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城下の盟

 今さらというべきか、改めてと言うべきか。このころの政治体制と軍編制は密接である。これは(しん)だけではない。前述の(そう)にしても、司馬(しば)左師(さし)右師(うし)と軍制がそのまま閣僚に繋がっている。趙盾(ちょうとん)は戦時を見て六卿(りくけい)を決める人間ではなく、内政および趙盾にとって無駄のないものを好んだ。臾駢(ゆべん)(けい)になっていたのは、趙盾の戦争音痴を補うためだけであり、戦時体制を睨んでいたわけではない。武に強い郤缺(げきけつ)士会(しかい)が揃ったことにより、格の低い臾駢を六卿に入れ込む必要は無くなった。で、あれば、政治的に重しのある氏族をつっこむ方が理に適う。臾駢を置いておのが閥を作ろうという発想がないのが、この男である。彼は、己が正道を歩む誠心誠意の人間であると思い込んで生きている。

 困ったことに、春秋左氏伝にて晋の六卿全ての人事は、河曲(かきょく)の戦い以後、十七年間記載がない。たとえば士会を下軍の佐に据えていることも、前後の状況から見た筆者の推測である。十七年後において士会は上軍の将となっており、この天才が現時点末席にいるのは不自然ではないであろう。未来の正卿(せいけい)荀林父(じゅんりんぽ)となっていた。次卿は先縠(せんこく)という男である。この時、いきなり出てくるこの先氏は、前々から卿であったと考えられる。卿としての役目を終えた臾駢をおろし、先穀を据えるのは、趙盾の政治指向を鑑みてもありえる話であった。

 先縠は、先軫(せんしん)先且居(せんしょきょ)先克(せんこく)に連なるものであろう。郤缺と趙盾が話していたが、先克には嗣子(しし)がおらぬ。また、叔父である先都(せんと)が乱を起こしていた以上、先且居の兄弟が起用される可能性は低い。となれば、先克の弟であり、やはり若く、成人したばかりだった、というていで話を進めていく。先縠を起用するとして、少々の悩みを見せていた趙盾であったが、結局上席へねじ込むことを選んだ。

(べん)の任を解き、上軍の佐としてお励みいただきたい。亡き先主(せんしゅ)は上席であった。いまだお若い方であるが、我ら年よりが君公(くんこう)の支えになるよう導きたいと思う」

 趙盾は正月の朝政(ちょうせい)夷皋(いこう)に新たな席次を発布させ、言った。郤缺の進言により、夷皋は朝政に必ず出るようになっている。君主としてあるべき姿であったが、趙盾に言い含められた言葉を発するか頷くしかしておらず、状況はたいして変わってはいない。これから、己で考えるようになれば、と郤缺は思うのであるが、政堂をぼんやりとながめる少年は場から浮き上がっていた。(じょう)公のような、政治的無能であればどうしようもないのだが、それもまだわからなかった。

 郤缺は趙盾の権力欲を少々甘く見ていたといえる。趙盾も無自覚であるのだが、この宰相は、手に入れた決定権を君主に戻すつもりが無いのである。趙盾は夷皋を奉り守るために、夷皋の権利を奪い続けていた。

「このたび、お声かけいただき、卿に任じられた先季(せんき)と申します。上軍の佐という身に余る責をこの若年で務めること考えれば辞する話なれど、君公からの命でございます、謹んでお受け致します。先達の方々のご教示ご教導、お願い申し上げます」

 闊達な様子で先縠が拝礼した。この男が先克の弟として、次男なのか末子なのか史書では不明であるが、この作品では先且居の末子、つまりは季としておく。

 この年の春、前年より(せい)から嫌がらせを受けている()が泣きついてきた。使者が捕らわれ、魯の娘――史書には子叔姫(ししゅくき)という(あざな)で記されている――も戻せない件である。この使者は魯人ではなく(しゅう)からのものであった。魯が周に口利きをたのんだわけだが、斉はそのために態度を硬化させ、周人を捕らえ子叔姫も幽閉してしまっている。

