やってきた夜明け
趙盾という男は、諸事行動が早い。考えなしというわけではない。この男は常に考えをめぐらしているため、何らかの問題に対しすぐに答えを出し決断し、行動する。ゆえに、穆嬴の泣き落としが始まった秋から冬の逡巡は、彼の人生唯一の停滞であったと言って良い。
「本日より公子夷皋を太子とする。春に晋公として周王さま、各国にお知らせし、先君を廟に送り届ける」
朝政で発されたこの言葉に、卿らは震撼した。ここで、趙盾は上席から問わなかった。最も末席の郤缺から、良いか? と念押しを始めたのである。むろん、郤缺は賛同の意を表す。
「我らは公子雍を立てるべく、秋から務めておりました。が、秦は公子雍を離さぬとのこと。この期に我が晋と秦の和になればと思いましたが、相手にその気は無いご様子。また、先君のご内室の訴え最もと国人たちは公子夷皋に心を寄せておられる。内におられる公子を無視して、外に出した公子を頼んだがあやまち、あやまちに気づいたのであればそれを省み正しい選択をせねばなりませぬ。そして先君のお望みでもあります。我ら老臣が若君を支え奉れば、立派な覇者となることでしょう」
郤缺の言葉は、見事なずるさである。公子雍は帰らなかったではなく、秦によって帰れないとすり替え、穆嬴の噂で動揺した氏族を主語にする。自然、誰も悪くなく、あえていうなら間が悪かったのだ、ときれいに横へ滑らせた。不誠実極まり無い内容を、さも義心あるように見せることは郤芮の得意技であり、郤缺は確実にその血を引いていた。
この、詐欺めいた言葉は、責任の所在をぼやかすものでもあり、卿たちは内心安堵した。それはもはや議ではなく決定という合図でもある。その合図に気づかぬ先蔑が噛みついたが、相手にされることはなかった。先蔑を苦々しく思う先都、噂の出所となった箕鄭はもちろん、政治勘が低い荀林父さえ、趙盾に賛成した。
太子夷皋、と発布され、穆嬴は子を抱きしめながら安堵のため息をついた。女と子供の姿に罪悪感を覚えていた氏族たちも、胸を撫で下ろす。見たことのない公子より、宮城と趙氏の邸を往復する母と子のほうが生々しかったのだ。しかし趙盾は安堵に身を委ねられなかった。彼はこれからが本番である。
翌年の初春、夷皋は正式に晋公となった。年が明けたために、数え九才である。この幼児は、君主がなんたるか、ということもわからぬまま、皆の前に引き出された。傍らに三十四才となった趙盾が寄り添い、手を引き、そしてぬかずいた。夷皋は言われたとおりの言葉を発し、儀礼は終えた。子供に全てをつき合わせるわけにいかぬ。
「あとでまた参りますゆえ、我が君におかれましては、ゆっくりお休みください」
趙盾が薄い表情で夷皋に言った。夷皋は少しひきつった顔をしたが、頷き、寺人に連れられて私室へ戻っていった。さて、狐射姑が亡命し、空席となった中軍の佐含め、新たな席次も趙盾が決めた。
「中軍の佐に先氏の主を据えます。亡き先君である襄公もご評価されたお方です。また、先主のお父上は中軍の将として武にお強かった。賈季も武をもって佐であった。お若いが、我が君もお若く共に歩まれよう、我ら年かさは支えてゆきましょう」
つまり、成人してまもない先克が第二席となったということである。この人事に先都が喉奥からうめき、あほうのように口を開いたまま固まった。幾度か前述しているが、先氏は二つに分かれている。若い先克を推すものと、先克の叔父である先都を推すものである。趙盾は先克派に肩入れするのか、と歯がみした。箕鄭も眉をしかめている。箕鄭は趙盾を追い落としたい男である。若いころに文公に見いだされた彼は、勇躍するどころか趙氏の小せがれに先を越されてしまった。焦るあまり下手な謀略をはりめぐらせ、若年のころに見せた才も敬も消えている。それでも、先都と共に晋の政治を握ろうと必死だったのである。その均衡は完全に崩れた。
