人に会い、天に盟う
夏、郤缺は趙盾と共に宋へ旅立った。会盟の後に外征となる場合もあるが、今回は盟いのみであり、最低限の軍で向かっている。場所を宋としたのは、彼の国の一途さと中立性にある。また、会盟は諸事気配りが必要であり、開催地の負担は大きい。その中で、宋は引き受けてくれるところがあった。亡国の民特有のけなげさかもしれなかった。
宋へは周に挨拶をしたあと、衛か鄭を通りぬけて行く。むろん、衛を選んだ。信用できぬというより、戻ってきたばかりの鄭に少ないとはいえ軍を通すことを趙盾が嫌がったのである。
「私はあの国に強く言いがちです。ここで、歓待を強要することになり、さらに私は強く言う。郤主が止めようとも、止まらぬ自信がある。ゆえ、最初から行かぬが良いでしょう」
極論であったが、趙盾も時にはやり方を省みるらしい。郤缺は、それならば、と従った。郤缺としては元々傘下にあった衛よりは鄭を押さえたく挨拶をしたかったが、趙盾が恫喝しかねないというなら引き下がった方が得策である。趙盾は鄭を嫌っているというわけではない。はっきりせぬ帰趨をしっかり掴みたいのであろう。が、趙盾は恫喝脅し、締め上げて屈服させる方向に向かう。他のやり方をしようにも、ぎこちなくなり、結局恫喝となる。最終段階であればそれで良いが、今の鄭は心が離れるだけである。趙盾もそれがわかり、鄭を避けた。趙盾の恫喝は理屈でもある。理だけでは通らぬこともある、と鄭に対しては思ったらしい。
「宋は蒸し暑いところです。この周都はまだ若干涼しい。外で風に当たりませぬか」
衛入りの前日、郤缺は趙盾に話しかけた。余事と撥ねることなく、趙盾が頷いた。周都は歴史の街である。中原において歴史は文明そのものと言って良い。幾度かの戦禍にも巻き込まれ、今も政争たけなわだが、やはり文明の中心であった。挨拶ひとつで値踏みされ、各国に評を伝えられるような、うるささもある。以前、秦は軍のだらしなさを中原に広められた。晋はその轍を踏まぬよう、儀礼と節度を守った。そのような緊張が終わろうとしている日暮れでもあった。
借りた邸には露台があった。景色を楽しむためというより、見張りをし、弓を射るための砦のような造りである。雨期独特の、しっとりした空気の中、ふわりと風が漂っていた。趙盾がそのわずかな涼を楽しむように目を細めた。そうすると、少し目尻に皺がよる。この宰相は、四十を超えた。郤缺は五十の半ばに近い。初めて会ったとき、郤缺は三十の終わりに近かった。趙盾は二十の半ばであったろう。約十五年ほど前である。あの時、目の前の危なっかしい青年が独裁者になるなど思わなかったし、何より己が執政の中枢にいるなど、考えたこともない。が、こうして互いに国の代表となり遠い周都で佇んでいる。
「何か、お話があるので?」
趙盾が景色を見ながら言った。眼下に、貴族の邸が広がり、外に行くにつれて下級貴族や裕福な民の家となる。晋などより民の自立心が強いこの都市国家では、民の発言も強い。そのような町並みを感慨深くもなく眺めたあと、趙盾は郤缺を見る。
「むろんございます。以前から申し上げている。お困りのことがあれば、ご相談つかまつる、と。あなたと私はもう謀議を為した間柄です、ご存分に」
静かな風が郤缺の髪をゆらす。その髪の一房を趙盾が指に取った。郤缺は笑みを浮かべながら戸惑うが、趙盾の表情は薄く平坦なままである。なんとなく、そして意味もなく行ったらしい。
「……士季が戻り、あなたがいる。駢があの場所にいる意味は消えております。駢も卿でいるのは息苦しい様子、いいかげん我が手勢に戻し解放してやりたいが、誰をいれるか、そして上げるかねじ込むか。正直に申しますが、私は騒々しくなるのが好きではないゆえ、そうそうやる気のある方をお呼びしたくはない。かといって、数合わせもほどほどと胥子で思い知りました。これは愚痴になりますが、我が従弟の父はろくな遺臣を残しておらぬ。私の父を含め、息子を育てる才能が無い遺臣ばかりです。しかし、晋にはそれしかない。公族はもうおらぬ、小者は騒がしい。至らぬ身で人を見る目の無い私としては、ほとほと困っている」
