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日々是好日、長閑也

 (てい)が服従した翌年、(しん)は穏やかでありながら忙しくなっていく。穏やかであるのは、内部の反乱分子が一掃されたことが大きい。また、戻った士会(しかい)の差配で、(しん)は内部粛正が起きたために動いていない。趙盾(ちょうとん)の独裁政権は後顧の憂いが無くなったといえる。そうなると、東国たちがすり寄ってくる。前述した鄭も(えい)も慌てて帰順した。この手の平返しは、()の失墜も表している。楚王商臣(しょうしん)が没したのである。諡号穆王(ぼくおう)。十年ほどの治世は当時としては短くない。ただ、後継者である(りょ)はまだ若く、親族や臣どもを押さえきれていない。晋の動揺が楚の利であったように、楚の弱体は晋の利であった。晋は再び覇者として東国をようやく押さえることができたのである。襄公(じょうこう)が東奔西走の末、死してから、八年目にして彼の宿題が終えたとも言えた。襄公は文公から受けついだ覇者という重荷を背負い果てて、それを幼君ごと趙盾に託した。趙盾は無駄が嫌いな男であり、内政主義でもある。正直、覇者という地位に拘りは無かったであろう。しかし、この男は背負わされた義務を果たすべく務め、先君の悲願にたどり着いた。が、趙盾に感慨はない。彼はさらに先を見ようとする。郤缺(げきけつ)はそのような、後ろをふり返らない趙盾を時には呼び止め、時には歩いた後を掃除してやっている。

趙孟(ちょうもう)は精力的なことだ。周王が崩御されたが、政権争いで正式な通達は無い。が、きっちりと弔の使者を送ったらしい。争いを裁く気が窺える。明日にでも議で告げるであろうよ。と、雑談はここまで。用とは何だ? 郤主(げきしゅ)

 正月も過ぎた春、士会が郤缺の邸にて笑んだ。帰国してすぐに尋ねた以来である。秦からむりやり連れ戻された士会は、約束を破ったツケを払わされた。とっくに成人を迎えてしまった郤克(げきこく)に泣きながら怒られたのである。その上で、どこにも行くなと念を押された。情が(こわ)い青年に育った郤克は、頷かねば剣を抜きかねない勢いがあった。士会は友人の子であり弟と見ている青年を返り討ちにはしたくないため、あやしながら頷いた。むろん、遅ればせながらの言祝(ことほ)ぎはしている。そのさまを、郤缺は当初、微笑みながら見守っていたが、最後には腹を抱えて笑い続けた。はるか昔、欒枝(らんし)の前で笑いが止まらなかったこともある。郤缺の体質であり、けして士会や郤克をバカにしているわけではない。

 さて、過去へと話が飛びすぎた。士会の問いである。郤缺は苦笑に近い笑みを浮かべた。

()襄仲(じょうちゅう)から(こく)へ嫁の話が来た。襄仲の娘でなく昵懇のお家とか。それでも家格で言わば、我が家ははるかに劣る。が、魯との外向きに大いに役には立つ。家としては否、(けい)としては是だ。(なんじ)の意見を聞きたい」

 襄仲は魯の公子(すい)である。幾度かこの作品に出ており、郤缺とは外交的に昵懇となっていた。それを一歩踏み込みたい、というのが公子遂の意向である。東国外交担当の郤缺としては、魯をしっかりと押さえ続けたい。そのために襄仲という使いっ走りをしっかり握るのは旨味はある。が、餌が良すぎる、という懸念があった。

「やめておけ」

 士会は端的に言った。この男は、迷うということがない。郤缺は何故か、と目で促す。

「襄仲は前君の弟、本来なら諸侯に嫁がせる家柄だ。それを有力とはいえ、たかだか三席の臣の家に嫁を世話、というのは不自然であるし、受け入れるは(げき)氏の足元を見られかねぬ。それに魯は恒公(かんこう)分家の三家がやはり強い。襄仲が己の家を強くするには、三恒(さんかん)は邪魔であろう。叔孫(しゅくそん)氏と今は共に動いているが孟孫(もうそん)氏と冷えがある。三恒で威勢があるのは季孫(きそん)氏だが、襄仲がそちらに傾いている話をわたしは知らぬ。下手に繋がれば、魯の政権争いに巻き込まれかねぬ。はっきり言おう、魯を握るより迷惑の度合いが強い」