さて。先克は素直に喜んだか。話をもってこられたときは、内心喜んだ。少なくともあと十年は叔父を睨み付けながら牽制し耐えねばならぬと苦々しく思っていたところに、二十代の若さで卿である。しかも、次卿であった。趙盾は若い。ゆえに若いもので閥を作ろうとしているのだと、親近感さえわいた。しかし、趙盾は先克の力など実はどうでもよかったし、先氏の争いにも興味が無かった。
「賈季の席が空いておりますので、お願いする。ところで先子のことです。あのものは先主のご推薦とのこと、賢きあなたがおっしゃったのであるから間違いないと先君は喜んでおられ、私も頼りにしていた。しかし、どうも、お役に立たぬ御仁ではございませぬか。先主は何故、あのものを卿にご推挙されたのか。また、あなたの叔父である先叔もまつりごとを軽んじられているように見受けられる。お若いあなたにこのようなことを申すのも心苦しいですが、責をおとりください。……私も若輩ながら氏族を束ねる身、ご苦労お察し致します。しかし、それとこれとは別。ただ、お困りならおっしゃってください、ご相談つかまつりますゆえ」
先克は辞退を考えた。先氏の争いを入れたことを暗に指摘され、無能二人を面倒見ろと言われたのである。若いゆえと辞するべきであったが、趙盾の恫喝に屈した。――お困りならおっしゃってください。言えば、先氏の半分ほどは殺される、と先克は断じた。ゆえに、受け入れ、後日言祝ぎにきた先蔑を蹴り飛ばし殴りつけ、半泣きで罵倒した。先克は趙氏に恩を売ろうとして、逆に頭が上がらなくなってしまった。
親の余光でたまたま正卿になった若造。一年前、そのように言われていた男は、己の牙城を確たるものにしていく。
「君公が若く、戦に出ることは無い。車右は置きませんから、士季は中軍の大夫として支えて貰うこととなった。兄は法、弟は武。士伯も司空としてお励みを」
税制と法制を照らし合わせ報告に来た士縠に言い放ったのが、趙盾の人事の最後である。士縠の知らぬ間に、弟が趙盾に取り込まれている。そうとしか思えぬ配置であった。むろん、士会も話を受けた後に舌打ちをした。が、もはや簡単に辞することもできぬ。先蔑を支えられなかった士会は片足を泥沼に囚われていた。先蔑を罷免しないのは、罪無きとしているためであり、もっといえば士会への脅迫である。卿を御しえなかったお前の罪は問わぬ、ということであった。
「己の不甲斐なさを棚に上げ、他者を圧し、縛るとはどういう了見だ、あの男は!」
郤缺の邸で、士会が苛立ちを隠さず吐き捨てた。もう春であったが、強い風の中に寒さは残っている。温めた醴を用意しようとしたが、止められる。
「白湯でよい。甘いものも酒精もいらぬ。罪を問われたくないものには問い、責をとる気のものには問わぬ。うまいことやっている。初志貫徹せぬ正卿と、もはや誰も言わぬ。……わたしは恥を知っているつもりだ、本来なら辞さねばならぬ。しかし、私が辞せば先子に話が飛ぶ。あの御仁が卿をやめようがどうかはどうでもよい。ただ、空いた席でまた揉める。趙孟はあんたに兵をつけたくないようだな、郤主」
「まあ、よいではないか。私ていど、末席でよい」
郤缺は笑顔で返した。もし順当に行くなら、先克をつっこまず、それぞれを繰り上げ、郤缺を下軍の佐にするのが自然であった。しかし、趙盾はそうしなかった。郤缺も、席が上がると思っていない。夷皋を君主にすることを真っ先に賛同したのは郤缺である。そこで繰り上げれば、裏取引を勘ぐられる。実際、裏取引には近いのだが、権勢ではなく命を賭けているだけである。
「隠しているなら答えなくていいが、聞く。それでいつ戦をする?」
士会の唐突の問いに、郤缺は目を丸くした。
「戦、とは」
郤缺が素で返したことに気づき、士会が呆れた顔を見せた。