淡々とした口調で長々と言うそれは、本当に愚痴であった。極めて珍しいとは思ったが、この男は己で解答を用意している人間である。困ったとは言いつつ、どうせとっくに決めているのであろう。趙盾が郤缺の髪を指で遊ぶ。どうも考えながら話していたらしい。しかし、幼児の仕草であり四十路の男がするような行動ではない。郤缺は半歩下がった。趙盾の指から髪が解放される。
「……ご無礼致しました。ご容赦を」
ようやく気づいたらしく、趙盾が謝った。その顔は相変わらず申し訳なさが見えず、郤缺は苦笑する。
「ところで、先氏にお決めか」
郤缺の言葉に、趙盾は頷いた。
「今年いっぱいは現行のまま。胥氏を撥ねた以上、一軍を率いることができるのは先氏しかありますまい。魏氏は小さくなりすぎました、惜しいことです」
「仕方がありませぬな。亡き先主に嗣子はおりませぬゆえ、傍系かご兄弟か、お話進めていくしかないでしょう。――ところで、私はお困りのことがあればご相談すると常々申し上げている。席次のことは愚痴であって、お困りでもなんでもない。あなたは君公のことでお困りであろう。すでに御年十六となるが、あなたの扱いは九才の時と変わらぬ。良き傅をおつけになられたと聞いておりますが朝政でも議をご理解されていないご様子。政堂で問うても、あなたは捨て置こうとされるであろうから、わたくしごととして伺おう」
趙盾が少し眉を顰めた。郤缺は笑みをやめている。当初は幼君であるからと見ていたが、十代半ばを過ぎてあの幼さは不自然であった。そして、趙盾がその不自然さを受け入れていることこそ、異常である。趙盾好みの理に合わぬ。
「……我が君は徳深く育っておられる。昨年から犬を飼い始めました」
「犬?」
前後の文脈が繋がっておらず、郤缺は思わず聞き返した。趙盾は郤缺のとまどいに気づいていない。涼しいと思っていた風に、湿気が交じりはじめ妙に蒸してくる。夕闇の薄い陽光がさらにうっとうしさを助長した。
「子犬の時は小さいものでしたが、最近は大きくなっております。困ったことに、政事のお話をしておりますと、我が君にまとわりつき、注意をそらすのです。そのたびに、私としてはお話の続きをお聞き頂くよう伏して願い、犬を離すように申し上げるのですが、最近はそれを嫌がっておられる。私の不徳といたすところでしょう。この犬をどうすべきか郤主は如何。私は、いざとなれば犬を殺そうと思います。我が君は徳のある方です、我が忠心おわかりいただけるかと」
郤缺は色々と問いただしたいと思ったが、まず犬を殺すな、と強く言った。その上で
「寺人にでも犬を預ければよろしい」
と、しょうもない気分も込めてさらに言った。趙衰を父親失格と言う趙盾こそが、養育者失格に近い。ここで郤缺は趙盾に夷皋をどう育てたのか、と問い詰めるべきであった。が、郤缺はそのあたり常識から抜け出せぬところがある。夷皋を育てた傅の質はどうなっているのか、と困惑した。趙盾が夷皋の生活に極めて侵蝕し、圧迫しているとは、さすがに思わない。
「……では寺人に犬を押さえさせることにしよう。私は動物を愛玩したことなく、このようなことに疎い。感謝を。ところで、斉は国君の死を理由に今回はお越しにならない。これについて郤主のお話を伺いたい」
趙盾は本当にすっきりしたらしく、夷皋の話をさっと流して問うた。斉の話は極めて重要ではある。しかし、夷皋の件を軽く流すべきではなかろう、と郤缺は苦い顔をした。
「……斉の件なら確かに懸念はございます。が、その前に申し上げるが、この会盟のあとからすぐ、君公を毎日、朝政にお呼びを願う。本来なら、我らが支えるとはいえ、今回の会盟にも問題無いご年齢です。おわかりか?」