「東のことは郤主(げきしゅ)にお任せしておりますが、(さい)へのお伺いがありお忙しいでしょう。これは正卿である私が差配してもよろしいか」

 皆に許可をとるような口ぶりであるが、決定に等しい。郤缺はもちろん頷いた。士会も趙盾が斉を締め付けるがよいと思っていたため、頷く。荀林父が、率爾ながら、と口を開いた。

「正卿が斉にお声かけされ、魯のためお骨折りされるは良いことと思います。ただ、周がお手を差し伸べているのも事実です。そちらへのご配慮も必ずお願い申し上げます」

荀伯(じゅんはく)の言うことごもっとも。我が晋はあくまでも王を尊び、その支えとなるため覇者の責を負うております。斉のこと、周の方々ともお話しながら、進めていこう」

 荀林父は趙盾が晋だけでつきすすまぬよう、釘をさした。趙盾も異もなく頷く。魯が周を出したことでこじれているのである。晋がさらに表に立てばさらにこじれるであろう。それならば最後まで周を表看板にしたほうが良い。

 その斉と魯、そして周が巻き込まれた騒動であるが、史書では唐突に終わっている。夏に斉が周の使者を解放した。ただ、この時、子叔姫は解放されていない。が、晋としてはまず周の顔を潰さずに済んだ。この後、周の顔を潰さぬようにするには、引き続き晋は後ろに立って動くしか無いであろう。斉が周の威光に心を入れ替えたのか、晋の恫喝に屈したかは議論の余地はあるが、晋を意識したのは確かである。その理由に、今は触れない。

 同じころ、郤缺は晋を出立し、蔡へ向かっていた。郤缺が将となり、上軍下軍を率いている。士会は連れて行かぬと宣言しているため、下軍は(らん)氏とその傘下、そして下軍の大夫たちで構成されている。上軍の佐である先縠はもちろん初陣であった。上気する青年に郤缺は柔らかく笑み、

「まずは学ぶことです。ひとつの戦場で、いくつもの学び、気づきがございます。あなたはいずれ武の誉れ高い先氏をまとめていくこととなる。目の前の騒がしいことだけに気を取られてはならぬ。戦場はそれだけに囚われると負ける。私の差配が何を意味しているのかも考え、共に戦って下さい」

 と、先達らしく言葉をかけた。先縠からすれば、祖父の死による敗戦を、勝利に塗り替えた男の訓戒である。彼は先軫の顔をほとんど覚えておらぬ世代だが、その話は聞いている。武に強い家のものは勇士に弱い。ありがたいお言葉嬉しき、と逸るように返礼した。己の息子とたいして年が変わらぬ同輩に、郤缺は苦笑するしかない。

 この時、同じく初陣の青年がいる。郤克(げきこく)である。河曲の戦いでは留守を任したが、今回は同行となった。書でも調練でも、郤氏の武を叩き込んだ嗣子である。あとは実戦でそれを証明させるだけであった。過保護な郤缺であるが、郤克への言葉は

「恥になるようなことはするな」

 の一言である。郤克は怖じることなく、当然と頷きかしこまった。郤克も成人をとうに過ぎた。祖父がどのように言われているのか、父が身を隠していた意味は、など全て分かっている。が、郤缺が郤芮(げきぜい)を誇りにしていることも感じていた。(げき)氏の恥は、勝たぬことであろう。負けることは恥ではなく死であり、勝てぬことが恥なのだ。郤克は、己が率いる隊を徹底的にしごいている。自身は膂力(りょりょく)がある戦士ではない。いっそ、上軍下軍合わせて一番の弱兵と言ってよい。が、その代わりに才がある。戦争の勘が良いことは幸運であった。このような勘を血筋と言ってしまうのは暴論であるが、彼らは己の血の現れなのだと思っている。ただ、郤克はやはり情への(こわ)さと弱さがあった。周を通過していたときである。郤氏傘下の氏族に、隊列を乱したものがいた。郤缺が知れば即座に斬ったであろうが、郤克は叱った後言い含め、次は無いと許した。叱責を受けた氏族はもちろん、その周囲も、これが漏れれば郤克が罰せられるだけでなく己らも罰せられると口を閉じた。ゆえに郤缺の耳に届くことは無かった。郤克は外への激しさの中に内への優しさを持ってしまっている。父親とその意味では逆であり、やはり祖父に似ているのかも知れなかった。

