戦いの幕開け
よくわからない専門用語や国際関係はふわっとスルーしてください。
重耳――もはや文公と記そう。晋に君臨した文公は波瀾万丈の人生であったが、死後もそうであったらしい。ひとつの珍事が伝えられている。
首都・絳から廟のある旧都・曲沃への移動中、棺から牛のような呻き声を出した、というものである。それを卜偃が託宣として受け取り、言葉にした。
「これは我が君が大事を命ぜられている。今、西方より軍を率い我が晋を通ろうとするもの有り、これを伐てば我が軍は大勝利を得るであろう、と」
卜偃は、晋において様々な行く末を当てていた卜占の長老である郭偃と同一人物と思われる。それはさておき、この託宣が事実であれば、文公は死してもなお晋の行く末に気を配っていた、ということになる。
さて西方――秦の動向である。
当時の秦公は前述もしているが、任好といい、晋の安定に心をくだいてくれた人の良い隣人である。献公の娘、つまりは文公や恵公の姉を正妻をした縁もあろうが、恵公夷吾、壊公圉、文公重耳と三名を支援し、なおかつ晋からは何も返していない。正確に言えば恵公が二つの城を譲渡する約束したが、郤芮の進言で踏み倒し、宙に浮いている。他、晋が飢饉のときには援助を行う、戦争をふっかけてきた恵公を捕縛するもきちんと返してやる。そして文公を援助し、晋は覇者として勇躍した。秦の助けがなければ晋は内乱の果てに消耗して終わるだけであったろう。
秦は秦なりの理由で晋をたすけていたのであるが、ここまで来るとできすぎでもある。しかしその『できすぎ』に任好は逆に錯覚してしまったのではないか。己らは見る目も手腕もなかなかに凄いのではないか、ということである。そこには晋に対する冷えもあった。秦を踏み台のようにして覇者となったことを、無邪気に喜べるほど任好もお人好しではない。なにより、あれほどの援助にも関わらず、感謝されていないと言ってよい。
そのようなおり、鄭から紀子という男がやってきて、
「鄭の人が私に北門の鍵を管理させました。もし密かに軍を率いて来られましたら、鄭を簡単に取れます」
と奏上した。任好からすれば驚きとともに野心がわきあがったろう。鄭は暗に、秦に臣従するむねを紀子を通して伝えてきたわけである。鄭は東国の中でも重要な拠点の一つであり、手中に収めるとなれば、第三の覇者も夢ではない。
つまり、まな板の上に皮も剥いだ丸々と太った羊がのっている、あとは煮るなり焼くなりいかように、というわけであった。
しかし、常に目を光らせ献策を続けている老臣に
「軍を労し遠い国を伐つは聞いたこと無し」
「鄭は察知して備えを固くし、良いことなど無い」
「努めるだけ無駄である」
だいたいこのようなことを懇切丁寧に説教をされ、任好は饐えた気分となった。何故、晋はできて我ら秦はできぬというのか、という思いも多分にあったろうし、年を取って老人の言葉がうるさくなったのもあったやもしれぬ。
老臣の言葉を無視して将を三名任じ、鄭をとらせるために出立させた。少なくとも馬車三百乗の大軍である。老臣が将を見送りながら
「わしは軍の出発を見ているが、その帰るのを見ることはあるまいよ」
と大声で泣いた。この、当てつけがましい行動を知った任好は激怒し、人をやって老臣に言づけさせた。
「お前などは中寿で死んでいたら墓の木が一抱えになったろう!」
中寿は八十才である。この老臣は八十を超える、当時からみれば驚異的な長生きだったらしい。それはともかく、幼稚な罵倒である。お前は死んでいた方が墓の上に植える木が育ってお役立ちだったろうよ! という内容であるが、一君主としても諧謔としても、幼い言動であり、任好という人間の『人の良さ』という部分が滲み出ている。
