(4)
「まさか、こんなことになるなんて……」
天空城へやって来て、この場所にも大分慣れてきたと思う。
だから油断してしまったのだ。
城の中なら何の心配もないだろうって。
その油断が仇になった。
四方に伸びる長い回廊と無数にあるかのような扉。
その一つに手をかけ、エイッと一気に開け放つ。
「ここも違った……」
もうすでに何十個目か分からない扉を閉め、その場に項垂れる。
認めたくないことではあるけれど、これは間違いなく迷子というものだ。
(キアヌとの勉強会なのに困ったなぁ)
たまには違う道から行ってみようと、気まぐれに思いついたのが運のつき。
まるで迷路のように、同じような造りの回廊が続き、同じような扉がズラリと並んでいる。
ちょっと間違ったかも?
なんて思いながら、先に進んでいたら、ついには戻る道すら分からなくなってしまった。
(誰かに聞こうにも、まったく人が通らないしさ。こんなに大きなお城なのに、人が少なすぎだよ)
なんて、八つ当たり気味に思う。
「キアヌ、怒っているよね?」
約束の刻限はすでに過ぎている。
会ったら間違いなく説教される。
あぁ。それはそれで、目的地には辿り着きたくなくなってしまう。
重い足を引きずり、次の扉に手をかけようとした時だった。
扉が音もなく開き、ドアノブを掴み損ねる。
「!?」
バランスを崩した私は、扉を開けただろう人物の胸に、そのまま思い切り倒れ込む。
「ご、ごめんなさい!」
「……」
謝罪したものの相手は無言。
私の存在を拒絶している城の人たち。
きっとすごく嫌そうな顔をしているだろうと、恐る恐る相手を見上げる。
けれど予想に反して、相手から私への嫌悪感はない。
ただ、驚いたように綺麗な緑の瞳を瞬かせている。
(あれ?)
エメラルドのような鮮やかな緑の瞳に、陽に光る銀色の髪。
中性的な整った顔立ちの美青年。
どこかで見たことがある気がする。
見惚れている私に、相手はニコリとほほ笑む。
その瞬間、カチリと記憶のピースが当てはまる。
「高窓にいた綺麗な幽霊!」
そう。この城で感じの悪い偉い人たちが話し合いをしているさ中見た、あの綺麗な幽霊とそっくりだった。
「幽霊?」
「……じゃないか」
叫んでみたものの、目の前にいるこの人は脚もあるし体も透けてない。
「あぁ。そうか。君には気づかれてしまったんだったね」
ほんの少し考えるように空を仰ぎ見てから、合点が言ったように頷く。
「幽霊じゃないけど、あの場にいた?」
私の問いに、その人は難なく頷く。
あの時と同じように、人差し指を口元に当て、悪戯っぽくほほ笑みながら。
「ここでは見つかってしまう。おいで。少し話をしよう」
「え!?」
私の返事を聞く前に、手をひかれそのまま部屋の中に引き込まれてしまった。
(この人って何者?)
いきなり部屋に連れ込まれて、警戒するべきところなんだろうけど、人懐っこいほほ笑みに毒気をぬかれてしまう。
「私はエルザ。こうして言葉を交わすのは初めてだね。ユーミ」
「どうして、私の名前知っているの?」
当たり前みたいに名前を呼ばれて驚く。
「この城で君を知らない者はいない。ホープを秘めた希望の少女」
緑の瞳が優しく慈しむように私を映している。
「わ、私はそんなすごいものじゃないんだけど」
城の人にこんな風に友好的な目を向けられたことなんてなかったから、思わず動揺してしまう。
「謙遜することはない。うん。君はまさしくリリスの再来だ」
「リリス?」
「今から十数年前に存在した、精霊に愛され、傀儡を唯一癒すことが出来たホープを持った少女の名だよ」
「ホープを持っていた!? それってどんな子だったの? あの、詳しく聞きたいんだけど」
ホープを持っていた人。
その人の話を聞けば、何か参考になるかもしれない。
ぜひとも詳しく聞きたい。
「時期がくれば喜んで話そう」
「今はダメなの?」
「うん。ダメだ。せっかくだから、次回会う口実に使いたい」
「……」
エルザって本当に何者なんだろう?
