初春の嵐
揃いの直前である。朝政の間に常の趙盾、箕鄭、郤缺以外に呼び出されたものがいた。側近の陽処父は驩の代わりに外交を切り回し、また、新たな領地の入植手配をしているため、この時はいない。
狐射姑、先都、荀林父、先蔑である。なるほど、と郤缺はそれらを見渡した。趙盾の表情が変わらぬのはいつものことである。彼は己の席次など関係無く差配をするであろう。そして、驚くべき事に自分が卿から外れないという自信がうかがい知れた。これを厚かましいというのか、矜持があるというべきか。箕鄭は何やら狼狽している。時々、視線を先都に向けていた。つい昨日まで浮かれた空気を隠さなかった男である。何やら企んでいたのであろうが、どうもアテが外れたらしい。
郤缺は、先氏が二名いることに眉をひそめた。同じ氏族から卿を入れていたのは、文公時代の狐氏であった。どちらも武の一族である。先氏はそれに倣いたいのか、と見ていたが、先都が先蔑を苦々しく睨んでいることにすぐさま気づいた。
――先氏はやはり荒れるか
欒枝と語らっていたことを思い出す。しかし、その争いを公の場に持ち込むとは、誰の差し金であろうか。先蔑は先氏の中でも格は低い。この男の差配ではあるまい。
最後に、荀林父に視線を流す。文公の御者であったということだが、荀氏が御に長けた家系とは聞いたことがない。つまり、彼の研鑽であろう。その後も地味に狄に備え働いていた。白狄襲来をいち早く知らせてきたのも彼の差配ということだった。真面目そうであるが、堅物という雰囲気ではない。どうもこう、
「……栗鼠……」
郤缺は小さく呟く。あまりに小さなそれは、誰にも聞こえなかった。両隣に挨拶をする様子、座った後、緊張しながら周囲を目だけでうかがうさまは小動物を思わせる。戦場で文公と共に駈けた男と思っても、にわかに信じがたいほどである。
驩が政堂にやってきた。座すると、
「春の揃いについて発する。読み上げよ」
命じられた寺人が頷き、読み上げた。以下、前述したがこの通りである。
中軍の将、狐射姑。これが宰相である正卿となる。
中軍の佐、趙盾。次卿。
上軍の将、箕鄭。
上軍の佐、先都。
下軍の将、荀林父。
下軍の佐、先蔑。
新上軍の将、郤缺。
「新上軍の佐、新下軍の将佐は保留とする」
そう締めると、寺人は開いていた書を丸めた。郤缺は、席次だけは上がったが、相対的に末席であるのは変わらない。それよりも、場がざわついた。先都は反射だったのであろう。
「君公。我らがお伺いしたものと違いますが」
と許しもなくいきなり訴えた。それを趙盾が一瞬だけ眉を顰めて見たが、すっと表情を消し前を向く。狐射姑が不審の顔を向け、荀林父も戸惑ったように先都を見た。箕鄭も先都に続いて口を開く。
「言上つかまつります。我らがお伺いしていた揃いの差配と違っているようでございますが、お沙汰はございませんでした。この取り決めはどなたがなされたのでしょうか」
君命に文句をつけているようなものだと、郤缺は苦笑する。驩はそのあたり鈍感であるから気づかぬのが幸いであった。が、先都と箕鄭が組んで何か企んでいたが、潰えていたらしい。さて、驩はどのように返答するのか。郤缺は静かに待つ。
「先氏の克の献策である。これは上席が覇者の支えとし、下席が内を押さえる布陣として良いと私も思う。そなたらの、士氏の縠を中軍の将にする議も悪くはなかったが、それでは内だけを見るもので、覇者の我らには少々足りぬ」
先都が箕氏と士氏を引き入れ先氏内の争いを有利にし、士氏と箕氏は文公寵臣の氏族と対抗したいところ、と郤缺は肩をすくめたくなった。土台無くして砦は建たず。いきなりそのような人事を打ち出しても足元を掬われるだけである。郤缺は、郤芮が政敵を執拗に謀略を使ってでも潰してきた姿を見ている。あれは、暴力装置である郤氏の基盤と恵公との信頼関係があってこそのもので、若き君公の言葉ひとつのみ、後ろ盾無しで政堂に来ても、逆に潰されるだけである。かつて法を定め献公に重用されていた士氏であっても、今は勢いは無い。欒枝の言ではないが、こどもの遊びだと郤缺は断じた。
