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「いつか本音で話せる人に出会えたら」

一章

 埜々乃のののは三姉妹の真ん中に生まれた。天才肌の姉と、負けず嫌いの妹の間に挟まれ、何時も喧嘩の仲裁に明け暮れた。どんな時だって自分の意見が通る事は無く、周りを取りまとめながら良い子を演じて来た。

「今度の日曜日、誕生日だろう? どこか行きたいところはないか、どこでもいいぞ」

 そう、聞かれた事もあったが。仕事と家事で疲れている父母と、気まぐれな姉妹の顔がチラチラ過って。

「……どこにも出かけなくていいよ。やっぱり、家が一番だから」

 何時も、そう笑って返した。


 中学一年生の夏休み、母方の実家へ遊びに行った時の事だった。姉妹喧嘩の空気を察知しこっそりと家を出て、近くの河原沿いの砂利の上を歩いていた埜々乃の脳内に突然知らない女の声が響いた。

『だっ、誰か、たーすーけーてー』

 奇妙な現象にどうしたものか悩んだが、周りには誰もいない様なので仕方なく声の出所を目指して歩く。河原を少し上流に進んだ先の草藪の中に、薙刀を咥えた狸がいた。狸は埜々乃に驚き、薙刀を離して藪の中へ逃げて行った。

『ふぅ、酷い目に遭ったわ……ありがとう、ついでに安全な場所まで運んで……あら、声が聞こえるという事は契約者候補よね。

 ねえあなた。影がどんなに暗くても、表に出ている部分が平穏ならそれで良いと思う?』

 ……思う。

『賑やかで楽しい場所より凪いだ海の様な日々が続く方が幸せ?』

 その通り。

『自分の平和の為に、自分を犠牲に出来る?』

「そんな事、ずっと前からやって来た」

 埜々乃の言葉に、女は悲しそうに笑った。

『わたしを手に取って。この先の未来、人類に降り掛かる災厄からあなたの周りの平穏を守る為の力を』

 武器を持ち家に帰った埜々乃は、次の日一人埼玉に帰され、狩人協会に連れて行かれた。


『平穏の為なら、幾らでも我慢できる、あなたは誰よりも良い子だものね』

 自室で蹲っていると、「テンポラリー」は優しく声を掛けてくれた。彼女は良い友人になっていた。

「そうかな……今は、そうかもしれないけど……」

 小さい頃一度だけ、姉と妹の喧嘩に更に自分の意見を突っ込んだ事があった。それは物を投げ合ったり、取っ組み合いの大喧嘩に発展して、自宅には今でもその時に開いた壁の穴が残っている。痣が出来たり、声が枯れる程泣いたりしたが、埜々乃を一番傷付けたのはそんな事じゃない。

 自分が一番正しい意見を言っていた筈だった。それなのに、姉なのだからと叱られた。一番怒られていたのは長女だったけれど、眼中に入らないくらい、ショックだった。


 意見が通るかどうかを決めるのは、発言する人の立場だ。正しさじゃない。


 それは一種のトラウマとなって、埜々乃に「中立」を徹底する理由となった。何にでもなれる様に、どうなっても良いように、周りの意見を聞いて、まとめて、無難に決着させて。

 まとめ役でいる為に、誰にも嫌われない様に立ち回った。明るくて、優しくて、あまり目立たない、優等生でいる事を心掛けた。

 でも、でも、本当は。本当のわたしは。



 持ち前の器用さで、見様見真似で最初からそれなりには戦って見せていた。けれどその度に、先輩にもっと仲間を頼る様に、と注意を受けた。それがどういう事か理解しないまま戦い続けた。そしてあの日は突然にやって来た。狩人になってもう直ぐ一年といった夏の日の事だった。

 近くにフォローの間に合う仲間はいたのに。それに気付かず突っ込んで、空振りして。その大失敗で出来た大きな隙を、悪意は見逃さなかった。訳も分からないまま死ぬんだ、そう思ったのに、次の瞬間血を流していたのは自分ではなく先輩だった。何時も埜々乃を心配して声を掛けてくれていた、あの先輩だった。

 先輩の武器と、命と引き換えに大狼は倒れた。誰も埜々乃を責めなかった。明らかに自分の過失なのに、誰も叱りはしなかった。それが気持ち悪くて、怖くて、そのうちこの世界は何時死んでもおかしくない、それが当たり前なんだと理解した時に。


 ようやく埜々乃は、狩人としての優等生らしい振る舞いを覚えた。

 そして、長かった髪を切った。



 肩の少し下で切り揃えた黒髪。淡いパステルイエローの服は流行のオフショルダーデザインだが、健康的な肌色のせいかセクシーな印象は受けない。

「初めまして司令官さん、護衛係になりました、丸米まるこめ埜々乃と申します!」

 丸米はにこやかにあなたに笑いかける。異常発生が起きているからと招集された緊張を解してくれる、明るい笑みだった。


 学校の時間と就寝時以外、丸米はあなたに付いて回った。どこに行きたいか、と尋ねても司令官のお好きに、としか言わなかったが、毎朝手料理を御馳走してくれたり、お勧めを聞くと良い店を紹介してくれた。

