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絡新婦が人間に恋をした過去を、鈴彦姫は慈聖に告げた。愛が憎悪に変わったことも、だから人間を喰い殺してしまうことも言った。詳細は言わずとも、慈聖は察したか爪を下ろす。
「それじゃぁ……ある意味では犠牲者なんだね。城を築こうとしたのも、独りを知るから、自分の集落を持とうと思ったの?
集落に入ることができなかった、故に決まり事も知らなかった、恋をしては裏切られ、いつしか人間を喰ってしまった……因果が絡まり合ってお前は……多くの命を奪って来たんだね」
慈聖の言葉に絡新婦は反応を返さない。蜘蛛達もどうして良いか分からないようだ。
うつむく絡新婦の表情は、流れる黒髪で隠されている。鈴彦姫は絡新婦の正面で向かい合った。鈴彦姫も伏し目がちで、絡新婦を見られない。
「人間は……蜘蛛も、鈴も、愛さないかもしれません。愛好家はいても、人間の姿を私達がしていても、一生を一緒に生きようと仰る方は何処にもいないのかもしれません。
でも、それでも、貴女は外見になんてこだわらない。それはつまり、入れ物が何であれ其処に宿る魂に……惹かれたからではありませんか?」
ぎゅ、と鈴彦姫は前で結んだ手に力を込める。人間の手で生じ、人間の手で扱われ、人間の手で供養された。だから鈴彦姫はただの鈴に手足が生えた妖ではなく、人間の姿をしている。
それは、人間に愛されていた証には成り得ないか。
「愛されるなら誰でも良いなんて、思っていないでしょう? 人間を喰い殺すようになってしまってからも、それまでも、貴女は愛したい人に恋をして、愛されたいと願った筈。そしてそのどの魂も、優しい相手ではありませんでしたか?
貴方を受け入れてくれるような魂だったからこそ、好きになったのでは?」
鈴彦姫はひとつ、深呼吸をした。妖である限り、人間の男に恋をすることは報われない辛い物かもしれない。だがこの憂き世でも、妖を受け入れてくれる魂が、何処かにあるかもしれないではないか。何百年も生きていれば、様々な人間に出会う筈だ。
また、いつか、と輪を巡ることを約束してくれる魂だって存在する筈なのだ。
「やり直しましょう……? きっと、妖には生き辛い現代になってしまったから絶望することもあったのかもしれません。でも、やり直せます。
貴女にとって最高の人間だって、何処かにいる……」
鈴彦姫はうつむけていた顔を上げて言葉を呑み込んでしまった。慈聖が何かあったかと尋ねる前に、鈴彦姫はまた糸で捕えられた――今度は床に。
一匹の蜘蛛によって鈴彦姫が身動きを封じられ人質となったと同時に、絡新婦が容易く自身を固定していた糸を引き剥がして爪を慈聖に降り下ろす。間一髪で避けたが、慈聖の肩に裂傷が走る。
「……そうか、蜘蛛の糸は……っ」
顔をしかめ左腕を伝い指先からぱたぱたと赤を落とす慈聖が、失敗したとばかりに呟いた。蜘蛛は糸には絡まない。糸を操る術を心得ているからだ。
絡新婦は、笑んでいた。鈴彦姫が顔を上げた時に見た笑みを浮かべたまま、絡新婦は爪に付着した慈聖の血を尚赤い唇から出した舌で舐めた。慈聖の表情が険しくなる。
「何て甘美なのかしら。あたしが妖狐の血を得るなんてね」
妖狐、しかも白狐となればその血は微量でも他の妖に力を与える。絡新婦は艶美に笑み、次の瞬間に変化を解いた。みるみるうちに腰を屈め腹部から腕が突き出し毛むくじゃらになっていく。魅力的な体躯は准妖の蜘蛛達よりも遙かに倍以上の巨躯に変わり、八つの単眼はだが、明暗のみを判別するだけではなさそうだ。
巨大女郎蜘蛛の黒地に黄輪が走る脚が鈴彦姫の目の前に置かれて、踏み潰されるのではないかと鈴彦姫は思った。蜘蛛達も邪魔にならぬ場所へと避難しており、放心状態だった和泉は完全に失神している。
「力が溢れて来るわ。妖狐の血って凄いのね。このまま貴方を食べてしまいたいくらいよ」
絡新婦は慈聖から鈴彦姫に視線を移す。解放された力と恐怖に怯えた表情を見せる鈴彦姫に、ほら、と絡新婦は言った。
「ちゃんと見て。これが本当の姿。仲間からは美しいと賞美されても人間には受け入れられない。気味の悪い害虫だと、叩き潰されるのも嫌悪されるこの姿。
これでもあたしの魂を見てくれる存在がいると言える?」
鈴彦姫は恐怖に口を開くこともできない。小馬鹿にしたように、絡新婦が高らかに笑い声をあげる。
「あたしの仲間を殺すことを厭わない人間なんて、全部あたしが喰い尽くしてみせるわ」
虐げられてきたからこその怨を抱く妖は、ひたと白狐を見つめた。
「貴方の力を、得てからね」




