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父の仇に許された〜内乱、政争、粛清、戦争。逆臣の息子は果たして宰相となるのか〜  作者: はに丸
第三部

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無事是貴人

 郤缺(げきけつ)白狄(はくてき)と和議を交わしたこの年も晋楚(しんそ)による中原の取り合いは続いている。趙盾(ちょうとん)引退時期に(ちん)()に靡いていたが、この年、(しん)に帰属した。むろん、楚は許さず即座に伐ち陳を服従させた。陳は一年も持たず晋から離れてしまっている。このころの楚は楚王(そおう)(りょ)が完全に足元を固め、勇躍しはじめた時期である。互いに(てい)や陳を屈服させては翌年には奪われている、といういたちごっこが続いていた。

「来年、あらためて会盟(かいめい)し、晋に従わぬ諸侯を伐つ議をあげ、(ちか)いたい所存。これは諸侯の力を借りるためのものではございませぬ。諸侯を従えるためのもの、そして盟いに背かぬようという釘をさすため、我が君の威光知らしめんがため。また、先日、我が晋に背を向けた陳をお呼びするための会盟です。六卿(りくけい)の所見、伺いたい。上席から願おう」

 冬の朝政(ちょうせい)であり、床から冷たさが這うようであったが、みな端然と座していた。荀林父(じゅんりんぽ)が、陳が来ぬ場合の備えに諸侯も軍を揃えるよう述べる。郤缺は相変わらずリスは常識的で良い、などと思いながら胥克(しょこく)に視線を投げた。ここのところ胥克の顔色は悪くなっており、挙動も不審である。問われたこともなかなか返せず、混乱することも多い。時折、霊公を思い起こすような鈍い表情もする。いくつかの情報網をたぐると、自邸でも似た症状を出すらしい。士会(しかい)が、荀林父を連れて行けというようなことを言った。郤缺は、胥克から政治へと意識を戻す。

荀伯(じゅんはく)は外向きのことをされており、次席でもある。介添えとして申し分ない。また、陳を攻めるにあたっても長年軍を率いておられ、各国もその人柄に安んじておられる。正卿(せいけい)も内向きで色々せねばならぬであろう、いかがか」

 士会の言葉は会盟だけではなく、郤缺の政策にも合致していた。白狄との和議がまず第一義である。また、郤缺は正卿に集まりすぎた権限を散らそうとしている。正卿以外が会盟を差配するのにちょうど良いころあいであった。趙盾が一手に集めていたのは、彼が独裁を好んでいたからというのもあるが、それを裁く能があったところもある。郤缺でさえ少々手に余るそれを、今、少しずつ分割している。たとえば、法制はすでに()氏に投げていた。郤缺は士会の言葉に頷いて是とし、口を開いた。

「中軍の佐が出るのであれば、諸侯の手前、数が少々足りぬところ。上軍の将に支えて頂きたい」

 配された先縠(せんこく)は、謹んで承ります、とほんのり上気した声音で返す。この青年は未だ確たる軍功をあげておらぬ。今度こそはという意気込みがあるのであろう。その後、問われた欒盾(らんとん)は常のように同意した。さて胥克である。彼は何を言われているのかわからぬ、という顔をしたあと、申し訳ございませぬ、と小さく謝った。顔色は極めてよくなく、頬が緊張でぴくぴくと動いていた。

 郤缺は、この年に胥克の職を解いた。史書には蠱失(こしつ)を患ったため、とある。現代で言うと適応障害か精神的な神経症である。郤缺が胥臣(しょしん)への恩を考えたかどうかはわからない。ただ、理と情をはっきりと分ける人間である。恩を思っても斟酌(しんしゃく)はしなかったであろう。以後、(しょ)氏から(けい)は出ていない。

 次に下軍の佐となったのは趙朔(ちょうさく)といい、趙盾の嗣子(しし)である。(ちょう)氏から出た公族大夫(こうぞくたいふ)は趙盾の弟である趙括(ちょうかつ)だが、郤缺としては趙朔を趙氏の長と見たのであろう。胥克と同じく趙朔も若い。三十になるかどうかの、おっとりとした良家の子息といった風情であった。

「意外なことだ」

 久々に邸に来た士会がゆったりとした仕草で言った。そのような仕草でもどこか肉食獣を思い起こさせる男である。郤缺は苦菜を一口飲み、何が、と返す。

趙孟(ちょうもう)の嗣子だ。あの男はまともな子育てなどできぬと思ったが、まともな嗣子をこさえたものだ、と思った」

「まあ、しかし。才はほどほどといったところであろう。柔和であるがそれだけと私は見ている」

 郤缺は少々辛辣な評価をくだしている。欒盾ほどではないが議に鈍い。彼一人で成しえることは少ないであろう。士会が、肩をすくめる。同じことを思っていたらしい。

「年を考えれば郤孟(げきもう)を入れるべきであった。才もある」

 士会の言葉に郤缺は首を振った。正卿である己が嗣子を六卿に入れれば、均衡が崩れるというものである。士会も本気で言ったわけではない。郤缺以上に権勢の均衡を見ている人間である。これが崩れれば、往年の騒乱に戻る可能性もあるのだ。

