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恋水恋歌  作者: 江藤樹里
23/33

5-4



 * * * *



 美味い食事と華美な音楽。美しい踊り子に、隣で笑む妖艶な美女。この世にある贅を尽くしたと思う程に豪勢な持て成しに、和泉は酔っていた。犯人も見つけた上に、美味い酒を美女がどんどん注ぐ。


「さぁ、お好きなだけ食べて下さいね」


 和泉に、連れ去られた鈴彦姫の姿は見えていない。それどころか、薄暗くて汚い倉庫にいることも理解していない。勿論、鈴彦姫の声だって聞こえてはいないのだ。


 鈴彦姫は蜘蛛の巣に捕らわれ、糸に自由を封じられた。逃げる為に動けば動く程、糸が絡みつく。目を覚ましたばかりの鈴彦姫には、此処が何処なのかも、何故こんな目にあっているのかも見当がつかない。

 ただ目の前で和泉とあの艶女が引っつき合って、血の滴る肉を前に、大きな蜘蛛がつくてんと踊る様を見て愉悦に浸る悍ましい光景を見て混乱していた。


 何が起こっているのかと鈴彦姫は可能な限り周囲を見回す。使われなくなった古い倉庫内には、あちこちに不要になった荷物が残っている。その荷物の其所彼所に黒い染みがついているが、正体は充満する匂いで誰に訊かずとも分かる物だ。


 蜘蛛が運ぶ食事の御代りは、相も変わらず血の滴る肉で、遠目には何の肉かは判断できない。美女が注ぐ徳利から和泉の猪口に流れる液体は血臭がし、和泉は何の疑いもなく猪口を傾け飲んでいる。


 和泉は幻か何か術をかけられているのだろうが、鈴彦姫にはかけられていないのかありのままが見えているのだ。妖でさえ目を背けたくなるそれに、鈴彦姫はくらくらと目眩を覚える。

 血の臭いが、悪鬼を寄せ付けるのか、倉庫の窓に悪鬼達が張り付いている。自分もただでは済まされないなと思いながら、鈴彦姫は二人を見た。そして、眉根を寄せる。

 和泉の体に、段々と糸が巻かれているのだ。蜘蛛の糸か、鈴彦姫と同じ物だ。どうやら糸は隣の美女の袖から出ている。刹那、美女の正体に鈴彦姫は気付いた。声を張り上げて和泉に逃げてと叫んだ。


「和泉さん、和泉さん! その人は妖です、絡新婦です! 逃げて下さい!」


 だが和泉には聞こえていないのか、融然とその場に腰を落ち着けている。やがて下半身は蚕の繭の様になった。そうなっても尚、和泉は気付かない。

 皿に手を伸ばし、和泉が掴んだ物を見て鈴彦姫は悲鳴をあげそうになった。血の滴るそれは、人間の、右腕であったからだ。和泉はそれを美味そうに頬張る。

 美女も艶やかに笑んで和泉を見つめた。


「美味しい? そうでしょう、そうでしょう、それは人間の肉ですからね」


 和泉の、動作がぴたりと止まった。その言葉が術を解く鍵だったのか、和泉には今まで自分が見ていたものと現実との落差に思考を破壊される。自分の食べていた物が人間の手と知るや、飛び退きそうになったが下部の自由は奪われていた。


「う、うわあぁぁっ!」


 和泉の叫び声が蜘蛛達の鉗脚を鳴らす。嫣然と笑む美女に、どういうことだ、と和泉は問うが美女は答えない。そして和泉は気付いてしまった。


「まさか……この腕……」


 亡くした友人の一部であるという恐ろしい可能性に。


「返せって、わめいていたでしょう?」


 美女の言葉に肯定され、しかし和泉の悲鳴は出なかった。言葉を忘れたかのように和泉は酸素を求めて口をぱくぱくさせる。陸に上がった魚だった。


「人間の男って莫迦なのねぇ……美人なら誰でも良いわけ。思い込んだら一直線、挙句に自分を慕う女の子を撥ね除けて、まんまと敵の罠に引っかかる」


 もっとも、と美女は楽しそうに笑って和泉の唇を赤い舌で舐める。和泉にもう、恍惚とした表情は浮かばなかったが。


「近付く女は妖ばかりみたいだけど」


 和泉をゆっくりと横たえ、美女は結わえていた髪を解く。美しい黒髪が、真っ直ぐに流れた。


「髪の長い和装の女……狙われるのは人間の男だけ。あたしがどうやって貴方の友人を殺したか、教えてあげましょうか」


「やめて!」


 叫ぶ鈴彦姫を美女は気にも留めず、和泉に顔を近付けたまま睦言でも語るように甘く囁く。


「この街には可愛い部下達を放してあるの。その巣に体の一部でもかかった男は皆あたしの獲物。あたしは捕食者、貴方は被食者――それが自然というものでしょう?」


 和泉は抵抗も出来ずに美女を見つめている。鋭い爪が喉元でひらひらと舞っているからだ。どんな刃物よりも凶器に見えた。


「最初はこうやって自由を奪い、次に首を刎ねる。吹き出す血を堪能してから、上半身を食べるのよ、女は柔らか過ぎて噛み足りないの」


 ほら、此処、と美女は和泉と繭との境を指でなぞる。丁度、腰までで、遺棄される部位は、頭と、その先だ。それに気付いて和泉は背筋が寒くなった。


「此処まで食べるの。内臓のある、一番美味しい所まで。腕は新しい被食者に食べて貰う為に、残しておくのよ。

 貴方のお友達も、貴方も、その姿になるの。大丈夫、あたしが全部食べてあげるから」


 蕩けるような表情を浮かべ、舌舐りをして美女は幼子に言い聞かすかのように言う。逃げることも出来そうにないと悟った和泉は青ざめた。鈴彦姫が糸から脱しようともがくが、結果は馨しくない。


「やめて! 和泉さんを放して!」


 鈴彦姫が叫び続ける。狂ったように鈴の音が響き、蜘蛛達が鉗脚を騒がせる。和泉は鈴彦姫を横目に見て何とか時間稼ぎをしようと口を開いた。


「何で、こんなことをするんだ……?」


 美女は心底驚いたのか間を真ん丸にする。それから白い喉を仰け反らせ、声をあげて笑った。その笑声で、全ての音が止んだ。美女はひとしきり笑うと、和泉を馬鹿にしたような目で見つめ、ぐいと再度顔を近付ける。


「それは肉食動物に何故狩りをするのか、と訊いているのと同じことね。理由なんて決まっているじゃない。

 生きる為よ」


 美女にとって、人間は生きる為の食糧に過ぎない。そういう意味には取ることができない和泉の髪を右手で掴んで引っ張り、苦痛の表情を浮かべる和泉に美女は冷たい声音で言った。


「生きる為には空腹を満たさなきゃならないでしょう? 猿が木の実を食べるように、羊が草を食むように、あたしだって人間を食う。人間とは違って、生きていくのに必要な分だけをね」


 今回は貴方、と美女は優雅に笑んで和泉の髪を放す。床に体を打ち付けた和泉の首に、美女は刃物の如く鋭い爪を宛がった。


「毎日やっていることでしょう? 店で食材を選んでは家で調理する。それと同じことよ。貴方がただ、被食される側になっただけ」


 恐怖に、和泉の顔が硬張る。やめてくれ、と弱々しく和泉は美女に懇願するが、美女は笑むだけ。文字通り、和泉は俎板の鯉だった。


「美味しく頂くわね」


 美女が、これ以上ない程に美しく、笑んだ。





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