春のおとずれ、雪解けの響き
よくわからない専門用語や国際関係はふわっとスルーしてください。
宿老というべき狐偃が枯れたように死んだのが冬というのは何やらできすぎとも言えた。晋は古い皮衣を脱ぎ捨てるように、春を迎えた。当時の春といえば、正月である。鍬を立てても跳ね返されるような凍土はだいぶ和らいでいるが、それでも耕すことはできぬ。中原の北西――現代で言えば山西省である――に位置する晋にとって、体感としての春は雪解けであった。雪解けにより、河にざあっと水が流れゆく。凍った水面を割り、雪を溶かしながら流れゆく濁流は、まさに温暖の象徴であった。
民たちは、冬の間ひっそりと家の中で作業をする。女は機織りをし、男は藁を整える。少しずつ無くなる蓄えを気にしながら身も心も死んでしまいそうな寒冷に耐える。その果てにある雪解けは喜びの象徴であり、彼らはこれからの豊穣を祈る祭事を行う。と、同時に他の邑々から婿取りをする。邑は同じ姓のものしかおらぬ。婿は他の邑からとるのが常識である。後に、婿が嫁に変わっていったが、基本的に大差は無い。
郤缺はそのようなことを、野に隠れていた過去と共に思い出していた。邑のものは郤缺たちの立場を知っていたはずである。しかし、邑の民になれば同じと扱い、己らは生き長らえた。
「あの者たちが善良であったかどうか」
強い風が吹き、郤缺の整えていた長い前髪を舞い上げる。額を出して横に垂らし、わざと結いあげないそれは、郤缺なりのおしゃれのつもりである。欒枝あたりは、もさい、と笑っていたが。強風にあおられて困る女に、男が駆け寄る。ひとことふたこと話すと、まだぽつぽつとしか花が咲いていない野へ向かっていった。丘の上の郤缺から丸見えなど気づかぬ彼らは、人に隠れるように手早く睦むと、持っていた芍薬の花を交換している。愛の交換であり素朴な求婚である。末永くお幸せに。郤缺は微笑ましい気分となった。己らのような大夫でも貴族でも無い、ただ搾取されるだけの民の、ひとときの休息と、単純な婚姻への言祝ぎと。
「あの者たちは、善良であったわけではあるまい」
春の訪れに背を向けて歩きながら、郤缺は己の言葉に頷いた。あの、農奴というべき民たちは、権力者が何を考えているかなどわからないのだ。ただ言われるがままに田畑を耕し、先祖代々そうであるからと税を納める彼らは、郤缺の立場を知っていたが、差し出せば権力者が喜ぶなど思いもしなかったに違いない。ただ、何やら諍いが起こり、何故か己らの家族や親戚が死ななければならなかった、よくわからない、というものであったろう。
また、強い風が吹いた。晋の春の訪れは二つである。雪解けと、黄砂と共に吹き荒れる強風である。顔や髪に舞い散る砂が付着したが、郤缺は特に払うこともなく馬車に乗った。御者の姿もすっかり砂にまみれていたが、文句ひとつ言わず馬を促し車を出した。
「旧領はいかがでしたか」
この御者は時折口が軽い。郤缺は眉を顰めた。しかし、その軽さをたしなめないのは、他者に対しては口が重いからである。郤缺に対してのみ、このような軽口を言う。
「あれは私の所領ではない。君公のものだ」
他者に下げ渡されていないだけマシか、と郤缺は小さく息をついた。郤氏がかつて持っていた所領のひとつ、冀邑という。
郤缺が約五年ほど隠れていた場所でもある。邑の民は郤缺のことなど、すっかり忘れているに違いなかった。
さて、そのように春である。欒枝との出会いから半年が経っていた。たった半年ではなく、もう半年である。氏族の全てではないが、郤氏ではなく郤缺本人に対する信頼も厚い。それが欒枝という後ろ盾のおかげでもあるが、最近は郤缺のみを見る氏族も多く、
「郤主がもっと要職であれば」
