愛の調べ
晋の信頼が失墜した翌年である。前述の通り、魯は斉に降った。この国は文公時代以来、約二十年にわたり晋の傘下であった。楚と接していないということもあったであろうが、それにしても律儀な国を裏切ったという印象はぬぐえない。だからといって手綱をゆるめるわけにはいかぬ。郤缺は、賄賂に関してふれず、繋がった各国貴族たちへ渡りをつけた。
「……宋がきなくさく、鄭が少々、鈍い、か」
返ってきた宋の反応は極めて荒いと言えた。が、これは晋への不信ではなく、内国事情を知られたくないという気配が強い。何度も華元が晋に対して牽制のように好意を向けていることと無関係ではないであろう。宋公の行い悪く、臣どもは異母弟の公子鮑の擁立を考えている。晋の介入を怖れていると見てよい。しかし、鄭の鈍さは種類が違う。郤缺は記憶をたぐりながら呟いた。
「鄭の太子は、楚におられたことがあったか」
鄭公は何にでも従順な性質であるが、太子はそうではないらしい。この青年は、楚に一時期預けられており、親楚派と言ってよい。また、鄭は晋楚双方に色目を使わざるを得ない地勢でもある。晋が魯を結果的に見捨てたこともあって、冷えがあるのかもしれなかった。
その朝はやけに蒸し暑かった。夏であり、宮庭で蝉が盛大に鳴いている。郤缺は東国の動向を議にあげた。外交担当から退くと宣言したとはいえ、最も情報を持っているのは郤缺である。宋はともかく、鄭に関して、趙盾がわずかに眉をひそめた。こめかみに汗がうっすら浮いている。
「鄭は面従腹背の国です。楚の勢いが無くなれば我が国に寄り、楚が勃興すれば楚に寄る。今の楚は落ち着きなく楚子も威勢がございませんが、穆王の例もあります。鄭には強めに接するほうが良いかもしれません」
強め、となると首を締め上げるような恫喝になるのが趙盾である。舐められては困るが、怯えて逃げられては元も子もない。郤缺は、発言すべく口を開こうとした。
「盾」
ほんの少し、張り詰めたような少年の声が政堂に響き渡った。――夷皋であった。郤缺は思わず顔を向けた。荀林父も先縠も、欒盾もぽかんとした顔を夷皋に向けている。士会は少々、探るような視線を向けた。趙盾だけが常の薄い表情のまま、夷皋に拝礼した。
「鄭という国は、それほどに信用ならぬか」
今さらの問いであったが、趙盾は時にはそうである旨を手短に返した。夷皋は頷き、
「正卿のとおりにせよ。許す」
と言った。夷皋が朝政にて自ら発言したのは、もちろん初めてである。夷皋が政治に関心を持ったということか。それは先年までの無関心から目覚めたということであろうか。郤缺は不敬ながら、夷皋の軽重を量ろうとした。しかし、その幼さが残る顔に闊達さは見えぬ。底光りさえ感じる目を趙盾に向けていた。
「ところで、我が宮城の備えが足りぬ」
夷皋がさらに言葉を紡ぐ。趙盾がうっそりとした視線を向ける。何を考えているのかわからぬ、あいかわずの薄い表情でもある。
「恐れ入り奉ります。宮城は砦として固く造っております。たとえ誰が攻めてこようと、絳が落ちることなく、そしてこの宮城も破られることは無し。私は武に疎くひとつひとつを我が君に申し上げることかないませぬが、上軍の将である郤主、下軍の佐である士季は武に長けたものども。それぞれに言上をお許しいただきたく存じます」
「いらぬ。どのような砦も落ちると、そこの缺が示したではないか。蔡を瞬く間に落とし、城下にて盟わせた。缺のようなものが他国におるとも限らぬ。そこの会も、秦にて我が軍を大敗させたと盾が言ったのであろう。ゆえ、我はこの宮城の備えを強くしたい。我が領の税をもっと取り立てると決めた。公の我が決めたのだ、盾は頷け」
郤缺は眉をしかめた。己の軍功を理由にされるとは思わなかったのである。都は落としたが宮城までは手を出していない、とは言えぬ。もし、蔡公が応じなければ容赦無く破っていたであろう。士会としても不審さを内心感じていた。へりくつを述べているとしか思えぬ。趙盾は薄い顔のまま、夷皋をじっと見た。夷皋は少々怖じたようであったが、決めたことだ、をくり返す。しかし、趙盾は拝礼しなかった。つまりは承伏していないということである。