郤缺の苦々しい顔を薄い表情でじっと見ていた趙盾は、そのように差配を、とだけ返した。特に不満そうな様子もなく、では今まで引き延ばした悔恨があるかといえばそうでもない。ふと、趙盾は夷皋がまだ幼い子供だと思っていたのではないか、と郤缺は考え、振り払った。いくらなんでもそれは、愚かすぎるというものだった。
斉の話など、趙盾の爆弾発言に比べればたいしたものではなかった。郤缺の私見として、新しい斉公の母は魯の娘であるが地盤が弱い。政変があれば、魯に飛び火があるやもしれぬ、元々晋を侮っているため恫喝ていどでは止まらぬ、という程度である。
「……斉は幾度も公子同士の争いがあるに、それを根本から変えぬ。我が晋に倣えば良いのですが」
無神経ないたわりの言葉を趙盾が吐いた。同じ晋人としてわからぬでもない、と苦笑しつつ、他国のことですから、と郤缺は返す。公族を潰し、公子を追い出している晋のほうがよほど異常なのだが、郤缺は指摘しなかった。
「あと、蔡ですが」
「それは私が差配つかまつる。趙孟は邾と周を」
「ではそのように」
前置きもない趙盾の言葉に、郤缺も問わず返す。趙盾も確認もなく頷く。趙盾と郤缺の政治指向は違っている。ゆえに郤缺は趙盾の差配全てに添って考えることはできず、迷うことも時折ある。が、このように息が合うことのほうが多い。物騒な話になればなるほど、趙盾と郤缺はかみ合うらしい。双方、理想が徳治という点でも気が合うのであろう。この二人に徳があるかどうかの評は、差し控える。
幾度か出ている、会盟である。同盟国家が集まり、外交的な盟約を結ぶ国際会議であり、儀式であった。二国間同盟で行うことはもちろん、晋のような覇者が傘下を集めて行うものは戦争と並んで春秋時代の花であろう。この時の参加国は前述したが、晋、魯、宋、陳、衛、鄭、許、曹である。そして晋以外は全て国君が来訪しており、そうそうたる様相であった。取り仕切るのはもちろん趙盾である。各国、なぜ晋公が来ぬか、とは言わなかった。それほど、正卿趙盾の威勢は大きい。この会盟で重要なことは、楚から宋、陳、鄭が晋に服従したことである。それを儀式で盟い、名実共のものとする。そして、邾の政変についてであった。宋の新城は邑というより軍地、もしくは砦であったろうか。会議をするための堂も、各国首脳をもてなすための邸も多くあったのであろう。また、会盟は平地を要するため、起伏の無い土地であったと思われる。
「みなさまのご尊顔を拝し奉り、嬉しく思います。楚子の元、ご苦労もございましたでしょう。晋といたしましては、お越し頂いた方々と末永いおつきあいをしていきたいと思い、我が君も強く望んでおられます。本日の集まり、私とみなさまの喜びとなりましょう」
この程度のことを、趙盾は言ったであろうか。宋は元々晋に色を残しており、深く頷いたであろう。楚に近い陳も常にふらつく鄭も無体なことを言われず、安堵したやもしれぬ。少なくとも土地の強奪は無かった。
「邾のことですが、我が晋に連なる公子が正当性を訴えてきております。私は、邾に納めるため動かねばなりませぬが、彼の国は魯がお世話されておられる。晋といたしましては穏便に物事を終わらせたいと思っておりますが、魯公は如何?」
本来、趙盾は一大夫であり、国君がそろった場では末席である。が、宗主国の晋を代表しており晋公の名代でもあった。結果、席次は最も高い場所に置かれている。問われた魯公興は季孫行父を見る。魯を動かしているのは国君ではなく三恒や公子遂であり、興はどう応じてよいかもわからぬ。
「我が君に代わりお答えする。邾が平らかに終わるのであれば、我らに異存はございませぬ。晋は覇者として小国の和を尊んでおられるご様子。どのような結果になろうと、あなたさまのご決断は正しいものでありましょう」
季孫行父の返しに趙盾は頷いた。他の国も、同じような反応である。趙盾の後ろに控えていた郤缺が、発言よろしいか、と問うた。趙盾はむろん促した。邾のことは趙盾に任せると言った郤缺であり、反論するつもりはさらさらない。ただ、補いはしたかった。
