インキュバスへ。
ただ白い部屋。何も無く、広く、白い。目が痛くなるほどに、ただ白い。
果てなど見えない。途方も無く広い白。
その一角。向き合う僕と幼女。
「超絶イケメンのインキュバスになりたい」
「イン…キュバス…って、あの?」
幼女の姿をした神様が、小首をかしげる。
そう。彼女は幼女であり神様だった。
腰ほどまでの銀髪ツインテール。
透き通るような白のワンピース。
覗く手足は、スラっとして健康的だ。かわいい。
「サキュバスの、男版のヤツだね」
僕は言う。
インキュバスとは。魅力的な姿と、甘い言葉で女性をたぶらかす悪魔。
「そ、そんなものになりたいの?」
引きつった顔の幼女神様。
「なりたい」
即答。その言葉には強い意志を込める。
僕の顔は真剣そのものだ。――にもかかわらず。
「ふふっ…あ、ご、ごめんなさい」
笑われる。
「いいよ、いつものことだし」
そう、笑われるのはいつものことだ。僕の真剣な顔は、【おもしろい】のだ。
僕はブサイクだ。それもとびっきり。ひどい顔なのだ。
カエルが3度、車にひかれた顔だと母は表現した。
僕は顔のせいでからかわれた。いじめられた。
先ほどのように、顔を笑われるなんて日常茶飯事だ。
鏡が見られなかった。鏡に映る自分が、自分であることを許容できなかった。
サングラスをかけ、マスクをつけると警察に職務質問された。
その時にサングラスをとると、警察にまで笑われて。
例を挙げるとキリがない。僕の最大最凶のコンプレックスだ。
「でもなんでインキュバス?ただのイケメンじゃだめなの?」
幼女神様が聞いてくる。
「ただのイケメンじゃダメだ。足りない」
「足りない?」
「僕は女性に復讐したいんだ」
僕は続ける。
「僕はこの顔のせいで、からかわれ、いじめられてきたけれど。
それは主に、異性からの攻撃だった」
僕はさらに続ける。
「僕はね、女性の心の奥の、奥の、奥底まで。髪の毛先から足のつま先まで。
僕のものにしたい。つまり、愛されたい。溺愛されたい。僕のことしか考えられない体にしたい。
それには、顔も必要だけど、それだけじゃあダメだ。顔はあくまで入り口なんだ。愛の入り口」
一呼吸。
「甘いマスクで警戒を解いて、あとは、こう、インキュバスの魔力的なもので、女性を支配したい。
分かるだろう?女性だって馬鹿じゃあない。顔だけじゃ思い通りにはならない。後押しとしての、プラスアルファがいるんだ。
そして女性を、僕のためにだけ動き、考える。僕だけの人形にしたい。そして気が向いたときに、僕はその体を貪るんだ。
女性は、僕のその貪りにも、強い快感を覚える。そして一層、僕に溺れていく…そして最後に」
一呼吸。
「捨てるんだ。飽きたおもちゃのように、一片の悔いも無く」
語る僕を、幼女は苦い顔で見ている。
「歪んでるね」
「うん。自覚してる」
僕はブサイクな顔でブサイクに笑う。
「正直そんな願い、叶えたくない…けれど、そうも行かないね。
あなたが手違いで死んでしまったのは、私のせいなんだし…」
幼女は苦い顔のまま、右手をゆっくりあげる。そしてあげたてを、僕の目の前にかざす。
視界が幼女の手のひらに覆われる。まぶたが少しづつ重くなり、落ちてくる…。
「その望み、叶えるよ。えーっと…超絶イケメンインキュバス?あなたをそれに生まれ変わらせてあげる」
「楽しみだ」
「けどね、」
幼女は続ける。
「けどね、この世界じゃダメ。この世界は私のお気に入りだから。
あなたなんかに荒らされたくないの。わかるでしょ?
違う世界…異世界に飛ばすね。そこでインキュバスとして生きてね」
――そんな、はなしが違う。僕はこの世界で、この世界の女性に――
僕は抗議の声をあげたつもりだったが、口は動かなかった。
視界が、そして思考がどろどろとした闇に飲まれていく。
僕の意識はそこで切れる。
気づくと、そこは平原だった。
膝のあたりまで草が生い茂り、風に合わせてさわさわと揺れた。
上を向けば青空。澄んだ青色に、思い出したように雲の白色が混じる。
下は緑、上は青。それらは延々と伸びて、地平線で交わっている。
「うわぁ…」
思わずため息。模範的現代っこである僕は、こんな広い平原など見たことが無かった。
空気は少し冷えていて、透き通るようなにおいがする。
「ここは異世界…なのか?」
あの幼女神様は、僕を異世界に飛ばすと言った。
ここは地球ではないのだろうか?
きょろきょろとあたりを見回すが、平原と空以外のものは見つけられない。
静かだ。風に揺れる草の音しかここには無い。
「少し歩いてみるか…んん…?」
違和感…。自分の声が違う。
「あーあー…本日は晴天なり…」
やはり違う。以前の僕より、なんといっても滑舌が良い。
そして耳触りが良い。なんというか、聞いているだけで落ち着いてくる。
優しい声。思わず自分の声にうっとりしてしまう。
そういえば、背も高くなっている気がする。
視線を下に、自分の体へと移す。
簡素な、茶色い布の服を着ていた。ズボンも同様。ポケットすらない。アクセサリーの類も何も無い。
靴は何かの皮…だろうか。これも茶色。靴下は無い。臭くなりそうだ。
なんとも、まぁ、芋くさい服装だった。
しかし、しかしだ。それを着ている僕の体はどうだ?
引き締まった体…細身ではあるが、腹を触ってみるとなかなかに筋肉質だった。
そしてすらりと長い足。その見事なバランス。
手を見ると、細く長い指。綺麗な爪。腕毛も生えてない。
今までの僕とは大きく違う。
なるほど、確かに生まれ変わっているようだ。
顔がみたい、と僕は思った。自分の顔が見たい。
あのブサイクだった僕の顔は、どう変わっているのだろう。胸が高鳴る。
草原を少し、当ても無く歩くと、泉が見つかった。
僕は小走りで駆けていく。
泉の脇で、一度深呼吸する。スーハー。心臓がどくどくと鳴る。緊張している。
僕は固く目を瞑った。そしてそのまま泉を覗き込むように頭を動かす。
「えーい、ままよ!」
僕は目を開く。
ああ。
泉に写るのは、超絶イケメン。震え上がるほどの美少年。
さらさらと流れる、短く整えられた金髪。
意思の強さが現れている眉。
その下には、少し鋭く二重の、大きな青い瞳。
しゅっと高い鼻。桜色の唇。
形の良い輪郭に、そのそれぞれが、最高のポジションを位置どっている。
年は19…いや、17ほどだろうか?
ああ。
僕は馬鹿みたいに自分の顔に見惚れていた。
これは僕なのか?手で顔を触ると、水面の僕もそれに習う。
これは僕なんだ。
思わず笑みが零れる。水面の僕も笑う。並びの良い、白い歯が覗く。
それはまさに、万物を魅了する魔性の笑み。これが…僕の武器。
異世界に来てしまったのは、少々予定外ではあったが、やることは変わらない。
「女性達を魅了して、ぼろ雑巾のように酷使して、そして捨ててやるんだ」
零れた言葉は、その内容に反して甘い声色。
意地悪く笑う水面の僕は、それでも超絶イケメンなのだ。