 軍事としての郤缺は身軽さを好むところがあり、行く先々で食糧はまかなった。そのため、進行速度は速い。蔡が晋からお伺いの通知、つまりは宣戦布告を受け、茫然としていたころには、(てい)を抜け(ちん)へ入っていた。陳都から蔡までは目と鼻の先である。宣言どおり、鄭から糧秣と装備はまかなっており、陳も用意していた。

「蔡は同姓のお国、伐つに忍びないのではないでしょうか。我が陳が口利きいたしますが」

 陳にて案内を願ったとき、こう返された。郤缺はふんわりとした笑みで、そうですな、と返す。蔡という()に最も接した小国は、周武王の実弟の一人が始祖である。晋から見ると、叔父の国、というわけであった。このようなことを言う陳は、なんと夏王朝以前の(しゅん)の血を引くとしている。周の武王が子孫を見つけ出し、国に封じたということだが、その真偽はともかく、陳は同姓国家がいないに等しい。この国なりの気遣いだったのやもしれぬ。また、隣国を説得できず己だけ晋に身を寄せたひけめもあったのかもしれない。どちらにせよ、晋にとっては余計なお世話であった。郤缺は柔和な微笑みを浮かべたまま口を開く。人を安堵させるような笑みであった。

「お気遣い感謝いたします。しかし我が国がお誘いし、鄭公(ていこう)陳公(ちんこう)もお誘いしたにもかかわらず蔡の方々はお気持ちをお変えにならず、今に至っております。ゆえ、我が君はとうとう私のような小者を以て伐つよう命じられました。その君命を私の一存でたがえることかないませぬ」

 申し訳なさを含む声音に、陳人が気遣わしげに見てくる。郤缺の立場を慮ったらしい。むろん、郤缺は察し、お気遣いいらぬ、と前置きをして話を続けた。

「ただ、お力になっていただくのであれば、嬉しい限りです。我らは蔡の方々にぜひお目にかかりたい。そのむね書を送っておりますが、陳からもお声かけいただけませんでしょうか。私どもがぜひ相まみえたい、お顔を見せていただけぬと小者ゆえ、どのような狼藉に走るかわからぬと、お伝えください」

 まろやかな声音のまま、郤缺は微笑み続け、拝礼した。つまり、宣戦布告は取り消さぬし、戦わねば話を聞かぬと陳からも伝えろ、ということである。陳人は、慎ましく返礼し、引き下がった。陳としては、楚が台頭してこれば、蔡と共に膝を屈するしかない。その蔡を今見捨てたとなれば、後にどのような目に合うかわからぬ。ゆえに、蔡へ手を差し伸べたかったが、郤缺は許さなかった。鄭が陳に声をかけたということは、両国とも蔡に声をかけているであろう。郤缺が陳に色をかけていたことを差し引いても、蔡が来ぬ理由にはならぬ。会盟(かいめい)から一年経っても蔡は動かない。もはや、この期に及んで温情をかける気はなかった。

 陳としては、穏便にことを進めようとして、逆に火の中へ手を突っ込んだこととなった。言い出したのは己らであり、仕方無く蔡に、晋の宣戦布告に応じることを勧めた。東国平定に乗り出した晋の文公は、手段を選ばぬところがあった。例えば(そう)を攻めた時、墓地に陣を置くえげつなさである。この墓地がどれだけ重要かは、この作中の描写でおわかりであろう。祖を暴かれると怖れた曹人たちは腰砕けになり、晋は一気に屈服させた上、内政干渉まで行っている。晋は笑顔を見せる国には優しいが、背を向ける国にはどこまでも非情である。せめて形だけでも戦い降伏しろ、という旨も含めて、陳は蔡に書を送った。

 蔡は陳の助言に従ったであろうか。この時点においても、弱体化した楚を捨てず、晋や陳の呼びかけに応じなかった国である。もちろん、形だけの会戦なども考えず、本気の一戦を交えることも辞さぬ。が、晋の強さも知っているこの国は穴熊を決め込んだ。かつての曹であり、(しん)に攻められそうになった鄭もそうである。都市国家の守りは固く、史書にも攻めあぐね諦める様などが描かれている。

