(3)
新しい同居人、精霊のザットが加わって数日経ったある日の夕方。
私とザットは市場へと買い物に来ていた。
「ちょっと遅くなっちゃったね」
市場は誘惑が多い場所だ。
今日は珍しい大道芸人が来ていて、こんな時間まですっかり魅ってしまっていた。
人と物でごった返すそこは、私が売りに出されていた因縁の場所でもある。
最初の頃は、おっかなびっくりだったけれど、今ではすっかり慣れ親しんでいたりする。
最近知ったことだけど、この世界で黒髪黒い瞳というのはとても珍しいことらしい。
その所為か時々、奇異の眼差しを向けられたりもするけれど、今ではへっちゃらになっている。
「サガラがおなかを空かせてまっていますね」
隣をパタパタと飛ぶザットが、真面目な顔でそんなことを言う。
「あはは。そうだね」
まるで、子供を気にかける母親みたいなザットの言葉に、思わず笑ってしまう。
平気なのはきっと、この世界で『家族』みたいな『仲間』が出来たからだ。
サガラやザットやジュリア。
それに、少しずつ市場でも顔なじみが出来始めている。
一人じゃないと思えば心強い。
「今日の夕飯は、何にするんですか?」
「ハンバーグにしようと思ってるんだけど」
ハンバーグはサガラの好きなメニューの一つだ。
最近仕事が忙しいとかで、サガラは外出していることが多い。
ジュリアがこっそり教えてくれたんだけど、どうやら私が来たばかりの頃は、仕事を控えてくれていたらしい。
そんな話を聞いちゃったら、なにもしないわけにはいかないじゃない?
今のところ、サガラが喜んでくれる私が出来ることは、料理くらいだもの。
たまには、あいつの好きなものを作ってもいいかなって思ったんだ。
「それでは、ちょっと失礼しますね」
ザットが私の額に手をかざす。
「分かりました。えっと、ザイとハサシの肉。それにロアの実です。売っているのは、西通りの……」
私の世界とこちらの世界では、食材の名前が違ったりする。
だから、前はいちいち店を端から渡り歩いていたんだよね。
それが今では、こうしてザットが道案内をしてくれるんだ。
ザットは額に手を置くと、私のイメージする食材を読み取れるらしい。
私の世界じゃ考えられないことだけど、すでに“精霊”とお買いものに出かけている時点でありえない事態だもの。
もうちょっとやそっとのことじゃ驚かないわよ。
「ふふ。馴れって恐いわよね」
「どうかしましたか?」
「ううん。なんでもない。行こう……」
そう言いかけて、ふと耳に届いた声がひっかかった。
ううん。それは声じゃなくて歌だ。
人が多いこの通りのどこからか、聞いいたことのある歌が聞こえる。
それは私が大好きなバンドのもの。
私の世界の住人なら、誰でも一度は耳にしたことがあるんじゃないかってほどメジャーな歌。
でもここは異世界。
それなら、この歌を歌っているのは……。
「ユーミ?」
突然固まってしまった私に、ザットが小首をかしげている。
「ザット! ちょっと待ってて」
説明する時間も惜しくて、私はそう言い捨てると歌が聞こえる方へと走り出す。
人をかき分けて、切れ切れに聞こえてくるそのメロディを頼りに前に進んでいく。
ほどなくして開けた広場の一角に、小さな人だかりを見つける。
歌はその中心から聞こえてくる。
『君に出会うために僕は……』
聞きなれたフレーズとメロディ。
ああ。やっぱりだ。
胸が高鳴る。
しかも、まるで本人が歌っているかのような完璧なコピー。
かなりうまいのだ。
人だかりの一歩後ろで、思わず聞き惚れてしまう。
最後まで歌いきると、大きな拍手が周りから起こる。
そうして、人垣が崩れていき、声の主の姿が見える。
そこには赤い髪の少年がいた。
年は私と同じくらいかもしれない。
猫のようなつり上がりがちな大きな目は、どこかひとなつっこさを感じる。
格好は光沢のあるグレーの詰襟を、胸元を開け放ち着崩している。
もしかしたら、どこかの学校の制服なのかもしれない。
自分と同じ世界の人。
そう考えたら、ものすごくワクワクしてきた。
「はぅ。ユーミ。やっと追い付きました~」
「あ、ザット。ごめんね。いきなり走ったりして」
パタパタと飛んできたザットは、少しフラフラしている。
小さなザットには、付いてくるのも大変だったみたいだ。
「大丈夫ですけど、どうかしたんですか?」
「うん。それがね……って! 行っちゃう!!」
雑踏に消えかかっている赤毛の少年の元へ走り寄ると、思わずヒラリと風に揺らいだ詰襟の裾を掴む。
「は!? なんだ?」
動きを止められた相手は、ものすごく怪訝な顔をして振り返る。
と、バッチリと目が合ってしまった。
私が裾をガッチリと掴んでいるのを見て、驚いたように目を瞬かせ、「何なんだ?」というように、不審そうに私を凝視している。
そりゃそうだ。
いきなり服を掴んでひきとめられても、意味分からないって感じだろう。
「SHAD……」
言いたいことがたくさんありすぎて、ものすごく端折って、私の口からは歌の題名が口を付く。
ますます意味分からないって顔されているし! うわっ。変な女だって思われてるわよね。これは。
「さっきの歌がどうか……」
怪訝な顔のまま口を開いた赤い髪の少年は、言いかけて目を見開く。
「さっきの歌の名前。え? うわっ。なに、君。もしかして、日本人だったりするわけ?」
「うん! もしかしてあなたも?」
聞くまでもなく、この反応はそうなんだろうと思うけれど、私も聞き返してみる。
「おうっ。すっげー! まさか、こんなとこで同じ世界の住人に会えるなんてな」
赤毛の少年は満面の笑顔を浮かべた。
これが、時夜との初めての出会いだった。