⁇年後2 本の教会
廊下に誰もいないことを確認して、リザは声をかけた。
「ジーナさん、あの人達は……」
「シッ。いいから……ついてきなさい」
足早に外へ向かい、待機していた馬車に乗ると、ジーナはようやく事情を話してくれた。
「あの二人はあなたの世話をしていた使用人よ。彼女達にはあなたが死刑になるから塔の仕事はこれで終わりだと伝えてあるわ」
リザは納得した。あれは死を迎える自分への悲哀の涙だったのだ。
今までお世話になりました。
リザは改めて心の中で二人の老女に感謝した。
「あっ……ということは、この白いドレスは死者のための……」
「違うわよ、失礼ね! そのドレスはカミル様が特別にご用意くださった物よ。光栄に思いなさい」
彼が特別に用意してくれたドレス――着心地の良い滑らかな生地。サイズは測ったようにぴったりだ。よく見るとレースや刺繍に金糸が使われている。
彼からの贈り物だと思うと、嬉しくて顔が緩んだ。
「でも、どうしてこんなにぴったりなのかしら。私、採寸なんてされた覚えがないのに」
「あなた、一度お母様のドレスを着たことがあったでしょう。それにこれまでに何度かドレスを渡したはずだわ」
確かに、溺れたカミルを助けた後ずぶ濡れのままでいるわけにもいかず、バロー伯爵夫人のドレスを借りたのだった。
それ以降、明らかにそれまでよりも質の良い衣類を渡されるようになった。その中には確かにドレスも何着かあり、試着して着心地を報告するようにとも言われたような気がする。
結局、試着以外で着ることはなかったから忘れていたわ。
「でも、あなたとの約束は……その、私が失敗したから無効だと思っていたわ。それなのに衣類だけじゃなく、甘いお菓子や珍しい薬草まで渡されるようになった――それはどうして?」
ジーナから持ちかけられた取り引きは、カミルがリザの解放を諦めなかった時点で成立しなかったはずだ。
ジーナは深いため息を吐いてから答えた。
「取り引きがどうなろうと、支給する気だったのよ。いくら私があなたのことを大嫌いでも、あんなみっともない格好を放っておくわけにはいかなかったわ。言っておくけれど、管理を任されている伯爵家として、そう思ったからよ。ドレスや他の物はだいたいカミル様からだわ――」
そんな話をしているうちに馬車の揺れが徐々に小さくなってきた。ジーナが窓の外を見上げる。
「着いたわ。ここで儀式を執り行う間、あなたは絶対に喋らないで。指示された通りに動くのよ」
「わかったわ。今度は絶対に喋らない」
「……そう願うわ」
御者が扉を開けた。ジーナ、リザの順に馬車を降りると、そこは小高い丘にある教会だった。石壁には窓がなく、代わりに屋根の斜面から突き出すように明かり窓がある。
教会の入口付近には楽しそうに遊ぶ5、6人の子供達がいた。
「あなた達! これから大事な儀式があるから立ち入り禁止だって、司祭様に言われているでしょう? さあ、もうお帰りなさい!」
ジーナが両手を打ち鳴らして呼びかけると、遊びたい盛りの子供達は「まだ帰りたくない」と駄々を捏ねた。
集団に遅れて、本を抱えた少女が現れた。少女はリザの存在に気づくと目を輝かせて近寄ってきた。
「こんにちは。お姉さんは今日結婚式なの?」
「えっ!?」
「だって、ウェディングドレス着てるから」
リザは驚いてジーナの顔を見た。露骨に嫌な顔をしたジーナは「違うわ」と首を横に振った。
「えっ、違うの? こんなに綺麗で真っ白なのに……」
少女は残念そうにうつむいた。リザがジーナにだけ聞こえるように囁く。
「……最近の花嫁衣装は白いのね」
「ええ。死者の服と勘違いする恩知らずには、信じられないかもしれないけどね」
リザは苦笑いをして少女に向き直った。彼女は古めかしい本を大事そうに抱きしめている。本が好きなのかと話しかけると、少女は顔を上げて嬉しそうに笑った。
「うん。好き! お姉さん、この本知ってる?」
リザは表紙を見て驚いた。子供の頃に大好きだった童話の本だ。懐かしい。
「ええ、知っているわ。一人で読めるの?」
「読めるよ。司祭様が文字を教えてくれたの。他の本はまだ難しいけど……でもこの本をたくさん読むからいいの」
「他の本?」
「うん。たくさんあるの。私ね、この本の女の子みたいに、大きくなったら王子様と結婚してお姫様になりたいの!」
「なれるわけねーだろ。お前なんて見向きもされねーよ」
そばで聞いていた少年が少女の夢を否定した。少女はむきになって「なるんだもん!」と言い返す。言い争う二人の間に割り込んだのはジーナだった。
「ケンカなら他所でやりなさい! 全員まだここで騒ぐつもりなら、司祭様に長くて怖〜いお説教をしていただきますからね!」
二人はぴたりとケンカを止め、他の子供達と共に慌てて走り去っていった。どうやら司祭様の『お説教』は相当怖いものらしい。
ジーナは満足そうに笑みを浮かべて教会の扉を開いた。
教会の中は思っていたよりも明るかった。特に正面奥の祭壇はステンドグラスから降り注ぐ光で輝いている。
しかし一番リザの目を引いたのは、窓のない側面の壁に並ぶ本棚だった。どれもびっしりと本が収められている。
何百冊もあるわね。まるで図書館だわ。
本棚に近づいて、背表紙を目でなぞる。とても古い本もあれば、比較的新しい本もある。ジャンルは様々だが、それらには共通点があった。
「覚えているかしら。全部あなたが読んだ本よ。――あなたが読まなくなった本と言った方がいいかしら」
「じゃあ、さっきの女の子が持っていた古い本も……」
「そうよ。全てこの教会に寄付されているわ。ちゃんと専門家が修復しているから保存状態はいいはずよ」
「きちんと管理までされているのね……」
手放した本が教会に寄付されたとは聞いていた。けれど一つの教会にまとめられているとは思わなかった。リザが読む本は物語だけではない。医学や薬学などの難しい専門書も多い。
「誰も読めない本もあるでしょうに……」
そんな言葉とは裏腹に、部屋の広さの都合で泣く泣く手放した本がここに集まっていると思うと、気分が高揚するのだった。