また、老臣はこうも言っている。彼の子も従軍していたのだ。
「晋の人が我が軍を防ぐのは必ず殽山においてだ、息子よ、私はお前の骨をそこへ拾いに行こう」
はしゃぐ任好に比べ、老臣の言葉は悲痛にまみれている。しかしそれさえも、悲劇ではなく喜劇のように思わせるのが、この任好による鄭出兵であった。
結論から言おう。秦は覇者どころか道化で終わる。
秦は晋を通り周を越え滑という小国にたどり着いたあたりで、鄭に備えがあり落とせないことがわかった。紀子という男が、鄭から鍵を預かっていたかどうか。結果的に秦はまんまと詐欺にあったようなものであった。紀子はさっさと逃げてしまい、残ったのはただ遠征で移動しただけの軍である。将たちは嘆くしかない。
「攻めても囲んでも無駄だ、鄭はあきらめよう」
しかし、出てきたのなら成果が欲しいと、たまたま通りすがっていた弱小国の滑を亡ぼした。小さすぎる国に珍しくない話であるが、良い迷惑であった。
「軍を労し遠い国を伐つは聞いたこと無し」
「鄭は察知して備えを固くし、良いことなど無い」
「努めるだけ無駄である」
任好にとって腹立たしいことに、クソじじいの助言は全て当たってしまったのである。春に出立して鄭に弄ばれ、よろよろと秦軍が故郷近くまで戻ってきたのが初夏である。飛び地で所有しようもない滑を亡ぼしただけであり、徒労以外のなにものでもない。
この状況を死した文公が予言した、というのである。できすぎでは、ある。が、真実にしろ迷信にしろ、喪中の晋に秦が断りも無く進軍通行していることは事実である。
新しい晋公驩はすぐさま卿たちを呼ぶこととした。驩は練れてなさというものはあるが、打てば響く部分があり、諸事行動が早い君主である。腰の重かった父とは真逆であった。
当時の葬儀は長く、喪に至っては建前上三年ではある。そんな葬儀の途中で、喪服のまま驩が朝政に挑んだ。
「鄭人からのお知らせによりますと、秦軍は鄭に入らず、滑を亡ぼして晋を通り秦へ戻るようでございます。お通り過ぎのご挨拶も周都に対してはなさったご様子ですが、指揮がおぼつかず軽々しい振る舞いがあったのよし、王族のかたのお言葉です」
胥臣が周からの木簡を閉じ横に置くと、以上です、と閉めた。指揮がおぼつかず軽々しい振る舞いといっても乱暴狼藉を行ったというわけではない。だらしない軍隊だと嘲笑しているのである。
先軫が戦いましょう、と声をあげた。
「秦は忠臣の諫言を聞かずに貪欲に走り民を疲弊させた。これは天が我らに与えた機会と言え、失うのもそして敵を許すのもいけない。敵を許すは患が生じ、天にたがうは不祥。ここは是非、秦を伐つべきです」
強い視線を驩に向ける。先軫は五十半ばを越えたとはいえ、いまだその覇気みなぎり、武人としての強さが体に溢れている。文公の晩年から秦との間には冷えも生じている。最初に一発かましておきたい、というのが軍責任者ともいえる彼の本音であろう。
「それはいかがか」
すぐに反論の声をあげたのは欒枝である。
「我らは秦の恩に報いていない。恵公擁立から文公にいたるまで、秦は我らに助力している。この時の恩を返しておらぬに秦軍を伐つのなら、敵は我が君が死んだのだと思うでしょう」
