巨木、倒れる【序】
よくわからない専門用語はふわっとスルーしてください。
後日、趙衰は書簡のやりとりだけは許したらしい。会えぬことを詫びながら、これからもご教示いただきたいという丁寧な書が趙盾より送られてきた。郤缺はそれを読みながら小さくため息をついた。
あの日のことを思い出すと複雑な気持ちとなる。欒枝が趙盾の相手をしている間、郤缺は室で一人座っていた。まさか勝手に立ち去るわけにもいかぬ。そこに、借りた書を運ぶ手配を終えたらしく、趙衰がやってきた。きっと、この室を案内されていたのであろう。互いに儀礼をしたあと、
「我が息子に言祝ぎいただいたと聞いた、ありがたいことです」
と、趙衰が柔らかく言った。
「私のような非才不徳のものでもお役に立てたのであれば嬉しく思います」
郤缺は丁寧であるが当たり障りのない返しをした。そこで終わるかと思っていたが、趙衰が優しい笑みを見せて口を開いた。
「未熟な嗣子です。あれはここで生きるには、人を好きになりすぎる。私のことも君公のことも好きすぎて嫌悪になってしまっている。そのような、至らぬ者です。郤主のご教示はあの者の宝となりましょう。しかし郤主は適度にしてやってください」
思わず唖然とし、郤缺は趙衰を見た。趙衰は悪気なく微笑んでいる。趙盾は晋に来るべきではなかったと言外に込めている。父としてそれは非情すぎではないか、という言葉を必死に飲み込んだ。他家のことである。口出しするものではない。趙衰も郤缺の言いたいことがわかっているようであった。
「そのような顔をなさらないでください、郤主。柔らかいものを固くするのは容易ですが、逆は極めて難しいものです。私はこれでも親として我が子を慈しんでいるのです。適材適所の話をしたまで。……欒伯は義理堅いお方、我が息子に良き言葉を下さっているでしょう」
その言葉を最後に趙衰は口を開かなかった。郤缺も格下の立場から、しかも他家の事情に口を挟むつもりはない。趙衰がわざわざ余計な話をしたのは、郤缺の表情を読み取ったからにちがいない。
――あの時、己は趙衰に父としての軽重をはかってしまったのだ。
父と子の何かに己は囚われすぎているのだろう。それが親を弔うことのできぬ人間の運命というものか。郤缺は自嘲しながら木簡をとった。趙盾へ互いの縁を嘉する返事をするためであった。
頻繁でもないが、時折趙盾と書をやりとりしながら、季節はめぐる。春の強風の次は夏の暑い雨期が来る。それが過ぎると、晋は最も穏やかで過ごしやすい秋を迎える。
つまり、欒枝と出会って一年が経った。趙氏親子に会わされた後も、たびたび通っている。肌も高い頻度ではないが、相変わらず合わせている。既に必要も無いということがわかっていても、このようなものは惰性で続いてしまうものだった。
士会の婚姻は無事終えたらしい。婚姻は昏姻とも書く。昏――夜に行う儀礼だから昏姻というわけである。陽である男が陰である女を迎えるには陰時である夜が相応しいとされていたのだ。嫁も婿も黒い服を着ていたのも、この時代である。極めて静かな出会いと別れの儀式であった。
しばらく士会は来られぬ、と知った郤克は蒼白になり、幼児らしい脳みその足りなさと視野の狭さで
「おれは、きらわれたのですか!?」
と、わあわあと泣き出した。郤缺は呆れることなく、単に士会が忙しくなることと、郤克が嫌われることなど絶対無いことを優しくさとした。
「あのものは人を裏切らぬ。士季が克を裏切るものか」
自領で冬支度を差配しながらも、郤缺は子に対して常に真っ直ぐである。必ず目線を合わせ、分かりやすく話し――そして少々過保護である。子が親の邪魔をしていると思ったのであろう、妾のほうが
「孟、こちらへ」
とむりやり連れていってしまった。侍女がおらぬため、妻と妾が直接郤克の面倒を見ている。貴族としては悲しいが、郤缺はもう民の暮らしを知ってしまっている。あの場所とは雲泥の差であった。
「我が妻も我が妾も仲良くて善きことだ」
いっそ己よりも、あの二人の方が仲が良いのだろう。思わず、郤缺はかなり下世話な想像をしてしまい、己も品が無いと苦笑いした。当時、嫁に来る女は妹や従姉妹、侍女などを連れてくることがほとんどである。連れてこられた女たちは全て妻というわけである。そして、夫が閨房を開けている場合、互いに問題が無ければ慰め合うことはむしろ良いとされていた。陰同士を高め合うことによって陽の気との相性が良くなる云々。そのような宗教めいた言葉の裏には無聊をかこつ女性の直截的な娯楽を指している。男と浮気されては困るのであるから、手近な女性同士でお願いします、ということだ。実際、郤缺の妾は従姉妹である妻に目が向いている。確かに、下世話な想像である。
郤缺は二、三度深呼吸をしたあと、冬に向けての相談をすべく家宰の元へ向かった。今頃、我が邑の備蓄を数えているところであろう。
幾日かの話し合いの上、家宰に自領をまかせ、春になるまで絳の邸に住むこととした。邑宰のまねをさせてすまぬと言えば
「いいえ、財を預けていただくは私をご信頼いただいていることです。お任せくださいませ、我が主よ」
と誇らしげに返された。ふと、家宰は親を弔ったのか気になったが、郤缺はもちろん聞かなかった。郤氏に連なるものとして弔っておらねば申し訳なく、もし弔っておれば己が濁ると思ったからである。
