転生令嬢は貴族をやめたい
朝食なのか昼食なのか、どちらでもない時間に一人食事をするソフィー・デグシラ。
デグシラ伯爵家の長女として異世界に転生していた。
この数年、家族と食事をした記憶はない。
今日はソフィーにとって特別な日。
長くソフィーの居場所の無かった伯爵家と縁を切る日。
ソフィーは食事を終えると、一人で邸の中を歩いてまわる。
二度と戻るつもりもない生家。
幸せな思い出は、寂しい思い出で全て塗り替えられていた。
邸の使用人も家族から見向きもされない私には関心を持たなくなっていた。
中庭を眺めながら、幼かった頃兄と仲良く追いかけっこをしていた事を思い出していた。
兄のオリバーは4歳上。
来年お義姉様になるミシャ侯爵令嬢との結婚を控えていた。
オリバーはソフィーをそれなりに気にかけてはくれる。
が、ソフィーの2歳下の義妹のアリシアの方に愛情が注がれているのも事実。
ミシャお義姉様がソフィーへの対応の悪さに驚き、そして憤慨されオリバーは物凄いお説教を受けたのだ。
それからは何となく兄は気にかけてくれるようになった。
(ミシャお義姉様に言われて気が付くような情しかなく、あれだけ言われても結局時間が経てば元に戻る……。私の価値はそんなもの)
ソフィーは早々に家族からの愛情は諦めていた。
無駄な時間を過ごすより、自分のために時間を使う事に費やした。
邸での味方は老執事と侍女長の二人だけ。
老執事の息子である執事補佐も、アリシア贔屓が過ぎる。
どうでも良いので、老執事には放っておくように伝えてある。
そんな事よりも、味方の二人には私の計画の手伝いをお願いした。
ソフィーとアリシア。
二人への愛情が偏っている事は、デグシラ伯爵家では当然の事となっていた。
太陽のような笑顔で場を明るくするアリシア。金髪金目で幼い顔で微笑むと、皆の気持ちまで明るくさせる。
ソフィーは銀髪蒼眼の美しいが冷たい顔立ち。
少し距離を感じる空気を纏っているため、初対面の人からは一歩引かれた対応をされる。
今日はソフィーの18歳の誕生日。
一人前の成人となり、貴族であればお祝いの催しとして邸で夜会が開かれ、各家門に顔見せを行う特別な日である。
だが、今日も伯爵家ではアリシアの甘えた声が聞こえるだけだった。
ソフィーが10歳頃から伯爵家の様子が変わった。
アリシアは両親と仲の良かった子爵夫妻の忘れ形見。
両親を事故で亡くしたアリシアは、子爵家を継いだ弟夫妻によって孤児院に預けられていた。
後に解った事だが、実際はアリシアの素行不良に悩み再教育として教会に預けただけであった。
しかしアリシアは自分の素行の悪さを棚に上げ、街で捨てられた貴族の娘だと話して回っていた。
両親がその話を耳にし、伯爵家で引き取った事が変化をもたらした原因。
ソフィーから見ても、両親を亡くし孤児院に入れられたアリシアを可哀想だとは思った。
妹を大切にしようと気を配っても、ソフィーが何かをすれば泣き出してしまうアリシア。
その度に両親からも兄からも責められた。
私は自分のお菓子を渡しただけだった。アリシアが一番好きなお菓子だと聞いたから……。
「孤児院にいたからって、物乞いじゃないわ!」
(オリバーお兄様からはお菓子を貰ったら喜ぶのに?なぜ?)
