暗雲、茫々たる
秋の終わりとなるころ、ようやく秦に動きが出たらしく、狄の移動やそれに伴う小規模の略奪被害、そして国境に近い邑や砦で確認できる斥候らしき者、と進軍の兆候が目に見えるようになってきた。が、しかし。
「どういうことか、武に疎い私にお教えいただけまいか」
議を出し問う趙盾の表情は相変わらず薄いが、どこか威を欠いていた。彼は常に理を以て考え、理解できぬものを分かるまで煮詰めるか切り捨てるか、という行動をとる。ゆえに、わからない状況が続く、ということに慣れていない。己がわからぬなら、わかる道具を用立てれば良い。そのように政治を動かしてきた。しかし今、状況に最適な道具が無い。
「この駢、正卿に武を任じられている身ゆえ、まず口火を切ることお許しください。……私のような非才のお言葉でご説明かなうかわかりませぬが、秦の兆候は、河西、河曲、河南と広範囲に見受けられる次第でございます」
臾駢が拝礼しながら苦しそうに言う。次に荀林父が口を開いた。
「……次席として申し上げます。狄の動きは確かに秦軍に押されたものに近いのですが、しかし我が邑への被害が多く、今、賈季にお伺いをしております。が、賈季のお答えが不鮮明でして、この状況に合わせ狄を扇動しているやもしれませぬ」
賈季はむろん、狄へと亡命した狐射姑のことである。狄の内実を知るには申し分ない男であるが、反面、狄の頭脳として晋を悩ませる。秦が押し寄せる空気強いこの時に、狄が活発になるのは、国防問題としても、そして秦への情報収集の意味でも極めて不利であった。
「駢と荀伯の情報を元に郤主に問う。この中で最も武に長け経験も深きかたがあなたです。秦はどこにお越しになるかとお考えで?」
趙盾が静かな声で郤缺に話をむけた。郤缺は難しい顔を隠さずに考えを述べる。
「まず、大前提として申し上げる。臾子、荀伯の苦労はわかっておりますが、今出ております材料で秦がどこを攻め取りに来るかは、わかりませぬ。これでわかるなどと申すものがおりましたら、そのものは物が見えぬ愚人というもの。秦は我らが先手を取ることを封じている。この攪乱は、秦の目標を隠すが第一義、第二義に我らが攻めるも守るも先手が取れず、後手にならざるを得ない策。秦が取りに来なければ我らは一歩も動けませぬ」
郤缺の断言に、臾駢が暗い顔をした。彼の結論も同じなのであろう。
「私から問うのをお許しいただきたい。それでは我らは座して待つだけ、となる。あまりに不利になりませぬか」
胥甲が威儀正しい拝礼のあと、強い口調で問うた。彼は儀にこだわる反面、不鮮明という状況が極めて苦手であり、知らず責めるような口調となる。欒盾は不安そうに同期の卿を見た。言うことはもっともであり同じ思いであるが、己らも何もできていないのである。問題を指摘するのは間違っていないが、大きな口で文句は言えまい。
しかし、上席のものどもは嫌な顔はしなかった。胥甲はただ個人的に焦っているだけでなく、憂えているのがわかっていたからである。郤缺は一息つくと柔らかい笑みで皆を見渡した。
「秦がどこを狙っておられるか、わからぬは変わりませぬ。が、ここまでのことをしているのです、我が晋の要地を取る算段と考えて良い。秦がまずこだわっている要地は焦と瑕。こちらは恵公時代にお渡しする約定がある。それを恵公はお破りになり、文公、襄公と無視なされました。この二つの地はご注意すべきです。また、常の秦は晋に侵攻したいわけでなく、東国へ出るがために我が地を取りにきておりました。が、この様相であれば、我が晋に侵攻し力を削ぎたいと思っていうと考えるが道理。そうなれば、特に重要な要地を定め、秦がどれを取りに来てもすぐに動けるよう、備えるがよい」
だだっぴろい国境線を全て見ようとせず、己にとって重要な場所だけを見ろ、ということである。逆に言えばそれさえ押さえておけば、他を取られようが痛くはない、ということでもある。
「駢」
趙盾が諱だけで、臾駢に問う。道具扱いなど割り切っている臾駢は、頷き口を開いた。
「お声かけいただき、お答えいたします。我が晋の要地以外など、取られても取り返すことはたやすい。ゆえ、焦、瑕はもちろん、要地を見極め、どこを攻められても我が軍が展開できるよう備え、持久戦に持ち込む所存でございます」
臾駢の後を受けるように荀林父が口を開く。
「秦との対峙に狄は極めて邪魔です。秦と狄が繋がっている可能性もございますが、賈季から手を回していただき押さえてもらうがよろしいかと。我が祖父の策にならい、私としては賈季に進物をお贈りしたいと思います。君公をわずらわせることとなりますが、公室の玉璧ひとつ、便宜いただけませぬか」
