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恋水恋歌  作者: 江藤樹里
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1-4



「鈴彦姫、今日の〝外〟には何か変わったことはなかった?」


 人に見られても溶け込んで妖と分からない鈴彦姫が一番〝外〟へ出るには適任とされてきた。他には異形や人の姿になれない妖だからだ。

 鈴彦姫が毎日食料を買いに〝外〟へ出る。慈聖の呪をかけた木の葉を持って歩き、間諜となる。またこの森に人の手が伸びるという話を聞けば、鈴彦姫は慈聖に報告し、先手を打てるという訳なのだ。


 だが情緒を失った人間達は、隣人との接触ですら拒絶を見せている。何処から来て何処へ帰って行くのかも分からぬ娘に手の内を見せる程、人間達はもう温かくはなかった。


「ありませんでした。ただ連続殺人事件は続いているみたいで、現場は近くのようでした。陰鬼達が騒ぐかもしれません」


 うん、と慈聖は難しい顔をする。そっと石を戻して起き上がり、頭上を仰いだ。鈴彦姫も起き上がり、ずっと人間の前に出る姿だったことに気付く。元に戻っても変わりはないが、妖達と一緒にいるのに気を使う必要もない。

 小袖姿ではなくなった鈴彦姫は、水干(すいかん)、緋袴、白足袋に長い黒髪を後ろで束ね、其処に鈴を通した。この姿でも人間の前に出られない訳ではないが、何処ぞの神社の巫女かと問われるので鈴彦姫は小袖姿を選んでいる。


 慈聖は装いの変わった鈴彦姫をようやく元の姿だと満足気に見ると、日暮れに、と口を開いた。


雨降(あめふり)小僧と提灯(ちょうちん)小僧をその場に行かせよう。あの子達は行きたがるだろうし、何よりまだ魂が幽冥界へは行けないから留まっているかもしれないからね。

 鈴彦姫、詳しく話を聞けるようなら聞いて来てくれるかな。近くで起こったというのが引っかかるんだ」


 平安や戦国の頃でなら日常茶飯事だった鬼の使役も、自然と同様に消えつつある。が、完全に失われた訳ではない。式神とて、まだ扱える者はいるかもしれないのだ。

 もしもそれが、敵に付いたとしたならば。聖域を血で汚し、この森ですら消え去ることもあるかもしれない。そう思えばこそ、慈聖は血腥(ちなまぐさ)い話に神経を尖らせる。


「分かりました」


 聖域付近で通常の人間ならば、そのような事件は起こさない。聖なる空気に浄化され、争い事とは縁遠くなるのが常だ。だが、悪鬼に感化された人間は聖気を嫌い、汚す。そういった人間を幾度も見て来たから鈴彦姫もすぐ承諾する。


 慈聖がいても悪鬼達を殲滅させることはできない。近頃は悪鬼ばかりが増える一方だ。それも低俗なものばかり。

 均衡が崩れ、明らかに人間の世界は太平とは離れている。憂き世に跳梁跋扈する悪鬼共に人間は堕落させられているのだ。


 とは言ってもその悪鬼は元は人間が生み出したもの。本来ならば九十九神になれる物達も、消費社会に地獄の業火にその身を焼かれていった。

 温情を忘れ、恩情を失い、他人との垣根作りに多忙を極めた人々は、いつからか自然を追いやり人造石の密林に住むことを徹底したのだ。


「ねぇ、鈴彦姫」


 悪鬼はともかく、善狐に賛同する妖は悪くはない。では。

 悪いのは、何だ?


「お前は本当に美しい音を響かせる。職人も、舞人の巫女も、本当に良い人間だったんだねぇ」


 慈聖があまりにも優しい表情をして言うものだから、鈴彦姫は思わず思考を中断してその顔に見入ってしまった。


「お前は本当に良い子だよ」


 いずれは九尾、天狐(てんこ)空狐(くうこ)となる慈聖にそう言われては、神に認められたも同然で、その重要さに鈴彦姫は考えていたもののことなど何処へやら、目を真ん丸にした。


「……慈聖さま、私を買い被りすぎです」


 ふふふ、と楽しそうに笑んだ慈聖は、どうかな、と目を細める。手の届かぬ程に高みにある美しさに鈴彦姫はくらくらと酔いを覚えた。


「僕はおじいちゃんに、本質を見抜くと太鼓判を押されたんだよ。千里眼の才が天狐になる前に表れるかもって」


 千里眼は、仙狐(せんこ)の仲間入りを果たす天狐からと言われている。才があれば、時期が早まることはいくらでもあるのだ。


「でも……」


「鈴彦姫、お前が良い子であるのに変わりはないよ」


 漆黒の瞳で優しく笑う慈聖に、鈴彦姫は言い返す術もなく黙り込んだ。聖域の風がさあっと抜けるのとほぼ同時に、妖がやって来る。


 頭は猿、胴は狸、手足は虎に、声は(とら)(つぐみ)と伝えられて来た、(ぬえ)だ。だが伝説というのは誠宛にはならないもので、実際には烏羽色の大翼を持つあどけなさの残る幼い美少女である。甘え上手のこの鵺は、以前に助けられた慈聖に恩だけではない情を抱いており、鈴彦姫なんかが訪れていることが不満らしい。


「慈聖さまぁ!」


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