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恋水恋歌  作者: 江藤樹里
31/33

7-4



 鈴彦姫は和泉の元へ寄りながら、和泉に声をかけた。青白い顔に力の入らない指先を見て、和泉が糸に圧迫されてまさか、と鈴彦姫は焦る。だが、鈴彦姫が和泉の手に触れた時、ぴくりと動いて安堵がもれた。


「大丈夫ですか、和泉さん……?」


 鈴彦姫が声をかけると、和泉がうっすらと目を開く。冥い目があちこちを彷徨し、鈴彦姫に止まる。と、同時に。


「うわあぁぁ!」


 何があったかを思い出したか、和泉が叫んで鈴彦姫の手を払い退けた。辺りに散乱する蜘蛛の糸と、むぅと立ち込める血臭に和泉は混乱している。


「来るな、来るな!」


 体に纏い付く糸をがむしゃらに手で取りながら、慈聖の放つ強大な力の中で和泉は鈴彦姫から距離を取った。鈴彦姫はかける言葉を探しながら和泉を見る。


「もう、終わりました。全部、終わったんです、和泉さん。助かったんですよ」


 取りあえずそうは言ったが、和泉はまだ叫び続けており、鈴彦姫は困惑してしまった。あのような恐怖を経験している為、少々おかしくなっても仕方がないのかもしれない。しばらく休めば、また戻るだろう。だが。


「どうかしたのかい、鈴彦姫」


 絡新婦を喰い終えたらしい慈聖が、人の形に戻って鈴彦姫に問うた。慈聖を見上げ、鈴彦姫は困った様子で、来るなと叫び続ける和泉を見る。


「ご友人の腕を齧らされたので仕様がないのですけど……何だか別人みたいで……」


「別人……?」


 何やら考え込む仕草を見せて慈聖は何処か遠くを一瞬見た。それから、はっと和泉を凝視すると大股に近付く。瞠目してかぶりを振る和泉の前に屈み込み、何かの術か和泉を眠らせた慈聖は鈴彦姫を振り返って手招いた。


「鈴彦姫、お前はどうしてこの人間の男を恋慕したんだい?」


 棘もなく訊かれ、鈴彦姫は慈聖に、懐かしい魂の香がし、再会を願った魂だからだと素直に答えた。二度目の返答であるそれを真実だと知ったか、慈聖は頷くと和泉を見て口を開く。


「……彼には、別の人間の魂が憑いているんだ。恐らく、家鳴が言っていた、同じだけど別人、とはこのことを言っていたんだろう。きっと、あの家に住んでいた人間の魂だね」


「ご友人の家だと仰っていました」


 まさか、と言いた気な表情で鈴彦姫は慈聖と和泉を交互に見る。だが有り得ない話ではない。家付近で襲われ、此処で命を失ったとしても肉体の一部は家付近で遺棄された。魂は肉体を追う。近くだった家に戻って来ても変ではない。まして此処に、親しかった人間が住み自分のことを考えていたとしたなら。

 そう、和泉はあの家に住んだだけではなく、一日中あの場所に突っ立っていたのだ。とり憑く機会はあった。そして、鈴彦姫と、出会ったのだ。


「お前が再会を願った魂は、どちらかの筈だよ」


 用意は良いかい、とばかりに慈聖は鈴彦姫を見やり、鈴彦姫は頷いた。慈聖が和泉の背から何かを引き剥がす。しかし二人にはもう、答えが分かっていた。


 体内に魂がある時、その香はほとんどしない。強く魂の香がするのは、いわゆる霊感を持ち併せるか二つ以上の魂がひとつの肉体に纏わりつく時くらいだ。和泉は慈聖が呪を解いている時でも全く制限を受けずに動いていた。霊感があれば動くことはできなかっただろう。とすると残りはひとつしかない。

 体内の魂が香ったのではなく、纏わりつく魂が香ったのだ。


「……お前が、鈴彦姫に輪を巡ると約束した魂だね。まだ人間だった時の意識はあるかい?」


 魂は器を持たない。姿を持たない魂に触れられるのは神力を持つ存在だけだ。妖狐といえど相当の力を使わなければ魂には触れられない。魂がまだ人間だった時の姿を覚えていれば、使う力の量も変わる。

 慈聖が持つ魂は、人間の男に姿を変えた。短い黒髪に、柔和な笑みを浮かべ、高校生のような顔をした男だった。紺の背広姿をした男は、礼儀正しい服装で現れましたと言わんばかりだ。


「やっと気付いてくれたね、良かった。何回も信号送ったのにちっとも受け取ってくれないから忘れられたのかと思ったよ。

 久し振り……で良いのかな。せっかく巡って戻って来たのにまた行かなくちゃならないんだ、ごめんね」


 男は鈴彦姫を向いて申し訳なさそうに言った。鈴彦姫はただかぶりを振る。間違いなく、再会を願った巫女の魂だ。


「和泉が君を疑ってるって分かったから、あいつが君を騙す時に合図したんだけど……逆効果だったみたいだ。俺のこと、覚えてくれたから和泉に会いに来たんだね。ありがとう」


 鈴彦姫は涙を湛えながら首を横に振るしかできない。この魂が自分を守ろうとしていたと知ると、胸が一杯になった。


「私こそ……ありがとう……。本当に、輪を巡って来てくれて……。貴方にもう一度会えただけで、良かった……」


 涙を流す鈴彦姫に笑んで、男は手を差し出そうとして止める。魂は物理的には何にも触れない。


「また輪を巡って戻って来るよ――今度は女の子でね。男で生まれてきたら会わせて貰えなさそうだ」


 くすくすと笑って男は、そろそろ行かなくちゃと鈴彦姫に告げた。あっという間だと言いながら。


「本当は、自分の遺灰の傍とか、導いて貰わなくちゃ駄目だったんだってね。でも和泉に憑いてたら、四十九日過ぎても輪に戻れなくなる。常世の近くで時が来るのを待つよ」


 またね、と言って男は鈴彦姫から慈聖を向く。


「お願いしても良いですか?」


 その言葉に、もうひとつの意味を込めて。


「うん。鈴彦姫の為に、早く戻っておいでよ」


「はは。女の子で、ね」


 努力しますと笑んで男は姿を変えた。魂は慈聖の力で常世の近くへと向かう。幽冥界への入口はまだ少し先だが、此処にいては拠り所となる和泉にとりついてしまう為、そちらを選んだのだ。


「ありがとう」


 最後に、そう聞こえたような気がした。



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