祖父の策というのは、献公時代、離れた国を伐つときに隣国に国宝の玉璧を送り、戦場への動線を開いた策である。この隣国は返す刀で晋に滅ぼされ併呑しているため、二重の謀略でもあった。それに比べると荀林父の意見は、狄を押さえるだけである。が、彼はこの先も見据えているのやもしれぬ。賈季に賄賂を送ることで晋への色を残し、狄へのつるとする、ということだ。
趙盾は考え込んだ。今、晋が秦に対し後手を踏み、足元が弱いことを賈季は知っているであろう。こちらが強者であるときならともかく、弱者であるとき、賄賂を送るということは従属を示すに等しい。それが趙盾の理である。が、今、蠅のように飛び回る狄を相手にしている暇はない。
荀林父としても腹をくくっての発言であった。彼は趙盾が賄賂に理解がないことを知っている。が、祖父の偉業を知る荀林父は進物や賄賂が相手への毒であることをよくわかっていた。賄賂を送られたものは腐る。ゆえに、受け取る側は亡びに向かう。
場の膠着を見て、郤缺は、よろしいか、と声をかける。趙盾はもちろん促した。
「荀伯が先達を出されたゆえ、私も申し上げる。我が父は恵公に焦と瑕を秦へお譲りする約定を言上たてまつった。が、合わせて恵公にこう進言された。約定など破るためにあるのだと。ところで、犬への餌というものは目の前でぶらさげるが良く、狩りの前に与えますまい」
父の話を己からするのは、いつぶりであったか。郤缺は存外平気なものだと思いながら趙盾を見る。郤缺の父である郤芮は、恵公と自国利益のためであれば、全てを騙し謀り犠牲にしてもよい、という激烈な、しかし理の男である。趙盾の好むところではないであろうが、わかりはするであろう。
「……荀伯の言、一理あります。しかし、私の一存では決めかねる、君公の財です。一考することにいたしますゆえ、賈季にもそのようにお伝えいただき、便宜をはかってほしい」
趙盾の言葉に、荀林父はかしこまりて、と拝礼した。狐射姑にとって荀林父はとんまな善人という印象が強いままである。よもや、詐欺をはかるとは思わない。
基本方針は変わらぬまま、晋は秦の動きに注意し備えを最善としていくしかなかった。そのようなおり、趙盾は、対秦戦に向けて人事を編成した。といっても、三軍の席は変わらない。新たに司馬を任命したのである。司馬は軍律を担う役職であり、長らく晋では見受けられない。が、他国にはあり古くから中原にある役職である。
「おそれいりたてまつります。恒叔が子、韓万の裔、厥でございます。このたび、若年でございますが司馬の任たまわりましてございます。先達のみなさまがたのご教導お願い申し上げるとともに、重きお役目に励む所存でございます」
末席より挨拶をしたのは、成人したばかりの青年であった。韓氏の主となった韓厥である。幾度か作中に出ている、趙盾の養い子であった。若さのわりには、どころではない。この若さで異様に重々しさがある男であった。表情は趙盾に輪をかけて薄く、感情があるのかも疑わしい。郤缺は笑みを浮かべながら、どうしたものかと思案する。どう考えても、趙盾の贔屓にしか見えぬ人事である。司馬は軍律を差配する。つまり、大夫や兵を監視し、行軍中、戦争中に軍法を乱すものを処罰せねばならぬ。いくら重さがあるとはいえ、今回が初陣の青年である。郤缺は十年後ならともかく今は荷が重いと見た。
「正卿。率爾ながら申し上げる。司馬は経験ある武のものがする職。韓主はお若すぎるかと思うが如何」
さすがに口を挟めば、趙盾が少し笑んだ。それはどこか、誇らしげでもある。
「厥は確かに若いが、才があり、その謹厳実直さ、清廉さ、沈毅さも韓氏の血筋そのものです。郤主のご心配ごもっともなれど、私はこれでも人を見る目が良くなったと自負しております。ご安心を」
何を誇らしげに、とその場の卿は一人を除いて呆れた。趙盾は基本的に表情が薄く、己の功さえも淡々と語る。それが当然であるといわんばかりに、自慢もしない。が、どうもこの若者に関して自慢したいらしかった。戦場に出れば真価はわかるであろう、と郤缺はどうでもよくなった。せめて足を引っ張るな、としか言いようがない。むろん、呆れなかった卿の一人は臾駢である。もし、韓厥が相応の年齢であれば、臾駢の出る幕などない。この席に座っているのは、韓厥であったことを、この男だけは知っていた。