場は膠着した。公室の税を重くするというのは、民に大きな負担をかけることとなる。正卿就任以降、税をやりくりしていた趙盾としては均衡を崩すような真似はできぬ。宮城を攻められるなど、内乱が起きぬかぎりありえぬ話であった。そして今、晋に内乱のきざしなど全く無いのだ。
「……我が命であろう。盾も卿らも不敬だ。我は決めた! そうだ、外の砦を強くするは乱のきざしと、そこの会の祖父が言うたらしいが、宮城を強くするは悪いと聞いたことが無い! 頷け、無礼だ」
とうとう、夷皋が癇癪を起こしたように叫んだ。しかし、納得せぬ趙盾は命に服さぬ。この、君公に全てを捧げると誓った男は、完全に命令に背いていた。そのくせ、夷皋を拒絶しない。つまり、
「なりませぬ」
という言葉を言わぬ。確かに、それさえ言えば夷皋は引き下がるやもしれぬ。が、問題は頷かぬ時である。そうなれば、この議題は打ち切りとなり、誰も止める事ができなくなる。趙盾は夷皋が自ら過ちを認めるまで口を閉ざすつもりなのだ。また、夷皋は徳深い君主のはずである、このようなことを本気で言うはずがない、という愚かさも持っていた。
「……正卿。言葉をよろしいでしょうか」
荀林父が苦しそうに問うた。趙盾は荀林父に感情の見えぬ顔を向け、促した。
「正卿におかれましては、我が君のお言葉に戸惑っておられる様子。我が君も正卿の言葉が無くお困りです。ただ、議に関しましては戦にも関わる重要なこと。宮城のさらなる備えがどの程度必要であるか、お調べになり改めて議とするのはいかがでしょう」
はっきり言えば先送りである。が、この場においては有効な発言であった。
「我が君。荀伯の申すようにされるがよろしいと存じます。この宮は我が晋最後の砦、我が君がご心配されるはごもっともでございますが、どのように備えを強くするかは事細かく考えねばなりません。また、民にさらなる税を納めさせるは慎重に吟味せねばならぬこと。今すぐにお決めになるのは難しいものです。我ら六卿が責を以て調べますゆえ、ご猶予お願い申し上げます」
趙盾がようやく拝礼した。夷皋は、許すと言わなかった。そっぽを向き、
「我は疲れた」
と言って立ち上がると、政堂を駈けるように出て行ってしまった。
しらけた空気が流れた。欒盾が不安げな顔をして
「君公はご納得されていないご様子。大丈夫でしょうか」
と、見回しながら言った。趙盾は表情を全く動かさないまま何も言わぬ。郤缺は少し目をつむった。襄公は政治的無能者で、ある意味言われるがままであった。夷皋が同じように政治的無能者であれば、残念である、とは思っていた。が、このような意味で政治を弄ぶ方向へと傾くのであればいっそ無関心でいてくれたほうが良い。
士会が苦々しい顔を隠さず発言を請い、
「末席であるが、ここは強く申し上げる。あれは大丈夫ではなかろう。意味のない議を出され、それに固執なされる。趙孟は何故、我らに振らぬ。あんたと君公二人の場では無い。……我が祖父の言葉をへりくつにお使いになられたとき、わたしに振るべきであった」
ときつい口調で言った。趙盾が若干睨むような目を向ける。この正卿は他者を道具にするが、頼ることはせぬ。苦手というより脳裏に無い。現に、頼ったのは郤缺に対しての一度だけである。だが、ここは士会が正しかった。趙盾だけが対峙すれば夷皋も退くに退けぬ。そして前述の通り、趙盾が否定し、夷皋が反発すれば議論は終わる。趙盾もそれを避けて黙っていたわけだが、他の卿が諫めれば妥協の余地が生まれたであろう。
「……私の不徳のいたすところ、君公を迷わせてしまったよし、そして卿の方々を困惑させた。改めての議で、皆で諫めるようお声をかけさせていただく。ただ、この議に関して我が君に許しを得ておらぬ。私の方で伺い議を終わらせます。それではまた明日」
