16 カミルの作戦
カミルが落ち着いてきたのを見計らって、医師がイリヤの肩に触れた。イリヤは頷いて場所を入れ替わった。医師は膝を折ってカミルと顔の高さを合わせる。
「失礼いたします、カミル様。どこか具合が悪いところはありませんか?」
「別に……ないよ」
医師はカミルの下瞼の裏を確認した。その後も問診をしながら触診を行う。
「ふむ。大丈夫なようですね。少しでも違和感が出ましたら、すぐに知らせてください。よろしいですね?」
カミルが頷くと、カミルの頭をぽんと軽く叩いて、腰を庇うようにゆっくりと立ち上がった。
今度はイリヤに近づいて耳打ちをした。イリヤは少し暗い顔になったが、すぐにカミルに向き直り、手を差し伸べた。
「父上に話しましょう。ここまで騒ぎになったからには、もう隠し通せません」
「そんな――」
「私がどうかしたか?」
再び空気が張り詰めた。バロー伯爵が騒ぎを聞きつけてきたのだ。上から下まで黒ずくめの伯爵が扉の前に立っていた。
「殿下、ここは病人の部屋です。お静かに願います。イリヤも場所を弁えろ」
「ご、ごめんなさい」
「申し訳ありません」
「ん? それは?」
伯爵の視線が絨毯に注がれる。そこには丸薬が転がったままだった。弁解しようとカミルが口を開くが、イリヤがそれを遮って答えた。
「毒薬です」
伯爵は眉間に深い皴を寄せ、声を低くして聞き返した。
「毒だと? 詳しく聞かせろ」
イリヤは正直にこれまでの事を話した。塔に忍び込んだ事、リザと会話した事、カミルが一人で会いに行って薬をもらった事、王妃が服用して症状が悪化した事、それらを全て聞き終えて、伯爵は口を開いた。
「つまり、お前は約束を破り、それに殿下を付き合わせて危険に晒したあげく、王妃陛下まで被害に遭ったのだな。お前の処分は後ほど決める。まずは魔女の処分だ。王妃暗殺となれば即刻処刑だが……」
「処刑!?」
カミルは思わず叫んでしまった。怖い顔がこちらに向くと、びくっと心臓が飛び跳ねた。慌てて廊下に飛び出す。
リザに知らせなきゃ! リザが不老不死だとか魔女だとか、今は関係ない。僕のせいでリザが酷い目にあうのは絶対に嫌だ!
急いで湖に向かうが、船着場にはアントンが待ち受けていた。
「カミル様、お戻りくだせぇ。ここを通したら坊ちゃんにどやされるんで」
「どいて! せめてこの小舟を壊さないと!」
カミルは苦し紛れに、足元にあった両手ほどの大きさの石を小舟に向かって投げた。走る勢いのまま投げた石は鋭利な角度で飛んでいく。
ドボンと鈍い音を立てたが、小舟には当たらず、水面に水柱を作っただけだった。
「あっ……ぶねぇな。ったく、やんちゃが過ぎまさぁ。よいしょっと」
ひょいっとカミルを持ち上げて肩に担ぎ、そのまま屋敷へ歩き出す。
「ちょっと待って! 下ろして!」
「痛てて! 無理でさぁ。部屋まで大人しく担がれてくだせぇ」
カミルはアントンの背中を力一杯叩いたが無駄だった。細長い身体なのにどんなに暴れてもびくともしない。カミルの抵抗もむなしく、来た道を戻る羽目になった。
リザのいる塔がどんどん遠のいていく。
リザ……早くなんとかしないと、伯父さんが来てしまうのに……
カミルにはどうする事も出来なかった。
部屋に着くと、アントンはノックもせずに扉を開けた。中から「キャ」と女性の悲鳴がした。後ろ向きのカミルには見えないが、侍女が驚いたようだ。
「部屋で大人しくしててくだせぇ。ほい」
アントンはカミルを肩から下ろして侍女に押しつけた。
「見張ってますからね。逃げようだなんて思わないでくだせぇ」
扉が閉まった。侍女は「なんて荒っぽいの!」と甲高い声で怒りながらカミルの服を整える。ここからどうやって抜け出すか考えなくてはいけない。
廊下はアントンが見張っている。室内で見張られないのは王族に対する配慮だろうか。とにかくまだ可能性はある。
脱出経路は窓しかない。けれど、ただ出ていくだけではすぐに追いつかれるだろう。
「ねえ、ちょっと僕のお願い、聞いてくれる? あのね……」
アントンの事が気に食わない侍女は、満面の笑みで了承した。作戦開始だ。
「窓、お開けしますね」
侍女が窓を開けるとすぐにアントンが中へ入ってきた。侍女が毅然とした態度でアントンと向き合う。
「なんです? あなた、ノックも了承もなしに入るなんて無礼にも程があります! 王子殿下のお部屋ですよ! さっさと立ち去りなさい!」
「これが俺の仕事なんでね。窓が開く音がしたんで確認をだな――」
「なんだよ。そんな事しなくたって僕はここにいるよ。もうアントンなんて大っ嫌い! 今は顔も見たくない! 早く出ていってよ!」
カミルはベッドに潜り込み、高い声でわっと泣きだす。
「私は空気の入れ替えに開けただけです。カミル様はこの通り落ち込んでいらっしゃいます。……しばらくそっとしておいてください。お願いします」
侍女はさっきとは打って変わって、落ち着いた口調で頼んだ。アントンは疑っているのか少し様子を見ていたが、何も言わずに部屋を出ていった。扉が閉まる音を確認して、カミルはベッドから静かに下りる。
「……じゃ、お願いね」
侍女は笑顔で頷くと、ベッドにの横に椅子を寄せて座り、ハンカチで口を覆いながらカミルの泣き真似を始めた。