 ふむ、と郤缺は考え込んだ。黙ると、別室にいる、子の声が聞こえる。成人したと言うに、郤克は少々騒がしい性格で、士会が連れてきた息子、士爕(ししょう)と碁をしながらわあわあと何かを話している。頭の隅で、大夫(たいふ)としてなっておらんとと思いつつ、魯の話に考えをめぐらせる。

「まだ朝政(ちょうせい)に議をあげておらぬが、汝の考えを聞きたかった。そうか、襄仲が政権争いを起こす可能性か。確かに言われてみれば、であり、言われぬと気づかぬ、助かった。私としては、(せい)が少々うるさくなってきたと聞く。斉は国君が倒れたと聞いた。あの国がうるさいと、魯も浮き足立つ。我が国は斉を屈服はさせておらぬゆえ、その備えに気をとられたようだ」

「……斉は亡き文公をお助けいただいた、最初の覇者の国だ。気位は高く、わたしとしても手荒に矜持を奪いたくはないな。が、ここらで引き締めるのも悪くない。あんたが言えば趙盾は思いきり締め上げていくであろう。襄仲の件は情報を引き出すだけ引き出した後、断るべきだな。けして、頷くな。頷くそぶりも見せるな。舐められる。……おい、郤孟(げきもう)が我が(しょう)に負けたぞ。悔しがっている。我が息子は中々できるが、このような時には先達に譲るべきだ。あとで叱っておく」

 十代半ばの少年が二十を超えた青年を碁で負かしたらしい。が、郤缺はそんなことより士会に呆れた。叱っておく、などと言いながら声は華やぎ、顔は笑んでいる。以前、愛情の注ぎ方に悩んでいた青年はどこへ行ったのか。厳しく躾けているのか疑問である。ただ、士爕の立ち振る舞いは少々才走ったところが見えるとはいえ、常識的な行儀の良さである。士会などより、よほど平凡であり、郤克にも素直になついている。きちんと教導している……はずである。

 士会のために擁護するが、彼は息子が間違いを犯せば、激烈に叱る父である。後年、参内し始めた士爕が、先達に割り込み問いに答えたことに激怒し、冠を止めている(かんざし)が折れるほど杖で殴り続けたほどであった。が、郤缺が呆れるように、親ばかっぷりも垣間見える。この男は、息子が良いことをすれば、かなり浮かれた発言をしている。また、帰宅が遅いと、何故遅い、と焦ったように文句を言っている。しかも、二度、似たような発言がある。紀元前六〇〇年に近いこの時期に、二度も似たような個人的発言の記録があるのはなかなかに珍しい。家父長制の傲慢さを考えても、少々情が重たい。士会は過去への感傷が欠落している行動や発言が見受けられ、ある種の異常者と筆者は見ている。だからといって、それを気にせぬかとなれば、そうではあるまい。愛惜の無さは乾きである。この天才にとって全ての事象は手に取ることができ、ゆえに平坦で渇いた理で物事を見極めている。しかし、この男はきちんと情がある。過去になれば執着が消えるというのは、虚しさもあるであろう。ゆえに、目の前の息子を全力で愛したのかもしれなかった。どちらにせよ、郤缺が過保護であれば、士会が親ばかなのは、間違いない。

 とりあえず、郤缺は公子遂に対して一歩退くことに決めた。後に公子遂は魯にて脂っこく動き、血腥く権勢を握っている。その時期、晋と魯は冷えはじめていたが、この嫁取り話とはもちろん関係無い。

 翌日、郤缺は、魯の内部がきなくさいこと、そして斉も荒れる可能性も含め、議にあげた。趙盾が頷き口を開く。

「魯の方々が少々荒れているのではないか、というお話は私も伺っております。(ちゆ)にて国君がお亡くなりになったよし、ご連絡ありました。そのとき、魯の使者が無礼であったとお怒り、魯への侵攻の許可を周都にお願いございました。周都はお忙しいとのことで私がご相談つかまつり、お止め致しましたが、小国とはいえ矜持があるとおっしゃり、魯を伐ったとのこと。おかわいそうなことです」

 儀礼に極めてうるさい魯が、格下とはいえ他国に対し礼を失するというのは、国内に荒みがある可能性が高い。このときの無礼は儀礼のみでなく外向の恫喝などもしめしているのであろうが、それにしても軽率であった。魯公は我を通さぬため、臣同士に歪みが生じているのやも知れぬ。