 晋軍は蔡の様子を陳にいる時点で把握した。

「攻城は時間もかかりますし、兵も多く死にます。いかがなされますか?」

 下軍の将として参戦している欒盾が問うた。先縠も情報に困惑した顔をしている。教科書どおりのことしかわからぬ欒盾はもちろん、武に重い先氏としても、同じ意見らしい。郤缺は敬に満ちた笑みと共に答えた。

「我が君はまだお若い。ここで気を引き締めねば侮られるでしょう。さっさと終わらせます」

 そこからの、郤缺の差配は苛烈と言って良い。蔡に攻め入ったのは太陽暦でいう七月初頭と思われ、作物が生い茂る時期である。雨期でもあり、細々と面倒を見ねばならず、農繁期のひとつであった。この男は上軍下軍の全力を以て、通りすがら農地を焼き払い、貯蔵庫のような(ゆう)を襲っては糧秣を()()()。まるで(てき)のような攻め方であった。邑の防御力など、晋軍にとっては紙に等しい。斥候により場所を確認すると、効率よく軍を分け、蹂躙を行うそれは津波にも似ていた。

 晋はこの飛び地のような蔡を領有する気はさらさらなく、楚から引き離すことだけが必要である。そのためには、蔡を完全に屈服させねばならず、蔡公を戦場に引きずりだし、直接叩きたい。悠長に攻城をするのは、郤缺の性に合わなかった。この辺り、はるか昔に士会が荒い、と呆れたままである。ただ、郤缺は狄ではない。勧告し、降伏した邑は破壊せず、ただ誓いはさせる。その瞬間、その邑は晋の領有となっていく。それを逐一蔡都に知らせた。わずか数日のことである。蔡には連日、脅迫のような書が舞い込むこととなった。

「長きことお目にかかっておりませぬが、ご健勝でしょうか。以前よりお伺いするむね、お伝えしておりましたが、お出迎えないご様子。我が国といたしましては君命により、ご尊顔拝し奉らねばなりませぬ。こちら蔡の各邑の長老の方々にご相談いたしましたところ、晋の元に入りたいとの仰せでございます。ご無礼を承知で申し上げますが、蔡公(さいこう)が南蛮に服し中原に寄らぬことに民は不安を感じていたとのこと、私どもといたしましては、覇者として保護に務める所存でございます。蔡公および支えられている貴き方々におかれましても、ご了承いただきたい。我が望みといたしましては一度相まみえたく、ご一考いただきたいものですが、そちらにもご事情あろうもの。都のみが蔡とならぬよう願うばかりです」

 蔡の押さえる邑、砦を全て晋の傘下にしたくなければ出てこい、という脅しである。蔡はもちろん、楚に助けて欲しかったであろう。が、楚は内部が荒れており、同盟国家に気を配る余裕は無い。救援が無い以上、籠城し、攻め疲れた晋とほどほどのところで和議を結ぶのが落としどころであった。が、晋はそれを許さず、蔡都へ進みながら焼き払うか邑を食うかで国内を潰していく。たとえ籠城しきっても、残るのは晋に囲まれた蔡都となりかねぬ。

 蔡はしかたなく、野戦へと切り替えざるを得なかった。

 籠城疲れのない蔡と、遠征で連戦している晋である。字面だけ見れば、晋が不利ととれたが、糧秣は強奪し蓄えもある。また、勝ち続け戦意が高い。そして、郤氏に限って言えば統制がとれており疲れなどなかった。

「ここからは強奪は無い。蔡軍のみが目標です。各兵にきちんと言い含めていただきたい。鄭、陳と通り抜け、この場で野放図に暴れさせておりますゆえ、中には軍律を破るものどももいる。兵だけでなく大夫(たいふ)にもです。戦いに必要はまず命を守ること、律を守ることです。上軍下軍ともに、引き締めねばならぬ。前も申し上げましたが、我が君は幼く若い。我らが油断を見せれば蔡だけでなく全ての国に侮られる。先季も、欒伯(らんぱく)もご注意願う。司馬がおらぬゆえだらしなき軍と見られれば、軽重が問われる」