泣き喚くアリシアをソフィーの家族が慰めて、私は言い訳をする事すら出来ず責められた。
そんな事が続けばソフィーがアリシアを嫌うのは当たり前。
避けても責められ、相手をすれば泣かれて責められる。
うんざり……。
ソフィーはアリシアから嫌われており、嫌がらせとしてソフィーを排除している悪意には気が付いていた。
ソフィーの誕生日や入学……。
お祝い事が近づくと病(仮病)になる。
お祝いの日が過ぎると、病(仮病)は完治する。
ソフィーからすれば、全てがうんざりでしかなかった。
両親や兄の愛情は全て義妹へと向けられた。
本当の娘や妹より他人のアリシアを可愛がる人達を家族とは思えなくなっていた。
愛されたくて無理に笑った。
寂しいと訴えた事もある。
きちんと気持ちを伝えたけれど、私の気持ちを掬い上げては貰えなかった。
暴言や暴力があった訳では無い。
令嬢としての教育も衣食住もそれなりに与えられた。
でもソフィーには贈り物は与えられただけで終わる。
アリシアにも同じ物を与えられるが、さらに言葉も愛情も与えられる。
最後に会話をしたのはいつだったのか。
顔を合わせ、視線を合わせたのはいつだったのかすら……記憶にはなかった。
いない存在とされ、無関心が過ぎれば家族とは思わなくなるのも当然な気がする。
そんな無関心さを利用して、私は家を出る計画を15歳の祝われなかった誕生日の夜に決意し早々に計画を立てた。
毎月のお小遣いを貯め、お茶会や夜会に使われる衣装代や宝飾品代を最低限にして予算も貯めた。
お茶会や夜会にはアリシアを連れて行き、ソフィーはお留守番がほとんどであったのでお金は貯まっていく。
ソフィーが16歳になると商業ギルドへ老執事と向かい、投資や芸術家のパトロンとなり、たった2年で予定していた金額の貯えが出来た。
中庭を眺めるのをやめたソフィー。
「もう行くわ」
ソフィーが老執事のダレンと侍女長のメイシーにそう告げた。
「貴方達はお店のある邸に来てちょうだい」
ダレンとメイシーはソフィーに頭を下げ、伯爵家を出て行くソフィーを見送った。
「さあ。離職願いを出したら直ぐに向かいましょう」
ソフィーを冷遇する伯爵一家に見切りをつけ、ダレンとメイシーは直ぐに邸を後にした。
〜 ❀ ❀ 〜
ソフィーが向かったのは商業ギルド。
ギルドマスターへの挨拶に来ていた。
「ソフィー様。成人のお誕生日、おめでとうございます」
ギルドマスターがソフィーへ最初にかけてくれた挨拶は、お祝いの言葉だった。
「あ、ありがとうございます……」
頬を染め、ぎこちない笑みでお礼を伝えるソフィー。
ギルドマスターはソフィーが伯爵家で冷遇されている事を執事のダレンから聞いていた。
このように美しく賢い実の娘を冷遇するとは、全く意味が解らなかった。
「いつから開業になりますか?」
「全て準備は出来ていますので、明後日からですわ」
「私が一番のお客になる予定でいますので、明後日は妻を連れてお店に伺います」
ソフィーは小さく微笑み、
「お待ちしております」
そう返事を返した。
商業ギルドを出て、ダレンとメイシーが待つ邸に向かう。
ソフィーは買い手のつかない古い邸を数軒買い取り自ら改築していた。
住まいとして使う邸は小さいが、広大な庭園があった。
ソフィーが買い取る理由は広大な庭園が欲しかったからだ。
町中に購入した邸も改築済み。
邸に入り、明日この邸に来るお客様のために準備を始めた。
翌朝、ソフィーの邸の門には高位貴族の家紋が入った馬車が並んでいた。
ダレンが馬車に気が付き、メイシーにソフィーを起こしに向かわせた。
「お嬢様!大変です!高位の方の馬車が列をなしております!」
メイシーの悲鳴のような声に、ソフィーがベッドから飛び起きた。
「直ぐに支度をします。ご令嬢は客間に案内して。馬車はそれぞれの門から入り、待機してもらいます」
ソフィーは的確に指示を出し、自身の身支度を始める。
この日から貴族の濃い化粧を止め、薄化粧に変える。塗りたくられて、気持ち悪い思いを我慢しなくてすむ。
前世のメイクを思い出し、軽く化粧をした。
客間に急いで入ると学園で仲良くしてくれる令嬢達が待っていた。
公爵令嬢のイザベル様。
侯爵令嬢のキシャール様
伯爵令嬢のセシリア様とカレン様
「早く来過ぎですわ!」
挨拶もせず、ソフィーが文句を言った。
イザベルが罰の悪そうに、「だって……」