さて、郤缺の不安は杞憂に終わった。戦場に直接関係はない韓厥の活躍を、まず記したい。
晋は秦軍の攻撃拠点を知り、直ちに向かった。三軍全てであり、いかに重要な要地であったかわかろうものである。中軍は趙氏と荀氏の手勢が中心である。が、臾駢が上軍の佐であるため、趙氏のうち武に強いものはそちらに配された。自然、中軍の将旗下である趙氏はだらけた。趙盾はそれをわかっていたが、統御していない。武に疎すぎる彼にとって、到着さえすれば良い、と思っていたのやもしれず、下手に触ってもわからぬと思っていたのやもしれぬ。が、わざと乱れさせた可能性もあった。
はたして、よりにもよって趙盾の御者が隊列を乱した。行軍において、隊列の乱れは致命的な敗戦に繋がるものであり、罪が深い。韓厥は乱した御者を容赦無く捕らえ、その場で処刑した。だらけていた部隊はおののき、軍としての緊張を取り戻した。
「韓主は終わりを全うすまい。あれの主人は趙孟ではないか。朝に司馬を与えられ、暮に飼い主の御者を処刑するとは、もう終わりであろう」
大夫たちは声をひそめて、みな言った。推挙したものが己の御者を殺す、となれば、通常でも怒りに覚えるであろう。恩知らず、ということである。御者は戦車の顔である。殺された大夫は面目丸つぶれに近い。しかも御の巧みさでならした趙氏の御者であり、面目がつぶれるどころではない。よほど気が抜けていたのであろうし、それを注意せぬ趙盾も大雑把すぎた。どちらにせよ、韓厥は趙盾の顔に泥をぬった。
「若すぎるゆえか」
郤缺は話を聞き、顔を曇らせる。一刻も早く秦と対峙せねばならぬのに、些事にかかずらっている場合ではない。それみたことか、と言いたいくらいであった。
一同休憩、というときに趙盾が全軍の前で韓厥を呼んだ。それを見ていたものどもは、冷えた目と、憐れみの目を向けていたに違いない。絶対的権力を持つ独裁者の寵愛に溺れ、飼い主に泥を塗った才走った青年が、捨てられるか処刑されるか。いずれかであろうと。せめて戦争のあとにしろ、と郤缺は眉をしかめた。
以下、趙盾の行動も言葉も史書にある。
まず、趙盾は二十歳になったばかりの青年に礼儀をつくし迎え、愛しさを込めた笑みを浮かべ口を開いた。
「私は君公に仕えるものは義によって親しんで、私党を組まぬと聞いている。忠信によって義人を推挙するのは比、私情によって推挙するのは党です。軍事は軍律を犯してはならず、軍律を犯せば隠さぬのが義。私はお前を君公に推薦したが、しかしお前の無能を怖れていた。推挙したものが無能であればこれより大きな党は何があろうか。君公に仕えて党するのであれば、私はこの先どうしてまつりごとをできるであろうか。それ故、私はこの度、お前の才を観察したのだ。お前はこれからも研鑽し、励みなさい。もしこの行いを務めるのであれば、晋を治めるものはおまえをおいて誰がいようか」
趙盾の言祝ぎに、韓厥は表情もなく、お言葉ありがたき、と拝礼する。趙盾はそのさまを満足そうに眺めたあと、衆人みなに向かって言った。
「みなさま。私を祝ってくださいませ。私は厥を推挙したが、当たりました。これは党ではなく比。私こそ罪を免れることを知りました」
全軍、己の御者を処刑され喜ぶ宰相にも、その趙盾に言葉をかけられても表情動かさぬ若者にも、飲まれた。郤缺は、正道を望むものに、最高の道具が来たことを知った。軍律を司るのは若年ながらも私党無く忖度もなく、その任を完全にまっとうする男である。そして韓厥が正道を歩み怨みを買おうが、後ろにいる趙盾が常に目を光らせている。この、表情が無いに等しく、感情もあるかどうかも疑わしい青年が、使い潰されないことを郤缺は祈るばかりであった。
さて、余談である。秦との戦争に入るまえ、煩雑であるが、この韓厥の行く末について語りたい。
結論からいえば、韓厥は趙盾の作った最高傑作である。武の才が高く、手堅い策で戦場を駆け巡り、もちろん司馬として軍律厳しく挑んでいる。司馬職はかなり長く、少なくとも二十年は勤めあげた。その後、卿になりどのような動乱が起きようとも動じず、私党を組まず、私利私欲なく、しかし趙盾と違って人の機微が分かる政治家となっている。彼は六十半ばで正卿となり、晋の第二の黄金期を作った。七十を過ぎたあたりで老年を理由に引退し、次の正卿に遺漏無く託している。晋において、この長期間にわたり、軍事政治の中枢に関わった男は、他にいないであろう。趙盾がそこまでを期待していたかどうか、それは誰にもわからない。