 先縠がきゅっと緊張の顔をする。欒盾がおずおずと口を開いた。

「やはり隊列を乱した者は斬るなど、でしょうか」

 彼は韓厥(かんけつ)が行った処罰を思い出しているのである。郤缺は当然、斬るべしと頷いた。後ろに控えていた郤克は呼吸も乱さぬ。己が行った温情を知れば、郤缺は激怒するであろう。それを、庇われた氏族も察しており、己らを律している。彼らは郤克への恩に報いるべく、戦いでは果敢に動いていた。

「戦はひとつのほころびでたやすく負ける。強いものが勝つのではなく、軍律弱きものが負けるのです。ここは遠い他国、一度崩れれば全員が滅ぶ。くれぐれも、肝にお銘じあれ」

 欒盾や先縠だけでなく、集まった大夫どもに言い含めた。

 蔡は陳から見て南西に位置する。蔡都に向かって南下していくと、二つの河が流れている。蛇行などで誤差はありつつ、この二つの河川はほぼ平行であり、陳からの圧力から蔡都を守っていると言えた。古代の都市国家は水場により繁栄することが多く、二重の意味で蔡を守っている。郤缺としては、河を越えて蔡都前の平野に進みたい。そのためには蔡がまごついてる間に一気に渡らねばならぬ。郤氏の手勢であれば、可能であった。先氏にはムラがあったがついてこれるであろう。欒氏の手勢に関して、郤缺は少々の不安があった。蔡の各邑を潰しながら進むに、手堅さはあるが、せかすと行軍の乱れがどうしても出てしまう。行軍の乱れは無駄な力の放出であり、欒氏の手堅さが削がれてしまうであろう。かといって、合わせれば蔡が先手を取りかねない。勝つことはできるが、ほどほどのもので終わる。

 郤缺は布に記された地図を見せ、策を欒盾や先縠に伝えていく。郤氏は郤克がひかえており、欒盾の後ろには嗣子である欒書(らんしょ)がいた。郤克とさほど年は変わらないようであった。

「下軍は別行動をしていただきます。我ら上軍が狼煙(のろし)にて合図いたしましたら河を渡り南下を。その後はそのまま進んで、蔡都を攻めてほしい」

 城攻めは被害が大きいのでは、と返す欒盾に、策のひとつです、と郤缺は返す。ここで陽動ですと言えば、欒盾は陽動として教科書どおりに動くであろう。そして、それは敵に勘づかれる。本気で攻めろ、と言った方が良い、と郤缺は判断した。そうして、郤克へ顔を向ける。

(こく)。お前の手勢は欒伯と共に行き、お力になるよう。逃げる敵には突っ込め」

 それだけで郤克はわかったらしく、わかりました、と拝礼した。欒書が欒盾に直言の許しを請うた。欒盾は若い息子の態度に一瞬眉を(ひそ)めた。

「若年が話に加わるのはどうか」

 欒盾が言外に黙れ、とする。が、郤缺は判じるは欒伯だが、と一言断り、

「郤氏としては、かまいませんよ」

 と笑みを浮かべた。欒盾が迷う顔を見せたが、郤缺が聞きたがっているとわかり、仕方無く許した。折り目正しい欒盾としては、若年が先達に直接議を出すのはよろしくない、欒家の軽重が問われる、となるらしい。が、郤缺は凡な父を持つ息子が何を言うか気になったし、本人の声で聞きたかった。いつもの好奇心である。欒書は父親に拝礼し、郤缺にも拝礼したあと、口を開いた。

「お言葉お許しいただき、感謝いたします。私の手勢も郤孟(げきもう)と共に逃げる敵へ向かってもよろしいでしょうか。同じ嗣子として、そして先達としてご教示いただきたく存じます」

 柔らかく響く、そして深い声であった。独特の重厚な印象は欒氏の特徴なのだろう。欒書は郤克より年下らしい。そして、郤克が何をするのかわかっているようであった。

「私としてはおおいに助かります。ただし、そのご判断は欒伯にお任せする。下軍のお一人であり、欒氏の嗣子に私から命じることはせぬ」

「……郤主のお力になるのであれば、我が嗣子を郤孟にお任せすることにいたします。それでは、下軍は出立でよろしいでしょうか」

 そのように、という郤缺の言葉に頷き、欒盾は欒書と共に下軍へと戻っていった。その姿を眺めたあと、郤缺は先縠へと顔を向ける。

「我ら上軍はこのままの道なりで南下いたします。蔡公には食い尽くすと先ほど書でお知らせした。斥候によるといまだ蔡は閉じこもっておられる。が、どうも騒がしい様子。周辺の民をいまだ全て都に入れぬのに、浮ついておられるということは、惑っておられるのであろう。河を渡っても閉じこもっておられるようなら、周辺の民にはかわいそうなことになりますが、仕方ありますまい」

