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17 闇の中

 窓から静かに外へ出たカミルは、もう誰にも見つからないよう、周囲に気を付けながら急いだ。庭を抜けて湖が見えたところで、小舟がなくなっている事に気付く。


「遅かった!」


 伯父さんはもうリザのところにたどり着いてしまったのか。あの鉄扉の鍵は伯父さんが持っている。開ける事は簡単だ。もう処刑を言い渡したのだろうか。塔の中でひっそりと、リザは殺されてしまうのだろうか。


「そんなの駄目だ。どうしよう……」


 湖の周辺を見回しても、他に渡れるような物は何もない。焦っていると、後ろからアントンの声がした。


 もう気づかれたんだ!

 考えている時間はない。自信はないけど行くしかない!


 靴を脱いで裸足になると、ひんやりとした地面の感触に驚いた。気候が穏やかな土地とはいえ、3週間ほど滞在している間に季節が移り変わろうとしていた。

 身震いする。けれど、ここで立ち止まるわけにはいかない。


 リザの味方は、僕しかいないんだ!


 湖に足を浸ける。地面よりもさらに冷たい。反対の足を前に出す。それをただ繰り返す。膝、腰、胸と水に入っていく。


 思ったよりも深い!


 腕で大きく水平に水を掻きながら進んでいく。次の一歩を踏み込もうとして、一気に頭まで沈んでしまった。水底が急に深くなっていたのだ。


 苦しい……い、息が……


 水底を蹴って水面に上がるが、上手く息が吸えない。水が口に入り込んでくる。

 水底を蹴っては浮かび、そして沈む。

 たくさんの泡が、僕を置き去りにして空へ空へと昇っていく。太陽の光が泡に反射して幾重にも見える。空と太陽と水の色。


 泳ぐどころか、もがく事しか出来ない――やっぱり僕には無理だったんだ。誰かの役に立つなんて……


 水面が遠のいていく。


 あーあ、こんな事なら面倒臭がらずにイリヤに泳ぎを教えてもらっとけばよかっ……た……


 僕の意識は、ここで一度途絶えた。



  *  *  *



――暗い。


――寒い。


――ここはどこ?


 自分の姿すら見えないほどの闇の中。音すらもない。


 そうか。僕は死んだのか……結局、僕は何も成し遂げる事が出来なかった。どんなに努力を続けても、お兄様達の足元にも及ばなかった。

 第一王子のユリウスお兄様。穏やかな性格で、社交的だ。

 第二王子のイザークお兄様はとても強くて頼もしい。

 第三王子の僕は……勉強から逃げている臆病者だ。


 けれど、もう逃げなくていいんだ。僕は自由になったんだ。


 そう思った瞬間、目の前に小さな光が現れた。一つ、二つと次々に現れて、カミルから遠ざかるように消えていく。大きい光もあれば小さい光もある。その中で一際大きな光に触れると、その中には小さなカミルがいた。


 まだお兄様達の後ろを追いかけていた頃の僕だ。


『ユリウスお兄様! 今日こそ一緒に遊んでください』

『ごめんよ。今は忙しいんだ。代わりにイリヤに遊んでもらいなさい。昨夜王都に着いたらしいんだ。ジーナもいるよ』

『でも、僕……』

『いい子だね。さあ行ってきなさい』

『僕……ユリウスお兄様と遊びたい……』


 光が手のひらの上で弾けて消えた。他の光も覗いてみる。


『カミル。お前はまた厨房に忍び込んだらしいな。料理人の邪魔をするなと何度言ったら分かるんだ!』

『だって……イザークお兄様……僕』

『言いたいことがあるならさっさとしろ! 俺はこの後も用事があるんだ!』

『……イリヤと一緒に、お菓子を作ったんだ……疲れた時は甘い物がいいんだって』

『おい、お前は王族だぞ? 使用人の真似事なんかしなくていい!』


 光が弾けた。次の光には家庭教師の姿が見える。嫌な予感がした。


『カミル殿下。また間違えていますよ。ここは何度もお教えしたはずです』

『……分からないよ』

『まぁ! 殿下のお兄様方は同じ歳の頃にはちゃんと理解していらっしゃいましたよ。それと、またレッスンから逃げましたね。ダンスの先生が嘆いておりましたよ』

『ダンスは苦手だよ。剣の練習をした方が何倍もいい』

『んまぁ! そんなことばかり言って! ただでさえ勉強がお出来にならないのに、社交場でうまく立ち回れないようでは、立派な王族にはなれませんよ!』


 カミルは光を両手で握り潰した。光はまだまだ現れる。今度は貴族令嬢達だ。


『カミル殿下、今日はユリウス殿下やイザーク殿下はいらっしゃらないの? お元気かしら』

『お兄様方は何がお好きなのかしら』

『お兄様は?』

『お兄様は?』

『――?』


 カミルは耳を塞いでしゃがみ込んだ。

 優秀な兄達。カミルと兄達をいつも比べる教師。兄達に会うための口実にされるお茶会。


 全部、僕の記憶だ。

 誰も僕自身を見てくれない。僕はいつも一人ぼっちだった。

 

「「カミル――」」


 どこからともなく聞き慣れた声がした。

 無数の光の中を探し回る。


『カミル、今日は何して遊ぶ? 木登りでもするか?』

「イリヤ……お兄ちゃん」

『お兄様! カミルの独り占めはよくないわ! カミルは私と遊ぶのよ!』

「ジーナ……どこ? 二人共、どこにいるの?」


 二人の姿は見えない。無数の光が現れては遠ざかり消えていく中、カミルは闇を探った。すると手に温かい何かが触れた。


「ここにいるわ。だから帰っておいで」


 優しい声がした。聞き覚えのある声。これは、誰だっけ? なんだか心も温かくなってきた。


 すると、カミルの胸元から光が溢れ、闇を塗りかえるように広がっていく。そして全てが光に包まれた。

 

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