静かに言い切ると、趙盾が拝礼をした。あからさまな拒絶に、士会だけでなく郤缺も顔をしかめ、荀林父が途方に暮れた顔をした。若すぎる先縠は困惑を隠せない。まさか政治以下のものを見せつけられるとは思わなかったのだ。欒盾は少し冷えた顔をしていた。子供の反抗期は叱るか殴るしかないと思っており、趙盾の言葉に少々呆れたのである。
改めての議は行われなかった。
夷皋が問答無用に税を取り立て、工事させてしまったのだ。否、元々密かに行っており、税は使った財の穴埋めをしたのである。この子供は宮殿の壁に彫刻をほどこした。ただ、繊細で怖がりの彼らしく、己の私室周辺のみである。おおっぴらにすれば止められることも分かっていた。小知恵が利くというには、あまりに幼いいたずらに近い。夷皋が毎日朝政に出ていなければ、趙盾はこの君主の私室に通い続けていた。そうなれば、このような遊びなどできやしなかったであろう。
むろん、趙盾は強く諫めた。
「僭越ながら申し上げます。我が君は民に苦役を与え、宮殿に飾られました。これは亡びに繋がる行いです。夏書にもございます。――内に色荒を作し、外に禽荒を作し、酒にふけり、音を嗜み、宇をたかくし、牆にえがく。此に一も有りて、未だ亡びざるは或らず――。女色、狩猟、酒、音楽のそれぞれに溺れること。そして宮殿を壮大にし、壁にまで絵を描かせる。その一つでも当てはまるものが国を亡ぼさなかったことなどございませぬ。禹王の末裔である太康はこの尽くを行い、国を亡ぼし民を悲しませました。しかし、我が君は周王さまから分かれ文公の裔、徳深い賢君となられるお方です。このような乱行をお考えになられるわけがございませぬ。貴き我が君をかどかわした職人、無駄に税を取り立てたもの、差配した卑劣な寺人は全て戮し晒しておきましたので、ご検分願います」
私室に押しかけた趙盾を、意気揚々と嘲笑うつもりであった夷皋は一気に極寒へ落とされた。恐怖で引きつり、ひぃっと叫ぶ。ぬかずく正卿は常のように淡々と言上したが、諫言がもはや脅迫である。体をこわばらせ後ずさりをした。そこで逃げ出すことができれば、まだ良かった。が、夷皋はつくづく天に見放されているらしい。夷皋以上に恐怖に引きつった穆嬴が室に駆け込んできたのである。
「ああ、夷皋。君公の身で謀られるなど屈辱だったでしょう。ねえ、正卿の言うことをお聞きなさい。いえ、聞かないといけないの。正卿、教えてちょうだい。夷皋は君公としてどうすれば良いの?」
最悪の瞬間が訪れたと言ってよい。穆嬴は四十路を過ぎたというのに少女めいた印象は変わらず、愚かな女であることも変わっていない。このあさはかな母親は夷皋を抱きしめ頭を撫でながら、趙盾の言うことを聞きなさい、と何度も囁いた。数え十八になる少年は、みるみる九才の幼児と戻っていく。
「ご内室の方々もご心配のこと、我が不徳の致すところであり、伏してお許し願います。我が君は晋公として法や律、刑に関して重々承知でありましょう。徳は刑罰を正しく行うことが肝要です。私と共にご検分いただきたく存じます」
夷皋は茫然としながら趙盾の手を取った。そうして、己がかわいがっていた職人や巻き込まれただけの者どもの惨殺死体を見ることとなった。連れて行かれた市で趙盾がそっと近づき、優しい声で囁いた。そこには敬愛の響きがあった。
「本来、我が君は美しいものだけを見て、徳深い賢君になられるのです。ゆえ、このような卑しい罪人などご覧にいれたくはございませんでしたが、これも君主のお役目でございます。善き民には徳をお与えください。悪心を持つものどもは誅伐を。この盾がどこまでもお支えし、お力になります」
本気で、いっそ誠意を以て忠義奉るこの男は、夷皋が絶望していることなど、全く気づかなかった。
この、極端な顛末に郤缺は唸った。士会も苦い顔を全く隠さず、郤缺の邸に訪れた。未だ夏であったが、寒々しささえあった。
