巨木、倒れる【破】
BL回。尿や糞便の描写がありますので、ご注意ご了承願います。
卿たちが、重耳の病状が回復することはない、と改めて認識させられたのが冬に入ったころであった。秋ごろに気づいた時は、医者が診て、卜でもある史官が祈り、良いものを食えばなんとかなると信じていたのだ。
「我らが君公が病に負けるわけがないではないか」
特に先軫が強く言った。欒枝も実は少々楽観視していた部分はある。九年の放浪に耐えた頑健な重耳である。いつか回復するであろう、と。しかし、卜占の結果は凶であった。
――君公は年を越せぬ
託宣は絶対であるが、先軫や胥臣は、それでも過酷な運命を跳ね返してきた重耳を信じ、万が一を縋る。欒枝もどこか、なんとかなるのではないか、という思いが強い。それは、重耳を廟に見送るまでが欒家当主である己の責務であるという思いがあり、つまりは重耳が死ねば次は自分であるという恐怖が奥底にあった。己は未だ死ねぬ、ゆえに君公よ身罷られるな。欒枝は身勝手かも知れぬがそう願うしかない。
しかし、秋を過ぎて冬に入り、重耳は朝政でしばしば失神するようになった。倒れ、失禁まで確認されたとき、その場全員が、もはや手遅れなのだと蒼白になり茫然とした。否、一人素早く動いたものがいた。
「我が君よ。今から申し上げること、心苦しいですがお聞き下さい。我が君は朝政はもはやかないますまい。傅と共に太子を代理とし、朝政を行い、国政を我ら卿で支えることお許し下さいますよう、お願い申し上げます」
なんとか意識を取り戻した重耳に、趙衰がかけより、いつもより大きな声で言った。他者に対しては密議ではないということを示したのであろうし、重耳が小声では聞こえぬと思ったのかもしれない。重耳は朦朧としておらず、頷き、
「そうしてくれ。我が太子は私に似ず才がある。汝ら老臣たちには青臭いやもしれんが、支えてやれ」
と応じ、立ち去った。寺人に支えられながらも、己の足で歩いていったのは重耳の意地であったろう。趙衰は重耳がゆっくりと歩き、部屋を出て行くまでぬかずいていた。その場所に重耳の尿が流れており、衣服どころか額にいたるまで汚れたが、彼にとっては些事である。扉が閉まると、趙衰は立ち上がり、君主の座から卿の位置に戻ると口を開いた。
「朝政はまだおわっておりません、太子をお呼びしましょう。しかしこの部屋は掃き清めなければなりませぬ。本来、朝に行うまつりごとですが、この度は危急のこと。昼から再開してはいかがかと思います。まつりごと深き卿の方々、いかがでしょう」
汚れを拭わぬまま、趙衰が静かに見回す。あの重耳を見てさえも、その湖にさざ波ひとつ訪れていなかった。その場にいる卿は欒枝含めて、頷いた。趙衰もその様を見て頷き、
「私は着替えねばなりませぬゆえ、一度邸へとさがり、改めて参内いたします。この場を清める間、皆々様に太子をお迎えする事、お任せいたします。どうぞ、よろしくお願い申し上げます」
と言って、退出した。それを皆、気圧されたように見ているしかなかった。欒枝が思わず息を吐けば、ようやく汚臭が漂っていることに気がついた。尿の臭いが部屋に充満していた。
「……太子へは寺人をやって控えの間に来ていただこう。我らが立ち去らねば、洗い清めることができぬ」
欒枝の言葉に、他の者もようやく我に返ったようであった。残った卿は政堂を後にした。重耳の体の衰えを見せつけられたことがまず衝撃であったろう。しかし、その後の趙衰の動きに、全員が飲まれた。忠臣とも違う何かであった。彼は卿として当然のことをやったのだと顔をしていたが、この場にいるもの、近臣として誇りを持つ先軫や胥臣、節度を謳う欒枝も、真似できぬ。たとえその位置で拝首が礼として正しかろうが、尿流れる場所に座り、ぬかずき、なおかつ冷静に差配することなど、できようがなかった。
