11 風邪薬
リザはひとしきり笑うと、パチンと手を叩いて「そうだ。忘れないうちに聞いておかないと。お菓子のお礼は何が良いかしら?」と、僕に尋ねた。
急に欲しい物を聞かれても、とっさには何も出てこない。それに、彼女が差し出せるのはこの鉄扉の中の物だけだ。何があるかなんて僕にはわからない。
どうせだったらリザをここから出してあげたい。広い空を見せてあげたい。美味しい物を食べて、柔らかいベッドで眠らせてあげたい。
そして僕が贈ったドレスを着て、一緒に踊って欲しい。どんなダンスでもいい。二人で手を取り合って踊りたい。
それが出来たらどんなに良いことか――
「本は、好きかしら?」
彼女の問い掛けで現実に引き戻された。飛躍しすぎた考えを一度振り払い、扉に向かって答えた。
「本は……勉強以外ではあまり読まないかな。身体を動かす方がいい」
「あらそう、じゃあ恋愛物語や騎士物語にはあまり興味はないかしら」
「れ、恋愛?」
ドキッとした。リザも貴族令嬢達と同じように、物語に憧れて王子との恋を夢見るのだろうか。今の僕ならばその夢を叶えられる。
「その……リザは恋愛物語が好きなの?」
「本ならなんでも読むわ。戦記でも風土記でも、もちろん恋愛話も好きよ。どう? 興味ある?」
興奮気味な声が近づいてきて、扉が揺れた。
そういえば、本で雪崩れを起こして生き埋めになった事があるほどの本好きなのだ。その熱意に圧倒されながらも、「好きよ」という言葉に心が跳ねた。
自分でも呆れるくらい単純だ。何気ないことにドキドキしてしまう。リザはどんな恋愛話が好きなんだろう。内容を知れば、彼女の男性の好みが分かるかもしれない。
「じゃあ、リザが一番好きな恋愛物語がいい」
「一番好きなのねー。ふむふむ、やっぱりあれかしらぁ……あー、いけない……」
愉快そうに弾む声が急に萎んでしまった。
「ど、どうしたの?」
「大事なことを思い出したわ……ここにある本は伯爵に全て把握されているの。誰かにあげたなんて知られたら……」
特定の使用人以外は知らない存在なのだ。いくら僕が王子とはいえ、バロー伯爵にバレたらどんな処罰が下されるだろう。考えただけで寒気がする。
「な、失くしたことにするのは?」
「失くしようがないのよね……年に数回、抜き打ちで大掃除をさせられるの。出せる物は全部外に出して隅々まで磨くのよ。私一人でね。外に出した物は使用人さんが綺麗にしてくれて、その時に蔵書の確認もされるの。足りなかったら部屋の中を延々と大捜索よ……ふふ、ふふふふ」
これは失くしたことがあるな。嫌なことを思い出して落ち込む声に、僕は提案した。
「あげるんじゃなくて、貸すだけなら怒られないんじゃないかな?」
「貸す……そうね。大掃除の前に返してもらえば気づかれることはないし。……ああ、でもこれじゃあお礼にはならないわ。私は君に何かあげたいの! 他にあげられそうな物は……そうね……薬くらいかしら」
「薬?」
「私特製の良く効く薬よ。やんちゃなカミル君には傷薬がいいかしらね」
「傷薬の他にもあるの?」
「あるわよ。私はそもそも薬師だから、薬草には詳しいの。傷薬の他には目薬、胃薬、風邪薬……」
「風邪薬!!」
僕は思わず大きな声で叫んだ。
「風邪薬が欲しい!」
「え? 風邪薬がいいの? 傷薬じゃなくて?」
「うん。絶対、風邪薬がいい!」
リザは不思議そうに「ケガの方が多そうだけど」とか「意外と病弱なのかしら」と呟きながら捜し物を開始した。
僕は扉に寄りかかるように座り込んで部屋の中の音に耳を傾けた。
平積みしている本を退けているのだろうか。あの様子だと、相当本が積み上がって見えなくなっているか、どこに保管しているか覚えていないかのどっちかだろうな。
案の定、薬はなかなか見つからないようだ。
木が軋む。物が落ちる。「わっ」という小さな声と同時に本の山が崩れる音がした。
「だ、大丈夫?」
「平気よー。今回は埋まってないわ」
昔、伯父さんに叱られて定期的に大掃除をするようになっても、整理整頓は身につかないんだな。そんな抜けているところを可愛らしいと思える。年上の女性にこんなことを思うのは失礼だろうか。
「あったあった、これこれ!」
嬉しそうな声がした後に、扉の小窓から手が出てきた。どう見ても色白の若い女性の手だ。その手は小瓶を摘んでいた。
「自分用に作った物だから、カミル君が使う時はその丸薬を半分に割って飲んでね。食後の方が胃に負担がかからないわ。飲みすぎたり、お腹が空いてる時には絶対に使わないこと! これさえ守ってくれたら、高熱が出てもへっちゃらよ!」
リザの言い方がなんだか面白くて、小さく笑った。きっとよく効く薬なのだろう。これなら母の病気が治るかもしれない。
僕は両手でその小瓶を受け取った。
「ありがとう。そろそろ帰らなきゃ。また来るね」
「いいえ、本当にもう来ちゃ駄目よ。伯爵に見つかったら……酷い目に遭うわ」
「見つからないようにするから大丈夫だよ。じゃ、またね!」
リザの返事を待たずに僕は駆け出した。薬の小瓶を落とさないようにしっかりと胸に抱きしめる。
母の病気が治る――僕はこの時、その可能性を信じて疑わなかった。




