四話〈ビューポイント:安瀬神縁〉
いきなり現実世界に引き戻されて、少しだけ面食らってしまった。しかし、これまでの流れを見ていたからこそ、この状況に順応できたと言える。
フォーレットの腕を払い、バックステップで距離を取る。
彼女を見つめながら、自分の額に手を当てた。
「なにを、したんだ」
「教えて欲しいのですか?」
「なにをしたのかと聞いている!」
ニヤリと、口が弧に歪む。
「第一世界に帰しただけですよ。アナタの大事な大事なパトリオットくんをね。私の【帰還せし胎動】は他人の祠徒を解除、完全に契約を断ち切る能力。攻撃力は皆無ですが、このスーベリアットでは驚異的な力だと思いますよ?」
祠徒を祠徒として召喚して使役できるのはスーベリアット独自の技術。他の世界では祠徒を召喚する者はいないと教わったことがある。つまり、彼女の能力はスーベリアットでのみ発揮でき、それでいて非情な力だとわかる。
それにクオリアに比べれば格段に弱い。エミリオとクオリアには、戦闘力面で異常なほどの開きがあった。おそらくクオリアの強さは第一世界でも特異なのではと考えた。
ならば、フォーレットに対しては僕でもなんとかなるはずだ。
「シンドラ! 【深淵礼装】!」
レガールの力を反転。第一世界から魔導力を限界まで供給する。ゲートはまだ生きているらしい。
全身を強化して一歩踏み出した。数メートル離れていた距離も一瞬にして縮まり、僕は目一杯拳を振り切った。
しかし、彼女へと到達する前に止められてしまう。
僕の攻撃によって突風が吹き、校舎の窓がガタガタと揺れた。土煙が舞う中で、攻撃を受け止めた人物が逆に蹴りを放ったきた。
それを避けて着地するも、僕は目を疑うことしかできなかった。
パットが表に出ている時、こちらを見ていた狂気の瞳。
「黒澤、影慈……!」
揺らめくように立ち、目を薄く開いてこちらを見ている。彼は間違いなく、エレメンタルセブンの黒澤影慈だった。
「あーそうそう、いい忘れていました」
と、フォーレットが影慈に寄り添う。
「この方は私の契約者です。エレメンタルセブンって言いましたっけ? 彼らは全員、第一世界と契約してるんですよ」
人差し指を唇に当て、彼女は勝ち誇ったようにそう言った。
「第一世界からの召喚は重罪だぞ! それにこんなことをしてどうなるっていうんだ!」
「わかってませんね。私は一応第五世界から召喚されたことになってるんですよ。祠導術も、実際の能力とデータ上ではまったく別物。私たちは全員出生や能力を改ざんしてるんですよ。しかも実物として存在できる。もしもバレたとしても、それまでの間に世界を征服してしまえばいい」
「ホントにそんなことができると思っているのか!」
「できますよ」
フォーレットが右手を頭上高くに上げた。そして指を鳴らせば、空に響くような音が鳴った。
刹那、六つの気配と六つの強力な祠導力が辺りを包む。
気がつけば影慈の右に三人、左に三人の生徒が立っていた。タイの色は統一されていないが、影慈を合わせて七人。エレメンタルセブンなのだと理解するまでに時間はいらなかった。
「アナタはこの戦力差でも勝てますか?」
七人の傍らには、第一世界から召喚したと思われる祠徒がいる。いや、召喚したわけではないだろう。
そそのかされた、口車に乗せられた。そんな言葉が脳裏をよぎった。
「彼らは元々強力な導力を持っていた。だからこそ私たちは必要とし、彼らもまた私たちを必要とした。これから、新たな世界が始まりますよ」
一番左端の祠徒が、校舎に手のひらを向けた。その手が閉じられると、校舎はキューブ状に縮まる。あまりにも早く、キューブ状になった校舎が地面に落ちた時の轟音さえもどこか遠くの出来事だと思ってしまった。非現実なのではないかと、そう錯覚した。