「我が君は才高いわけでは無いが、節度あるお方。大夫も民も安心して暮らしているのは、我が君の徳というものだ。私がそれを壊すわけにいかぬ。我が君はまだまだお若い。汝と変わらぬ。私はもう老年だ、いつ逝ってもおかしくはない。その後は汝が荀伯と支えて欲しい」

 遺言めいたことを言う郤缺に士会が苦笑する。

「あんたはそうそう死なぬよ、一度生き恥をさらしたものはしぶとい。それにあんたがいなくなると野ウサギどのは泣く。君公(くんこう)も心細くなるであろう。わたしも困る。上寿(じょうじゅ)まで生きてくれ」

 上寿は百才である。そこまでいけば、仙人であるな、とひとしきり笑うと郤缺はずっと言いたかったことを口にした。

「荀伯は野ウサギではなくリスであろう。リスのほうが合うと思わぬか、士季(しき)

 士会はもちろん、強く反駁し、この日は延々と口論となった。このしょうもない議論は、当然ながら後に至るまで決着がついていない。

 郤缺は、黒臀(こくとん)の温和な人格がもたらす安定を六卿が支え、その六卿を公族大夫が支えることによる、均整のとれた施政を目標としていた。卿の子である趙朔を末席に迎えたのもそれである。また、前述したが趙盾が正卿に集約させていた権限を削ぎ落とし続けている。決定権はあくまでも君主である。その上で、六卿、公族大夫共に責を分かつ方向へ持っていきたい、というのが郤缺の方策であった。権限が偏れば各卿、君主との均衡が崩れる、ということがあるが、何より正卿がいきなり消えたときに混乱が起きる可能性がある。晋は東国、西方を見ながら(てき)にも対峙している。それを担っているたった一人が消えたとき、晋は歩みを止めるどころか、転落しかねないのだ。

 波風を国内に立てない、が正卿郤缺の姿勢ともいえた。逆臣の子となり、父の仇に許され、乱を厭い晋を託されたこの男らしく、そして手堅い。

 ところが、郤缺の目論見は少々破綻した。

 晋公黒臀が、会盟の地で急死したのである。呼びつけても来ぬ陳を、予定調和のように攻めている最中であった。介添えの荀林父は知らせを受け、陳攻めを取りやめ、軍を退いてかけつけた。場所は鄭の()である。三度も会盟の地に選ばれているところから見るに、よほど良い地勢なのであろう。それはともかく、荀林父は遺体に対して哭礼(こくれい)し、そして泣きに泣いた。彼にしても待望の良き君主であった。名君というほど鋭さは無かったが、臣の話をよく聞き、また君主としての線をきちんと引く君公であった。荀林父は諸侯を帰すと、物言わぬ黒臀と共に、帰国した。霊公に続き、またも卿たちは君主を看取ることができなかった。

 黒臀の諡号は成である。国を平らかにし、民に安定した世を与えたものに贈られる。この諡号を決めたのはもちろん六卿であろう。彼らは、こうであってほしかった、という願いもこめたのではないだろうか。黒臀の治世は確かに安定していたが、もっと生きて欲しかった、というのも大きかったに違いない。以降、成公と記す。

 この成公の死に、思う所があったらしい。欒盾が致仕を願い出てきた。よくよく考えれば、郤缺と同じく最長老の卿である。さて欒盾を降ろすのであれば、趙朔を引き上げ欒盾の息子、欒書(らんしょ)を迎えねばならぬ。それ以外に六卿の均衡は保てぬ。しかし、そうなれば若いものが多くなりすぎる、と郤缺は眉を(ひそ)めた。

 郤缺の不審に気づきながら、欒盾はしずしずと訴える。

「私は非才の身でありながら、親の余光で六卿の任をあずかり、その責を果たして参りました。霊公、成公と仕えましたが、お力になれたとは申せませぬ。下寿(かじゅ)を越え、父の年も越えた私は新たな君公を支える能は無いでしょう。伏して、致仕をお許し願います」

 欒盾の必死の請願に郤缺は一瞬言葉を失った。この男が必死だったからではない。己も欒枝(らんし)の年を越えたのだと気づいたからである。顔を思い出せと言われても、もはや薄く霞のようになっている。時々壁打ちで話しかけているが声はもうわからない。妙に湿気た気分になり、そして確かに欒盾は不要であるという理を以て、郤缺は致仕を許した。