「そして、都に問いたい。汝は若き克の名代だと言ったが、克は聞いておらぬと言っておった。氏族内の話に口を出したくはないが、私は詐術は嫌いだ。どちらが嘘をついているのだ?」
驩の言葉で、もはや発案者が先克であることが、一同に知れている。先都はうかつにも黙り込んでしまった。成人したばかりの、二十そこそこのこぞうが、まさかこのような芸を見せるとは思わなかったのである。が、ここで何か言わねば、先都が嘘をついていることになる。
「先主はまだ若く、向こう見ず。その力及ばぬのに己で全てやりたがっております。我ら先氏の老人は若さゆえ先走るのではないかと、皆で話し合って私めが名代となった次第でございますが、先主は納得されてなかったと、我が君のお言葉で知りました。行き違いもあったのでしょう、我が一族の手抜かりをこの場にさらしたこと、恥なれど、それを隠しては卑しいというもの。君公、卿のみなさまにお耳汚し申し訳ございません。名代の件はしっかりと話しておきまする」
先都は半分真実を、半分嘘をついた。先都を推している閥と先克を推している閥がある。皆、というのは先都閥であり、それが一方的に投げてきた決定事項を先克閥は無視している。先且居の死がいかに先氏に打撃を与えたかわかる。もはや、統制するものがいなくなっているのだ。
驩の印象では、軽挙妄動という言葉と遠い青年である。勝ち気な顔、力強い目線は父の先且居よりも祖父の先軫を思いだし、ひそかに好意を持った。君主は特定の臣に好意を持つな。亡き父文公が驩に伝えた唯一の君主論である。ゆえに、驩は表に出さなかった。が、先克をあしざまに言う先都に悪感情は持った。
「都は名代であろう。いずれ先氏を率いる克をそのように言うはいかがか。それに比べ、克は汝を推挙した。長幼を心がけている証拠であろう。まあ、よい。この陣で行くと決めている」
先都が床に目を落として、歯がみしている。そのような先氏の内輪もめなど、他の卿には関係ない。狐射姑が驩に拝礼し、口を開いた。
「このたびは、私射姑めを中軍の将にお引き立ていただき、恐悦至極に存じます。我が狐氏は武を以て仕えてきた家でございます。同じ武に強き先氏もおられ、心強いこと。我が君の覇道を支える所存でございます」
わんわんと響くような大声であった。気合いが入っているのか、元々の性格であろうか。年の頃は四十半ば過ぎで、狐偃の年を考えると少々若い。それもそのはず末子であり、字は賈季である。それでも卿で一番の年上ではあった。その声は勇猛さより野卑を感じさせた。この男は戦場に明るいが、政治を触ったことがない。そのくせ、自信に満ちあふれている。これを支えるのは骨が折れると郤缺は次を見た。むろん、趙盾である。
趙盾の挨拶は、やはり完璧であった。
「このたびは、この盾に中軍の佐をお任じくださり、まことに光栄でございます。私は若く父の名代として仮の佐をしていた身であり、経験も浅く才もありません。本来は辞退すべきことでございますが、それはご推挙いただいた先主への非礼にあたり、また、先の経験深き臣の方々がお亡くなりになり急ぎのことですので、謹んでお受けいたします。上席の将どの賈季は君公の右として私などより経験深き勇士と聞いております。先ほども申し上げたとおり、私は経験浅い身でございますので、将の言うことをよく聞き、そのご教導どおりまつりごとを行う所存でございます。また、私より下席といっても、皆様がたは亡き文公が見いだされた先達、賢き方々。この世慣れぬ佐にご教示お願い申し上げます。また、君公におかれましては勇士と賢人をお揃いになり、覇者として外を、晋君として内を見守られる布陣をお決めになられたとのこと、頼ってこられる小国を助け、己の国にあわれみを向けてくださる。『椒聊の実、蕃衍して升に盈つ』とも申します。我が君の治世、山椒の香気が遠く長く匂うことでしょう。その支えになるよう、務めてまいります」
