それさえもおそらくは平穏な日々
郤缺が冀邑を所有し卿となった翌年、つまりは欒枝とのだらしない関係が復活してからの話である。晋は相変わらず外征を行っている。この当時、晋は執拗に衛を伐っている。文公重耳の時代から、衛は晋に削られ続けているといってよい。それでもガンとして晋を覇者と認めない衛に対して、晋はしつこく何度も圧力をかけ、驩の時代にようやく観念させた。この後、衛は晋と楚の間でこき使われるようになる。衛は小国であるが中原の要地であり、晋としては手中におさめたかったのであろう。
遠征軍からの便りにより、郤缺と欒枝は互いに微妙な顔をつきあわせた。先且居の手際は良く、胥臣も若い君主と将を支えている。あいさつ回りは趙衰がさせられているらしい。帰りたいという愚痴を覆い隠して報告書を送ってきたのは彼である。
「……趙子余によると、衛の地を取ったそうだ。文公の時代に五鹿を取っている。これで衛もこちらに服すだろう」
まず最初に書簡を読んだ欒枝は、寺人に読み上げるよう指示した。君主のおらぬ朝政である。
「趙子余は相変わらず己を消しながらご活躍されているようで」
全て聞き終わった郤缺は、そろりと呟く。欒枝が、外から見ねばわかるまいよ、と柔らかく言った。それにしても、である。
「取りすぎですな。今は良いが、怨みは春秋めぐるごとに重なります」
「全くだ。しかし、怨みを怖れて返すは惜しい。恩を着せてやらんとこちらも立つ瀬がない」
欒枝が温厚そのものの顔で笑う。郤缺は頷いた。晋は周囲を喰らい続けることで、地勢の悪さも土地の貧しさも払拭した国である。衛という要地を簡単に手放せぬ。手放す時はそれなりの意味を持たせる必要があった。
さて、朝政にいるのはこの二卿だけではない。もう一人、いる。箕鄭という男で、席次は郤缺より上であった。この中で最も上席なのは上軍の将であり第三席の欒枝である。箕鄭は上軍の佐か下軍の佐かはっきりはしない。彼は元々新上軍の佐であったが、史書を見るに発言が見受けられないため、それまで卿とされていなかった可能性はある。
少なくとも、欒枝は表面上は礼をつくし助言をしているが歯牙にかけていないようであった。箕鄭は欒枝の表面だけを受け取っているようで、いちいち恐縮し、時には緊張しているようである。
そのような箕鄭である。欒枝と郤缺の会話に入っていけず、じっと黙って聞くのみであった。趙衰の書簡だけを信じれば、活躍しているのは先且居と胥臣であり、それを束ねる驩は素晴らしい、となる。そこで何故
趙衰は活躍している
という会話になるのか、箕鄭にはわからなかった。彼にとって趙衰は薄ぼんやりしているのに何故か重用される重鎮、である。幾度も自分よりはあの人が良いこの人が良いと賢人を薦める男、という印象も強い。補佐として間近にいたが、先軫や胥臣、欒枝に比べると才があるようには見えなかった。
「――箕子はいかが思われる」
欒枝が話を向けてきた。何の議であったのか戸惑い、箕鄭は黙り込んだ。まさか聞いていなかった、とは言えぬ。仕方なく
「郤主はどう思われる?」
とさらに投げた。郤缺としては、本人に投げられたからといって、上席の箕鄭を差し置き答えるわけにもいかぬ。しかし、箕鄭の戸惑いも察していた。
「申し訳ございませぬ。非才の我が身ならば、お尋ねの意図がわかりかねまして、お答えできません。欒伯にご無礼承知で申し上げます。もう一度、この私めにもわかりやすくお尋ねいただけませぬか」
拝礼し請うと、欒枝が頷き、簡単平易な言葉で
楚が乱れはじめている。
という話をした。数年前、趙衰が予言したとおりに、楚王は太子に飽き、廃嫡しようと動いていたのだ。
「やはり上席から答えるほうが良い。汝はいかが思われる、箕子」
と続けた。
「楚王の最期は良くないでしょう。乱が起きます。東国の方々に楚へ近づかぬよう、お伝えするのが良いかと存じます」
箕鄭はさらりと答えた。郤缺も
「箕子のお言葉、見習うべきです。私は異存ありません」
