九話〈リターン:安瀬神縁〉
着々と味方が勝利していく中で、エルアートだけが取り残された。本来戦うはずの黒澤影慈が棄権し、そのまま姿を消したというのだ。防衛機関の人間が直接言いにきたのだが、よくもしれっと生徒に溶け込んだものだとは言わなかった。
それを聞いた俺は、回復系の魔導術を解いて右手を握った。まだまだ動きはぎこちなく、芯にはズキズキという痛みは残っている。皮膚を引っ張るような感覚もあるが、無理をしなければなんとかなりそうだった。
ベッドから下りた時、ちょうどエルアートが戻ってきた。
「ちょっと! アナタなにしてるのよ!」
慌てた様子で駆け寄る彼女を手で制した。
「影慈が逃げた。どこに向かっているかはわからないが、防衛機関の方も行方を追ってるらしい」
「だからってアナタが動くことないでしょう! もう国の上層部に任せなさいよ!」
「そういうわけにも、いかない事情があるんだ」
その時、けたたましくPDが鳴った。
ディスプレイを見てため息をつくが出ないわけにもいかない。
「もしもし」
『元気でやってるか? 右手の調子はどうだ?』
低くて野太い声がスピーカー越しから聞こえてきた。
「まあまあ、かな。でも昨日だって話したじゃないか」
『そう言うなよ、親が子を心配するのは当然だろう』
国際防衛機関の外交官でありながら、日本軍局の幹部を務めているこの人物こそが僕の父だった。日本軍局、という言い方は正しくはない。本来はオルドビス軍局だ。
この人がいなければ、僕は人並みの生活は送れなかっただろう。第一世界からの召喚をもみ消してもらったのだが、手足として扱うことを約束させられた。
だが、僕は父さんのことが嫌いではない。確かに利己的で他人を顧みない節はあるが、優しい部分も間違いなくあるからだ。
「それで今日はどうしたの? 僕はこれから影慈を探しにいかなきゃいけないんだ」
『ああ、そのことで連絡した。一瞬ではあるが、南地区の工業街に黒澤影慈らしき人物の魔導術の反応があった。レガールでの追跡は不可能だが、なにかしらの手がかりはあるだろう。一応部下を向かわせてはいるが、行くのならば南地区に行け』
「なるほど、ね。わかった、今から向かってみるよ」
『……無理はするなよ』
「今更でしょ。本当にそう思ってるなら、最初から追わせたりしない」
『間違いない。どちらにせよ、自分の身を第一に考えろ』
「了解。それじゃあ」
通信を終了させ、ジャージの上着を羽織った。
「行くの?」
「そんなに心配そうな顔をするなよ。ちゃんと生きて帰ってくるさ」
今にも噛み付きそうなほどに睨んでくる。心配そう、というよりは凄んでいるという方が正しいかもしれない。
「信用できないわ。アナタはそれでも無理をするもの。それなら私も一緒に行く」
正直、面食らってしまった。
「いやいや、ここで待っててくれよ」
「イヤよ。私も行くから」
エルアートは僕に背を向けると、話も聞かずに保健室のドアへと向かっていく。
「ほら、早く行くわよ」
一人でも南地区に行ってしまうだろう。ここは仕方ないと割りきって、自分の身は自分で守ってもらうしかない。
「わかった」
それだけ言ってから、僕は保健室を出た。もちろん後ろからエルアートもついてきた。
校内を駆けて昇降口へ。靴を履き替えてからは更に速度を上げる。
人通りは少ないため、周囲を気にせずにいられるのはありがたかった。
身体能力を強化して走れば、十分程度で南地区へと到着する。周囲は工場ばかりが立ち並び、作業による騒音が耳にうるさかった。
金属を叩く音、削岩機で地面を抉るような音、重機が動く音など様々だ。
影慈がどこから現れてもいいように、速度を緩めて周囲を見渡しながら進んでいく。
彼の祠徒はジューダス。能力名は【影に潜む悪意】だ。影の中を移動するという隠密に適した能力だが、音もなく現れるため敵には回したくない能力と言える。
ここでまたPDが鳴る。急いで父さんからの着信を取った。
『少し事情が変わったぞ。第五世界との連絡が完全に途絶えた。お前は今すぐにエルアート君を連れて第八支部に来い』
第八支部とは、ここからは一番近い防衛機関の軍事施設だ。
「いきなりどういうこと? しかもなんでエルアートなんだ」
『今ここで言う話かどうかはわからないが、エルアート君は我々にとって最後の希望なのだ。この世界を保つための鍵となる』
「それだけじゃわからない。エルアートを連れて行こうにもなんて言ったらいいんだ」
『そうだな、彼女にも説明しなければいけない。通信を広げてくれ』
一度PDを耳から離して操作する。拡張機能の一つには、複数の人間と会話をするためにスピーカーの音量を上げる機能がある。音量を上げるだけでなく、モニターを通して相手の様子もわかるというものだった。
PDから光が出て、大きな半透明のモニターになった。
『初めましてエルアート君。オルドビス軍局幹部、外交官の安瀬神大我だ』
「は、はい。初めましてエルアートです」
『早速だが、君は何年か前に防衛機関に呼ばれたことがあったね?』