狐射姑への敬、他の卿の礼に満ち、驩に対しては慎ましく、現晋君の祖である桓叔を褒め讃えた詩で華まで添えている。本来であれば行き届いた心ある儀礼であるのだが、この場では、いやみに近い。狐射姑は趙盾を睨めつけている。正卿は典雅に欠けた挨拶をしたのだと当てこすられている気分であろう。先都と箕鄭も気まずい顔をしていた。君主の決定に異を唱えた二人である。その己らを、先達、賢人と言う若造は腹立たしいに違いない。しかも、彼らはこの後に挨拶を述べるのである。この辞を即興で越えることなどそうそうできぬ。驩が期待の目で、上軍と下軍の卿を見やる。先都が、必死に言葉を紡ぐが、無理が見えた。趙盾は挨拶ひとつで、少なくとも三名の男を敵に回してしまった。彼の非が正道であることなのだから、始末が悪かった。
翌年、春。つまりは正月であるが、驩は正式に揃いをした。といっても、軍事ではなく政事であるため兵や馬車はない。朝廷に集め、全ての氏族の前で、中軍、上軍、下軍をはじめてとした新たな役職を発した。士縠は相変わらず司空である。士会は氏族の一員として揃いにいる。兄が肩を落としている姿を見て、心を痛めたと同時に、
均衡が崩れるから仕方無し
と突き放してもいた。この乾いた冷たさを士会は己で不快だと思っているが、どうしようもない。士縠が祖父を倣い宰相に立とうとしても、重鎮たりえず飾りにされるか、下手すれば引きずり落とされる。このようなことは、地歩を固めてじっくりと取りかからねばならぬ。まず各氏族を全て調べ叩いて埃を出して法の権限で――とまで考え、士会は息を吐いた。できぬ策謀を考えるなど、妄人以下である。しかも、暗く卑しい策であった。とりあえず、少なくとも今の士縠の地位、勢力では難しい。地道に務めるしかない。せめて、支えになるしかなかった。よもや、士縠が内心、
この弟は己を愚かな兄だと嗤っているにちがいない
と八つ当たりしているとは思っていない。士縠はまっすぐであるが、それゆえにまっすぐと己の気持ちのみを考えてしまうところがあった。年を経て、それが少しずつ歪んでいる。
「どうして」
揃いの最中、一度だけ士縠が呻いた。そこには、中軍の佐として選ばれ、堂々と返礼する趙盾の姿があった。見るに己より年下か、と士会は俄然興味を持った。趙衰の余光であろうと思うが、それでも選ばれるのは何かあるのであろう。しかし、士縠が憎々しげに睨んでいることに気づき、士会は顔を引き締めた。兄は趙盾が憎いのではなく、己より若いものが、親の余光でやすやすと、当然のように上席に座るのが我慢ならぬのであろう。祖父が手放した権勢は、士縠の元には戻っていなかった。
数名が水面下で勝手に踊り狂っていたが、表面的には平和に席次は決まった。人が見れば、文公の残り滓ではないかと嘲笑するであろう。が、親の遺産を使うことは間違っていない。それにより、国が治まるのであれば、これにこしたことはなかった。
ところが、朝政は引き締まるどころか、だらりとしてしまった。まず、狐射姑の抱負が覇者としてこれからも務める程度であり、政治指針がない。政治指針が定まってないため日々の細々とした議は消化できても、どの国とどうするか、などが無い。趙盾は何か言いたそうであるが、この男は上席を飛び越えいきなり直言をする性質ではなく黙っている。せめて狐射姑が覇者としての指針を言い出せば趙盾も修正できようが、それさえ無いのである。他のものも、なんとなくそのたるみに身を任せてしまっていた。
驩は何度も言うが、政治に向いていない。ゆえに、朝政の停滞に気づいていなかった。郤缺としても、どうにかして狐射姑に
秦との問題はどうするのか
東国と楚への対応
国内の法や税収の緩み
ていどでも引き出したいのであるが、狐氏と縁遠く、また己は末席である。この政堂で郤缺が個人的に交流があるのが、浮き上がっている趙盾だけなのだ。これでは、狐射姑に届かない。
またも、意味の無い朝政が終わり、郤缺は内心、怒りで怒鳴りたくなった。が、そとづらはにこやかで人の好い笑顔である。負の情をまき散らしても、良いことなどないのだ。
「あの、もうし。郤主」
呼びかけられて、郤缺はふり返った。そこには栗鼠――ではなく、荀林父がいた。とくに小柄というわけではないが、どうも小動物の印象は拭えない。
「突然お声かけ、申し訳ございません。少し、郤主にお尋ねしたいことがございます。お時間をいただいてもよろしいでしょうか」