と嘆かれるのであった。郤缺はこの先、晋を直接動かせるような立場にはならないだろう。ゆえに、微笑して、皆様のご教示に従うのみです、と答えている。実際、例えば士氏のような氏族のほうがまだ権勢に近い。
そのようなおり、楚より晋へ使者がやってきた。
「我ら大国同士いがみ合っていても益は無い、和を結びたい」
着慣れぬであろう中原の礼服をわざわざ身につけ、使者が和平を請うてきた。重耳を感動させたのは、彼らが己の文化に即した服ではなく、晋も含めた中原の礼服でやってきたことであった。手の甲にわずかに見える黥は、彼らにとっての誇りであろうが、中原にとっては蛮性の証となる。楚王は晋の文化に合わせて使者に己を抑えさせたのだ。
使者を丁重に迎えると、重耳は卿どもの意見を聞いた。何事も独断をしないということがこの為政者の美点である。
「我が国は今、周辺の狄や隣国の秦との問題を抱えています。秦はいまだ恵公時代の割譲をしつこく言ってくる。逆に東方は晋に従順。先の楚と戦いで勝ったはこちらです。負けた楚からの和議を受け入れるのは得策と言えましょう。鄭の帰趨もこれで決まります」
口火を切ったのは先軫であった。武を前提に考える彼は、西方の脅威に備えるためにも、南方の憂いが無くなるこの申し出を是としたのだ。欒枝は人に悟られぬよう肩をすくめた。秦公の晋に対する割譲の要求は無体でも無礼でもない。秦からすれば、晋公が変わろうとも晋という国との約定という意味では同じなのである。が、先軫からすると、先代は詐欺まがいの約束をしただけのこと、白紙に戻せば良いと思っているのであろう。それはともかく、
「私も楚との和平を是とすべきだと思います。先だっての鄭との和解もありました。この和平により鄭と楚、二つの約定を守ることができるの晋のは喜びとなるでしょう」
と、欒枝は意見を述べた。重耳が頷く。この約定というものは極めて重い、特に国の間では。欒枝は先軫の言葉を皮肉った形となったが、気付いた者はいないようであった。
「楚との和がなれば、君公のご心配も大いに無くなるというもの。是非応じるべきでしょう」
胥臣が続いて言う。胥臣らしい、重耳を慮った言葉であった。この男の中心はあくまでも重耳らしい。さて、と欒枝はそっと趙衰に目を向けた。彼も反対はすまい。しかし、何を以てか、という部分で政治の立ち位置が変わる。はたして趙衰は口を開いた。
「楚の申し出はこちらとしてもありがたいこと、お受けすべきでしょう。楚は内患を抱えておりますから、この和議を同盟国にお知らせすることにより彼の国々も楚の乱に巻き込まれはすまい。我らは楚と和を結んだことを大々的に知らしめ、楚が北上せぬことを確約したと皆に伝えるべきです。東国の動揺は我が晋の憂い、それを封じることができるのであれば僥倖というものです」
重耳が少しあどけない顔をして趙衰を見た。先軫は首をかしげ、胥臣は不思議そうな顔で趙衰を見る。欒枝は趙衰の目を見て、もっと詳しく、と促したが趙衰はしれっとした顔のまま座っていた。
このまま朝議の間から立ち去るわけにも行かず、何より重耳がそうか、や、終わり、とも言わぬ。しかし趙衰は皆分かっているだろうという澄ました顔であった。欒枝は、この男は皆が分かっておらぬのを承知で黙っているのだと察した。情報がいかに尊いかを欒枝はよく知っている。が、欒枝の情報に楚に乱の兆しなど無い。
「趙子余。楚に乱の兆しというのはどういうことか。私にはそのような報は無い」
仕方無く、欒枝は問うた。趙衰は欒枝に丁寧に拝礼すると、
「楚子は新しく太子を立てられました。が、楚は年少者を立てるのが慣わしです。太子よりも若い公子は多くおられます。令尹の子上は強く反対したそうです。むろん、慣習と違うために反対したということもあるのでしょうが、太子が良き君主の資質をお持ちならそこまで強く反することはないでしょう」
