夏の記憶
予告文章からの続きですが、ここから読んでも問題ありません。
ごゆっくりどうぞ。
我が家では毎年、夏になると海へ行くのが恒例行事となっていました。それには理由があって、父親の職場が海沿いに保養所を持っていたんです。海が近いせいか料理がおいしくて、よくご飯やみそ汁のお代わりを何杯もしていました。
今でこそこんな姿ですが、当時の僕は小学五年生という子供でした。もちろん保養所なんて言葉も意味がわからず、なぜか毎年海に行くんだな程度にしか考えていませんでしたね。我ながら無邪気なものです。
海に行くのは夏の楽しみでした。非日常感に包まれた環境が、無条件に斬新だと感じられたのでしょう。まあ、幼い僕はそんなこと考えることもなく、保養所にいる数日は夏休みの宿題から解放されることが単純に嬉しかったんです。それに、絵日記に書くネタが増える喜びもありました。面倒な天気の記録だって、旅行していたことが言い訳に使えますからね。
スケジュールは毎年決まっていて、初日は車で向かう途中に寄り道をするんです。テーマパークだったり、遊園地だったりと様々なところへ行った記憶があります。
その中で一番印象に残っているのは、巨大なローラースライダーで遊んだ記憶ですね。ほら、ビート板みたいなソリに乗って滑るあれです。場所や名前は忘れてしまったんですが、飽きずに何度も往復して滑っていたことだけは覚えています。
保養所に到着したら、あとはそのまま部屋でくつろぐだけです。サービスの一環として和菓子が机に置かれていて、それを食べるのが秘かな楽しみでした。アケビの形をしたモナカだったのですが、肝心の中身は小豆なんです。ざっくり言ってしまえば、たい焼きみたいなものですよ。温かくはありませんがね。
時間になったら食堂に行って、海の幸満載の料理を食べるんです。大根のつまと春菊で飾られた刺身の盛り合わせは、いい所の料亭に匹敵するくらいの味と量でしたよ。日中あれだけ動き回った後ですから、両親が残した分を貰った上で更にお代わりをするなんてことをしていました。今じゃ全然食べられませんよ。あの時は若かったなって思います。
ああ、いけない。あの頃に戻りたくなってしまいそうでした。すみません。こんなところで考えることではありませんでしたね。話を戻しましょう。
保養所には温泉もありました。入浴時間は比較的自由だったこともあり、父なんかは一日に何度も入っていましたね。僕は一日一回で十分でした。人前で裸になるというのが恥ずかしかったというのもあるんですが、それはそれとして。
初日はそんなところですね。それこそ前日の夜から出発を楽しみにしていたわけですから、騒ぐことが仕事の子供は疲労困憊でグッスリですよ。いつもは耳障りな父のイビキも、この日だけは気になりませんでした。
メインとも言える海は二日目に向かうことになっていました。昼近くの十一時前になると、部屋で水着に着替えたり浮き輪を膨らませたりし始めます。早く海へ行こうと親を困らせていたものです。
海に着いたら、まず場所確保から始めます。人気の海水浴場なので、空いている所を探すのも一苦労なんですよ。シートを敷いて、パラソルを立てるだけとはいえ、意外に場所を食いますから。
なんとか休憩所を確保できたら、あとはもう海で遊びまわるだけです。恥ずかしながら僕はカナヅチなので、浮き輪に頼りながら足のつく浅瀬でバシャバシャしているだけでしたけどね。それでも十分楽しめました。子供に理由なんて求めちゃいけませんよね。
母はパラソルの下から動きませんでした。肌が弱く、海水や日光なんかは天敵みたいなものです。日焼け対策をして、僕らが戻ってくるのを待っててくれました。一方の父は泳ぎが得意で、沖へ向かって泳いで行く姿を見送ったことを覚えています。
あ、そうそう。海に来たのになぜと疑問に思うかもしれませんが、海の家には行きませんでした。いつも離れたところに場所を取っているので、最初から我が家にはその考えがなかったのでしょう。