と言い、柔らかな笑顔を箕鄭に向けた。この男も己と同じく最初は内容がわからなかったのだ、己に問題はなかった、と箕鄭は胸を撫で下ろした。
後日、欒枝は邸にて
「あれはどうにかならんか。私はこども相手にまつりごとをせねばならぬのか」
と頭を抱えていた。それを郤缺が、まあこれからですな、と応じる。そのように言うしかない。驩を支えるものどもの年は、若くなっていく。文公に付き従った寵臣、内乱の中で冷静に見極めていた欒枝のような修羅場をくぐっていない。
「箕子はあなたが眩しいのです。ゆえに、見とれてしまっている。若かりしころは文公に進言もし、趙子余にも認められている。本来は才があるかたですが、こわばってしまわれている。もう少しお時間をさしあげてください」
欒枝としては圧をかけているつもりはない。実際、物腰も柔らかく、慎み深い態度であるし、その重みは年相応のものだった。ただ、箕鄭は勝手に圧倒されているのだ。古い家柄、文公を信じ晋を守り、楚戦では先鋒を努めた重鎮と要素が並べれば、わからぬでもない。
「――ああ。そうか。汝も私を初めて見たときに少々ちいさくなっておったな。警戒し、縮み上がっていた。それと似たようなものか。あのころは卑職、小者とくり返していたが、結局己で切り開いてここにいる」
懐かしげな瞳で揶揄する欒枝に郤缺は微笑んだ。
「あなたのような方に呼びつけられれば、どのような大夫も冷や汗を出して身を縮ませるしかありません。あの時分は不作法かつご無礼つかまつった」
もの柔らかな声音と言葉に欒枝は引きつった。郤缺の柔らかい微笑は、余人であれば、なんと優しい、心の広い人間だと見るであろう顔であった。
「理を隠せと言ったが、ここで隠せとは言っていない」
その言葉に郤缺はしらけた顔をして小さくため息をついた。
「私はあなたに圧倒され値踏みもしましたが、ひるんでも縮み上がってもおりませぬ。我ら郤氏を侮らぬよう」
低く冷たい声に、欒枝はすまぬと素直に謝った。
「それにしても、陽子といい、箕子といい、手を引かねばならぬこどもが多すぎる。汝は賢いこどもだ。己で立ち、道を歩む。あれらと汝はそう年は変わらんが、老臣が消えれば面倒を見てやってくれ」
いっそ傲慢な物言いに郤缺は苦笑する。そっと欒枝に近寄ると、その手をうやうやしくとった。
「こどもは手を引いているうちに己で立ちます。私も結局そうなのです。それにあなたはまだ逝かぬでしょう。せめて中寿を越えてください」
色も無く敬愛が込められている仕草に欒枝が温和な笑みを返す。
「八十か。私はまだ六十も超えておらぬが、秦の老臣は中寿をとうに越えているらしい。目指すのは良い」
穏やかな空気が二人の間に流れた。時には睦み合うこともあるが、このように静かで落ち着いた時を過ごす方がだんだんと多くなっていた。
さて、くり返すが驩を支える臣は若いものが台頭している。といっても、三十路後半から四十路であるため、青年とは言えない。驩も三十路の半ばを越えている可能性があり、青年期は脱している。が、欒枝などから見ると、青二才に見えてしまうらしい。四十路手前の郤缺も青二才に含まれてはいる。青二才どもは、なんだかんだとその力量を見せており、陽処父は諸国との外交で活躍している。会盟といういわば国際会議を開き、各国に晋との同盟を結ばせてる。また、もう一人、躍進している男がいた。
「我が兄は良き働きをしたと君公にお褒めいただいたらしい」
士会が郤缺の邸で爽やかに言った。三十路になっても無位無冠であり、己の無聊を慰め二年。彼は妬みも無く、素直に兄の功績を喜んでいる。その重みが士縠を圧迫していることに気づいていないのが、士会の兄への甘さであろう。郤缺は、そこは他家の話なので言わない。とりあえず、
「君公はいたくお喜びであった。衛がまたふらついている。士伯はそれを伐つために諸侯を集め相談し」盟いを立てた。今年も戦が多い。秦が攻めてきたのはともかく、東国は落ち着かぬ」