趙衰の言葉に、欒枝が己の唇に指をあて、無意識に弾いた。
「確かに、太子を新たに立てたという話は聞いたな」
この情報を趙衰はさらに深く探り、精査したというわけである。欒枝は己の衰えを感じた。昔の自分ならこのように深く探っていったのでは無いだろうか。
「さて、我が君。楚子は優れており心のある方。我ら放浪の時、窮鳥懐に入れるように受け入れて下さいました。しかし少々軽挙がある方。ゆえに我らにどのような礼をしてくれるかと戯れの言葉もおっしゃいました。その際、君公は楚と晋が戦いとなれば我らがまず三車退く、とおっしゃいましたが、楚子は冗談として聞いておられた。そしてその冗談が本当になり負け戦となっても我らを怨まず捨て置かれた度量の広さと軽さがございます。楚子はやがてこの太子に飽きられ、他の公子を太子と立てようとなさるでしょう。楚は荒れ、楚子の最期はよくありますまい。楚が荒れたとき、晋楚が対立しておれば、東国の方々は迷われることになる。しかし、和議を結び、且つ今の東国は晋が盟主。楚に関して放っておけばよいと、言って差し上げれば皆安んじることでしょう」
つまり、楚は弱体化する、それをみな静観すればよいと暗に伝えるということであった。
「わたしは楚王が好きだ」
重耳が言った。周の慣例であれば楚王とは言わず、楚子である。しかし、重耳は流浪の身を快く世話をしてくれた楚王に個人的な好意を抱いている。
「ゆえに、この和議は嬉しいことである。各国、同盟国である東国、周王様、そしてお世話になっている秦にいたるまで、この喜ばしい和議を伝えようと思う。細かい文面などは各々の卿に任せよう」
にこやかに言葉を紡ぐと、他の議題は……と聞き、寺人が読み上げる。そのまま即答することもあれば、それぞれの卿に確認してから諾否を決めていた。
全てが終わると、
「和議の文は秦へは枝、東国へは軫、我が晋への公布と周へは臣、楚へは衰が作り、私に見せるように。楚への返礼は誰が良いか?」
のんびりとした声の晋公に一人の卿が口を開く。
「陽子が良いでしょう。太子の傅としてこの辺りで表に顔を出しても良いでしょう。見目も良いので受けも良いかと」
趙衰が至極まじめな顔で奏上する。最後の言葉に場のものは皆くすりと笑ってしまった。趙衰は皮肉を言っているわけではないだろう。陽子――陽処父は見目が男らしさと知的さを兼ね備えた美丈夫と言って良い。その見目と中身が同じかは別の話ではあるが。蛇足であるが、傅とは太子の家庭教師のことである。太子が公となったときに支える側近となる。
「では、そのように。今日もご苦労であった」
と言って、重耳は朝議を終わらせた。卿たちは拝首し、衣擦れの音が無くなるまでぬかずき続けていた。
拝首を終え、立ち上がった欒枝は思わずため息をついた。なんといっても重耳に対する畏しさがあった。君公は東国だけではなく秦に対する圧力としてもこの和議を利用すると言っていたのである。そして秦への書を任せたのは先軫ではなく欒枝であった。欒枝が秦に対する和平派であるのを重耳は知っている。先軫のような好戦的な男ではなく、非戦論の欒枝であれば刺激しない修辞を使い恫喝ができると睨んでいるのであろう。
それよりも、重耳からそれを引き出したのは趙衰であった。示し合わせたわけではあるまい。欒枝が細かく問いかけなければ、重耳はそこへたどりつかなかったやもしれぬ。
趙衰を呼びかけようとして――特に理由は無い、とにかく何か話したかったのだ――目で追えば、
「欒伯。少し花見をしながら詩作でもいかがか?」
趙衰から、声をかけられた。欒枝は、それは中々に風雅、喜んで、と内心を覆い隠しながら笑顔で応じた。




