〈04#逃走〉
――聖歴1547年・第2の月・上旬
―――時刻・昼
――――レギウス王国/辺境の街アルニト/薄暗い裏路地
――――――逃亡者『ラクーン』
「――【勇者】が逃げたぞ! あっちだ!」
全力で走る俺の背後に、追手が迫る。
追手の数は多く、おそらく20人以上。最初は3人ほどだったがあっという間に増えていき、現在進行形で尚も増え続けている。
追手の奴らの正体は、簡素な鎧兜を身に着けた街の衛兵たちである。このままじゃ、下手すると街の衛兵全員が俺の追跡者となってしまいそうだ。
何故、俺が街の衛兵たちと楽しくもない追いかけっこをしているのか――?
それは、俺にもわからない。少なくとも、俺はこの街に来てから人殺しなどしていない。
いや――あの日から、俺は一度だって人を殺してはいない。
それでも俺は〝元暗殺者〟だから、追われる理由にはなるだろう。
だが、どうにも彼らは異なる理由で俺を追っているらしい。
「追い詰めたぞ! もう観念してください――【勇者】様!」
狭い路地を駆け抜けていた俺の前に、衛兵が立ち塞がる。
数は3人。体格はがっしりとしており、身長も俺よりずっと高い。そんな偉丈夫たちでも、この路地ならギリギリ横に並べる人数だ。文字通りの壁になるつもりらしい。
彼らの手には70インチほどの木製棍棒が握られており、それでこちらを突き倒そうとしてくる。
だが、
「……〝神器顕現〟」
頭の中に湧き出た言葉を、俺は口にした。
刹那――俺の右手が、金色に光り輝く。
同時に、右手で柄を握る感触を確かめた俺は、衛兵たちに向かって飛び込み――そのまま右手を振り抜いた。
「え――? な……がぁ……っ!?」
衛兵たちは一瞬、自分らの身になにが起こったのか理解できない様子だった。
しかし棍棒がバラバラに分解され、鎧が切断され、体中の切創から赤い血が噴き出る瞬間を見て、ようやく顔が苦痛に歪む。
3人の衛兵はそのまま地面へと倒れ、立ち上がることすら不可能になった。
一瞬――いや、瞬きする間よりも速く、鎧を着込んだ3人の衛兵が斬り刻まれたのだ。
常人では決して不可能な動き――それを今、俺はあまりにも容易くやってのけた。
これが、俺が彼らに追われる理由。
そして、それを可能ならしめてしまっているのが――俺が右手に握っている、一振りの〝ナイフ〟だ。
全長はおよそ14インチ。窪みの付けられた黒色の柄に、10インチ程度の真っ直ぐな刃渡りを持つ。鍔の類はなく、刃には血溝が掘られているのが特徴だ。
さらに、なによりも目を引くのが――銀色の刃に浮かび上がる、黒い紋様。
この紋様を見る度に思い出す。
暗殺者ギルドを追放され、自ら命を絶とうとした、あの寒い夜。そんな雪が降りしきる中で出会い、俺にこのナイフを授けたであろう――謎の少女。
彼女の身体に描かれていた紋様と、刃に描かれた紋様とは、あまりにも酷似している。
このナイフを手に入れてからというもの、俺の肉体はすっかり変化してしまった。
常人など比較にもならないほど高い身体能力を手に入れ、反射速度や動体視力も以前とは桁違いに上がった。
元々暗殺者だった頃から身体能力には自信があったのだが、その頃と今とでは雲泥の差だ。まるで放たれた弓矢にでもなった気分である。
現に、この恩恵のお陰で目の前の衛兵3人を瞬時に行動不能にし――暗殺者ギルドの追手からも逃げ延びられている。
以前なら、こんなのは絶対に不可能だった。
「……足の踵骨腱を斬った以外は、どれも軽傷だ。命に関わるほどじゃない。早く兵舎で手当てしてもらうんだな」
地面の上で悶え苦しむ衛兵たちにそう言い残すと、俺はパッとナイフを消し、路地の中を再び歩き始める。
……あの黒い紋様の少女は、どうして俺にこのナイフを与えたのか? そもそも、あの少女は一体何者なのか? 少女の正体も、このナイフを俺に預けた意味もわからない。
だいたい、どうして俺は生きている? どうして生き永らえている?
どうせ生きていたって無意味だ。生に未練などない。今すぐに命を絶つべきだ。
無意味に生き永らえているから――こうして、まだ他人を傷つけてしまっている。
俺はどうして生きているんだ? なんのために生きているんだ?
自分で自分がわからない。俺はやっていることが矛盾している。
俺は――――死にたくない、のだろうか。
そんな意味のないことを考えている内に、俺は路地を抜けて通りへ出た。
すると、
「囲め囲め! 決して逃がすな!」
あっという間に、30人以上の衛兵に取り囲まれてしまった。
さっきはまだ20人くらいだったのに、もっと増えてる。本当に街の衛兵を全動員するつもりだろうか。治安維持とかどうするのだろう。
というか――こいつら、どうして常に俺の居場所がわかるんだ?
「さあ【勇者】様! もう諦めて、我らと共に来てください! 『ラオグラフィア』があなたをお待ちなのですよ!」
また、俺のことを【勇者】と呼んだ。
暗殺者でも人殺しでもなく、【勇者】と。
「……なにを言ってるかわからんが、人違いだ。他を当たるんだな」
「いえ、あなた様で違いありません。あなた様はまごうことなき【勇者】です。あなたは、世界の希望だ」
まったく、話が通じない。
【勇者】? 【勇者】ってなんだ? 俺は暗殺者なんだが。
よくわからんが、黒い紋様の武器を持ってるとそう呼ばれるのだろうか……
まったく、いい迷惑だ。
「……はぁ」
俺は大きくため息を吐くと――上空に向かって、高々と跳躍した。
そしてそのまま、49フィート以上の高さがある建物の屋根にスタっと着地する。
「お、おお!」
衛兵たちが驚愕の声を上げる。それはそうだろう、普通に人間なら地面から建物の屋根に跳躍するなんて無理だからな。
俺は屋根の上を走りだし、屋根から屋根へさらに跳躍していく。
……衛兵たちとこれ以上追いかけっこするのも馬鹿らしい。この街にいるのも、もう潮時だな。隙を見て、街から出よう。
俺は屋根の上を走りながら、そう思っていた。
おまけ設定解説
〈地上〉
現世における〝世界〟を意味し、人間が生まれ死んでゆく場所。
『天界』や『深淵』と繋がっているとされるが、通常では行き来することができない。
大きく分けて4つの大陸が存在し、『ゼ―ミュラー大陸』『シシーラ大陸』『イェドゥ大陸』『ジェ・ダーハ大陸』がある。
『イェドゥ大陸』は豪雪と極寒の大地であり、『ジェ・ダーハ大陸』は砂漠と灼熱の大地であるため、ほとんど人が住むことができない。
そのため、『地上』で生きる大多数の人間は『ゼ―ミュラー大陸』か『シシーラ大陸』の中で暮らしている。
また幾つか島国もあるため、そこで暮らす者たちも少なからずいる。
〝この世界の多くの物は『天界』より降り立った神々によって創造された〟という神話が過去に現実としてあったと信じられているため、全ての大陸に例外なく『天界』の神々を信仰する宗教がある。特に『ゼ―ミュラー大陸』に住まう人々は信仰心が強い。
時間の概念は大まかに〝明方・早朝・朝・昼前・昼・昼過ぎ・夕・夕方・夜・夜中・深夜・未明〟と分けられており、人々は太陽の傾き加減で時刻を確認している。