 隠れた名店のふわとろ親子丼を食しながら、ふとした拍子に込み入った内容の雑談をする。

「姉妹なんて、良いものじゃないですよ。姉と妹がいますけど、全然性格違うから何時も喧嘩ばっかりで。わたしからすると一人っ子の方が羨ましいです。隣の芝生は青く見えるってやつですね、これ」

 姉妹がいた方が楽しそう、と語るあなたに、丸米は苦笑いを返す。

「家の姉と妹に会ってみれば幻想なんて消えますよ。横暴と頑固の戦いです、片方でも面倒くさいのに両方揃うと大変な事になるんです。仲裁だけで休日が消えるんです。本当にあの二人は……。わたしですか? 喧嘩はしませんよ。抵抗するだけ時間が無駄になるので。辛くは…ないです、慣れてますから」

 丸米との付き合いで、あなたは彼女の意見が中々出ない事が気になっていた。気付かないうちに綺麗に周囲を取りまとめているが、強く自分の意見を主張する姿は見ていない。

 何時だって正しい意見を述べているが、それは本人の意思とは異なるのではないか、そんな気がした。

「……良いじゃないですか、誰も傷付かないんですから」

 丸米は笑顔を浮かべたまま、そう答えた。


「司令官さんは、わたしの事、どう思います?」

 学校終わり、制服姿のまま巡回に行く丸米に付き添う。その日の彼女はどこか落ち着かない様子だった。

 あなたはその質問に悩んで、何があったの? と質問を返した。

「告白されたんです、クラスメイトに……優しくて、頑張ってるあなたが好きだって。でも、学校で見せてるわたしは……作ってるじゃ、ないですか」

 信号待ちの間、ずっと地面を見つめて、迷いながら言葉を紡ぐ。

「それって、本当にわたしが好きって言われたのかなって……本当のわたしを知ったら、きっと彼は幻滅するから」

 それでも頑張っている事には違いないよ、とあなたが慰めるが、丸米は顔を上げない。

「……分からないんです、わたしも、わたしの事が。周りの意見を尊重する方が良いんだって、決めたのは自分なのに……今じゃ、自分を出さなきゃいけない時にも出せないくらい、自分が何をしたいか分からなくなってる。……っていうか、何もしたくない、休みたい……」

 段々と声のトーンが下がっていく。歩行者用信号が青になり、丸米は重い足取りながらきちんと歩き始める。

 あなたは、その手を取って、巡回ルートとは別方向に引っ張った。

「え、ちょ、どこ行くんですか?」

 駅に向かい、郊外へ向かう切符を買う。乗り込んだ車両は最初は混んでいたが、徐々に人が減っていき、最終的には二人共座れるくらいになった。

「あの……巡回……」

 サボっちゃえ! とあなたは力強く宣言した。丸米は非常に戸惑っていたが、ここまで来たからには後戻りできないと諦め、大人しく電車に揺られる。

 近所に住む人しか降りない様な小さな駅を出て少し歩くと、目の前に広がるのは畑と田んぼだけの開けた景色。あなたが身体を大の字に広げ深呼吸すると、丸米も同じ様に真似をする。

「……静かなところ。県内とは思えない……」

 ひらひらと横を飛ぶモンシロチョウを眺めながら、丸米が呟く。新緑の畦道に並んで腰を下ろし、ぼーっと空を見上げる。

 飛行機が通り道に引いた白い線が、風に流れて崩れていく。鳥の群れが山に向かって飛んでいく。小さな虫が羽音を立てて目の前を横切る。

「……こーんなに何もしなくて、ほんとに良いんですかね……」

 気にしない気にしない、あなたが気の抜けた声でそう言うと、丸米ははぁ、と溜め息を吐いて寝転がった。

「……何時か。いつか何もかも、本音で話せる人に出会えたら……それがわたしの、二度目の恋になるんだろうなぁ……」

 丸米の本音は空に溶けて、静かで穏やかに、休息の時が流れた。



 その五日後、間伽時市で起こった大発生。あなた達は周囲を中型の狼に囲まれ、身動き出来ない状態にあった。隣接するビルの屋上には大型の狼型悪意。奴は足元を踏み崩し、大量の瓦礫が頭上目がけて降って来た。丸米は一体の中狼を投げ飛ばし、その小さな空き目掛けてあなたを突き飛ばす。

「逃げて司令官!」

 でも、とあなたは振り返る。何故なら今丸米のいる場所は、もう直ぐ、

「司令官! こっち来ちゃダメ! いいから、振り返らないで……」

 言葉の途中で、彼女の全身にコンクリートとガラスの塊が降り注いだ。俯せに倒れた彼女の顔は見るからに苦痛に染まっていたが、辛うじて瓦礫の外に出ている腕でぷるぷるとあなたの後方を指差す。

「はや、く、に、げて……生きて……」

 精一杯仮初めの笑顔を張り付けて、絞り出された言葉。あなたは唇を噛み締めながら、その場から駆け出した。

 しかしあなたは追っ手の狼から逃げ切る事が出来ず、丸米の二百メートル先でこの周回を終える事となった。

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