 蔡の真下で、焼き尽くす、という意味である。己の領土にしないのであるから、荒らしても良かろうという郤缺に、先縠は胸が躍った。その非情な蛮性より、苛烈な戦意に昂揚したのである。郤缺は常に所作柔らかく、穏やかに笑みを浮かべているが、言うことは誰よりも勇士であった。郤缺は戦場の心得を丁寧に伝えているつもりであったが、先縠は苛烈さと勝利への執念のみを学んでしまった。はるか後年、彼はある戦場で勝ちに逸り、晋軍全体を乱すことになるが、今は関係の無い話である。

 下軍の陣に戻った欒盾は当然の如く欒書をしかりつけた。

「私に許しを請うは良い。しかし、直言を願うは僭越と言うものだ。私に伝え、私が議を出すが道理。汝は私より才はあろうが、そのような行いは恥に繋がる。欒氏の嗣子として心に留めておきなさい。郤主は上軍の将であり、序列は上、私は下軍の将であり下である。その私を飛び越え口を出したことはよろしくない。郤氏()()()に軽く見られるような行為は慎め」

 欒盾は郤缺を敬っておりいっそ慕っているが、それとこれとは別である。欒氏の矜持を傷つけたと怒った。欒書は謹んでその怒りを受け入れた。目の前に郤缺たちがいる中、欒盾に議を出すのは滑稽かもしれぬが、序列としては正しい。欒書は羞じ、素直に謝った。

 上軍下軍それぞれ進軍を開始した。未だ七月上旬と思われる。河は雨期により増水していたが、上軍はなんなく渡河を終えた。舟を付近の邑から徴収したであろうが、本題でもなく煩雑なので描写は避ける。

 河を超え、蔡城下に近い平野へと至ったあたりで、蔡がようやく兵を出し進軍を開始した。判断が遅い、と郤缺はいっそ同情した。彼らは付近の各所を燃やしていない。籠城をするなら焦土作戦を行うべきであったが、晋への戦いに躊躇する近臣もいたのであろう。中途半端な策が晋をますます有利にしている。そのあたりで、郤缺は狼煙を上げさせた。下軍のものはすぐさま確認し、河を越えていく。上軍が北東から蔡軍へと向かっている間に、下軍は真北から蔡都へと進軍していった。郤缺の読みどおりであれば、欒盾が蔡都の攻撃線に着く頃にはこちらは開戦しているはずであった。

 さて、時刻はいつごろであろうか。この時代の作法を考えれば夜明けには渡河を始めていたであろうし、互いに挨拶の使者を送りあったであろう。郤缺は渡河のあとに戦勝祈願の儀を行っている。このあたり、現代から眺めれば悠長な、となるが、当時にとって戦争は祭事でもあることは既に前述している。

 互いの戦線が重なりぶつかったのは、昼に至ってはおるまい。蔡軍には蔡公が総大将として本陣を構え、臣に支えられながら進軍の太鼓を叩いていた。蔡としてはここを破られれば晋に屈服する道しか無い。下手をすれば国としての体裁さえ危うい。大夫は兵たちを叱咤し、果敢に戦った。

 蔡が果敢であれば、晋は苛烈である。郤缺は斥候と軍の動きにより、蔡のほころびを見つけた。

「我が晋に心を残しているものがいるらしい。動きが鈍い。先季にあそこを叩くようお伝えしろ。先氏は最初の打撃がお強い、周囲含めて崩すだろう」

 使者が頷き、走っていった。崩すだろう、などと言うが崩せ、という意味である。先縠は張り切って暴れてくれるに違いない。郤缺は蔡公のいる本陣へと圧力をかけた。あの本陣は戦線全域が支えているからこその強さを持っているが、どこかが崩れると一気に弱い。いわゆる横陣に近いもので、平野部であればお手本のようなものである。郤缺はそれに対して、前が潰されてもすぐ後ろから繰り出す陣を構え、少しずつ削っていった。最後方から戦争推移を眺めていた郤缺は先縠が動いたと同時に、己も前へ進めた。