ふわふわとした声音もあいまって、ますます小動物であった。郤缺は、よろしいですよ、と返す。どうも、断りにくい雰囲気の男である。しかも、良かった、と安堵する甘さであり、本当に戦場に出ていたのかと疑いたくなるほどであった。
「お話がどのようなものかわかりませぬが、ここは公の場所。あなたと私で語りあうのであれば、邸にいたしましょう。落ち着く場所がよい」
荀林父が周囲を見渡し、そうですね、と頷く。
「それでは我が邸にご招待してもよろしいですか、郤主。私からお声をかけました。私が供応するのがすじと言うものです」
邪気の無い顔で言い、郤缺を促してくる。きっと政治に関する内容であろう、人のいないところが良いに決まっていた。
荀林父の邸は郤缺と大差のない、下級貴族のような邸であった。しかし、御者で腕を鳴らしたというに相応しく、馬の質は良かった。荀氏は郤氏と同じく公室の出だが、欒氏のように翼時代に分かれた一族である。それが曲沃にさっさと移るあたり、たいして重要視されていたわけではなかったらしい。そこから出た荀息は献公に仕え、内乱で一番最初に死んだ臣である。献公の遺言をに従い、驪姫の息子を晋公にしようとした。その矢先に、反驪姫派に殺されたのである。彼の忠心は買われども、愚直さは嘲られた。荀息は荀林父のおそらく祖父であったろうと思われる。叔父や父の説もあるが、献公時代に仕えていたとすれば祖父であるのが自然であろう。荀林父が文公の御者になるまでに苦労もあったろう。郤缺のようにどん底をいきなり渡されたわけではなく、ゆっくりと衰退し、またゆっくりと興隆しているのかもしれなかった。
白湯を飲みながら、室で対峙する。荀林父が口を開いた。
「まつりごとが進んでいないように見受けられます、私が狄の備えをしていたとき、こちらの報告に打てば響くようにご指示がありました。しかし、今は報告に対してもおざなりで、私はいかがかとお尋ねしましたなら、これで良いと正卿は仰せ。我ら下席三名は狄の備え、内の守りと聞きましたが、備えも無く、内に対してこれといった指示もなく、私もどう意見すべきか、議に出すべきか、慣れぬ身でわからず……すみません」
途中からどんどん声が小さくなり、最後にしょぼんとした様子で謝った。内容は極めて深刻であり、郤缺も大いに頷くところであるが、仕草や様子になんといってよいか分からぬ妙味がある。徳があるわけではないが、愛嬌とも違った、何かがあった。――これを現代語に訳せば、少々古い言葉になったが、萌えというものであろう。とにかく、郤缺は哄笑を飲み込んだ後、微笑んだ。
「いえ。私もそれは危惧しておりました。正卿は進むべき道を示しておられない。これが続くようであれば亡国の危機になりかねない」
「気づかれていたら何故、おっしゃられないのですか?」
荀林父が驚きながら言った。荀林父は不器用ながらも必死に議を出してはいる。無視されているが、それでも務めている。が、郤缺は何も言わぬ。
「私は卿といっても、軍を率いぬ身。いわばおまけの末席です。ゆえに、問われれば答えますが、己から議を出す立場ではない。あなたは私に問われましたか?」
恥じ入ったように俯いて、荀林父が、ないです、と答えた。苛めるつもりではなかったのだが、と郤缺は苦笑しかけた。が、存外打たれ強いのか、荀林父は顔をあげ郤缺をしっかと見た。
「それでは、あなたに問えばよろしいでしょうか?」
荀氏は愚直。その言葉を思い出す。この男は素直で忠心もあり、目端も利くが、政治的な勘が低い。なぜ、郤缺に振るのか。荀林父が上席であれば有効な手であるが、下席で議を出しても決定権が無いのだから意味がない。
「私に問えば、議を補強しましょう。しかし、それではまつりごとは転がりませぬ。あなたは上席に問うべきです」
「しかし、正卿は――」
「問うべきは趙孟です」
言われた荀林父が、あ、と声をあげた。言われるまで気づかぬところが、愚直の血筋と嘲られる一因であろう。が、そうか、そうですね、と無邪気に返してくるから、憎めぬ御仁であった。年は郤缺より少し下程度であり、そろそろ三十路を抜け出すはずだ。その年でこの無邪気さは奇跡に近い。幼稚というわけではないので、なおさらである。
