追われる者と追う者
四章の始まりです。
陸から離れた深い海の底。
深海には陽の光が届かないはずだと言うのに、そこには、美しい光景で溢れていた。
不純物が一切ない白い砂から伸びる海藻と色鮮やかな海中の花、虹色に輝く貝、珊瑚礁からは淡い光が発せられている。そこで泳いでいる魚や海月達も淡い光を発している。
そこはまさに海の楽園と呼ぶに相応しいだろう。
そんな美しい海の楽園を物凄いスピードで泳ぐ存在がいた。
それは美しい少女だった。
年齢は十代後半と言ったところだろう。肌は透き通るように張りがあり、水着のような衣服からこぼれ出そうな二つの双丘。水色の長髪は非常に艶めいている。
しかし、それは少女の上半身についてだけ。下半身は魚の尾ひれで、髪の色と同じ水色の鱗にに覆われている。
そう、彼女は人魚族であった。
「急がないと……」
人魚少女は険しい表情を浮かべながら海上を目指して泳ぎ進む。
そんな彼女を追跡する存在がいた。
「キュキュキュキュキュッ!」
可愛らしい鳴き声とは裏腹に、その姿は非常に気味が悪かった。それは巨大なイカ--ジャイアントスクイードと呼ばれるモンスターであった。
『ジャイアントスクイード』
ランクCランクのイカ型モンスター。
南東の海に生息しており、気性が荒くて敵とみなした相手に容赦なく襲い掛かるという獰猛な性格をしている。
人間の体格を遥かに上回る巨体を持ち、伸縮自在の十本の触手で獲物を捕まえて捕食し、泳ぐスピードは海中に生息するモンスターの中でもトップクラスを誇る。
その身は非常に美味で、食材として料理に使用されている。
「発見したぞ!」
「絶対に逃すんじゃねえぞ!」
人魚少女を追いかけているビッグスクイードには二人の男が乗っている。筋骨隆々の体格、額には一本の角が生えている。そう、彼らは鬼人族と言われる種族である。
「もう追っ手が来たのですね……」
人魚少女は鬼人族達に追われていた。それ故に彼女は全力でその場から離れる。
「捕まえろジャイアントスクイード!」
「殺すんじゃねえぞ!」
「キュキュキュキュキュッ!」
どうやらジャイアントスクイードは鬼人族に使役されているようで、その命令に従い、水中移動が他の生物の追随を許さないはずの人魚少女を追い詰めていく。人魚族に引けを取らないスピードとは、モンスターとはいえ称賛に値するべきだろう。
「このままでは捕まってしまう……。仕方がないですね」
人魚少女は覚悟を決めたのか、鬼人族達の撃退を試みる。
「"清浄の水球をここに--ウォーターボール”」
人魚少女から放たれる複数の水球がジャイアントスクイードに目掛けて放たれる。
「キュキュキュキュキュッ!」
しかし、放たれた水球は容易くジャイアントスクイードに避けられ、その隙に触手の一本を人魚少女に目掛けて伸ばす。
「きゃっ!」
人魚少女の胴体にジャイアントスクイードの触手が絡まり、捕まってしまう。
「ぐぅ……」
ジャイアントスクイードの触手の力は予想以上に強く、非力な人魚少女では到底振り解くことはできなかった。
「これで任務完了だな」
「ああ。御頭も褒めてくれるだろうよ」
無事に人魚少女を捕縛するという目的を達成して、鬼人族二人は笑みを浮かべる。
「なあ、こいつをお頭のところへ連れていく前に少し味見していかないか?」
「おお、そいつはいい考えだな」
そして何を思ったのか、鬼人族二人は人魚少女に下卑な視線を向ける。
そんな視線を向けられ、人魚少女は不快な思いをした。
それに鬼人族二人が言う御頭という存在が人魚少女に憤りという感情を思い出させる。
「あんな男の好きにはさせる訳にはいきません! "水の刃よ、敵を切り刻め--アクアスラッシュ“!」
詠唱が終わると、水で形成された刃が人魚少女に絡まっている触手を切断した。
「キュキュキュキュキュッ!?」
触手を切断され、傷口から青い血液が水中を漂い、ジャイアントスクイードが暴れる。
「おい!」
「大人しくしろよ!」
触手を傷つけられて暴れるジャイアントスクイードを宥めようとする。
「今が絶好の好機ですね」
人魚少女は再度魔法の詠唱を開始する。
「"流れし青き水の力よ、我が意志に応えて大渦となり、全てを飲み込め--メイルシュトローム“」
大きめの魔法陣が浮かび、そしてそれは巨大な渦潮となる。
「うおっ!?」
「な、何だ!?」
突如出現した巨大な渦潮の檻によって鬼人族たちは閉じ込められてしまう。どれだけ暴れようとその大渦から逃れることはできなかった。
「畜生が!」
「ふざけた真似しやがって!」
大渦に閉じ込められた鬼人族は怒りの形相で人魚少女を睨み付ける。
「今のうちに……」
そんな鬼人族達を尻目に、人魚少女は急いでその場から離れることにした。次第に追っ手である鬼人族達は見えなくなり、どうにか撒くことができた。
「や、やりました……」
鬼人族達の追跡を撒くことができた人魚少女は安心の笑みを浮かべるが、次の瞬間に自分に起きている異変に気がついた。
意識が徐々に薄れていくのだ。
「あれ? どうして……?」
人魚少女はここまで辿り着くのに大量の魔力を消費してしまったせいで、魔力枯渇症状に陥ってしまったようだ。
「……そんな……こんな、ところで……」
人魚少女は気を失うまいと必死で意識を保とうとするが、それは叶うことはなかった。
「……みんなを……救わないと……」
そこで人魚少女は気を失ってしまう。
そして人魚少女は海流によって目的地とはまったく反対の方角へと流されてしまう。
しかし、幸か不幸かなのか。彼女が目覚めることとなる港街で出会うこととなる。
自分の国を救ってくれる救世主に。