 先氏の手勢が、蔡の一部につっこみ、攪乱する。攻撃を受けた側といえば、踏みとどまらず逃げ出した。やはり晋と戦いたくない大夫が率いていたらしい。それに動揺して、その一帯が崩れていく。蔡の隊列が乱れ、本陣への層が薄くなった。郤缺はすかさず速攻の戦車を繰り出し、つっこませる。この場合、歩兵は後ろから追いかけることとなるが、構わない。後続と共に走らせれば良い。郤缺も御者に進むよう命じた。この御者とも長いつきあいである。その技は匠の粋に達しており、郤缺が己の足で走るような錯覚に陥るほど、自在に馬を操る。車右(しゃゆう)は老獪ささえ身につけていた。郤缺は最前線に近い場所で太鼓を叩きながら次々と手勢を蔡軍にぶつけた。一つの戦車へ郤氏の戦車が迫り、矢を放つ。守る車右が肩に矢をうけ、御者が方向を変えようとしたところに、違う郤氏の戦車が立ちはだかり矢を放ち、兵が群がり潰す。食いついてくると引きちぎりかたがえぐい、と士会が評したとおり、確実に屠っていく。

 郤缺は全軍に律を守ること、容赦しないことを徹底していたが、もうひとつ命じていることがあった。

 ――国君を辱めるな

 蔡公に対する直接的な攻撃を禁じたのである。その周囲を殺し尽くしてもよいが、蔡公には牽制以上をするな、矢を向けるな、ということである。国公を辱めれば後が悪いという考えが当時にはある。それに加えて、郤缺には蔡公がおらねば屈服するものがいなくなる、という考えもある。蔡公が戦死し、太子が代わりになれば、政治的に弱い。

 蔡公は踏みとどまるかどうか悩んだであろう。あとは太子に任せて出ているというところもある。晋などという虎狼に恥をかかされるくらいなら、戦って死んだ方がマシである、とも思ったやもしれぬ。そこへ、臣の一人が慌てて伝令を送ってきた。

「都が攻撃され、燃えております」

 慌てた蔡公がふり返れば、守るはずの蔡都からもうもうと煙があがっている。叫び声をあげようとしたが、喉から出てくるのは枯れた息だけであった。都は、ただの城ではない。幾重にも城壁を造り、街そのものが要塞でもある。それがたやすく燃えるとはどういうことであろうか。晋の攻めか、内部の反乱か。どちらにせよ、蔡公はあわてて撤退した。それを理解して撤退したものは少なく、逃げるのだ、と後を追いかけたものが多い。自然、蔡軍は潰乱し兵は民に戻り四散した。

「追撃せよ」

 郤缺は短く言い、そのための太鼓を叩いた。逃げ惑う蔡は、晋に削られながら追い立てられ、都へと走っていく。もう少し時間がかかると思ったが、火攻めとは欒盾のわりには機転が利く。郤缺はとひそかに感心していた。

 その下軍、欒盾である。欒盾は常識的な男であり、下軍ていどの兵力で攻城などできぬと困惑していた。矢を放っても、最も外壁にいる敵兵に届くかどうか、である。この頃、攻城戦用の様々な軍事車両はまだ出現していない。が、欒盾の周囲には郤缺の意図がわかるものがいた。亡き欒枝(らんし)は物持ちであり、つまりは人材も多く抱え、その財全てを欒盾に受け継がせている。

「火をつけましょう」

 そのうちの一人が、進言した。城の防壁は何度も土を塗り固めた強固なものである。そう簡単に燃えるわけがない。しかし、その男は欒盾の戸惑いを消した。

「今は雨期ですが、草も木も火をつければ燃えるものです。防壁のきわで火をつけ、我ら手持ちのまぐさも糧秣も共に焼いて下さい。もう、糧秣などいらぬもの。壁は燃えませぬが、煙で守りの兵は我らを狙えなくなります。また、上軍と戦う蔡軍に動揺を与えることができます」