その日から、太子である驩が代わりに朝政し、傅がそれにつきそう。陽処父である。彼を傅につけたのは趙衰である。曰く、知恵があり聞こえる言葉が良い、そして余計なものがない。欒枝はまたえげつない、と思ったものだ。つまり、彼には勢力が無いため、傅として側近になっても卿をしのぐことはなく、逆に卿と足並みをそろえるしかない、というわけである。知恵があり聞こえる言葉が良いというのは、知識を伝えるすべが良いと褒めている反面、政治手腕に関しては何も言わぬのが趙衰らしかった。少なくとも今いる卿には劣るということであろう。
が、壮年にさしかかった陽処父の顔を見ると、自覚は無さそうである。国政に間接的でありながらも関われる機会に少々気が上がっているようであった。教え子は似るのか、驩も気負いが見える。余命いくばくもない父の代わりという思いもあるだろうが、己がとうとう国を動かすのだという自負心も強い。欒枝は太子はもちろん、この傅も育てるのは容易ではないと趙衰にそっと目配せした。趙衰はそれに気づいているであろうが、しれっとした顔をして議題に関しての意見を静かに述べていた。
しんしんとした冷たさが這い、痛く凍えた空気が舞う冬の日ことである。朝政の終わりを驩が告げたと同時に、
「趙卿を君公がお呼びです」
と、寺人がしずしずと言った。きっと、終われば伝えろと言い含められていたのであろう。
「私をですか」
趙衰が平坦な声で言った。寺人が、あなただけを、です、と言う。欒枝は眉をしかめた。重耳は幾度も趙衰を卿にと切望したほどには、彼を信頼している。それは他の近臣に対する態度と違っている。趙衰は妻に関しても重耳と深い。第一夫人は重耳の第三后妃の姉であり、第二夫人は重耳の娘である。その近さを悟らせないのが、趙衰の絶妙さと重耳の平衡感覚なのであろうが、ことここにきて、偏重が起きるのか。他の卿を見ると、先軫は少々拗ねた顔になり――情が強い性格である――、胥臣は戸惑っているようであった。
「同席は」
静かな声そのままに、趙衰が問うた。
「おりません。私たちも同席を禁じられました」
寺人の答えに、欒枝は息を飲んだ。重耳と趙衰、死ぬ間際の君公と寵臣の謀議が行われないとも限らぬ。その密室で、君公がこのようなことを言いましたと趙衰は捏造もでき、趙衰が重耳に言い含めて君公の遺言を操作することも可能であろう。
はたして趙衰は、皆に拝礼し、
「本来、他の皆様がたと同じくし、君公のお言葉を賜りたいと思っておりますが、閉じられた部屋にて私ひとりと君命がおりました。非才の身なれど君公が私を選んだよし、分かりかねますが、私の妻たちは君公と縁が深い。ご家族のお話をされたいのやもしれませぬ。もし、表向きのお話とわかりましたら、君命に背くことになりますが、太子および卿の方々をお呼びし、その場で君公のお言葉をいただくことにいたしましょう」
流れる水のようにするすると言葉を紡いだ。そこまで言われれば、欒枝も他の卿も何も言えぬ。実際、今まで趙衰が己を寵臣と誇ったことも、近臣と傲ったこともない。気づけばそこにいる、という男であった。中庸が衣を着て歩いているような人間でもある。
「何かあれば、すぐにお知らせを。我らはここにおります。それでよろしいか、方々」
胥臣がわずかに微笑みながら言う。このあたり、彼は穏やかな人間であった。内心、声がかからぬ悲しさがあったろう。胥臣としては己の方が忠臣である自負はあったにちがいない。しかし、それを彼は表に出さなかった。
ともあれ、胥臣の提案に欒枝以下、卿は頷き、自然、太子驩も傅も頷くこととなった。するりとした仕草で立ち上がった趙衰は寺人にすぐ向かう旨を伝えた上で、
「暖かい湯と、清めた布を多く。そして君公の新しいお召し物を一緒に持ってきて下さい」
と言った。その場にいる全員が不思議そうな顔をしたが、趙衰は特に説明もせず、重耳の元へと歩いていった。