と、もじもじしている。
「気になって仕方なかったのですわ!ソフィーが話す内容を聞いたら、早く見たくなるのは仕方ありませんのよ。それに……ソフィーのお化粧、素敵ね」
イザベルの言葉に、三人もうんうん頷いていた。
「はぁー、解りました。楽しみにして下ったのは嬉しいので、早速向かいましょう」
ソフィーが四人を引き連れ邸の裏の広大な庭園へ案内をする。
前世やってみたかった薔薇園の迷路。
迷路といっても出口はない。
薔薇の背丈を2mくらいにして、人が歩いても見えない壁にする。
薔薇を堪能しながら道を進むと、ガゼボがある。
籐で出来たカウチソファーが幾つも置かれ、沢山のクッションを敷き詰めた籐のカウチソファー。
形は様々で、長く作られたソファーは横にもなれる。
完全なるプライベート空間。
四人はその光景をキラキラした眼差しで見つめていた。
「貴族って窮屈じゃない?仲良しでお茶会をしても誰かの視線を気にしなければならないでしょう?たまには誰の目も気にせず、ゆっくり過ごせる場所があったら良いなーって考えたのよ」
「凄い!最高よ!」
四人はカウチソファーに横になろうとしたが、
「あ!ヒールは脱いでね」
「脱いでいいの?」
「ヒールって疲れるでしょう?」
セシリアとカレンは少し戸惑っていたけれど、イザベルとキシャールがヒールを脱ぎカウチソファーに横になると二人もヒールを脱いだ。
「はしたないわね。私達」
公爵令嬢であるイザベルがいたずらっぽく口にした。
「誰が見ているか解らないから、ずっと気を張っていないといけないでしょう?貴族として、高位貴族として担う役割は確かにあるわ。でも、自分らしく気を緩める時間って寝てる時だけよね」
イザベルの話にキシャールもセシリアもカレンも意見は同じ。
「ごめん。伯爵家で気を張る事をする必要がなかったから、私は皆の息の詰まる生活は解らない……」
四人はソフィーの言葉にハッとなり言葉を探していた。
学園の3学年である四人はソフィーの扱われの酷さを知っている。
1学年の義妹のアリシアが、ある事ない事言い回っている事を知っている。
はっきり言うと、学園ではソフィーの味方の方が多い。
伯爵家の実子がお茶会にも夜会にも顔を出さずアリシアが出席している。
ソフィーからの欠席の返事の筆は母親である事も、各家門は気が付いている。
ソフィーを知れば知るほどに、アリシアが言う人物に当て嵌まらないのだから。
「ソフィー。本当に伯爵家を出たの?貴族籍は抜かないわよね?」
イザベルが心配そうにソフィーに問いかける。
「本当は今すぐにでも籍を抜きたいとは思っているの。貴族をやめて平民になって自由に事業をやりたいわ……。
でも、まだ事業を始めたばかりだから貴族である事が有利なのも事実よ」
ソフィーは貴族籍から抜けたいほどに、伯爵家が嫌いなのだ……。
イザベル達はまだ令嬢として生きている。自分達は家の歯車の一つでしかない自覚はある。
ソフィーに貸す力は無かった……。
「暗い話はここまでよ。今からお茶とお菓子を出すわ。この棚に全て準備してあるから、いつでも好きに飲めるの」
ソフィーが棚から紅茶ポットと焼き菓子を出した。
「お菓子も商業ギルドから販売するの。紅茶ポットは魔石を使った特注品だから、ずっと冷めないの」
手慣れた所作で紅茶を淹れ、お菓子を盛り付けていく。
紅茶はハーブを使ったスッキリとした味わい。
焼き菓子を一口かじると、バターの香りが口の中に広がる。
四人は「美味しい」と、その一言しか口に出来ていない。
「前以て伝えてくれれば軽食も用意するわ。今日のお昼はお試しで、皆に振る舞うから楽しみにしてね」
四人は軽食を楽しみに、美味しい紅茶を口にする。
「ソフィー、このお店は女性しか入れないのかしら?」
「女性専用ではないわよ?婚約者と来て仲を深めるのに使ってくれても構わないわよ」
ソフィーはいたずらっぽく軽い口調で、質問してきたキシャールへと返事をした。
「べ、べ、別にあの人と来たいって、い、言ってなくってよ?」
焦るキシャールだが、
「誰も宰相補佐のレイナル様と一緒にどうぞ。とは、言ってないわよ?」
ソフィーがさらりと言うと、キシャールは真っ赤になっていた。
「ごめん。冗談だけど、本当に私用で使ってくれて構わないわ。でも、この邸は紹介でしか入れない仕組みにするの。貴女達がここを気に入ってくれたなら、信用のおける人にだけ教えて欲しい。それでも、私が断る可能性もある事は覚えておいて欲しいわ」