「確かに、予想以上に祠徒を持ってしまったため、身体を調査させて欲しいと言われました」
『その調査でね、君の身体が異常であると判断された。しかしそれは悪いことではない。本来、祠徒と契約できる人数は五人程度だ。なのに君は二十二体という祠徒を使役できる。ではなぜ普通の人間は五体程度しか所持できないのか』
父さんは少しだけ間をおいた。
『導術というのは、空間に無数に空いているゲートを通して魔法力を供給、ないし召喚する。が、そのゲートを通してこの世界に引き入れた後で、人体にあるゲートをくぐる。ここまでは導術師としての常識だろう。魔導術を扱うためのバリオスゲート、祠徒を召喚するためのディバージェンスゲート。そして人体にあるランチャーゲート。普通の人間でも、無理をすればランチャーゲートを増やすことは可能だ。が、身体がそれに耐え切れずに消滅してしまうのだ。二十三のランチャーゲートを持つ君は、異端中の異端なんだよ』
「それはわかりますが……」
『検査の結果、君はこの世界の誰よりも別の世界に近い存在だとわかった。将来的には異世界への物質転送さえも可能にさせる』
異世界から祠徒を召喚することがこの世界独自の技術。けれど、基本的には物質をそのままこちらに呼び出すことは不可能だった。僕の祠徒だって、触れることはできるけれど彼女たちをそのまま召喚しているわけではない。あくまで「魔法力による擬似的な物質化」である。
逆に、こちらから物質を転送することもできなかった。
つまり異世界とこの世界は、基本的にはデータとしての声や映像などでしかやりとりができない。他の世界は祠徒を召喚する技術すらないのが現状だった。
『君の検査データを元にして擬似物質転送装置を作り上げた。こちらが祠徒を呼ぶのとはまた違い、こちらから任意で異世界に行かれるようにする装置だ。まあ、人体をそのまま送ることはできない。意識を投射に、向こうにある魔法力で無理矢理「人体のようなもの」を構築する装置だが』
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
我慢できず、俺は口を挟んだ。
「エルアートを支部に連れて来いって、もしかしてその装置を使うためにエルアートが必要なのか? そんな安全かもわからないようなモノにエルアートを使うっていうのか?」
『危険はない。が、エルアート君には装置の核にはなってもらう。我々が作ったのは、彼女が持つランチャーゲートを拡大させる装置だ。世界との境界が甘くなっている彼女のランチャーゲートを広げるだけだと考えてくれればいい』
「ランチャーゲートが広がるってのは危険なんじゃないのか」
『その辺は心配ない。彼女の身体そのものを使うわけじゃないからな。それでだ、エルアート君には、今から支部に来てもらいたい。確認のため第五世界マクランディへ兵を送り支援を行う。来てくれないだろうか』
エルアートは目をつむり、数分の間呼吸だけを繰り返していた。
そして、意を決したかのように瞼を開ける。
「わかりました。縁、私を連れてってもらえる?」
僕は額に手を当てた。どうしてここまで聞き分けがいいのだろう。父さんの話は本当だとは思う。しかしその装置はエルアートがいて初めて起動するモノであり、実質試験運用もされていないということだ。
「いいのか、これは実験動物になれってことなんだぞ」
「わかってるわよ。でも、これ以上やらせるわけにはいかないでしょ」
彼女の瞳が僕の瞳を掴んで離さない。視線を逸らすことも、顔を伏せることもできなかった。
真摯で矜持を湛えたその瞳は、彼女の中にある決意の現れでだった。そう、僕にうったえてくる。
「もう、どうなっても知らないからな」
「いいのよ、それで」
ここでようやく視線を外すことができた。父さんとの通信を終わらせて、影慈の捜索は防衛機関に任せることにした。
やれやれという気持ちと共に、彼女への尊敬が僕の中で大きくなっていった。だが、いいところでもあり悪いところでもあると、今度言い聞かせた方がいいかもしれないな。
彼女の自信に、僕は少しばかり楽観視していた。エルアートに背を向ける瞬間、あるものを目端に捉えるまでは。
エルアートの影から突如として現れた影慈は、彼女の口を抑えてまた影の中へと沈んでいった。瞬く間の出来事で、僕は声をあげることもできなかった。
影に沈んでいく影慈の顔は、僕を見下すように笑っていた。
もっと早く気付くべきだった。
エレメンタルセブンが僕に接触したのは「安瀬神縁を狙っている」と思わせるための布石。本当の目的は最初からエルアートであると、父さんの話を聞いた時点で悟らねばいけなかった。
どうする、どうしたらいいという思考が頭の中をかき乱す。
もしもパットがいたのなら、導力を視認してからの対処もできただろう。そんな他人任せで自分勝手な思考が、何度も何度も顔を出してきては引っ込んでいく。
PDを握りしめ、僕は周囲を見渡すことしかできなかった。