重耳の私室の前で寺人が一人控えていた。趙衰と湯や布を持った寺人たちを見て、彼は扉を開けた。趙衰たちが部屋に入ると、わかりやすい汚臭が鼻についた。寺人たちは無意識であろう、一瞬眉をしかめたが、趙衰は表情ひとつ変えず、寝所で座る重耳にぬかづいた。
「お久しぶりでございます。この衰をお呼びとのこと、非才ながらお役に立つのであればと参じました。私と我が君のみでのお話とのこと、お望みどおりお世話される方々に引き払っていただき、扉を閉める差配、いたしましてもよろしいでしょうか」
「許す」
重耳の声で、趙衰は起き上がり声無く手を振る。寺人たちは、盥にいれた湯、箱に入れた布と重耳の衣を床に置くと、さっと部屋を後にして扉を閉めた。閉まると同時に、趙衰は立ち上がり、ささっと歩き出すと、まず小さな、空気を入れ換える窓をひとつふたつ開け、備え付けの棒で固定する。あまり開けると部屋が寒くなる。盥や箱を重耳の近くまで運ぶと、常に置いてあるらしいへらを手に取り、湯で洗った。他、いくつかの準備をしたあと、
「寝所に失礼してもよろしいでしょうか、我が君」
と、少し暖かみのある声で言った。重耳は頷き、少し体をずらすと寝転んだ。趙衰は寝所に入るとそれ以上の許可をとらず、重耳の帯を手早くほどいた。すっかり細くなった足をからげて、尻についた便をへらでかきとる。細かいところは乾 いた布でこすりとった。便は下痢状で、黒かった。血便であった。己の汚物の臭いに重耳が眉をしかめたが、趙衰はやはり、顔色ひとつ変えなかった。最後、湯で濡らした布できれいに拭き取り、新しい衣に替えてやる。重耳はすっきりした顔をしながら、身を起こした。趙衰は少し後ずさり平伏して口を開く。
「御身の世話は私の任でないながら、ご無礼を」
「季隗が知ったら怒る。内緒にしておく」
寺人ではなく、愛妻にシモの世話をさせているらしい。きっと季隗も喜んで世話をしているのであろう。趙衰の知る彼女は、重耳への愛に満ちており、もっといえばいつも浮かれていた。姉の叔隗に比べ頭の作りが極めて単純であり、そして重耳への瑞々しい愛情を未だかわらず持っている。
「それでは内密お願いいたします」
趙衰はそれで黙った。何が話したくて呼んだのでしょうか? そう問いかけるような男ではない。たとえ重耳がそれを望んでいたとしても、である。何かを話したくて呼んだは自明の理、臣は黙って待つのみ、催促などしない。そのような男である。重耳は、趙衰のそのようなところが心地よいのだが、今は意地悪だ、と思った。
しばらくの沈黙後、
「推に会いたい」
と、重耳は言った。それは覇者である晋公ではなく、どこか子供じみた声音であった。
「介子ですか」
趙衰の即答に重耳は頷いた。
「河は下へ流れます。上流へは戻りませんよ、公子」
波ひとつない湖面のような趙衰の言葉に、重耳は少し俯いた。痛みではなく、愛惜で眉をしかめる。
介推という若者は、後に介子推と尊称を込めて記されるようになるが、この時点では名も無い匹夫である。彼は、重耳が狐邑に住んでいた時、『ここにいる貴人に仕えれば食えるであろう』と集まってきた士分、匹夫たちの一人であった。当然、そのころ重耳は介推のことなど知らぬ。公子が無頼じみた匹夫と顔を合わせることなど、本来は無い。
しかし、たまたま、重耳は会ってしまった。それは、狐邑を追い出され、斉に向かう旅路である。狄に襲われれば戦い逃げ、いくつか小国に立ち寄り、河を越える。他の文明圏と違わず、古代の中華圏も国境線に河を選んでいる国は多い。そのような川べりで休憩という時であった。公子重耳は、そっと抜けだし、一人散歩に出たのだ。
このころ、重耳の家臣団は忠義の域を越え、宗教じみた空気が滲みはじめていた。己の人生を、氏族を、一人の人間に賭けるのである。捧げる相手への切望は信仰を生む。重耳はやはり受動の人間であるため、それを素直に受け入れた。が、やはり人は人であり神でも天でもない。きっと息苦しかったのであろう、人の目をかいくぐるように、重耳は一人抜け出したのである。