食事ですか? 母が用意してくれたお弁当を食べていました。これ以上の混雑に自分から飛び込む気にはなれませんでしたし、ああいうところの料理は信用できないって親も言ってましたから。おいしく感じるのは、これもまた海に来たという解放感からくる錯覚みたいなものですよ。
そのお弁当を当時は深く考えずに食べていたのですが、どうやら保養所の朝食で余った米やおかずを分けてもらっていたようです。今では衛生上の観点から難しそうですが、当時は人の温かみが強かったのでしょうね。
それでもやはり、食べ盛りの子供にとっては満足できる量ではありませんでした。そんな時は近くのコンビニで適当な食材を買うんです。父と一緒に行けば、ビールのついでにアイスを買ってもらえるので自分から行こうとせがんでましたね。いやはや、お恥ずかしい。
さて、腹ごしらえが済んだら再び海へ繰り出します。しばらく騒いで、疲れたら戻って母に冷たい飲み物を貰って休む。そしてまた砂浜を駆け回って……というようなことを飽きずに繰り返していたものです。
いつも二日目の夜は花火をすることになっていて、まだ日が高いのにそれが楽しみで仕方ありませんでした。冷静になって考えてみれば、あんなのただカラフルな火が出るだけなんですよね。何が面白いのか今ではわかりません。
おっと、余計なことを話してしまいましたね。あの時も似たような感じで、海に浮かびながら花火のことに思いを巡らせていたのです。子供ですから、周りが見えなくなるのも無理ないと思いませんか?
それが始まりだったのです。今考えればそれはほんのわずかな時間でしたが、その恐怖と絶望感は決して忘れることができません。
花火の空想から現実世界に戻ってきた僕は、ふと周囲の景色が寂しくなっていることに気付いたのです。うるさいほどだった人々の騒ぎ声が消え、聞こえてくるのは水の跳ねる音だけ。
何が起こったのだろう。様子がおかしいな、とぼんやり思いながら周囲を見渡します。
あれほど溢れていたはずの海水浴客が見当たりません。一人残らず消えてしまったようでした。それに、海岸を色鮮やかに染めていたビーチパラソルも見えません。広がっているのは、単調な一色の砂浜だけでした。
ええ、もちろん両親の姿もありませんでしたよ。広い海に一人ぼっちですね。
海鳥の鳴き声すらもなく、そこにあるのは海と太陽と僕だけだったのです。不気味な静けさとは、まさにあのことを言うんでしょうね。
その時、僕は浮き輪に座るような形で海面に浮いていました。浅瀬でプカプカするのが楽しかったんです。もちろん、様子がおかしいので一旦中止しようとしました。
ですが、それはできませんでした。輪の部分にお尻がスッポリはまって抜けなくなってしまったんです。泳げないので無茶してひっくり返ったりしたら大変ですよね。そこはまだ足がつく所でしたが、それでも僕は怖かったんです。
どうにかしようともがいている間に、更なる問題が降りかかりました。ええ、そうです。少しずつ沖へと流され始めていたんです。最初は浮き輪を外そうと躍起になっていましたが、いざ流されていることに気付くと固まってしまいました。
腕をオールのようにして水を掻き分けてみましたが、非力な僕は自然の潮流に逆らうことはできませんでした。離れていく陸地に手を伸ばしますが、それが届くことはありません。
いよいよ取りうる手段がなくなってきた僕は、大声をあげました。誰か助けて、と。けれど無駄なことでした。声変わり前の甲高い叫びは空に溶け、海へと吸い込まれてしまったのです。誰もいない空間では、どちらにしても無意味だったと思いますけどね。
騒いでいるうちに声が掠れて意味をなくしていきます。その上、潮風に喉を焼かれて涙が溢れてきました。どうせ僕の言葉は届かないのだという絶望も、それに拍車をかけていたんでしょう。
海水に浸かった下半身から、不快感を伴う震えが背筋に走り抜けます。それは全身へと伝わり、脂汗が全身に滲みました。太陽の容赦ない輝きを浴びているのに、震えが止まらないんです。泣き叫ぼうにも、喉は錆びついた蛇口みたいな音しか出せません。