「価値をつけるのね?」
イザベルがソフィーに問いかける。
「そう。価値をつけて特別な場所にするわ。そう出来る仕掛けをしてあるもの」
ソフィーがパチンと、指を鳴らすと薄いドームの結界を張った。
透けて見えるが、キラキラ輝いているので結界があるのが見て解る。
「雨が降っても関係ないのよ?このガゼボはそれぞれの馬車置き場から繋がっているの。誰の目にもつかず、入って来れる。
馬車置き場からここまで雨も雪も濡れる事はないし、雨だから外出を止める必要もない。
雨の音を聞きながら静かにゆっくりと過ごせるわ」
ソフィーが両手を広げ、水魔法で雨を降らせた。
結界に当たるパチパチとした雨音を聞き、目を瞑り耳を澄ませる。
ただ、雨音だけを聞いていると四人の目から涙が流れた。
ソフィーは皆の疲れた心が少しでも癒されればと、優しい雨を暫く降らせていた。
「ありがとう、ソフィー。疲れた心が回復するのがわかるわ」
セシリアがお礼を伝えるとイザベル達も感謝の言葉をくれた。
「軽食をそろそろ運ぶわね」
ソフィーが立ち上がり迷路の奥へと消えて行った。
「ソフィーは凄いわね。私があんな家族と暮らしたら捻くれちゃうわ」
「社交界では有名だもの。実子を冷遇する歪な伯爵家って」
「お母様から教えて貰ったのだけれど、確かにアリシア様は可愛らしいとお話がお茶会でも話題にはなるそうよ。
でも、それよりも伯爵夫妻は行き場のない可哀想な子供を引き取って、育てている優しい自分達。その空気に酔いしれているんじゃないかしら?って、お母様達は思われてるようよ。伯爵夫人の口癖がソフィーと違い、アリシアは可哀想な子で……。みたいですし」
「それで実の娘のソフィーに嫌われているなら本末転倒よね!」
「しっ!」
ソフィーが戻ってきたので、伯爵家の話は止める。
「これが明日から出す軽食の一つよ」
銀のトレーに紙ナプキンを敷き、小さな一口大のパンが運ばれてきた。
「これは、サンドウィッチよ。野菜やハムに玉子。沢山具材を挟んであるわ」
テーブルに置かれたサンドウィッチとやらは、可愛らしく、でも綺麗に切り揃えられ並んでいる。
「食べても良いのかしら?」
四人はサンドウィッチから視線を外さずソフィーに尋ねた。
クスリと笑い「どうぞ」
ソフィーがそう口にすると、優しくサンドウィッチを摘みパクリと口へと運んだ。
口に入れた瞬間に目を見開き、咀嚼すると口に手をあて驚いている。
「なにこれ!美味しいですわね」
「噛むとパンの甘みと玉子の酸味が合いますわ」
イザベルとキシャールが感想を述べる中、セシリアとカレンはモグモグ口を動かし、次々とサンドウィッチを手にしている。
ずるい!
と、四人は騒ぎながらもサンドウィッチへと手を伸ばす。
この世界に食パンなる物はなく、パンに具材を挟むサンドウィッチも無かった。
お菓子も前世と似たような物はあるけれど、ソフィーが大好きなお菓子は無かった。
ないなら作れば良いのでは?
そう考え、購入した邸はまず厨房から改築して、色んなお菓子を作り商業ギルドでギルドマスターに試食してもらい販売をしている。
商業ギルドの受付の隣にカウンターの店舗を作ってもらい、販売をしている。
なぜ受付の隣にあるかと言うと、ギルドの受付嬢の強い要望でギルマスは言い負かされ、受付の隣に店舗を置くことになった。
ギルドの受付嬢はストレスが溜まるらしく、ソフィーのお菓子で癒されたいとギルマスと店舗の場所を巡り争ったのだ。
そもそも、お菓子を前にした女性陣に勝てるはずもないのだ。
街に購入した邸は、商人向け・平民向けと専用に作った。
商人向けは個室がメインで、沢山のお酒を用意した。
酒を酌み交わしての交渉にも利用しやすいように、完全個室。
ソフィーが欲しいお酒はあってもお酒を作るには時間も費用もないため、この世界にあるお酒を使いカクテルを作る事にした。
前世、バーテンダーをしていたソフィーはカクテルの配合を記憶していたので、従業員をバーテンダーとして育てた。
平民向けは普通の喫茶店ではあるけれど、半個室で隣と視線が合う事はない。
家族で、恋人で気軽に利用してもらえるように、料金はとても安い。
日々働くことに追われる人々に、少しでも気楽に楽しめたらと価格設定を低くした。
収入は商人向けと薔薇園で十分あるはずなので、平民向けは赤字となっても構わなかった。