窒息しかけた者の、たった一呼吸のつもりであった。
誰もおらぬと思った林の入り口に、一人の青年が棒を持って立っており、重耳を凝視していた。
ああ、ばれた。
思い浮かんだのはその言葉であった。きっとこの青年は、重耳にぬかづき、わめきたて、人が呼ばれ、狐偃あたりから公子は覚悟が足りぬと説教されるに違いない。
「あんた、公子様だろ。こんなとこ歩いてんじゃねえよ、みんな心配するぞ。ほら帰った帰った」
顎をしゃくり、犬を追い払うように棒を振る青年は、心底めんどくさそうであった。公子とわかってこの態度である。当時、重耳は四十路であった。青年は一回りは年下である。格の上ではもちろん、長幼の点でも無礼はなはだしい態度であった。
「きみの名前は? わたしは姫姓は晋の重耳だ」
この流浪の一行なら知っていて当然であることを重耳は言った。青年はあからさまに嫌そうな顔をしたが、名乗られれば名乗り返さなければならないのが道理である。
「……介推だ。字は忘れた」
重耳は頷き、帰る、また会おう、と言って素直に去った。青年介推はほっとしただろう。ちょっと食えればいい、そして下役にでもありつければ良い程度の、現代の言葉で言えば一般人である。公子そのものなど、手に余ると困惑したにちがいない。下手に騒げば介推が責められる可能性もあった。
しかし、介推は重耳を完全に見誤っていた。素直で受け身の男ではあるが、その奥にとんでもない粘着を持っていたのである。
そして、さらに介推はわからなかったろう。重耳は介推が無礼に接したことで、重耳自身を見てくれたのだと錯覚し、初めて『ともだち』という概念を意識したなど、想像もしなかったに違いない。かくして、この四十路の公子は介推という『ともだち』に夢中になり、めざとく見つけては二人きりで会った。介推も最初は辟易していたが、遠くから見る重耳と目の前の重耳の違いに、
「あんたも大変だなあ」
と相手をするようになった。彼は棒術の達人であり、重耳の目の前で披露してやることもあった。重耳は目を輝かせ手を叩いてはしゃいだ。辛い旅路の中、介推の存在は重耳の心を少し軽くした。
「推といると、目の前が広がっていく気がする。とても心地良い。わたしは臣や妻はいたけれど、ともだちはいなかった。友というものがあるのは書で知っていたけれども、いなかった。ともだちはいいな」
己の食うものは己で、と釣りをする介推の隣で、重耳は朗らかに語った。介推は少し苦笑しながら肩をすくめ
「魚が逃げるから黙れ」
と柔らかい声で返した。
今も重耳の中で鮮やかな思い出の日々である。
いよいよ晋に戻るという時、重耳はやはりそっと抜け出して、一人護衛のため立っていた介推の元へ向かった。介推は、初めて会ったときのように凝視してきた。
「あんた、これから忙しいんだろう、何やってんだ」
介推の怒鳴り声も何処吹く風、重耳はそれだそれ、と頷きながら近づく。
「わたしはこれからちょっと忙しくなる。介推を見つけるのも大変になるかもしれないから、待ち合わせ場所を作ろうよ。そこに行くから」
彼は。介推は呆れた顔はしなかった。仕方無いなあ、という目をしながら深い笑みを浮かべる。
「あんたが簡単に来られるところがいいだろうな。心当たりないか?」
言われた重耳は、必死に考え、宮中で己が隠れ場所にしていた庭の隅にある小屋を思い出し、伝えた。一人になりたいときに、使っていた。室では近臣や寺人がいるため、一人になどなれぬのが貴人というものだった。
「わかった」
介推は言いながら、持っている長棒をくるくると回し、見事な棒術を軽く披露してくれた。