大貴族だけではなく少領の貴族も、冬に絳で過ごすものがそれなりにいる。万が一の、戦の下知に遅れぬためである。春秋時代の戦争は農閑期に行われることが多い。つまりは秋や冬である。ゆえに、郤缺は自領で様々な差配をし、留まるか任せるかを話し合った結果、家宰に任せたのだ。そうした、ゆるやかな秋の日に、久々に士会から書が届く。伺いたいという内容だったため、いつでも来い、と返してやった。すると、翌日にやってきた。郤缺は別に驚かなかった。来るだろうと思っていたわけではなく、もはやいつ来ても驚かぬほど、士会と郤缺の仲は近い。
互いに久しぶりに会った、と儀礼をかわし、
「弓でもするか」
と郤缺が問えば、士会は
「いや、室で語ろう」
と返す。それで決まりであった。家のものに醴を用意させ、郤克も呼ぶ。小さな庭でも見ながら、子や友とのんびりする時間も代えがたいものである。直前まで温めていた醴をまずはどうぞと士会の杯へ注ぐ。不透明の液体がとろりと流れ落ちていく。今度は士会が郤缺の杯へそそぎ、最後、郤缺が郤克の小さな杯に注いでやる。郤克は早く飲みたそうであったが、必死に我慢をしていた。父や客の前に子が飲むわけにいかぬ。そのような礼儀になると郤缺は厳しい。
郤缺や士会が飲んだ後、幼子はくぴくぴと飲んだ。一気に飲もうとしたせいか、口はしから醴をぽとぽと垂れ流している。それを郤缺も士会も微笑ましい顔で見ていた。
「郤主。このたびの婚儀、差配していただき、感謝に堪えぬ」
士会が堂々たる儀で礼をする。郤缺は趙盾ほどではないが見事だな、と思いつつ合わせて丁寧な返礼をし、
「しかし婚儀の返礼はもう終わっているだろう、士季」
と困惑の声を投げた。士会が頷いたあと、おもはゆい顔をする。
「あの時の返礼は嫁を迎える前のしきたりとしての礼だった。今は実感としての礼だ。いや、その。嫁というものは、いいものだなあ、郤主」
必死にゆるむ顔を抑えながら――完全に失敗している――、士会が言う。確かに、嫁は良い。家の柱でもある。陽の世界を支えるのが夫なら陰つまり内側を支えるのは妻である。しかし、士会は若い。色事で浮かれているのかもしれぬ。郤缺は、
「確かに嫁は良い」
とだけ応じた。士会が頷く。郤克は何やら大人の話だと思ったらしい。おとなしく醴を飲んだり、顔についたものを手で拭っていた。
「わたしは無位無冠、一度幸運にも君公の車右にはなったが、士氏で養われているだけのものだった。兄の名誉を支えるだけの人生だろうと、それを誇りに思っていた。しかし、嫁が来て、体に馴染み驚いた。わたしは初めて守らねばならぬものを知ったのだ。これから我が妻は、わたしだけを頼り生きていく。わたしがおらねば、死ぬか実家に戻されてそこで生きながら死ぬ。わたしは妻に責をとらねばならぬ身となった。何か、一本芯が通った心地にもなった。その感謝をしたかった」
郤缺は士会という男を見誤っていたことに気づき、羞じた。近く慣れすぎたために、小ささを感じはじめていたのであろう。郤缺は有力な貴族の嗣子であったがため、妻は己の付随物という感覚のまま生きている。無論、愛情はあるが、士会のような、一人の人生を預かったのだという覚悟など考えたこともない。否、士会のような発想を持つものなど、まずおらぬ。
「この婚姻で士季の道が豊かになるようであれば、差配した私としても誇りに思う。嫁が来て良かったことだ」
郤缺の言葉に士会が思いきり頷いた。そこは知性より少々色が込められていた。やはりそちらでも浮かれているのかと郤缺は若者が望んでいるであろう言葉を投げてやった。
「無礼なことを申し上げる、許されよ。具合は?」
士会の目尻が少し赤くなり興奮気味に身振り手振りをしながら伝えてくる。腰から尻の線をなぞるように両手で何度も示すあたり、よほど気に入ったらしい。大夫というより匹夫である。
「嫁は、いい」
今度は、品の無い声音で士会が言った。いまいちわかりもせぬのに、郤克が、おれもヨメがほしい、士季のがほしい、と甘ったれた声で士会の腕の中に入っていった。
和やかで、そして少々品の無い会話を二人がしていた時期、宮中では大事件が起きていた。
重耳が死病におかされていたのである。
この事実は卿と太子、一部の寺人、階位の高い妃、卜占の者しか知らされず、隠されていた。実際、伝えられる史書には死因も何もなく、重耳の死だけがいきなり記されている。しかし、その後の政治に乱れがないため、太子以下、君主の死に覚悟を決めていた可能性が高い。ここは想像の世界であるが、重耳の死をえがいていきたい。
そのようなわけで、この偉大な覇者はいきなり倒れたわけではなかった。実のところ、重耳自身、己の体調不良に早くから気づいており、ぼんやりと死を意識していたが、周囲にもらしていない。
――まあ、こんなものかなあ
彼が思ったのは、その程度のことであった。己で鈍感なところがある、と言うだけはある。受動性の塊のような彼は、死病もすんなりと受け入れた。ただ、もうこの先には行けぬと分かったため、鄭を攻めることは控えた。狐偃には少し悪いことをした、とは思っている。
この病は、穏やかなものではなく体の痛みを伴うものであったらしい。周囲が気づいたときはげっそりと痩せ、苦痛を耐えて笑う晋公がそこにいたのである。
卿らは、隠し通した。
欒枝はそのさなかにも郤缺と会い、氏族の話などを常の調子で行っている。一切、重耳の病状を話すことはもちろん、匂わせることも無かった。郤缺は、全く気づかなかった。