「我が晋は威を以て邾に問うことになりましょう。ゆえ、戦車八百乗をご用意したいため、みなさまにもご協力いただきたい」
郤缺の言葉を受けて趙盾がさらに口を開く。
「みなさまがた諸侯と共に八百乗の兵を引き連れ邾に問うたあと、周都にてご挨拶をいたします。よろしいですね」
魯公が邾の件をお任せする、とだけ言った。趙盾は邾に捷菑を連れて行き、こちらを国君にしろ、と言わねばならぬ。が、穏便に物事を終わらせたいと言い切った。既に邾公が決まっているところに横車を押せば政変が起き、下手をすれば乱が起きる。そのため、趙盾はわざわざ失敗のために同盟国をひきつれ兵を出すと言っているのである。魯はそれなら問題はない、と納得した。魯の足元で属国が騒がしくなるのは大いに困る。その騒ぎの原因が宗主国の晋になれば、魯も心が冷えよう。が、趙盾は晋は退くと宣言した。魯だけではなく、諸国が安堵した。少なくとも趙盾政権において、晋は他国の内紛にくちばしを入れぬという姿勢を示したに近い。その空気の中、後ろに控えていた宋人が宋公杵臼に許しをもらい、口を開く。
「我が君から許しを得て、ここに言上つかまつります。覇者としてのお務めとはいえ、他国への差配は難しいことでしょう。しかし趙孟は穏便にお話をおすすめになるということ、これは賢人の言葉です。善き結果になるよう、祈り、言祝ぎいたします」
小太りで柔らかな肌という印象の男であった。ふんわりと笑むのは地か作っているのか、郤缺も読めぬ。杵臼を支えるのは権勢強い司馬、華耦である。この男はその脇に控えていた、右師の華元であった。宋公室から分かれた華氏の直系が華元であり、傍系が華耦である。傍系のほうが力を持っていることは、趙盾を例に珍しいことではない。郤缺は、華元がただ趙盾を言祝いだ以上のものを嗅ぎ取った。宋の内部もごたついている。先君の内室王姫と杵臼の関係が悪化しているのだ。何かあったときに口出し無用、という牽制であろう。華耦が苦い顔をして華元を睨んだ。余計なことを言うな、という顔でもあったし、華耦は華元を少々侮っているようであった。司馬はむろん軍律を司るが、宋においては卿であり、右師は右翼軍名目の卿程度に思えばよい。
「我が君、晋公は覇者として周を支え、みなさまが安心できるよう務めたいと、この盾に差配を命じております。こたび、楚より宋、鄭、陳の方々がお戻りになられたこと、お喜びになり言祝いでおられました。関関たる雎鳩は 河の州に在り 窈窕たる淑女は 君子の好逑なり と申します。雌雄応じて和鳴するお声のように晋は東の方々と末永く共にありたいものです。邾に関しましては私、盾の差配によりご迷惑なく収める所存」
趙盾の謳ったものは、君子に相応しい貞節な淑女と共にありたいという詩である。楚に服従していた国、とくに鄭に対して痛烈なあてこすりであった。これを会盟の場所で堂々としたわけである。鄭は晋の締め上げと恫喝を感じたであろうし、他国からも冷えた目を向けられた。陳の人々は同情の目を寄越す。共に楚に圧迫される国である、痛みはわかる。鄭公蘭は、膝の上に置いた手をぐっと握ったが、顔色は変えず笑みを続けていた。執政の公子帰生はさすがに笑みを続けられず、冷たい面相となった。趙盾がわざと嘲笑したかどうか。彼は情に鈍感であり、気を配らなかった可能性は高い。反面、理は強く、あてこする目的はあったやもしれぬ。どちらにせよ、晋は鄭に冷えた感情があることを、一言で示した。郤缺は少し眉をしかめたが、この場でたしなめるわけにもいかぬ。せめて、会盟の解散前にやわらげるしかなかった。
会盟というものは、会議をして取り決めるだけではなく、盟うという儀式が必要である。この時も晴朗なる吉日に、屋外にて行った。平地に各国が帷帳という幕屋、つまりは簡易な柱に幕を張った小屋を用意する。それぞれの帷帳には祝史と呼ばれる書記官が二名座している。彼らは盟書を作る。一人は玉板に朱書し、一人は木簡に墨書した。しばしば頻出している玉であるが、現代でいえば瑪瑙であり、当時は神性も含めて最も貴い宝とされている。