晋へ二月に乗り込み、三月を越えても収まらなかった。特に郤氏の抵抗が強く、彼らを捕らえられなかった重耳は、秦に後始末を頼むはめになった。様々なことがらを終わらせて、重耳はようやく約束の小屋へ忍んでいった。それは月の光が強く美しい夜であった。小屋であるから介推はいっそ住んで待っているやもしれぬ。寝ていたらそっと起こすか、驚かせてみようか。稚気じみた想像をしながら、この君主は隠れ場所の扉を開けた。
窓から差す月明かりの中、真っ二つに折られた棒が壁に立てかけられていた。元々長い棒であった、折ってもそれなりに長い。ずっとそこにあったのか、砂埃に汚れていた。
お別れだ、という声が聞こえた気がした。介推の声なき言葉を見て、重耳は崩れ落ちた。
介推は国に戻れば己はただの匹夫であることも知っていた。つまり重耳と対等に会えぬのである。当然であった。
そして、重耳が狐偃にせがまれて、共に苦難を乗り越えた臣を見捨てないという誓いを立てさせられたのも、見てしまった。晋に入る直前であった。むろん国境線であるから川べりである。狐偃は身につけていた璧をとりだして、重耳に捧げた。
「公子よ。この偃はあなたに色々と逆らってきた。偃がすることでお怒りもあったのをよく知っている。どうか私にお暇をくだされ。あなたから逃げようと思いますゆえ」
実際、斉で落ち着き、臣下として生きようとした重耳を許さず、寝ている間に出国させたこともある。細々とこの舅は重耳の尻をけとばす勢いで晋君への道をとらせていた。この時、重耳は怒ってよかった。しかし、怒らなかった。捧げられた璧を受け取り口を開く。
「わたしが舅御と心を同じくしないというなら、私は河の神の咎を受けるだろう。わたしの心はこの水のごとく清らか、ご安心を舅どの」
重耳は少々芝居じみた仕草で璧を受け取り投げ入れた。神や天への誓いは重い。絶対たがえず、たがえれば死の覚悟がいるのが当時である。それを見た介推は、怒りで腹の奥が焼け焦げる思いであった。
――あそこまで家臣団に従順素直な公子に、舅であり家臣筆頭の男が、それをさせるのか。
介推は常々あった重耳周辺への気持ち悪さと、それを疑問なく受け入れる重耳をもう見たくないと思った。嫌悪に嘔吐さえ感じた。その直後、抜け出してきた重耳が無邪気にこれからも会おう、どこで会おう、などと言う。介推は嫌だとは言えず、さりとて別れの言葉も言えぬ。己も卑怯だな、と思うしかなかった。
かくして、介推は静かに別れを告げた。重耳にともだちなど最初からいなかった、と断じるのは酷であるため、ともだちを永遠に失ったと書こう。友人でも親友でもなく、朋友でもない。彼はともだちを失ったのである。
「公子。介子はいなくなってしまった。あなたは誰も知らぬ彼を探させて、探して、でも見つからなかった。介子は匹夫ですが好漢と言える人です、あなたを試すようなことはしない。彼はみずから去りました。つまり、君公には永遠に会わないとの覚悟。もう、我が君は公子ではないのです。水は上に流れません」
昔の、介推との思い出をぽつぽつと言う重耳に趙衰は優しくさとすように言った。その言葉に重耳が口をとがらせ、軽く睨み付ける。
「わたしは知っておるぞ。お前だけは推と何故か仲良くなってたろう、何度か見た。気安く話しておった。わたしのともだちだったのに、衰はわたしより推と仲が良かったのか、わたしより、親しかったのか」
少しずつ語尾を小さくする重耳に、趙衰はまさか、と軽く哄笑した。このぬるま湯の男らしく、哄笑も柔らかく静かであった。
「介子が一番公子と仲が良かったのですから、仕方がないでしょう。恋しい人の話はいつも知りたいものです。まさか直接お聞きするわけにもいきませんから、介子に労をとらせてしまっていました。今考えると、まあ大人気ない話ですし、介子もいい迷惑だったでしょう」
重耳は目をぱちくりさせて、趙衰を見た。
「衰は、わたしが好きだったのか」
「ええ、気づけば恋しいと。まあかれこれ四十年ほどの恋です、我が晋の今までの歩み、これからの行く末を考えれば泡のようなものです」