 その邾は魯に圧迫を受けている小国である。晋が内部抗争でごたついているときに、魯はさらりと伐ちほとんど属国にしてしまっていた。が、この小国に文公の娘が嫁いでおり、晋とは縁がある。邾はそれを頼りにしていたのであろうが、趙盾は手を払った。魯との関係を重視したのである。

 郤缺としても、魯を取る。邾は魯の管轄下に落ちた。それをむりやり晋に寄せれば、魯はへそを曲げるであろう。魯は対斉戦略の要の国である。楚ほどの征服欲はないが、斉も晋にとってやっかいな国である。楚とは地勢争いであるが、斉とは権益争いに近い。特に、互いの特産物が塩である。斉は建国当時から塩で栄え、晋は拡張の末に塩湖を手に入れた。史書には無いが、この塩の交易をめぐって水面下の争いがあったと考えるのが自然であろう。その斉は魯を常に狙っている。晋が斉と対峙するには、魯を助けるという名目が必要となる。鄭は地勢として、魯は対斉戦略として重要であった。そのため、邾というかわいそうな国は魯にくれてやっても良い。魯は当然のごとく伐ち返すであろうが、晋の知ったことではない。

「夏に東国の方々と改めて盟うお話を進めております。先だって鄭がお越しになられました。宋は表だってお話できるようになったとおっしゃっております」

 趙盾の言葉に、欒盾(らんとん)が発言を請うた。趙盾は基本、問いには必ず促す。問わねば無視をする。問わぬということは了承であるという男であり、待ちの姿勢は通じぬ。欒盾もそれがわかってきたようであった。

「お越しになられるのは、魯と鄭、宋と衛、あと……どなたになりますでしょうか」

 政治に弱い欒盾は、提示されなければ、友好国家が並べられぬ。言われれば、あ、となるであろうが、この勘は育ちようがない。ただ、趙盾も知らぬ情報がある。

正卿(せいけい)のお答えを遮り畏れ多いことですが、私のほうからお話をよろしいか?」

 郤缺の言葉に、趙盾が頷く。何度も言うが外交は郤缺が握っている。趙盾へ直接申し入れしている国もあれば、郤缺に打診しはじめた国もある。

「改めての盟いですが、欒伯(らんぱく)のおっしゃった魯、鄭、宋、衛の他、文公と関わりございます(そう)、長く我が国と仲の良き(きょ)、が正卿と書を交わしておられる。また、私の方へ(ちん)がお伺いしたいと申し入れがあった。鄭がお誘いになられたとのこと。こちら国君ではなく臣からの書の打診にて陳公のお言葉が届いた後に議に上げようと思いましたが、まあ、決まったようなものですので、今、申し上げることにした。正式の書はもうそろそろ届くでしょう」

 へらりと言う郤缺を趙盾が薄い顔のまま少し睨み、固い声で

「それは申し入れ次第、おっしゃってほしい。物事は早いほうが良い」

 と言った。が、郤缺は恐縮することなく、柔和な笑みのまま穏やかに返す。

「強い言い方になるが、ご容赦を。あなたがせかせば、陳は焦ります。あちらが己から願い奉るのです、お待ちいただきたい」

 郤缺は、趙盾の短気さを指摘したのである。陳に早く恭順を示せと、懇切丁寧で儀礼に則った恫喝をするに決まっていた。東国に対するわかりやすい圧迫を、郤缺はまろやかにしている。ただ、趙盾の東国に対する態度は文公から続く意味で晋らしく、郤缺のほうが異端ではある。

 趙盾は郤缺の言葉に納得していないようであった。この男は、理のみで判断し、他者にもそれを強いる。効率で考えれば、陳の話はいち早く開示すべきであり、さっさと約定をとりつけるべきだ、なのであろう。その空気を察し、声をかけたのは荀林父(じゅんりんぽ)であった。

「おそれいります、問われておりませんが、失礼致します。東国に関して、郤主がお世話するようにとされたのは、正卿です。ゆえ、郤主の判断は東の方々を広く見た上でのお話でしょう。物事は早い方が良いのはごもっともですが、早さというものは事柄によって変わります。また、たどり着くところも変わります。正卿は郤主を信頼し、お任せされている。この細かいことでその信頼を疑うのはいかがでしょうか」