どうしたらいいのかわからず、狂った嗚咽を上げながら視線を忙しく巡らせていました。なんとかして助かる方法はないかと、文字通り必死に探していたのです。
周囲にあるのは海ばかり。少し高い波が来ただけで、口の中にしょっぱい海水が入ってきます。飲んでしまわないようにすぐ吐き出しますが、口の中に残る腐った生魚のような味までは消えてくれません。
諦めたくない気持ちを、徐々に弱さが食い散らかしていきます。このまま二度と向こうには戻れないのだという覚悟さえしていました。既に何時間経過していたのかすらわかりません。時間感覚なんてとっくに消えていましたから。
不思議と悲しさは消え、何も考えられなくなっていました。すべてを投げ出してもうダメだと諦めかけた、その瞬間です。
バシャバシャと、背後から誰かが泳いでくるような音がしたんです。おかしいですよね。だって、陸を向いている僕の後方ですよ? それって、沖の方から泳いできたってことじゃないですか。
でもね、その時の僕に深く考える余裕なんてありませんよ。自分以外の存在に縋りたくて、たとえそれが名も知らぬ小魚でも構わなかったんです。だから僕は期待と不安を込めて、音のする方へ振り返りました。
途端に音は止まり、海面は静かに揺れていました。何者かがあんな音を出していたのなら、こんなに水面が穏やかなはずありません。空耳だったのかと思おうとしましたが、どうにも納得できないまま視線を戻しました。
そうすると、目の前に奇妙な物体が浮かんでいたんですよ。さっきまでは当然ありませんでした。あれだけ周囲を確認したのですから、こんなに目立つ物があったら気付くはずです。
謎の漂流物体は、ゆっくりとこちらへと近付いてきます。単に流されているだけなのでしょうが、まるで意思を持ったように僕を目指してくるんです。
子供ながら直感しましたね。これは見ちゃいけない何かだって。目を逸らして、どうか消えてくださいって祈らないといけない。でもね、目が離せないんですよ。瞬きする自由すら奪われて、それが向かってくる様子を見せられ続けたんです。
手を伸ばせは指が触れるくらいの距離に来た時、波にあおられたそれが反転しました。そこでようやく理解したんです。僕を見つめながら漂っているそいつが、かつて人間だった存在であることに。
ええ、想像通り全身が異常なほどに膨張してましたよ。海水に浸かり続けた結果である腐敗も進んでいて、顔や手なんかは皮膚と肉がなくなって骨が見えてました。僕に向けられる濁った瞳は一つだけで、もう片方は何もない眼窩の空洞があるだけでした。海中生物にでも食べられてしまったんでしょうね。
そんな子供には刺激が強すぎる光景を見てしまったものですから、僕は情けない悲鳴をあげて我を忘れたように暴れていました。そうすると当然の結果として、命綱ともいえる浮き輪から転げ落ちてしまったのです。
頭から海に突っ込んだのがいけませんでした。反射的に息を吸い込む動作をしてしまい、涙が出そうな痛みと共に肺へと海水が入ってしまったのです。
悶えながら咳き込んで、なんとかして海面に顔を出そうともがきました。でも、水中で目を開けることすらできない僕には無理な話でした。
上下すらもわからずに暴れるうち、だんだん体の力が抜けていきました。ドラマの幕引きのように、すうっと意識がフェードアウトしていく感覚を味わいましたよ。
人間らしい尊厳を手放す直前、どこかで僕を呼ぶ声がしました。それが空耳なのかどうか、真偽のほどはわかりません。
──そして気が付くと、僕は自宅へと戻っていたのです。保養所や海といった事柄は、すべて時間の流れによって過ぎ去った後でした。瞬きしただけで場面が別の視点へ切り替わったという感じです。まるで出来の悪い編集をした映画みたいですよね。
でも、なにぶん子供の頃の記憶ですから仕方ありません。皆さんも幼少期の思い出が断片的な映像になっていませんか?
あっ、そうそう。この前お盆に合わせて、久々に親の顔を見てきたんですよ。やっぱりどこでも帰省シーズンなんでしょうね。同じようなのが僕以外にもいっぱいでしたよ。あ、皆さんもお帰りになられたんですか。どうでした?