 その答えに欒盾は頷き、差配した。当時は平野部と言っても、森や林も多く点在している。それらももちろん利用する。兵たちは砦から降ってくる矢の中、けなげにまぐさや糧秣に火をつけ、草や木を投げ入れ炎を火事としていく。ひとつの火は延焼してゆき、さらなる炎を重ねていった。もうもうと黒い煙があがり、外壁の一部が燃えているようであった。この炎を、蔡公たちは蔡都が燃えていると勘違いしたのである。

 郤克は欒盾に断り、素早く動いた。欒書も手勢と共に向かう。門を開け、都市内に入ろうとした蔡軍に突撃したのである。郤克と欒書の手勢はそんなに多いわけではなく、混乱した蔡軍とはいえ殲滅することなどできぬ。が、少なくとも蔡公が入城するまえに門前で混戦が起きた。国君が城の目の前で立ち往生しているのである。門を閉めるに閉められず、守備の兵が助けるために城内から急行した。

 そこを、上軍が押し寄せ、己等ごと城の中へ押し込んでいく。蔡軍は潰されるように城内へ押し出され、晋を迎え入れることになった。城内の守備兵を晋兵が襲い、晋の矢が射殺していく。郤缺は蔡公の手勢間近まで、戦車を進め、笑みを浮かべた。

「お忙しいさなかですがお伺いしたこと、ご容赦願います。蔡君のご尊顔を拝謁せよと君命あり、上軍に任じられました郤氏が長である私、缺がまかりこしました。先ほど、使者を通して互いに挨拶をいたしましたが、改めてご挨拶申し上げる。我が公はぜひ蔡公をお招きしたいと仰せでございます。ただ、蔡国に関しては何も命じられておりませぬゆえ、私の一存で各邑、砦にご挨拶しております。(ちか)いが無ければ蔡公()()となりますが、如何(いかん)

 柔和な笑みを浮かべる晋の総大将は、蔡公を屈辱のどん底に突き落とした。蔡公が降伏の意を示さねば、蔡都を荒らし尽くすと言い切ったのである。文公が行った曹への内政干渉よりいっそ酷い。しかし、この都市国家が食い尽くされれば、無事であった衛星都市である邑々も死ぬに等しく、蔡は滅ぶまでいかぬでも、独立国家として成り立たなくなる。蔡公は車右と共に戦車を降りて、敗戦を認めた。完全に太鼓の音が止まった蔡軍は崩れ落ちる。太鼓は進め、戦えの意味であった。蔡を守る大夫たちは地に伏して泣いた。が、蔡公は必死に涙を堪えた。この後、さらなる屈辱が待っていることを知っていたからである。

 郤缺は全軍の攻撃をやめさせた。軍律に厳しいだけに、ぴたりと止め、それぞれ配置に戻っていく。ここで、調子に乗れば、その場で斬られるか公開処刑である。

 さて、宮城間近の市にて、郤缺は蔡公と盟った。蔡公は敗北を認め、晋に降ることに頷いた。楚から離れ、晋の傘下となり、全てを委ねることとなる。おおよそ、城下内に攻め入られ和を結ぶことを城下の(ちかい)といい、国家として最も恥ずべきこととされていた。国君としてこれ以上の屈辱は無い。それを、市という都市国家の中心でさせられているのである。城下の盟を現代の用語で言えば――無条件降伏である。蔡は晋に何をされても文句が言えぬ。それを儀として行うわけであるから、違えれば天による災いが降り注ぐであろう。楚が取り返しでもせぬかぎり、蔡は絶対服従をせねばならぬ立場となった。蔡公はこの後、(びょう)に向かって祖に()きながら詫びるに違いなかった。

「凱旋です。帰りましょう」

 郤缺は制した蔡に駐屯もせず、さっと帰国した。目的は領有ではなく屈服であるため、当然であるが、鮮やかでもある。この勝利は各国に知れ渡るであろう。東国は晋の容赦のなさに改めて襟をただし、服従の念を強くするに違いない。

 郤缺は各国に柔和さを以て接している。儀礼正しい晋の外交担当、という印象が強かった。が、この男が恐ろしいほど武の人間であることを、皆思い知ったであろう。

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