??年後3 再会
白いストールを首にかけ、黒い祭服を着た壮年の男が、祭壇横の扉から現れた。こちらに気づくと、穏やかな笑みを浮かべて近づいてくる。
「司祭様。遅れて申し訳ありません」
ジーナが男に丁寧にお辞儀をする。それに倣ってリザも軽く膝を曲げた。司祭と呼ばれた男はゆったりと首を横に振った。
「まだ時間はあります。お気になさらないでください。それよりも子供達の相手をしてくださって助かりました。ありがとうございます」
司祭は深々と頭を下げた後、少し顔をあげてジーナに尋ねた。
「…………私の説教は、逃げ出すほど怖いですか?」
「い、いいえ。そんなことは……」
子供達とのやり取りは教会の中まで聞こえていたようだ。ジーナは顔を赤らめて言葉を濁した。司祭は笑みを絶やさず姿勢を戻し、今度はリザに話しかけた。
「あなたがリザですね。噂には聞いていましたよ。けれどジーナ様、伯爵様、司教様、それぞれ印象がばらばらで……フフ。儀式をここで執り行うと知った瞬間から、この日を楽しみにしていました」
司教様? 誰のことかしら。口ぶりからして私と顔見知りのようだけれど……
リザには思い当たる人物がいなかった。リザが曖昧な表情をしていると、突然、司祭は両手を広げた。
「どうです! 壮観でしょう? 本棚のために壁の窓をなくすような教会は、他にはありませんよ! 本物の図書館に比べたら蔵書は少ないですが、あなたの本は子供達でも読める物語が多く、大変親しまれています。特に司教様は何度もここに通われて、医学書などの専門書も含め、すべての本に目を通していらっしゃいました」
「は、はぁ……」
先ほどまでの物腰の柔らかさはどこへ行ったのか。目を輝かせて熱く語る司祭に、リザは困惑した。
「司祭様は教会一の本好きと呼ばれているお方なの。専門家に本の修繕を任せるのも、この方の意向よ」
「ねえ、ジーナさん。司教様って……」
ジーナとリザが小声で話していると、再び祭壇横の扉が開いた。
「ハヴェル司祭そろそろ――」
「ああ、司教様。待ち人がいらっしゃっていますよ。どうです? 少し話されますか?」
司祭よりも若い、司教と呼ばれた青年は、白を基調に金の装飾が施された祭服を着ている。澄んだ薄茶色の瞳。太陽のようなプラチナブロンド。優しそうな顔。全て見覚えがある。
リザは確信した。
カミル君だわ……
ずっと待ち焦がれていた少年が立派な地位の青年となって、目の前に現れた。嬉しいのに、話したいこともたくさんあるはずなのに、声が出ない。
何も言えず、じっと見つめていると、彼の目がわずかに笑った気がした。
「いいえ。もうすぐ時間です。懐かしむのは後にしましょう。それとハヴェル司祭。何度も言いますが、私はまだ補佐司教です」
「失礼しました。それでは他の方もお呼びしましょう」
二人揃って祭壇横の扉に消えると、リザは司祭の言葉を思い返した。
彼は『司教がここの本をすべて読んだ』と言っていた。司教(実際は補佐司教)はカミルで、カミルはリザがどんな本を読んでいたのかすべて知っているということになる。
すべての本……それって……あの大量の恋愛物語も見られたってこと?
リザは冷や汗をかいてうずくまった。
「なっ、何よ急に……」
「うぅ……以前『本なら何でも読む』とか見栄を張ったのが、今更だけど恥ずかしくなって……」
「ちょっと! すぐに儀式が始まるのよ。しっかりしなさい」
ジーナに叱られ、身体を揺さぶられても、恥ずかしさで動く気になれない。
「違うのよ……一時期読み漁っただけなの……」
「もう! さっさと、歩き、なさい、よ!」
ジーナに強引に引きずられ、祭壇の前まで連れていかれる。その直後に扉が開く音がした。
「随分仲良くなったようだね」
「お兄様! これは、違うんです!」
ジーナは焦ってリザを突き飛ばした。押された衝撃で我に返ったリザは、ジーナの兄イリヤの顔を見た。苦笑いをしているが、悪意は見えない。逞しく成長した彼は「大丈夫かい?」とリザに手を差し伸べてきた。
彼の心境にどのような変化があったのか。あれほど魔女を恐れていた彼が、気遣わしげに魔女に触れようとしている。
成長した彼らを見ていると、嫌でも時間の流れを感じるわね……
イリヤの手を素直に取ると、リザの身体は軽々と引き上げられた。リザはイリヤにお礼を言って、衣服の乱れを整える。
完全に落ち着きを取り戻したリザは、壁一面のステンドグラスを見上げた。そのあまりの眩しさに目を細める。それもそのはずだ。縦長のステンドグラスの上部には花が咲いたような円形のステンドグラス。その円の中心部、透明ガラスの丸窓から太陽が覗いている。
道理で、眩しいわけね。
教会内には、いつの間にかイリヤの他に数名の参列者が壁際で待機していた。彼らは一様に黒い服で、太陽の強い光の影響で深さを増した影のようだった。
カミルと司祭が戻ってきた。カミルは高さのある白い冠に金のストールを首にかけ、分厚い本を携えている。
異教徒のリザは教会に入ったことはあったが、儀式に参加したことはなかった。これからどんな儀式が始まるのか見当もつかない。ジーナから耳打ちされた指示に従って跪き、床を見る。
教会内が静寂に包まれた。衣擦れの音と息づかいだけが微かに聞こえる。静寂を断ち切ったのはカミルの凛々しい声だった。
「魔女エリザベータ、顔を上げなさい」
リザが無言で顔をあげると、カミルと目が合った。真剣な顔。初めて見る補佐司教としての顔だ。
不思議な気分だわ。カミル君に本当の名前で呼ばれるなんて……彼の中ではずっと『ただのリザ』でいたかった……
リザは伯爵領に来てから誰にも本当の名前を教えていない。もう名乗るつもりもない。
きっと魔女の資料にでも載っていたのだろう。
彼の背後から太陽の強烈な光が漏れる。痛いほどの光に、リザは涙を滲ませた。