「趙孟は亡き父君の代わりに次卿を立派に務めておられた。あのものは正卿に問われぬので、黙っているだけです。あなたが下席として問えば、上席として応じられ、議は動く」
「では、あなたに問うたあと、趙孟に問うてみます。ご教示ありがとうございます。私はどうも、このようなものがわからぬ身。祖父の書を見て学んでおりますが、策をもって敵国を伐った祖父の言葉も難しいほどです」
そうは言うが、今まで反故にされた狄の押さえ、内国の患いの議も目の付け所は悪くないのだ。ただ、持っていきかたが極めて下手くそなだけであった。
「明日、互いにがんばってみましょう。少しずつ、正卿も耳を傾けますでしょう」
ところが、である。この日、様々なことがらを終わらせてようやく帰ってきた陽処父が、驩を諫めていた。
「賈季に正卿がつとまるわけございません。我が君よ、今、何か決まったことはございますか。東国はとりあえず私が押さえました。周王さまにいただいた領地も、私がとどこおりなく。しかし、それ以外はどうなっておりますか」
言われ、驩は何も決まってもおらず、日々、細々とした事務処理だけが進んでいたことに気づいた。その退屈な日課に慣れ、もうすぐ一ヵ月である。一ヵ月を無駄に過ごしたのだと今さらながら気づいた。
「車右として勇猛でも、まつりごとなど、一切わからぬのが賈季です。舅犯の血筋とは思えぬまっすぐさですが、正卿に向いておりません。また、前正卿のように広い目で戦場を見るような男でもない。しかし、いきなり卿から降ろすわけにもいきませんから、正卿と次卿を交代させましょう」
陽処父の言葉に驩はさすがに言葉を失い、喉を鳴らして唾を飲み込んだ。
「盾はまだ三十路すこし過ぎたところだ、えっと」
「三十三です。確かにお若い、賈季はもうすぐ五十でしょう。が、年は関係ございません。あのものの才は君公もよくご存じのはず」
父親が倒れたあとの穴埋めを趙盾は十二分に果たした。任命したときの返礼も、ずばぬけている。今、発言できぬのは、正卿をはばかってのことであろう。その意味で序列をわきまえている男でもある。
驩は熟考できぬ男であり、その上、傅である陽処父を信頼しきっていた。
「わかった。明日、新たな人事を発し、すみやかに揃いをもう一度しよう」
陽処父は満足げに頷いた。狐氏の長が正卿など、とんでもなかった。陽処父は狐氏を狄のはぐれ者だと軽蔑もしている。しかし、趙盾は違う。陽処父を傅にすえたのは趙衰であり、己は趙氏に恩がある。が、ここで恩を売る。そして、あの若造は陽処父を教養のある年上の男として見ている。年功序列をしっかりと守る青二才なのであるから、操作することはたやすいであろう。驩も趙盾も我が手の中に、近臣として政治を握る。それが陽処父の野望である。
かくして、朝政において、いきなり発布されたそれは、卿全員を驚かせた。趙盾でさえ、少し表情を変えたくらいである。
「盾を中軍の将、射姑を中軍の佐とする。今、各氏族に知らせており、朝廷にもその旨かかげている。ことは急であるため、明日に改めて揃いをすることとする」
狐射姑が何故、という言葉を言う前に、趙盾が口を開いた。
「年上の正卿をさしおいて、私めが正卿になること、本来辞するべきことがらです。長幼に反します。しかし、今、君公が改めておっしゃるのは何か意味があるということ。我が父は三度人にお譲りいたしましたが、私は人を見ること父に及びません。その責を背負う覚悟はできました。謹んでお受けいたします」
平坦な声で言葉をつむぎ、完璧な稽首で返礼した。稽首とは床に額をこすりつけたままの礼で、いわばぬかずいているのである。辞すべきなどと言いながら、趙盾は譲る気が一切無いようであった。彼も、停滞した政治に内心腹を立てていたのであろう。
趙盾の返礼に驩が満足した顔をする。そうなれば、狐射姑も嫌だとは言えぬ。仕方無く、承ったと返礼した。趙盾に比べ、雑で典雅さもない儀礼であった。
かくして、晋至上、最も若い宰相が生まれた。父は趙氏の末子、母は狄であり、十九才まで狄の邑で育った異色の宰相である。
郤缺はあまりのことに言葉を失っている。研鑽された才と危うい性質を併せ持つ青年が、国を握ることとなった。それが吉なのか、凶なのか、未だわからなかった。