趙衰の言葉に、重耳が露骨に眉をしかめて、四十年は気持ち悪い、と小さく呟く。趙衰は傷つくこともなく笑んでいた。特に成就など考えてもおらぬ想いであり、さらりと口にしたのは介推への誤解を解くためである。重耳にとって介推は唯一のともだちであり、趙衰はそれを大切にしたいだけであった。
重耳にもそれは伝わったらしく、推のともだちは私だけだった、と穏やかに言った。本来は逆であるが、趙衰は指摘しなかった。
その後、重耳は黙ってしまったため、趙衰も黙ってその場に侍った。あ、と重耳が身じろぎするときだけ素早く動き、こぼれかける便の処置をした。もう、重耳は尿だけでなく排便も己で制御できぬ身であった。しばらくそのようなことが沈黙の中で続いた。
「そろそろ、収まる」
何が、とは言わず重耳が口にする。趙衰がそれでは、と寝所から丁寧な所作で離れ、汚れた布を全て箱につっこみ手を洗う。そうして床の上にそっと座った。
「言わねばならぬことがある、まずわたしが死した――」
「いけません、我が君よ。それは皆様方をお呼びして、共にお聞きせねばはかりごととなるでしょう」
趙衰はすかさず制し、ぬかずいた。そこには中庸に徹した卿が一人いる。
「うん。許せ。ではそのように」
と言った後、重耳は為政者の顔をして崩れた姿勢を正して寝所に座りなおした。
趙衰が重耳の部屋にどのくらいの時間籠もっていたか。それに関しては重要でもないため割愛する。本人たちにはわずかな時間であったろうし、待つものには長い時間に感じられたであろう。
太子以下、朝政に参じるもの全て重耳の寝所にて座しぬかずき、言葉を待つ。汚れた布や湯はとっくに持ち出され、入れ替えられた空気によって為政者の尊厳は守られたといってよい。
重耳は奇抜なことを言わぬ君主である。遺言もたいして奇抜ではない。太子である驩を次の晋公とし、卿はつくせ。何人たりとも殉死は許さぬ。東国への心配りだけでなく、覇者として西や南にもきちんと配慮するよう。その程度は、その場にいる全員が想定していたことである。が、
「死した圉を公子ではなく前君主とし、諡号を与えよ」
と言った時は、場の空気がざわついた。それは、重耳が簒奪者となった、という意味にもなる。君主になろうとした公子と同じ公子として争い勝った、ではなく、すでに君主になっていたものを弑し、座を奪ったということである。
「我が君よ。お言葉遮るのを許されよ」
欒枝は鋭く声を放った。趙衰の入れ知恵か、と目配せする。しかし、男の顔に動揺も無いが確信も無い。何を考えているのか相変わらずわからない、と言ったほうが良い。欒枝は小さく息を吸った。
「先君恵公が身罷られた後、我ら国に残った氏族、政堂に集まるもの全て、今目の前にいる御君以外を君主と仰いでおりません。恵公の遺児を晋君にすると言い放ったものどもはおりましたが、そのような狼藉の前に我が君は晋に入り、争乱をおさめられた。ゆえに、先君は病にて身罷られた恵公となります」
恵公つまりは夷吾の息子が圉である。実際のところ、夷吾が死した時点で圉はたしかに即位している。それを国人は無視をし、重耳に攻められ殺されても放置しただけである。圉は晋公となっていない、あれは公子であるという体裁を整えているだけであった。
が、だからどうした、というのが欒枝の強い思いである。思いという言葉で足りなければ信念でも良い。為政者の感傷で、君主殺しを手伝わされたとなる我らはどうなるのだ、責をこちらに投げるな、という強い憤りでも良い。
欒枝の言葉を受けたか、趙衰が口を開いた。
「欒伯の言葉は正しい。これを強く受け取らねば、国のほころびに繋がるでしょう。国を受け継ぐに、ただ公になったと自称するだけでは足りません。周にて天子様にご報告し、名を告げ、よしなにとせねばなりません。また、同姓異姓の国々にこの者が継ぎましたと告文をせねばなりません。しかし、郤氏が恵公の遺児にその進言をせず、国に籠もらせ戦場に置きました。ただ自称したものを前の君主とするは、晋人全てが目も耳も見えぬと言うも同義。祖にも天子様にも他の国々にも顔向けできず、覇者としてもふさわしくありません」