「安瀬神縁、お覚悟」
駆け迫り来る七つの敵意。
一直線に向けられた殺意。
彼らの目に宿る強い決意。
勝てるか勝てないかを考えていても始まらない。戦いのか逃げるのかを、今決断しなければならなかった。
だが、彼らの攻撃は僕の予想を超えていた。
三人が背後に回りこみ、退路が完全に断たれる。残りの四人が攻撃体勢に入るので、その三人に気を取られている暇もない。
炎、水、風の三属性の攻撃を躱し、すれ違うように彼らが来た方向へと逃げようとした。
突如、目の前に女性が現れた。
彼女の回し蹴りを腕で受け止めようとしたが、速度が早すぎてもろに食らってしまう。
背中から校舎に激突し、肺の中にあった空気が全て吐き出された。光属性なのだと、その時ようやく気がついた。普通の反応速度では絶対に追いつけない。
すぐさま立ち上がって、全力で右へと駆けていく。今まで僕がいた位置には、幾つもの魔導術が降り注いでいた。
校舎には傷ひとつなく、誰かが障壁を張ったのだということはわかった。逆に、逃げ時を逃したのだということもわかってしまった。
袋のネズミ、四面楚歌、八方ふさがり。
「私たちを倒すか、アナタが私たちを受け入れるかしかないんですよ。今の状態のアナタがいくら強かろうと、この七人を相手に勝てるとは思えませんけどね。ちなみに言い忘れましたが、エレメンタルセブンもまたレガールの制限を受けていませんから」
そりゃ強いわけだ、とは口が裂けても言いたくない。
「いずれはゲートが閉じ、全ての祠徒が使えなくなります。我々に統制されるような世界は、きっとアナタには生きづらいでしょう。それならばここで死んでしまっても問題はないかと思いますが」
その言葉に、僕は強く拳を握った。
「やらせてたまるか……」
「なにか言いましたか?」
「やらせてたまるかって言ったんだよ。僕は困っている人を守れるような、立派な魔導師になりたいと思ってきた。それを実現させるためにも、ここで退くわけにはいかないんだ」
リュノアを召喚し【完成された瞬き】を発動。一番近い校舎を目一杯殴りつけた。
その瞬間、ガラスが割れるように障壁が崩落していく。相手を超越できるということは、設置されている導術にも言えることだ。
脚部を強化するのと共に、光属性を全身に付与。光速でその場を離脱することに成功した。
寮に辿り着いた頃には全身ボロボロだった。人体が光速で移動するのだ、ダメージは尋常ではない。音速や光速での移動や攻撃に際して、それ用の強化方法は確立されている。しかし、ダメージを帳消しにするにはかなりの熟練が必要とされていた。つまり光速で攻撃してきた彼女はあの年にしてそれが完全にできているということになる。
短時間使用を限定化される属性と言っても差し支えない。それが光属性のデメリットの一つだった。
考えただけで恐ろしく、もう一度対峙したいとは思わなかった。
逃げてくる時にチラリと見えたフォーレットの顔を思い出し、僕は思い切りため息を吐いた。
笑っていた。嬉しそうに、楽しそうに、バカにしたように笑っていた。
僕は彼女たちから逃げられたのではない。逃してもらったのだ。意図はわからないが、間違いなく僕は逃がしてもらった。
悔しくて、惨めで、頭を抱えてその場にしゃがみ込む。
「僕は、なにをしてるんだ……」
涙がこみ上げてくる。
あまりにも弱くて、敵に情けをかけられなければ生きていくこともできない。
強力な祠徒を持ちながら、高い魔導力を持ちながら、手も足も出ずに逃げるだけ。
これがもしも、自分だけではなく仲間がいたらどうなっていたのか。きっと助けられず、自分が逃げるだけで精一杯じゃないのか。誰も助けられず、守れず、夢は結局夢のままだと突きつけられるだけだ。