「秦が攻めてくるだろう。議にもあげてないのか、趙孟は。わたしを有名無実の車右から中軍の大夫へわざわざ任じたのだ。戦え、ということだろう。秦は先の穆公にならい、公子雍をかかげ晋公擁立に口を出したかったのだ。それをこちらは一度申し出て切り捨てた。いわば顔に泥を塗ったに等しい。意地になってやってくるぞ。迎え入れぬのなら追い払うしかあるまい。我が晋と彼の国は幾度か戦っているが、あちらが勝ったのは夏の戦のみだ。縁起をかつぐなら夏に来るやもしれん」
言われてみればその通り、ではあるが、言われねば思いもしなかったと郤缺は嘆息した。趙盾が秦や公子雍とどのようなやりとりとしているのか、郤缺は聞いていない。が、穏便に終わったと考えるのは確かに楽観すぎた。
「明日、趙孟に問うてみよう。あのものは武に疎い、漏れているやもしれん」
武に強い己さえ気づいていなかったのである。可能性はあった。が、士会は首を振った。
「あの男はわかっている。武に疎いが、頭は回る。わざわざ言わぬは己以外は決めぬで良い、考えぬで良い、という傲慢さがあるからだ。どちらにせよ、戦の準備は早い方が良い。わたしは任じられた役は果たす」
郤缺は不快を隠さぬ士会を、見つめた。そこに好奇の目が入っていることを自覚している。士会は、趙盾の性格が気に入らぬらしく、彼らしくなく罵倒する。しかし、郤缺などよりよほどこの男は趙盾の能力を知り、信じている。士会は趙盾が幼君を奉ったことを不甲斐ないと嘆くが、間違っている、と言ったことはない。ああ、まあ、あの男ならやりとげるだろうよ。最初に問うたときの答えが、それであった。
晋に二つの才があるというのに、両翼にならぬは惜しい。郤缺は苦笑した。物事はそうそううまく転がらぬものである。
さて、士会が郤缺にくだをまいていたこの春。趙盾は最後の仕上げにかかっていた。夷皋の私室にて、穆嬴ともう一人を呼びつけていた。ついたての向こうにいる女性に、趙盾は拝礼し話しかけた。
「穆嬴に、朝会の庭や私の邸前で泣き落としをするよう命じたのはあなたですね、文嬴」
名指しされた女は、ぴくりと口元を歪ませる。文嬴は文公の第一夫人である。かつて、襄公を詐欺めいた言葉で脅し、秦の将を解放させたことは前述した。これにより先軫が自殺じみた戦死にいたったのであるが、女人の罪を問わぬのが当時である。つまり、権利も無いが責もない。
「あ、違うの、私が困って、お姉様……いえお義母さまに相談したのです」
問われもせぬのに、穆嬴が必死に庇った。この女はどこまでも浅はかである。結局、文嬴の指示であることを吐露していると同じであった。趙盾はため息ひとつつかず、まっすぐとついたての先を見る。直接視線を交わしてもおらぬのに、文嬴は圧を感じて身を固くした。小せがれのくせに、と唇を噛みしめる。
「ご内室の方々にこのようなことを申すこと、お許しを。こたび、我が先君の忘れ形見をお守りするようお命じになられたこと、私め盾を含め国人、深く受け止め差配いたしました。しかし、これ以上のご指示はご無用です。私といたしましては、もちろん文公の寵深きかたをお世話するのが当然としておりますが、我が晋は手元不如意です。お世話が行き届かぬこともありましょう。そのような事態にならぬよう、務めますが行き違いもあるやもしれませぬ。もし、不自由とお思いであれば、おっしゃってください、ご希望のところへお送り致します」
「それはこの文公の夫人を代表する、私に対する脅しですか、正卿」
文嬴が凛とした声で返した。趙盾の薄い表情はすっと笑みと変わる。それは霜が降りたような冷たい笑みであった。
「はい。お話が早いようで私としても助かります。文嬴はおわかりいただけたとのこと、ではおられますか、出られますか」
趙盾の真っ直ぐな言葉に文嬴はたじろいだ。脅しかと問えば、普通は違うと否定するのが人間というものであろう。そうして、互いの妥協点をはかるのではないか。しかし、この正卿は脅しであることを隠さず、そして二者択一の要求をつきつけてくる。晋で小さくなって余生を過ごすか、国外へ出るか。