「……わたしは我が君が即位してすぐ秦へ行った。ゆえ、さすがに材料が足りん。趙孟は君公をなんだと思っているんだ? 忠義はわかる、正道の諫言も認めよう。あの男が不器用で鈍感で傲慢であり、独善のきらいがあるのはわかっているが、あれはなんだ」
最後に気色が悪い、と吐き捨て、士会は郤缺を睨みつけた。士会は、夷皋擁立に郤缺が絡んでいることをとっくに嗅ぎつけている。いっそ、誰よりも深い繋がりであるとも睨んでいる。趙盾は皆の前では諫めず、己一人で諫める。そしてその内容は苛烈を通り越して暴虐であった。それをお前は把握していたのか、と士会は郤缺を突き刺すように見ている。
「趙孟は……君公に強すぎる拘りがある。つい先年まで朝政に出さずにいたのも深い理由があったわけではなかったと、今思い知った。あの男は人を好きになりすぎる、と評した方がおられた。あの時はそのようなものか、と流していた。――趙孟は、君公を好きになりすぎている」
郤缺は目を落として絞り出した。己は趙盾の炎熱を知っており、独特のゆがみもわかっていた。正道を好み、真っ直ぐであり、理を愛し、後ろをふり返らぬ。最良のためなら手段を選ばぬ、極めて重い情の持ち主である。夷皋の鈍さを生来のものだと郤缺は考えていた。父親の襄公が政治的無能者であったため、偏見を持っていたことは否めない。しかし、よもや正卿の忠義が君主を圧迫しているとは思いようがない。郤缺の様子に士会が軽くため息をつき、口を開いた。
「趙孟は強権主義である、が正卿としてよくやっている。そこは否定せん。しかし、これ以上君公を愛玩物にさせるわけにはいかぬ。外のことは荀伯にお任せして郤主はそれを支えてほしい。趙孟はわたしが見る。とにかく君公から引き離さねばならぬ。正卿をやめさせるわけにはいかん、というより、あの男は他の卿全てを敵にまわそうが正卿をやめんだろう。下手に有能なだけに、ややこしい」
外交のことは議にあげるが、趙孟のめんどうなど、どう道理を通すのか。郤缺はさすがに困惑して言った。士会は、適当にやる、と返した。適当と言うが、この男がやれると言うのであるから、手綱を付けることはできるのであろう。
数日後、東国問題は荀林父が引き受け、郤缺はその補佐となった。さて、士会である。
「荀伯は次卿として正卿を支えておられた。こたび、外のことをされるため手が届かぬことであろう。非礼を承知で申し上げるが上席の先季はいまだ若年、そのお役目は難しい。また、欒伯は大夫に領地の手ほどきをされており、これも重要なお役目。この会はみなさまに求められたら動くのみの末端なれど、ゆえに便利にお使いできるであろう。荀伯の代わりに趙孟の支えとなりいっそう働きたい所存だが、如何」
いささか挑戦めいた目を趙盾に向けている。基本的に後ろへ下がる士会には珍しい態度である。趙盾は少しめんどくさそうな顔をした。これも、薄い表情の彼には珍しい態度であった。郤缺は、士会の勝ち、と笑みながら趙盾を見る。
「士季のおっしゃることもっとも。荀伯は私の支えをしながら狄のことも注視されておられた。そこに東の方々のお役目も、となると手も届かぬでしょう。士季には私の補佐をお願いする。あなたは法制の一族です。色々教えも請いたい」
趙盾が、薄い表情に戻り、淡々と返した。荀林父のような従順な使いっ走りから、極めて有用だがめんどくさい男に入れ替わったのである。趙盾としてはうっとうしさを感じたが、士会の言うことは全く正しい。受けざるを得なかった。
この年、晋はこのしょうもない事件に追われ、終わってしまった。楚が秋に大飢饉に襲われたため、余裕があったというのもある。しかも楚は、この窮地に乗じて兵を挙げた、南方の戎や小勢力どもの対応に追われる始末である。晋が少年のいたずら程度に右往左往しても仕方があるまい。ただ、この時に苦境に陥った楚王・旅が困難を好機とし、小勢力どもを黙らせ、庸という西方の独立国を併呑した。この旅こそが楚史上、最高かつ最強の名君である。
晋の夷皋を名君と言うものは誰もいない。