各国君主は、帷帳の前に置かれた小机に向かって座しており、その前に方形の大きな穴が掘られている。会盟の中心にいる趙盾はもちろん、小机に向かって端正に座していた。夜明けと共に動くとはいえ、夏は朝もすぐ暑くなっていく。炎熱といってよい陽射に照らされていたが、趙盾は涼しい顔のまま、美しい姿勢を保っている。それでも汗はかき、こめかみから頬をつたい、顎からぽたりとひとしずく落ちた。
趙盾の目の前で生け贄である牛が屠られ、玉で作られた碗に血が注がれる。同じく玉で作られた皿に牛の左耳と滴る血が乗せられた。その碗と皿は小机の上に並べられる。そうしてようやく、玉板の盟書が趙盾に渡された。趙盾はまず、碗の血で口をすすぎ、次に皿の血を指でとって、唇に塗った。口がかわかぬうちに盟書を丁寧に読み上げる。それはまるで朗読劇でも聞いているような、通る声であった。それに唱和するよう、各国君主も読み上げた。趙盾と同じように盟書を持ち口は牛の血でぬれている。
新たに名を連ねるた宋、鄭、陳を祝う
晋、魯、宋、陳、衛、鄭、許、曹の同盟を末永く努める
盟書の内容をひっくるめれば、だいたいこうである。すべて読み終えた趙盾が盟書を渡すと、方形の穴の中に牛の死体が放り込まれ、その上に盟書が置かれた。むろん、各国それぞれ同じ光景である。最後にはこれを埋め、儀式を終える。これは、同盟を温める外交行為だけではなく、神格に誓う神事であった。当時の代表的な神格は天と河が多いが、これは天に誓っているのであろう。この誓いを破れば、災いが身に降りかかっても仕方無し。春秋時代、このような会盟が二〇〇回以上は確認できる。むろん、誓いを破った国も、多く見られている。
こうして無事会盟は終えていくが、晋はきっちりした覇者である。楚から晋に来ぬおかわいそうな国に関してしっかり言及した。
「陳の方々がこうしてお越しになられたのに、蔡の方々がお見えにならぬは悲しいことです。近いうちに、三席ながら私め缺がお伺いしようと思っております。その際、鄭のかた、陳のかたに何かしらご用立てをお願いするやもしれませぬが、その時はよろしくお願い申し上げます」
趙盾に示され、郤缺は微笑みながら柔らかく挨拶をした。
「我らは同行したほうがよろしいか?」
陳のものが引きつった声で返すが、いえいえ、と郤缺は否定する。
「私どものみでお伺い致します。ただ、手元不如意の場合がございますれば、その時はお頼みするかもしれませぬ」
鄭と陳、双方陣営ともに複雑な顔をしたまま、頷いた。郤缺が軍を率いて蔡を屈服させる、という意味であり、兵はいらぬが武器兵糧足りぬときはよこせ、ということである。当時、兵糧は他国から強奪するのが当然であるため、前もって願う郤缺はお優しいことではあるが、おとなしく差し出す用意はしておけ、という脅迫でもあった。新たな盟いを立てている二国であるだけに、試した感もある。
会盟の終わるその日まで、郤缺は各国の臣たちと少々の交流をした。魯を取り仕切る季孫行父の口ぶりから、やはり公子遂は何か画策していると察せられた。
「あなたは襄仲と昵懇と聞いたが」
いささか用心深さが見える季孫行父の言葉に、郤缺は首を横に振る。
「晋魯のよりよき仲のため、務めているのみ。私の家格はあなたがたに劣り、三席の身です。昵懇などおそれおおい」
季孫行父がそれを信じたかどうかはともかく、魯の内紛に関わらぬ、という言葉は聞こえたらしかった。鄭の公子帰生が、趙孟は冷えすぎではないか、何か求められているのか、と相談してきた。いわば、賄賂を要求しているのか、という苦悩である。郤缺は、優しく制し、
「我が正卿は賄賂は好みません。ただ、誠意ある言葉、行動のみを愛します。やりにくいかもしれませぬが、我が晋は賄賂はいらぬ」
と断言した。鄭としては、いっそ進物を求められた方がすっきりしたであろう。実際、公孫帰生は半笑いであった。
全てを終え、晋への道すがら、趙盾が問うてきた。