欒枝は驩に目配せして言う。きつい言い方になったが、外交の場で、恩知らずの晋に君主などいない、という嘲笑されかねないということだ。この恩はもちろん、恵公の任好に対する約定、『焦や瑕の城二つを割譲する』のことである。これは長々と揉め、結局文公ははぐらかして死んだ。文公にしても付き従った近臣も、恵公が秦に援助してもらうために個人的にした約束など無視して良いと思っているのであろう。欒枝としても、勝手にそのような約束をして助力を請い、晋公におさまったと聞いて当時は頭を抱えた。たった二つの城ではない。大事な構えの城二つである、たまったものではない。しかし、個人間ではなく、国家間の約定である。秦に対しては反故にして、厚かましくも他国には強いる、などと言われては、国として覇者として軽重が問われるというものである。
底光りする目で、欒枝は驩と先軫を睨め付けた。驩の心情が先軫に傾いていることを欒枝は気づいていた。若いゆえもあるであろうが、秦の恩というものにもはや鈍感な世代ということもあるであろう。文公の第一夫人は秦の娘ではある。驩からすれば母より強くのしかかる義母と言ってよい。が、逆に言えばその程度でしかない。
先軫が欒枝の目線をはじくようににらみ返してきた。その少し彫りの深い野性的な目元は、猛禽を思わせる。ニヤリとした笑みを浮かべ、先軫が口を開いた。
「秦は我らが文公の喪中なるを哀しまず、我らと同じ姫姓の滑を伐ちました。秦は礼に従いません。そんな相手には恩に報いることはありませぬ」
「先卿。それは詭弁というものだ。今、我らが秦を伐つことこそ非礼の上塗りになるというも――」
反駁した欒枝の声を驩が手で制した。舌打ちをこらえ、言葉を止めざるを得ない。逆に先軫がゆっくりと頷き皆を見渡したあとに言葉を続ける。
「私は聞いている。『一日敵を許せば数世の患なり』と。はかりごとが子孫に及ぶということです。秦を伐つことは我が君のおぼしめしにかなうこと。『君公が死んだ』などといっておられましょうか」
最後の言葉は欒枝に向けられたものであった。ある意味、欒枝は公然の面前で当てこすられたと言ったよい。が、貴族としての矜持が勝ち、屈辱も何もかもも腹内に治めた。そのあたり、彼の自制心は極めて強い。
驩が口を開いた。晋公としての最初の君命である。
「軫を中軍の将、衰を佐とし、軍を編成せよ。秦軍の動向を調べた上で待ち構え伐つ。絳の守りは枝を上軍の将とし佐と共に任せる。下軍は中軍の補となるよう」
開戦は決定した。細かいところは先軫が差配するよう命じると驩は朝政を終えようとした。
「お待ちを」
ぽつりと言葉を挟んだのは趙衰である。先軫はいぶかしげな顔をする。欒枝もことここにきて腹を決めており、趙衰は今さら何を、と眉をしかめた。胥臣だけが特に表情も変えず、皆を見ている。口も挟めず見ていた陽処父やその他の者も趙衰の言葉を待っていた。
「秦は礼無きもの。ゆえに伐つということであればかまいません。しかし、喪服のまま伐つは非礼、しかし喪中に白い麻衣を脱ぐは不孝。その白い喪服を墨で黒く染め上げて戦いに望んではいかがかと存じます。我ら晋の覚悟も秦の方々にご覧に入れられ、ご歓待しやすいかと」
驩は、己の白い喪服を見た後、そのようなものか、と呟く。趙衰がそのようなものです、と静かに返した。胥臣が苦笑し、先軫が楽しそうな顔をする。欒枝は礼儀と戦術の双方を奏上する趙衰のえげつなさに軽く息をついた。
喪服のまま伐つは非礼、喪服を脱ぐは不孝。それは間違い無く、色を染めさせるのは良い逃げ道ではある。が、黒色である。黒は秦の色であり、彼らの戎服は黒に染め上げられている。本来、晋の色は赤であり、戦場では赤い戎服を身につけているのだが、今回に限り礼を失しないために喪服を墨に染め上げて出撃する。
秦は、待ち構えている黒い喪服の集団を、晋とは思わず駆け寄ってくるであろう。長い遠征を労り迎えに来た味方だと思い、無防備に駆け寄ってくるのだ。