明らかに、今までお城で会った人たちと雰囲気も態度も違う。
人懐っこいけれど、何だか掴みどころがない。
「エルザはこのお城で何をしている人なの?」
「うーん。一言で言うのは難しいな。私も時々、自分が何をしているのか分からなくなる時があるし」
何それ……ってツッコミかけたけど、何だか苦笑交じりなその顔が、途方に暮れているように見えて、ツッコむのを止める。
もしかしたら、この人も何か複雑な事情があるのかもしれない。
「そっか。じゃあ、私が初めて此処に来た時、高窓にいたのはどうして?」
変わりにずっと気になっていたことを聞いてみる。
「ホープを持っているという君を、一目見たかったから。何度も掛け合ったのだけれど、どうしても立ち会う許可が下りなくて、無理矢理忍び込んだんだ。まさか、当の本人の君にバレるとは思いもしなかったよ」
「私もまさか、あんなところに人がいるとは思わなかったから、てっきり幽霊かと思ったわ」
「ははっ。そうか。驚かせてすまなかったね」
「別にいいんだけど……あ!」
「ん?」
「た、大変! 私、人と約束があって……あぁ。一瞬きれいさっぱり忘れてたっ」
思わぬ相手に遭遇した所為で、自分が迷子だったことなんて忘れていた。
「あぁ。そういうことか。こんなところに人が来るなんて珍しいと思っていたけれど、もしかして迷い込んで来たのかい?」
私は半泣きで何度も頷く。
「そうか。君には災難だったけれど、私には思わぬ幸運だった。おいで、君の目的地まで案内しよう。此処は長年いる者でさえ、時々迷うことがあるくらい入り組んでいるからね。あまり、不慣れな道は進まない方がいい」
「ありがとう、エルザ!」
「どういたしまして」
部屋を出ると、エルザは慣れた足取りで歩いていく。
(それにしても、長年いる人も迷うって、どれだけ入り組んだ造りをしているわけ? はた迷惑な)
迷った自分が悪いんだけれど、文句の一つも言いたくなる。
「さあ、この道を曲がってまっすぐ行けば目的地に行き着くよ」
「ありがとう! 本当に助かったよ」
「いや。私こそ君と話せて楽しかったよ。今度、会いに行ってもいいだろうか?」
「もちろん。大歓迎だよ」
と、そう答えた時だった。
「見つけましたわ!!」
遥か遠くから聞こえてきた、聞きなれた声。
「げっ。キアヌ」
明らかに怒気を含んだ形相に、思わず逃げ出したい心境になり、助けを求めてエルザを振り返る。
「あれ?」
けれど、そこにはすでにエルザの姿はなかった。
「今までどこにいらしたの!? あなたの所為で、私の立てたスケジュールはめちゃくちゃですわ!」
やってきたキアヌは怒りマックスの表情で詰め寄ってくる。
「ご、ごめんなさいっ。迷子になっちゃって……」
「はぁ!? あなたおいくつですの? 何て間抜けな」
もっともなことすぎて、言い返す言葉も見つからない。
まくし立てるキアヌを前に、ただ謝ることしか出来ない。
「……まったく。心配して損しましたわ」
一気に言い終えたキアヌは、最後に小さく息を吐き呟く。
そこには心底安堵したような表情がある。
「ありがとう。キアヌ」
自然とお礼の言葉が口を吐く。
キアヌが怒ったのは心配していてくれたってことだ。
エルザとも仲良くなれそうだけど、やっぱりこの城の中で一番の味方はキアヌだ。
(なんて思う日が来るなんてね)
こんなにもキアヌを信頼するなんて、最初からはとても想像出来ないことだ。
なんて感慨深く思っていたのもつかの間のこと。
「あなたは馬鹿ですの!? お礼を言っている場合ではないですわ。いいですか? あなたは自覚というものがですね……」
その後、キアヌのお説教は日が傾くまで終わることがなかったのだった。