(6)
「はい。お待たせ。この間ラフが来た時、道具一式置いてってくれて、助かったわ」
「はぁ!? ちょっと待て。まさか、ラフをこの部屋に入れたのか?」
「入れた……っていうか、すでにいたんだけどね」
それどころか、我が物顔でくつろいでいたのも、つい最近のことだ。
「あの野郎っ。今度あったら息の根止めてやる」
「サガラってば、何物騒なこと言ってるのよ」
「あのなぁ。お前こそ、部屋に勝手に侵入されといてなにノホホンとしてやがるっ。もっと危機感を持ちやがれ」
「夜に不法侵入してきた人の言葉とは思えないわね」
熱くなるサガラに思わずツッコミを入れてしまう。
「ぐっ。俺はいいんだよ。俺は」
「なんでよ?」
「と、ともかくだ! 今度あいつが来たら、つまみ出せ。つーか逃げろ。いいな?」
自分のことを棚に上げて、無茶なことを言い放つ。
「サガラはラフを誤解していると思う。ラフはサガラが言うほど悪い人じゃないよ?」
まぁ、とんでもなく曲者ではあると思うけれど。
「お前はあいつの腹黒さを知らないから、そんなことが言えんだよ」
心なしかサガラの視線が遠い。何というか、思い出したくないことを、思い出させてしまった感じだ。
「そ、そういえば、ザットとジュリアは元気にしている?」
暗い影を帯び始めたサガラへ違う話題を振ってみる。
「あー、まぁな。二人ともお前に会いたがってる。つか、そろそろ会えると思うぜ?」
「ほんとうに!?」
「あぁ。ここに入る申請は来た時から出してっからな。いいかげん、受理されんだろ」
「そっか。嬉しいな」
「よかったな」
「……」
そうなんだ。ザットやジュリアはここに来られても、サガラがここに来ることを許可されることはない。
だからこそ、こうして無理を通して会いに来てくれたんだ。
不謹慎かもしれないけれど、そのことが嬉しいと思ってしまう。
「なに、ニヤニヤしてんだよ。気持ち悪ぃ」
「う、嬉しいんだからいじゃん」
「ま、あいつらに会うのも久しぶりだかんな」
二人に会えるのも嬉しい。
でもサガラが今ここにいることが嬉しい……なんてことは、気恥ずかしくて言葉に出来ない。
誤魔化すようにゴクゴクと紅茶を飲み干す。
「……」
「?」
と、隣りに座るサガラが妙に静かなことに気が付く。
会話が途切れたまま少しの沈黙。
カップを置いて、サガラを見ると何だかぼんやりとしている。
「サガラ?」
「……」
私の問いかけに、妙に緩慢な動きで視線を向ける。
その瞳は空虚で無表情のまま。
まるで心のない人形のようだ。
「え?」
あまりのことに見入っている私へと、サガラは手を伸ばす。
その瞬間、口元が笑みを作るかのように小さく歪められた。
サガラであるはずなのに、サガラじゃない。
「!」
ゾワリと体に寒気が走り、思わずその手から逃れるために立ち上がり後づ去る。
ガシャーン!
テーブルに手をついた所為で、そこに置かれていたティーカップを払い落してしまった。
床にたたきつけられカップは、ことのほか大きな音を立てて二つに割れる。
「おいっ。何やってんだよ?」
割れたカップから視線を戻すと、そこにはいつも通りのサガラがいた。
「サガラ、大丈夫なの?」
「いやいや。それは俺のセリフだろ。なにしてんだよ。怪我とかしてねーよな?」
「……」
胸に去来する大きな不安。
不快で苦しくてせつない。
こんなの知らないはずなのに、これと同じ想いを、前にもしたことがある気がする。
でも、それがどこでいつのことだったか。
頭に靄がかかったみたいに思い出せない。
「ユーミ、もしかして具合悪ぃのか?」
「な、何でもない。手が滑っちゃってさ。ちょっとドジッちゃった。あはは」
気遣わしげな視線を向けて来るサガラに、わざとらしく笑ってみせる。
「ったく。驚かすなよな」
きっとサガラはさっきの状態を覚えていない。
ううん。私だって、見間違えだって思いたい。
(一体、何だっていんだろう)
思い出せないのに、“何か”に徐々に追い詰められているのだという感覚がある。
けど、それをサガラには言えない。
サガラには言ってはいけない気がするのだ。
「逃げたくなったらいつもで言えよ」
「え?」
「こんなとこ侵入すんのは簡単なんだ。お前が嫌になったらいつでも攫いに来てやるから」
その声は優しくて、いつものようにからかうような含みがない。
本気で心配してくれているのが分かる。
「それは困る……けど、また会いたい」
いけないことだと分かっていても、思わず本音が口をついてしまった。
「あぁ。また来る。今度はクッキーでもあると尚更いいんだが」
「うん。前にお弁当あげられなかったし、今度はラフに頼んでクッキーの材料用意してもらうよ」
「材料はいいが、ラフはここに入れんなよ」
ラフの名前が出た途端、サガラの眉間にあからさまに皺が寄る。
「……なるべく頑張る」
といっても、勝手にいるわけだし、どうしようもないんだけれど。
殺気立つサガラにはそんなことも言えない。
「あいつは善人面した詐欺師だ。今後、半径20メートル以内に入るなよ!」
「要求が大きくなってるじゃん! ていうか、そんなの無理だよ」
「いいから……」
サガラが言いかけたその時、扉をノックする音が響く。
「!?」
「ユーミ、入りますわよ?」
私が言葉を発する前に扉は開かれキアヌが姿を現す。
「キ、キアヌ!?」
「なんですの? おかしな声を出して……あら?」
訝しそうに私を見、続いて視線はその後ろへと向けられる。
いくらサガラ贔屓のキアヌでも、不法侵入したサガラを見逃してはくれないだろう。
「あの、その、これは……」
言い訳を捜すものの言葉はうまく出ずにしどろもどろになる。
「はぁ。割れたカップを放置するなんてどういう神経ですの? どいて下さいまし。片付けますわ」
そう言い放つと、私の横を通り抜け、床に落ちたカップへと手を伸ばす。
「あれ?」
「それに! どうしてテラスへの窓が全開ですの!? いくら城の中とはいえ、不用心ですわよ。今日は結界が不安定で修復作業中ですし、用心に超したことはないですのよ」
そこにサガラの姿はなく、変わりに開け放たれた窓から入った風がレースのカーテンをなびかせるのみだ。
(見つからないで出て行ったんだ)
まるで忍者のような素早さだ。
この様子だと、帰りも何とか見つからずに帰れるだろう。
「あと、ラフ様がいらしていたようですけれど、こんな夜更けに二人きりというのは感心いたしませんわね。あなたも一応女性なのですから」
「一応は余計だと思う。で? キアヌはどうしてここに?」
「明日、新たな精霊に会いに行く手筈が整いましたので、その報告まで」
「うわ。それはまた急だね」
「今回を逃すわけにはいきませんの。なにせ、やっと入り口を見つけたのですから」
「見つけたって、入り口は同じ場所にあるんじゃないの?」
「ええ。本来は。けれど今回の相手は……いえ。行けば分かりますわ。風の精霊“ウィン”に会えば」
どこか憂鬱そうにキアヌはそう呟いた。