それがまた辛くて、胸が締め付けられてしまう。
ツケが回ってきたのだと実感した。
「どう、したの?」
ふと、女性の声が向けられた。
涙を拭くこともせずに視線を移すと、そこにはエルアが立っていた。街灯の明かりで、彼女の凛々しさが際立つ。
「泣いてるの?」
「な、なんでもないよ!」
袖でゴシゴシと目を擦る。少々痛みはあったが、気にしている場合ではなかった。
「なんでもないって、アナタ制服もボロボロじゃない。学校でなにかあったの?」
エルアが駆け寄ってきて、僕の目線と合わせるようにしゃがんだ。
「言いたくないなら言わなくていい。でも、黙ってちゃなにもわからない」
ああ、僕はまたこの子に助けられてしまうんだ。
今は誰かに頼らなければ、また底なし沼に沈んでしまう。それを助けてくれたパットがいない以上、自分でなんとかする手段を見つけなければいけないのだから。
意を決し、エルアの手を掴んだ。
「話を、聞いてくれるか?」
「アナタ、縁なのね」
「ちょっと事情があってね。とりあえず部屋に来てもらえるか?」
エルアは目を閉じ、少し間を置いてから「わかった」と小さくつぶやいた。
痛む身体に鞭を打ち、僕は自分の部屋へと向かった。
尽は帰省中なのか、部屋の中は真っ暗だった。
電気をつけてから、とりあえずベッドに座った。エルアを中央のイスに座らせて、僕たちは向き合うような形になる。
「清から、キューブ状の死体の話は聞いてる?」
「ええ、事情は聞いたわ」
「その犯人と対峙した。それだけじゃなく、犯人の協力者たちとも戦った。でも全然歯がたたなくて、結局逃げ出すことしかできなかったんだ」
膝に肘を乗せ、僕は頭を抱えた。
「彼らはクオリアと同じ第一世界の住人でありながら、この第三世界の住人と結託してる。その上現在進行形で第五世界が攻撃されていて、パンドラとクラリットも召喚できない。相手がレガールの抑制も無効化してるというのもかなり大きい」
僕がそう言うと、目の前のイスが軋んだ。エルアが背もたれに体重をかけたようだ。
「誰にも連絡せずに戦った、ということね」
「最初に戦っていたのはパットだ。その時は相手も一人でそこまで強くなかったんだ。でも相手の祠導術が祠徒との契約を強制解除できる能力だった。障壁を張られて、七人に同時攻撃された。正直、死んだんじゃないかとさえ思った」
「七人? その人数って、もしかして……」
「エレメンタルセブンは各々が第一世界の住人と契約してる。しかもデータを改ざんしてまで。レガールも無効化して、彼らはもうここの生徒でもなければこの世界の人間でもない。もう、第一世界の住人と化した」
床に落ちる影が縦伸び、こちらへと近づいてきた。
気がつけば、僕はエルアに頭を抱かれていた。彼女は頭を優しく、何度も何度も撫でてくれた。
「頑張ったのね」
温かかった。言葉も、体温も、その全てが「安心してもいい」のだと物語っている。
緊張の糸が切れ、僕はまた涙を流した。
「会長たちにも話をしましょう。私たち学生ができることなんて少ないとは思うけど、なにもしないよりもいいはずよ」
「うん、ありがとう」
細い腰に腕を回して抱き寄せた。彼女はなにも言わずに受け入れてくれて、僕が落ち着くまで頭を撫で続けてくれた。
その時、ポケットに入っていたPDがけたたましく鳴り響く。
いつもとは違う着信音。常にヴァイブレーションモードなのに、この人からの着信だけは強制的に大きな音楽が流れる。
ここ数年、会話どころか顔も合わせていない人。
抱擁を解きPDを取り出す。喉を鳴らしながら、僕は着信を取った。




