(3)
そこは暗闇。
(また此処に来ちゃった)
目が覚めれば忘れてしまうのに、今は鮮明にこの不快で寂しい場所に来たことがあると、思い出してしまった。
自分自身を抱きしめ、その存在を確認する。
そうしなければ、自分が本当に存在しているのかさえ、分からなくなってしまいそうだから。
『おめでとう。愛しの君』
空間に響く白々しい空虚な言葉。
「……」
『炎の魔力を手に入れたんだろ。さすが俺が見初めた君だ』
反応を返すことさえ嫌で、無言になった私を無視して、声の主は上機嫌に続ける。
『本当に君は素晴らしい』
「!?」
ふっと何かの気配を感じ周りを見渡すけれど、やはりどこもかしこも暗闇で、何一つ見えない。
空間は無限に広がっているようで、逃げ場のない箱庭の可能性もある。
夢だと思っているけれど、夢じゃないかもしれない。
「相変わらずムカつく。そういう心にもない言葉並べ立てないでほしいんだけど」
不安を振り払い、声の主へといつものように抗議する。
私を称賛しているかのような言葉とは裏腹に、その声には明らかな侮蔑が含んでいる。
「本心だよ。君は素晴らしく愚かで滑稽で、どうしようもなく愛おしい存在だ」
その声は耳元で冷たく響く。
「!?」
今まで遠く響くように放たれていたそれは、現実味を帯びたものへと変わって、“誰か”の声と重なる。
重なるどころじゃない。
まるで同じだ。
振り向いてその姿を確認したいのに、体はその場に張り付いているみたいに動かくなくなっている。
「あと少しだから。俺の思う通りに踊っていてくれ。そうしたら、最上級の絶望をプレゼントしよう」
優しく耳元に囁かれる声にゾッとする。
(やっぱり同じだけど全然違う)
声は似ていても……ううん。
似ているからこそ、まったくの別者だって認識出来る。
そう此処にいるのは偽者だ。
私が知らない人。
「君に触れられないのが残念だ。けど……から。……、……る。俺は……、……」
この世界が遠ざかる。
夢の終わり。
そしてまたきっと忘れてしまう。
それに微かな焦りを感じるのはなぜだろう?
「ユーミ」
名を呼ばれ泣きそうになる。
その声はずっと聞きたいその声と確かに同じだから。
ねぇ、あなたは……ダレ?
「なーに、寝ぼけておりますの? 私はキアヌですわよ」
「ふへ?」
唐突に降ってきた声に重い瞼をあければ、仁王立ちしているキアヌの姿があった。
「今、何時だとお思い? まさか、まだ寝ているなんて思いもしませんでしたわ」
その言葉に眠い目を擦る。
部屋の中は日の光が差し込んでいて明るい。
夜じゃないことは確かだ。
「そんなに遅い時間?」
「もう昼の鐘も鳴り終えていましてよ」
「……えぇ!? 嘘っ」
慌てて飛び起きてみると、服も昨日のままだ。
ラフと話をして、その後、ベッドに一度寝転んだが最後、そのまま寝てしまったらしい。
「はぁ。湯あみもなさらず、服もそのまま。あなたは、女性と言う自覚がありまして?」
呆れかえったキアヌの視線が痛い。
「疲れすぎて、色々ショートカットしました」
床に転がって寝なかっただけでも褒めてもらいたいくらいだ。
なんてことは口には出せないけど。
「まぁ、体調は崩してないようですし、何よりでしたわ」
「心配してくれてたの?」
「……誤解なさらないで。あなたの補佐として、あなたに倒れられては困るだけですわよ」
いつものように素っ気ない返事だけど、心配してきてくれたのは事実だ。
言い方がツンデレなだけ。
「ありがと。私、次もがんばるよ! 二人で四大精霊制覇してやろうじゃないの!」
「何ですの? 昨日はズタズタヨロヨロで半べそだったくせに、一晩寝ただけで回復するなんて、あなたは本当に単純ですのね」
「悪かったわね」
昨日ラフから聞いたキアヌの事情。
お互いのために手を取り合って頑張りたい……って思うけれど、どうもキアヌは私に対して妙に棘がある。
「キアヌって私のこと嫌い?」
意を決して直球で聞いてみる。
「嫌いですわ」
一瞬の迷いもなく同じく直球で返された!
「えーと、理由とか聞いても……」
胸に突き刺さる痛みに耐えながら、めげずに再度聞いてみる。
「私がサガラ様をお慕いしているからですわ」
予期せず出て来たサガラの名前。
サガラが好きだと私が嫌い?
なぜそうなるのか。
「え? それが、私とどういう関係が」
「……」
本気で分からず質問してみたものの、向けられた視線が冷たくてますます痛い。
「あなたはサガラ様の何ですの?」
「え? 前も説明したけど、私はサガラの同居人だよ」
「それだけですの? 男と女としての感情はお互いないと言い切れますの?」
「えぇ!?」
「どうなんですの?」
「どうって言われても……」
まるで尋問を受けているみたいだ。
段々とにじり寄ってくるキアヌが怖い。
(私とサガラにそんな要素ない……よね?)
ジュリアに散々それらしいことを言われて、サガラと否定してきたけど、どうしてだろう?
キアヌには“違う”って返せない。
「黙るということは、そういう気持ちがおありですのね?」
「そ、そんなことない。だって、私はここの世界の住人じゃないんだし……」
「それが、何か関係ありますの? 想いは何ものにも侵せないものですわ。それを言うなら、私とサガラ様にも大いに隔たりがありましてよ? それでも、私はサガラ様をお慕いしておりますわ」
清々しいほどに迷いのない答え。
キアヌは本気でサガラが好きなんだってことが伝わってくる。
そのことに小さく胸がざわつく。
「私は……」
キュルルル~。
緊迫した空間に響くお腹の音。
前はキアヌのものだったけど、今度は正真正銘私から出た音だ。
「あはは。えーと。お腹減ったみたい?」
ずっと寝てたとはいえ、もうお昼過ぎ。
お腹も減るはずだ。
ヘラリと笑ってキアヌを見ると睨み返された。
「うっ」
「はぁ。食事の前に湯あみをなさいませ。そんな小汚い恰好で城の中を歩かれては、サポート役の私まで品位を疑われますわ」
殺気だった目で睨まれたものの、毒気を抜かれたのか、それだけ言うと踵を返す。
(助かった~)
部屋からキアヌが立ち去りホッと胸をなで下ろす。
私がサガラをどう想っているか。
「そんなの私だってよくわかんないよ」
思わず声に出てしまった本音。
この世界でずっと一緒だったから、もう側にいるのは当たり前の存在。
「サガラに会いたい……」
だから、こんな風に無性にサガラに会いたくなるのは、ホームシックみたいなものだ。
きっと恋とか愛とは違う。
違ってもらわないと困る。
私とサガラは文字通り、住む世界が違うんだから。