こっちは特に変わりありませんでしたよ。僕が実家に着いた頃、両親は仲良く食事を始めるところでした。僕を待たないなんてちょっと淡白だと思われるかもしれませんが、それが我が家のいいところでもあるんです。家族の形は一つじゃありませんからね。それに、待っていろってのも酷な話じゃないですか。
せっかく来たことだし、僕も用意されていた天ぷらでも貰おうかと思ったのですが、さすがにこの体では受け付けませんでしたね。気持ちだけ十分にいただきましたよ。
ついでと言ったら変かもしれませんが、その時の詳しい話を親に訊ねてみようと思ったんです。僕としても結末が曖昧なのはスッキリしませんからね。
でもダメでした。母は家事に忙しくて声をかけられそうな雰囲気ではないし、父は酔っ払って半分寝ているような状態でしたから。話を聞けって叫んでやりたくなりましたよ。
えっ、そりゃ無茶な話だって? うーん、そういうものですか。こんな姿になっても、やっぱり親と少しくらいは会話したいんですけどね。
さて、僕の話はこんなところですね。皆さんのように決定的な瞬間の記憶がないのが申し訳ないですけど。
さっきの話は凄かったですよね。ほら、そちらのお二人が話したやつですよ。家に押し入った強盗と乱闘した場面なんて、まさに手に汗握る臨場感でした。
えっ、だからこそ無念だって? 確かに、どちらか一方の勝利だったら違う味わいの話になっていたでしょうね。でも、相打ちだったからこその面白さがあったじゃないですか。こうして二人別々の視点からお話を聞けたことですし。
僕のその後ですか? えっと、その瞬間について覚えてないのは本当ですが、こうした姿になれたのは比較的早かったんです。だから、ある程度の情報を伝聞ですが集めることはできました。
そうですね、状況の把握が最もできたのは葬式でしたよ。やっぱり人が集まれば秘めたことも噂として流れてしまうんですね。僕が溺死したことくらいすぐわかりましたから。
霊体というのは便利ですね。誰にも気付かれることなく棺桶の中を覗けました。水死体ということでどんな酷い姿になっているのかと思いましたが、意外にも生前何度も鏡で見た顔と大差ありませんでした。むしろ鼻に詰められた綿の方が気持ち悪かったですね。なんだか、これは死体なんだって無言の主張をしているみたいで。
いやはや、復元技術って凄いですね。変な色になっていたはずの顔をあそこまで見られるものにしちゃうんですから。戻ったのは見た目だけで、もし触っていたら不気味な感触に顔をしかめていたと思いますけどね。
あとは、喪主の挨拶として父が涙ながらに僕の最期を語ってくれました。
目を離した私が悪いのだ。発見が遅れたせいで助けられなかった。息子は何時間も漂流と孤独の恐怖に晒されながら力尽きた。海水が肺に侵入し、呼吸を奪われて苦しみながら死んだ──そんなことを、ゆっくり時間をかけて集まった弔問客に聞かせていました。
僕は幸せでした。両親の愛に包まれていたのもそうですが、死の瞬間を覚えていないのですから。僕は苦しんでなんかいないよって父親に伝えたいんですけど、叶わない願いですよね。もう何十年も昔の話ですから、今更ほじくり返してもよくないでしょうし。
さあて、そろそろ次の人にお願いしましょうか。僕が指名していいんでしたよね。えっと、そうですね……そこの髪の長いあなたに次の語り手になってもらいましょう。
なぜかって? 単なる興味ですよ。あなたは見たところお綺麗でいらっしゃるし、いい意味でここには似合わないお方ですから。そんなあなたが、どのような経緯をお持ちなのか、僕でなくとも興味を持つでしょう。
ええ、どうぞ。話し始めてください。あなたが命を落とした、その瞬間にまつわる思い出話をね。
おっと、そこの君。どこへ行こうとしているのですか。彼女の話は途中ですよ。ほら、さっきから僕たちの話を聞いているアンタのことですよ。勝手に聞き始めたんだから、ちゃんと最後まで聞かないと失礼だとか思わないんですか? さあ、よそ見なんかしないで。そうそう、それでいいんです。
いいですか? 話が終わるまで絶対に後ろを振り向いちゃいけませんからね。