きっと男女問わず、彼に憧れている人間は多いのだろう、彼女はそう確信していた。
実のところセラフィナも、その一人になりつつあった。しかし彼女は、まだそのことに気づいていなかった。
セラフィナはアルフを見つめ、穏やかに微笑みかける。
「……あなたが、わたくしを助けてくれました。魔物からも、悪夢からも」
「俺は何度だって、君を助けるよ。君には笑っていてもらいたいからさ」
はにかむように笑って、アルフはもう一度セラフィナに手を差し出した。セラフィナも恥じらいながら、その手を取る。
魔物のなれの果ての泥が辺り中に積み上がっているとは思えないほど優雅に、二人は歩き出した。まるで、これから舞踏会にでも向かおうとしているかのような、そんな足取りだった。
駆けつけてきた援軍たちの足音が、少しずつ近づいてきていた。
そうして防壁に戻ってきたセラフィナたちを、先に逃げ出していた訓練兵たちがほっとした顔で出迎えた。
彼女に全て押し付けて自分たちだけ安全圏に戻ってきてしまったことに、多少なりとも後ろめたい思いをしていたらしい。そして報告にでも行ってしまったのか、引率の一般兵の姿は見えなかった。
しかし転んで足を痛めたあの少女だけは、またおかしなそぶりを見せていた。
彼女はセラフィナを見て、悔しげに顔をゆがめたのだ。セラフィナはそのことに気づかなかったが、アルフはほんの一瞬だけ、少女を見つめていた。
けれどアルフはすぐに、何事もなかったかのような顔で訓練兵たちに呼びかける。底抜けに明るい声で。
「さあ、じゃあ今日のことについて報告書を作ろうか。ここにいるのはみんな訓練兵みたいだし、俺でよければ報告書の作り方、教えるよ? 基本だけ覚えてしまえば、あとは楽だからさ」
訓練兵たちはみなぱあっと顔を輝かせて、アルフを取り巻いた。アルフ様、アルフさん、よろしくお願いします。私、俺、あなたにあこがれてたんです。そんな声が、いくつも彼に投げかけられる。アルフは少し困った顔で、彼らにこたえていた。
出撃先で魔物に遭遇した時、その他何か報告すべき事態が起こった時は、所定の報告書を作成し、提出することになっている。
しかし辺境軍の兵士たちは、そのほとんどが平民の出だ。最低限の読み書きくらいはできても、きちんとした報告書を作れるものは少ない。
だからアルフの提案に、訓練兵たちは一も二もなく飛びついた。紅蓮の一番隊隊長に教えてもらえる機会などそうないだろうということも、彼らのはしゃぎっぷりに拍車をかけていた。
しかしセラフィナは違っていた。公爵令嬢として、未来の王妃として、日々学問にいそしんでいた彼女は、今さらアルフに教わる必要はなかった。
訓練兵たちに取り囲まれてしまったアルフを見て、セラフィナは少し離れたところでこっそりとため息を飲み込んでいた。自分もあの群れに加わりたかったなと、そんな思いを押し殺して。