 荀林父の言葉は、正直平凡で、常識的な諫言であった。が、そのさまはあまりに一生懸命であり、趙盾と郤缺の間に生まれそうな棘を取ろうと必死である。郤缺はやはりリスであると思い、士会はがんばる野ウサギは良い、とのんびり思った。郤缺も士会も、趙盾がこの程度で感情に棘を残すなど思っておらぬ。単に納得いってないだけである。そうなれば、荀林父の情へ訴えた言葉も納得せぬはずであった。しかし、趙盾は

荀伯(じゅんはく)のお言葉最も。私は郤主を信じ東の方のお世話をお任せした。それを横から口出すように文句を言うのは筋が通らぬ。良きお言葉いただいた、戒めとする」

 と頷き、欒盾に、以上の国が来られる、とだけ最後に言った。欒盾は何やら大きな騒ぎになりそうなところに、不思議な着地を見て、わかりました、としか言えなかった。ちなみに趙盾は、荀林父の諫言を聞きながら、この鼯鼠(ももんが)はがんばっている、と和んでいた。郤缺と不毛な言い合いになりかけていたことに、気づかせてくれた、という有用さと共に、荀林父は見ていて妙に和むと、彼も常から思っている。ちょこまかしつつも意外に便利で利用価値が高く、趙盾はモモンガと勝手に名付けている。少年の頃、山でよく見た齧歯類であった。それなりに美味い。

 茶番はありつつ、夏の会盟に合わせ準備をしていたところに、面倒な話が舞い込んできた。先日、悲鳴をあげていた邾から、文公の娘である晋姫(しんき)の息子、捷菑(しょうし)が逃げ出してきたのである。邾の亡き国君は斉から正夫人斉姜(せいきょう)を迎え、晋から第二夫人晋姫を迎えている。むろん、次の邾公は斉姜の生んだ息子であったが、晋姫は納得できず捷菑を亡命させ、

 この子を邾公(ちゆこう)にすべき

 と訴えてきたのである。郤缺はうんざりし、士会は馬鹿馬鹿しいという顔をした。趙盾はうやうやしく捷菑を受け入れたが、そこには冷えがありありとある。欒盾がおかわいそうに、と言うのを、荀林父があわてて止めた。卿のそのような言葉が漏れれば、晋の軽重に関わる。捷菑は文公の孫であり、夷皋(いこう)と大して変わらない年であったろう。きっと、言われるがままに亡命したにちがいなく、ゆえに、玄関先で帰れ、とも言いにくかった。

 正道を好む趙盾が、文公の血を引いている公子だからと言って、他国の後継争いに口を出すわけがない。逆に不快であった。年功序列を無視し、すでに親も死した実家の強さを頼みにする、女の浅はかさに怒りさえ覚えている。が、その怒りのまま動かぬのも趙盾である。

「文公の貴き血を引き、亡き邾公の忘れ形見である公子捷菑が、我が国を頼ってお越しになられました。邾に収めるが我が晋の義務かもしれませぬが、邾はすでに新たな国君をお決めになられている。この件も今度の同盟の儀で東国と相談しようと思う。特に魯は邾のご面倒を見ていらっしゃる、お話通した方がよろしいでしょう。この度の集まりは私が君公(くんこう)の名代として赴く予定でしたが、私のみでは心許ない。東国に詳しい郤主にもおいで頂きたい」

 平坦で薄い表情をしながら、趙盾は郤缺を指名した。内心、かなり苛ついていたであろう。本来、己一人で行く予定であったが、邾の問題は魯が絡み少々繊細である。郤缺は趙盾より情報を持っており、この場合、頼らざるを得ない。郤缺が嫌というよりは、会盟が長引くのを嫌がっている。長引けば、無駄も生まれる。が、郤缺としては旨味ができたと考えた。

「非才な身であれど、日頃から東の方々への接待、務めておりますれば、お力添えなるよう、供となりましょう」

 一気に君公が集まるのが会盟である。そうなれば、各国代表の臣もいる。郤缺はそれと渡りをつけ、なおかつ握るように動ける。趙盾の外交は恫喝と強権の支配であるが、郤缺は安堵と友好――と見せかけた、やはり支配である。結局、晋という国は、他国を支配せぬにはいられぬ体質なのだ。

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[良い点] 荀林父がみんなの癒やしキャラに… モモンガ、野うさぎ、リス みんな愛らしい小動物過ぎて( ^ω^ ) 彼がいるから比較的なごやかに議が進む…
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