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そうだ、と男は鈴彦姫を見る。僅か彼の目に刹那光が入り、鈴彦姫はその光に彼の希望を見た気がした。その時に、また懐かしい香がして鈴彦姫の心臓が飛び跳ねる。
「いつも散歩をするなら、見ませんでしたか? 此処へあいつの体を捨てて行った、犯人」
尋常な人間ではないと鈴彦姫は男をそう思った。親しい友人を失って彼の魂が何処かへ迷い込みそうだと。
いつも散歩になど来ていない鈴彦姫は、勿論その人間を襲った犯人など見てはいない。事件について聞き出して、関係ないと突っ撥ねることもできるが……この懐かしい魂の香が気になっている。
もしも、もしもこの人間が再会を願った人間だったなら、鈴彦姫の長年の夢が、叶うということだ。鈴彦姫との再会を人間も望んでくれたのならば、鈴彦姫だと分かって貰える可能性だってある。それは、夢にまで見た理想。
「昨日は違う道を通ったので……。その、捨てて行った、とは……犯行現場は此処ではないということですか?」
この男が、輪を巡らせて再びこの浮世に戻って来たあの人間であるならば、このまま彷徨させたくはないと鈴彦姫は胸中で呟く。夕刻見た、咆哮しそうな程の懺悔を吐き出させてやりたいと。
「……見て下さいよ。警察の人が流しちゃったから、綺麗なもんでしょう。元々、血はそんなになかったらしい。
連続ばらばら殺人事件、なんて報道されてるけどその中に胴体がないの、知ってました? まるで食い千切られたみたいに頭と足しか残ってないんですよ」
頭は、身元が分かるよう残されてるみたいだ、と男は言った。
「見た、のですか……?」
恐る恐る鈴彦姫が問えば、男は哀しそうに笑った。唇を歪め、明滅する街灯のせいで青白く見える頬を泣きそうに引きつらせ、黒い傘に当たる雨粒の合唱の下で。
「見ました。あいつと最後に話をしたのは俺だったから、無理言って見せて貰った。違う所でばらばらにされて、此処で捨てられたあいつは、上半身と命を失って、帰って来たんだ……」
傘の柄を握っていない左手の甲で目元を拭い、彼はその場にしゃがみ込む。履き潰した運動靴は雨水を含んでぐしょぐしょに濡れていた。赤色の半袖は黒い傘で暗い色彩を放っている。
「お役に立てなくて、本当にごめんなさい……。早く犯人が見付かると良いですね。私も、願っています。
今夜はもう遅いですよ」
男は表情を失った顔をして、ふらふらと立ち上がった。鈴彦姫に一礼して覚束ない足取りで帰路を辿る。彼の姿が見えなくなってから、鈴彦姫は安堵の息をついた。
「此処で、幽冥界への扉が開かれた訳ではないみたい……ごめんね、二人共。人間に見られた上に骨折り損だったわね」
鈴彦姫が二人に謝ると、二人はふるふるとかぶりを振った。ありがとう、と返し二人と手を繋いで、鈴彦姫は集落へと戻って行った。




