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10.そうして終わりがやってくる

 ここにいるのは緑の制服の兵士たち。彼らは戦えない。けれどセラフィナは、剣術には自信があった。魔物と戦ったことこそなかったが、それでもこの場で一番戦えるのは自分だと、彼女はそう判断していた。


 それに、彼女は公爵家の令嬢だった。貴族たちの中でも頂点に立つ公爵家の一員として、下々のものを守り、助けるべし。幼い頃から叩き込まれていたそんな教えが、彼女に逃げることを許さなかったのだ。


「その、わたくしは多少戦える……と思います。足止めくらいなら、できるかもしれません。わたくしが、しんがりを務めますわ」


 セラフィナの申し出に、他の訓練生たちの顔がいっせいに輝く。ついでに、引率の一般兵の顔も。


「君の勇気に、感謝を」


「あ、ありがとう」


「ここは任せた!」


「恩に着るぜ!」


 そんな薄っぺらい感謝の言葉だけを残して、彼らは一斉に駆け去ってしまう。一刻も早く魔物から逃げたい、彼らの頭にはそのことしかないようだった。


 戦えない彼らがこの場に残っても、セラフィナの足を引っ張ってしまうだけだろう。それが分かっていても、やはりセラフィナは一抹の寂しさを覚えずにはいられなかった。


 彼らはためらうことなく、彼女を魔物の前に置き去りにしてしまった。自分にはやっぱり味方などいないのかもしれないと、セラフィナはそう思えてしまったのだ。


「……落ち込むのは後ですわね。今は目の前の魔物を何とかしなくては。ここならまだ防壁とは距離がありますし、きっと、大丈夫。あの悪夢は現実にはならない」


 腰に下げた銀の剣を抜き、セラフィナは迫りくる魔物たちに向き直った。ほんの一瞬よぎったアルフの面影を、しっかりと胸に抱いて。




 生まれて初めての、魔物との戦い。セラフィナはせわしなく周囲に目を配りながら、魔物たちについて教わったことを必死に思い出していた。


 魔物たちは、様々な姿をしている。しかしいくつか共通点があって、人を見つけるとすぐに襲ってくること、人を含め他の生き物を食べようとはしないこと、額に一風変わった宝石のようなものがはめこまれていること、その死体は溶けて泥のようになってしまうことなどが特徴だ。


 そうしているうちに、魔物たちは彼女を見つけたようだった。うなり声を上げながら、彼女に殺到する。


「一体ずつ落ち着いて、着実に倒すべし……急所は普通の獣と変わらない……」


 そんなことをつぶやきながら、セラフィナは近くの木を背にして次々と剣を繰り出していく。魔物との戦い方について、もちろん彼女も理解はしていた。しかしその太刀筋は、どうにもにぶりがちだった。


 彼女は今まで、何かを殺すために剣を振るったことはなかったのだ。辺境軍に入った以上、いずれその時がくるのだろうと覚悟はしていた。しかしこれだけ多くの魔物を相手に、それもたった一人で戦うことになるとは思いもしていなかったのだ。


 魔法銀の細身剣が魔物の肩を、わき腹を、浅く裂いていく。けれど魔物たちは、これっぽっちもひるみはしなかった。むしろ余計にいきり立って、セラフィナに襲い掛かってくる。


「このままでは、囲まれてしまいますわね……いったん、場所を変えたほうが……」


 セラフィナはぐっと奥歯をかみしめて、ちらりと防壁があるほうを見る。あちらに近づけば、防壁に常駐している灰影の隊の支援を受けられるかもしれない。灰影の隊は、弓や魔法といった遠距離攻撃を得意としているのだ。


 しかし、こうやって戦いながら近づけば、あの夢の状況とそっくりになってしまう。それだけはどうしても避けたかった。


「戦いながら下がっていくのは、絶対に駄目ですわね……魔物の数を減らしてから、全力で走って逃げるほかありませんわ」


 次々と剣を繰り出しながら、セラフィナは一人つぶやく。


「いい加減、覚悟を決めましょう。魔物を殺さねば、逃げることすらできないのですから」


 意を決して、セラフィナは魔法銀の細身剣で魔物の首元を深く切り裂いた。血を一滴も流すことなく、魔物が地面に倒れこむ。


 あっという間に魔物の体が崩れていき、べたべたの泥の塊に変わっていく。その塊の上には、魔物たちの額に埋め込まれているのと同じ石が輝いていたのだが、今のセラフィナにはそれを確認するだけの余裕はなかった。


 剣が肉を貫く感触、生まれて初めて感じたその感触はとても気持ちの悪いものだった。彼女は嫌悪感に身震いしながらも、次々と魔物をしとめていく。


 しかし、周囲の魔物の数はなかなか減らなかった。林の向こうから、さらに魔物たちがやってきていたのだ。


「……これでは、逃げることもままなりませんわ……援軍が来るのを、待つしかないのでしょうか……」


 セラフィナの心に、じわじわと焦りが忍び寄ってくる。彼女が魔法銀の剣を振り、また次の魔物をしとめた、その時。


「しまった!」


 セラフィナの死角から、大きな猿のような魔物が忍び寄ってきていたのだ。その魔物は彼女に向かって大きく飛び跳ねると、鋭い爪の生えた手をぶんと横になぎはらった。


 よけられない。わたくしは、ここで終わってしまうのでしょうか。


 リシャール様に婚約破棄される夢を変えようと努力した。けれど結局、リシャール様との関係は終わってしまった。


 ならば今回の夢も、自分が死ぬという結末だけは変えられないのかもしれない。死にざまが、少々変わるだけで。


 夢を受け入れれば夢の通りに、あがけば少しだけ違う形で、自分は破滅するのだ。根拠などどこにもないというのに、セラフィナはそのことを確信してしまっていた。


 セラフィナの体から、力が抜けた。魔物の一撃を剣で防ごうとするでもなく、走って逃げようとするでもなく、彼女はただ迫りくる死を受け入れてしまっていた。


 そして、次の瞬間。セラフィナは恐ろしさに目をつぶり、縮こまる。彼女の明るい栗色の髪を、一陣の風がふわりと巻き上げた。


 けれど、それだけだった。彼女が予期していた衝撃も痛みも、何一つやってこなかった。どういうことだろう、とセラフィナは目を閉じたまま首をかしげる。彼女の頭の上から、声が降ってきた。


「君一人にこれだけ多くの魔物を押しつけるなんて、みんなひどいことするなあ。よく頑張ったね、怖かったろう? でももう大丈夫。だって、俺が来たからさ!」


 セラフィナもよく知っている、底抜けに明るく軽やかな声。それはまぎれもなく、アルフの声だった。

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