と、応じた。郤缺は軍を率いていないため、自然裏方である。度重なる遠征で兵糧の手配が厳しい。覇者というものは、旨味もあるが差し引きとして負債を抱え込みかねない。急速な領土の拡張とその後の内乱で開墾は間に合っておらず、留守組はその差配と税の取り立てに忙しい。
「戦が多いと無駄も多くなる。羔裘豹袪、我が人を自うること居居たり、か」
士会も同じことを考えていたのか、ぽつりと言った。
「――税の取り立てをするものどもは、己の職分に忠実にやっている。それらは民からすれば羊の皮衣、豹の皮の袖と、汝の言うとおり良き身なりで民を使役し、あわれみもない。だが我らも税をとりたてよとあれらを使役している。その詩を汝が詠うは傲慢というものだ」
郤缺は鋭い言葉をふんわりとした声音で返した。士会が赤面し、浅はかだったとすぐに言う。しかし、士会の懸念は間違っていない。戦の多さは民を苦しめるものだった。しかし、覇者となってしまった以上、もう止められないのであろう。
実際、この翌年もそのまた次も戦争が続いている。西方秦との緊張は既に破裂しており、毎年報復合戦が起きていた。また、新たな楚王も国をまとめ、東国をつつき、晋は対応に追われるようになる。晋としては遠い東国より、隣国の秦であった。驩は西方戦線に出征し、東国問題は陽処父に任せている。
「だから、秦を伐つべきではなかったのだ」
秦への報復のため出立する驩たちを見送った後、欒枝が疲れた声で呟いた。箕鄭が驚きその姿を見る。秦を伐つべしと主張したのは先軫であり、欒枝はたしかに反対していた。しかし、決めたのは驩である。欒枝の言葉は驩への批判になった。郤缺はすぐさま
「僭越ながら申し上げる。亡き先主の言葉にも一理あったからこそ、欒伯も最後には同意なされたのでしょう。今さらのそのお言葉は己に返ります」
と、諫めた。欒枝はすぐさま察し、
「郤主の言葉や良し。私の後悔を口に出すべきではなかった。今、目の前のものごとを片付け、明日のことを考えよう」
と返した。箕鄭の目は、少し安堵しているようであった。上席の卿が不敬を口にしたとなれば、おおごとである。そうではなかった、自責の念であったと安心したのだ。――もちろん、欒枝は自責ではなく先軫に対する愚痴を呟いたのであるが。
そのようなやりとりを経て、郤缺が卿に任じられてから五年がたった。父の死に目にも会えず農奴に身をやつしていたころ、胥臣に拾われ、父への祀りを犠牲にして下軍の大夫となった。それからは卿になるまで長くもなかったのに、この五年のほうが短く感じられた。穏やかで平和であるということでもある。気づけば四十をとっくに越えていた。
「……私の周囲に騒乱がなくなっただけというに、我ながら現金なことだ」
郤缺は寒さが残る初春の中、参内した。今年はまだ西方も東方も静かである。卿は全員揃い、君主の元で朝政を行っている。せめて今年くらいは、出征がなければ良い、と思うしかない。
その日、卿は揃っていなかった。常に一番最初に来ている趙衰がいなかった。夜明け前にでも来ているのではないか、と皆で言うほどの男である。郤缺は少しだけ眉を顰めながら末席に座る。驩が来る前に参内しなければ、卿としての責任に問われる。それ以上に趙衰らしくなかった。
そのうち、寺人が慌てたように扉を開いた。趙衰でも遅れることがあるのだと、ほっとしながら卿一同が開いた扉を見た。
「おそれいります。我が父が急遽患い、伏しております。貴き方々が君公と議を問う室にてこのようなことを申し上げるは失礼の極みでございますが、お告げしないは非礼不孝というもの。また、貴き方々にお許しもなく君公に申し上げるは無礼不敬といもの。この若輩の身、まつりごとに関わるものではございませんが、父が病に倒れましたこと、議の前の上奏をお許しいただきたい」
そこには見事な頓首にて願いでる趙盾がいた。
副題元ネタ、たがみよしひさ先生。