「私は武は好みません。人の死も好きではない、徒労ですから。しかし、無駄なものをかたづけることは大切だと思っております。女人をさらすことはございませんので、ご安心下さい」
なおも威をもって反論しようとした文嬴に、趙盾は冷や水をぶっかけた。文嬴にあるのは格式と威厳だけである。趙盾には権力と暴力がある。そしてその二つを行使することにためらいがないのは、すでに実証されていた。文嬴は実家の秦へひそかに逃げ帰った。彼女が己の妹たちを守りたかった、というのは本音であったろう。子を失い心も失った辰嬴は連れ帰った。失った子はもちろん公子楽である。穆嬴は文嬴の手を振り払い、晋に残った。夷皋の母の道を選んだのである。ただ、彼女は浅はかであり愚かな女であったので、夷皋の支えになれるような器ではなかった。
「夷皋。正卿に逆らってはいけないわ、母もお前も殺されてしまう。いいえ、違うの、あの人のおかげであなたは生きていけるのよ、正卿に感謝しなさい、ねえ、感謝するのよ、でないと殺されてしまう」
趙盾が去った部屋で、穆嬴は青ざめながら夷皋に何度も話しかけた。九才の幼児は、それを子守歌のようにずっと聞き続けた。
文嬴がいなくなった翌日、趙盾は朝政にて
「秦と書をかわしていたのであるが、どうも行き違いがあるようだ。公子雍を連れて行きたいのでお迎えを、とおっしゃられる。もちろんいらぬ世話であるとお答えしようと思うのだが、いきなりそのようにお断りしては大国に恥をかかせるというもの。お迎えできぬがお越しになる時はお伝えいただくよう、書を送っている。この議についてみなに問いたい」
と言った。先蔑が何か言おうと口を開いた瞬間、先克が睨み付けた。先克は、中軍の佐という法外の地位をもらいながら、先蔑と先都を睨み、趙盾の邪魔をさせぬことに全力を傾けねばならなくなっている。
「末席からよろしいでしょうか、正卿」
みなが互いを見計らっているすきをつき、郤缺は口を開いた。趙盾が頷く。互いに打ち合わせさえもしておらぬが、まるで予定調和のような心地である。
「おそれながら、お伺い申し上げる。公子雍を秦が立てようと考えているのであれば、武による侵攻も考えているでしょう。正卿は、秦がいつごろお越しになるとお思いで」
郤缺は一息に言う。趙盾が薄い表情のまま、一瞬だけ満足げに目が光った。
「秦に対して少々非礼なれど、春も秋も冬も我が国に来られてはお逃げになりますね、縁が無いのです、お越しにならぬほうが良いとご忠告した。そうすると、夏は逃げておらぬとお返しになられた。秦は詐術を使わぬ誠実なお国柄、夏に来られる」
馬鹿正直は煽るに限る。趙盾は夏に戦う、と言い切った。否、夏にさせた、と言い切ったのである。郤缺は士会の苦い顔を思い出しながら
――いやはや、もったいないことだ
とやはり苦笑した。趙盾は士会を有用ていどにしか見ず、士会は趙盾の有能さを知りながら不快の念をいだいている。郤缺は頼まれもせぬため、必要でないかぎり取り持とうとは思わぬ。しかしまあ、もったいないが人の相性はそういうものなのだろう。
郤缺はさっと余事を横に流し、秦を迎える議に意識を戻した。
「秦が我が国に心をくだき、気づかって下さるは感謝すれど、私は先君から秦を国に入れるなと命じられました。一歩たりとも、入れてはならぬ。それが覇者というものだ」
公子雍云々はともかく、趙盾の秦に対する本音を垣間見て、郤缺はうっすらと笑った。曲沃という分家が本家を食ってから今に至るまで、晋の本性はこれである。趙盾はそれをよくわかっている。その根底に共鳴するところがあるからこそ、郤缺は趙盾を見捨てず支えたいと思うのであろう。
晋は己が肥え太るためであるなら、親戚国でも併呑し、覇者の地位を強奪し、恩人さえ殴る国である。もはや切り捨てた秦など、蹂躙しても良い。一歩もいれるな、というのはそういうことである。