「卿の嗣子を次に据えるが混乱が起きぬ。あなたの嗣子を一度見たが、とても頼もしい青年であった。下軍の佐としてお迎えしたい」

 わざわざ使者をやり打診せねばならぬことが多い中、これは早い、と郤缺は思っていた。が、欒盾が首を振って否とする。郤缺は再び眉を顰めた。

「我が息子はいまだ若輩です。また、私は下軍の将であり、卿として高い格ではない。格の高い卿の嗣子、そして先達を押しのけることは、(らん)氏としても承伏できませぬ。これでも恥を知る家です、我が嗣子が恥知らずになるなど矜持が許しません。私といたしましては、郤主(げきしゅ)の嗣子である郤孟が卿に相応しいと推薦いたします。戦場でお見かけいたしましたが、心配りあり、矜持高く、戦いは勇あり、我らに礼節ございました。また、情深い嗣子であると伺っております。我が息子は郤孟より年若く、未熟者です。そのような嗣子を卿にするは私自身が恥知らずとなる。このこと、おわかりいただきたい」

 君主おらぬ今、決めるのは正卿である。つまりは郤缺ということである。欒盾のくせに道理に適っている、と郤缺は口はしを引きつらせた。しかし、正卿が己の嗣子を卿に加えるのは権勢に酔っていると思われかねない。

(げき)氏が六卿に二人も連なるはよろしくない。たしかに卿としては私が上であり、年も我が嗣子が上やもしれませぬが、家格は欒氏が上です。何が問題ありましょうか」

 郤缺の言葉に欒盾は引き下がらなかった。そうなれば、欒盾の引退そのものを引き留めたかったが、それも拒まれる。

「末席からよろしいでしょうか」

 口を出したのは先縠(せんこく)である。郤缺は何の案があるかと、促した。

「我が(せん)氏は一時、三人が六卿に席を置いておりました。また、(じょう)公の時には我が祖父と共に父はまつりごとに携わり、その後を継いで中軍の将となっております。正卿は清廉なかたとみな知っております、郤孟は才あるかたと伺っております。徳ある正卿才ある嗣子、郤氏が二人六卿に連なるを私党とみなすものおられますまい」

 先氏三名は家督争い、人事争いの結果である。先軫(せんしん)が将であったとき、先且居(せんしょきょ)は卿ではなかった。そう主張したかったが、先氏の内部は繊細であり、他家として強く言えぬ。それでも、郤缺は幾つもの言葉を駆使し、己の息子はよろしくないと言い続けたが、荀林父以下、欒盾の発言に傾いた。様子を伺っていた士会さえ

「わたしは郤孟と友誼を交わしているが、父の余光で六卿になった、などと言われるような男ではない。また、六卿と公族大夫の制度を考えればこの先似たようなことはあるであろう。そのたびに同族同家のものは使えぬ、となれば人事の要がくずれかねん。適材適所というものは、血族だから控える、他家であるから登用するというものではない。ただ適しているかどうかではかるもの。欒伯(らんぱく)は嗣子を卿にいれるは適所でないと強く訴えており、郤孟を推すは道理ある。郤主が観念すればよい」

 と言った。郤缺は舌打ちを堪え、必死に笑みを浮かべ続けた。趙盾が完全に握っていた人事権を六卿に分けたがために、欒盾の主張を強権を以て否定できぬ。その上、趙朔がさらに畳みかけた。

「恐れ入りますが、言上つかまつります。郤孟は私より年が上、私は父の余光で下軍の佐を頂いております。戦場にも出たことのない若輩者、既に(さい)にてお働きになられた郤孟の上に立つは僭越となります。私の席はそのままに、郤孟を上席に願います」

 道理に道理を重ねられ、郤缺は折れた。父としてではなく、正卿として郤克(げきこく)を下軍の将とし、欒盾の致仕を許した。欒盾は史書に一行しか出ていない、全く事績のわからない人間である。実際、この話でも何か成したわけではない。が、悪行も無い。欒枝の遺産を守り、卿の任を全うして財を欒書に受け継がせたという点で、やはり大夫のお手本のような、毒にも薬にもならぬ男だったのであろう。

 正卿として苦い顔をした郤缺であったが、父として郤克が政堂に入ることは密かに喜んだ。郤克に人事を告げた後、長々と訓戒を垂れたが、幼少のころ死にかけ不具となった子が、国政を担う卿になったことは、やはり感慨深く嬉しかった。さらに言えば、父に大声で自慢したいくらいであった。

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