「どのかたが役に立ちそうでしょうか」
言い方があるだろう、ともはや郤缺は返さない。
「みなさま、己の国に対して誠実な臣ばかりでした。国君を一途に支えておられます。ただ、宋公はどうも浮き上がっておられると右師がお困りの様子。――宋の司馬は生真面目ですが、右師は面白い方でした。趙孟の好みは右師です」
右師はつまり華元、小太りの男である。宋に政変が起きる可能性は高い。押さえるなら華耦ではなく華元である、と郤缺は見た。次にお目にかかるのが楽しみです、と趙盾がぽつりと言った。
さて、趙盾は精力的である。夏の会盟が終わり、秋になって軍を率いすぐに邾へと向かった。むろん、同盟――いや傘下七国家の軍も合流し、約八百乗の戦車が集まっている。この戦車ひとつに戦闘車なら七〇人前後、支援車なら三〇人前後の歩兵がくっついていることを思えば、大軍勢と言ってよい。が、趙盾は戦う気などさらさらなく、それは各国みな知っている。
「捷菑を君公として納めるべく、伺いました、如何」
邾は趙盾の威圧と軍勢に屈することなく、断り、現邾公の正当性を訴えた。正夫人の息子であり年上である。趙盾はあっさり頷き、
「道理には勝てません。この上無理を通しては、天から罰せられるでしょう」
と言葉を残して邾を後にした。史書には、捷菑を邾に納めようとしたが失敗した、とある。そのような評価など、趙盾にはどうでもよかったか否か。ただ、この面倒の発端となった晋姫は回収したに違いない。彼はその軍勢を率いて周へと乗り込んだ。周は春から二つの勢力に分かれ政変争いにあけくれていた。趙盾は先に手を伸ばしてきた方を特別視することもなく、両者調停し、和解させた。諸侯合わせた八百乗の軍勢という威圧もあったであろうが、趙盾の正道好きが邾の道理を認め、周の政変を終わらせたとも言えた。趙盾は無駄を嫌う男である。この周都でついでに捷菑と晋姫を放りだした可能性はあった。
この年、楚は内乱が起き、若い楚王、旅の最初の試練となった。また、魯の血を引いた斉公、舎は殺され、公子商人が新たな斉公となった。魯が舎の母を帰すよう使者を送ると、斉は使者を捕らえて帰さぬ。つまり、魯への圧迫を本格的にしていく、という動きであった。
しかし、晋は、順風満帆であった。各国の不穏はあるが、晋自体は安定し、力を取り戻しつつある。
「郤主が蔡へ伺うはわかったが誰をつれていくのか」
冬のある日、士会が議にあげた。趙盾が薄い表情のなかに、少々小馬鹿にした視線をやどす。それに気づいた士会が、睨み返した。幾日か前に、同じ事を聞いたではないか、という呆れの表情に、うるさい、という睨みである。
「さて。蔡への訪問は来年の夏と、君公には奏上している。ゆえ、来年春の揃いのあとに正卿からお言葉があろう。しかし、あえて言う。汝は留守だ、士季」
数日前にやんわりと返した内容を、今度は畳みかけるよう断言してやる。士会は、おとなしく引き下がった。欒盾が微笑ましそうに眺めている。欒盾からすれば、士会は十ほど年下であり、闊達な若さを感じているのであろう。が、郤缺からすればたまったものではない。士会は鮮やかにきれいに勝ちすぎる。蔡を屈服する程度にはもったいなく、また、恫喝の重さも無くなる。戦いたがっているのはわかるが、連れて行けぬ。
趙盾は人事に迷いを見せていた。それによっては、連れていく顔ぶれが変わる。しかし、郤缺は趙盾をせかさず、また、教えろとは言わぬ。どうせ差配するのは己であり、他の卿を制することできずに、蔡をくだすことはできまい。
「おそれながら奏上つかまつる。我が君におかれましては、覇者としてのお務め、大変でしょう。この缺が君公の代わりに蔡へ伺うことといたしました。必ずや、その徳を広めて参りましょう」
茶番のような流れのあとに、郤缺は夷皋にむかって拝礼した。夷皋は渇いた目を向け、
「許す」
とだけ言った。
翌年夏、郤缺は蔡を伐つべく出立する。先に結果を記すが、圧勝して帰ってきている。