その声音は柔らかく、水面で光るさざなみのような優しさであったが、反論を許さぬ厳しさが芯にあった。欒枝は、趙衰が妙な入れ知恵をするわけがない、と気づき、また、己が冷静さを欠いたことにも気づいた。もう一度小さく息を吸い、今度はしずかに息を吐いた。
「……確かに衰、枝の言うこともわかる。あの時、圉を認めていたものは多くない。しかし、認めていたものもおったろう。それらが肩身の狭い思いをするなら、せめて認めてやれ。諡号はどうとでも、まかせる」
重耳は譲らなかった。が、諡号はどうとでも、という部分で譲歩はした。つまり、最低の諡号でも文句はない、ということであった。欒枝はこれ以上は無駄だとぬかずいた。趙衰も同じように床に額をこすりつけ、同意を示していた。
あともう一点、
「哭礼は衰に」
と言う。示し合わせたのかと思ったら、違っていたようで、趙衰が初めて表情を動かした。欒枝も初めて見る、怪訝そうな顔であった。
「私ですか」
重耳が頷く。趙衰は少し考えたそぶりをみせたあと、貴き身では無けれど、君命であれば大役お受け致します、と拝命した。それで重耳の遺言は終わったようで、彼は退室を命じると共に、隗后妃をここへ、と寺人に言った。もちろん、愛妻の季隗のことである。
その冬の日が最後の輝きだったのであろう、重耳はまつりごとに口も出さず、個人的に卿どころか太子さえ呼ばず、寝たきりのまま寺人や季隗に介護され続けた。医者の診療は既に意味が無くなっている。趙衰にさえ見せなかった苦痛の顔をさらし、季隗の手を握って
「ああ、痛い、体が痛い」
とわめき泣く。男が泣いてみっともない、などと季隗は言わぬ。
「かわいそう私の重耳さま、かわいそう。痛いのはどこ、さすってあげるわ、愛しいあなた」
ありがとうありがとうと頷きながら、重耳は季隗の本名を口にした。が、女の名は親か夫しか知らぬもの。史書には字の季隗としか残っていない。きっと彼女に相応しい瑞々しく恋に浮かれ愛に一途な名前であったろう。重耳はその名を呼び、呼ばれた妻は、愛しい夫の体を労るように撫で続けた。狐邑で引き合わされて十年以上を過ごし、九年離れようやく戻ってきた夫は季隗だけのものではなくなっていたが、それはどうでもよいことであった。
結局、重耳は死病で弱ったところに合併症を起こし、肺炎となって事切れた。最後、痛みと熱と呼吸困難で苦しむ夫を励ましながら季隗は泣き、しかし行かないでとは言わなかった。
「大丈夫、もうすぐ大丈夫だから」
何が大丈夫なものか、とその場にいる医者も寺人も言わぬ。この惨すぎる苦しみから解放するのは死しかないのだ。
やがて、すうっと動かなくなる。医者が脈をとった。
「少しあります」
もはや苦しむ体力も無くなったのであろう。その後、数刻して重耳の脈は止まった。
「きれいにしてあげないと、君主さまですから」
泣きながら季隗が言うと、寺人たちが頷き、死骸となった主を清めるべく動き出した。苦痛、そしてその後の弛緩で重耳の体は汚れていたのだった。
清められた寝所に卿たちも集まり、太子を筆頭にして、偉大な覇者にぬかずく。遺言どおりに趙衰が寝所に進み、重耳の頭をひざに乗せた。そして、作法通りに三度の哭礼をする。二度の声は見事な礼であったが、三度めに引き裂かれるような情がほんの少しだけ乗っていたことを、欒枝は聞き逃さなかった。その後、部屋に太子以下、全員の哭礼の呻きと嘆きがこだました。そのうち礼を越えてみな、哭いた。
晋国中、否、中原全てに重耳の死は告げられた。諡号は文。文は中華で最も格の高い諡号である。苦難の人生の果てに内乱をおさめたばかりか、晋を覇者とした男に相応しい諡といえよう。