事業が軌道に乗るまでの資金は蓄えてある。従業員を路頭に迷わすこともない。
ギルドマスターと練った事業計画は、綿密に仕上がっている。
「明日から三店舗運営が始まるから暫くは会えないかもしれない。落ち着いたらお茶会に誘っても良いかしら?」
ソフィーがそう尋ねると、四人は快諾してくれた。
「ところでソフィー?婚約者のパレス侯爵子息とはどうなっていますの?」
イザベルはずっと気になっていた事をソフィーに尋ねた。
ソフィーは一瞬キョトンとしたが、ハッとなり苦笑いをした。
「会っていないのですか?パレス侯爵子息はレイナル様と一緒に王太子殿下の側近をしておりますが、会えないほど忙しくはないはずですよ?」
キシャールは自身が同じ側近のレイナルとは定期的に交流をしているので、パレス侯爵子息のお休みはなんとなく把握出来ている。
「正直忘れてましたわ。ここ一年は事業に夢中でしたし、それに婚約者として交流出来たのは最初の半年くらいですわね。それ以降はお手紙も返事は無く、こちらから贈り物をしても届いたのかすら解らないのです。
私はあの家で何かを待つとか、期待をする事は捨てましたので、婚約者の存在も無意識に捨てていたのでしょうね。パレス様の名前が出るまですっかり忘れていましたから」
四人は淡々と話すソフィーが本当に婚約者を忘れていたと確信する。
「婚約を解消されますの?」
「そうね、私としては解消しても全く問題ないかと。婚約解消となれば、伯爵家が恥をかいたと私を捨ててくれるかもしれないですしね……。そうなると婚約解消も良い案かもしれませんね」
何やら怪しい考えが浮かんだソフィーの思考を他に向けようと、イザベルが話題を変えた。
「今日帰ったらお母様にこの庭園の話をして紹介したく思いますが、よろしいかしら?」
ソフィーはブツブツ考え込んでいたが、イザベルの言葉に我に返った。
「はい。皆様のご家族は優先で予約を受けますわ」
四人は早速帰ったらお母様達に話をして、是非にこの庭園で癒されて欲しいと願っていた。
翌日は宣言通り、ギルマス夫妻が一番に来店してくれた。
邸を囲む塀には、邸を購入してから新しく門を五箇所作っていた。
それぞれの門から馬車が入り、馬車置き場から直接薔薇を眺めながらガゼボまで歩いて行く。
美しい薔薇とガゼボに用意された紅茶にお菓子。
オープン初日は、ソフィーの夢を手助けしてくれた方のみ招待していた。
今世も前世も自身に一番近い人からの愛情は手に入らなかった。
でも、それ以外の人からの愛情は同じく与えてもらえた。
今日招待をした人達の顔を見て、頑張って良かった諦めずに自分の居場所を作って良かった。と、心の中でソフィーはホッと息を吐いた。
前世、ソフィーは年の離れた弟達がいた。
学費を工面するために早朝から深夜まで働きづめだった。母親はフラフラと男の家に住み着き、別れては戻りまた出ていくを繰り返していた。
弟達には苦労はさせたくないと働いたが、深夜バーテンダーをしていたために帰宅した姉からはお酒の匂いがする。弟達は飲み歩き遊んでいると勘違いをしていた。姉は喧嘩になる度に仕事だと説明するが、信じてもらえなかった。
弟達のために頑張っているのに。
自分は何をしているのだろう。
同級生は結婚したり、仕事で昇進したり幸せそうにしている。
疲れ果てた思考で考える事は負の感情しか湧かない。
考えないように仕事を増やし限界を迎えた体は倒れてしまう。
ソフィーの前世の記憶は倒れていく景色で途絶えた。
「間違いなく過労死よね」
ポツリと呟く言葉を拾った誰かが不意に声をかけた。
「死んでもらっては困ります。ソフィー嬢」
ソファーに座りボーッと薔薇園を眺めていたソフィーは、ゆっくりと振り返った。
「………パレス様でしょうか?」
疑問形で名を呼ばれ、苦笑いしか浮かべることが出来ない人物。
ソフィーが座るソファーの向かいに許可を取り座った。
「お久しぶりです。ソフィー嬢」
「お久しぶりです。パレス様」
「事業を始めていた事は。初耳です。婚約者殿」
(殿?嫌味よね?)
「そうですね。伝えていませんし、伝えるつもりもありませんでしたが。キシャール様にでも聞かされたのでしょうか?」
ソフィーの「伝えるつもりがなかった……」その言葉に傷付いた顔をした。
目の前に座る婚約者。レイヴン・パレス侯爵子息。パレス侯爵家の嫡男であり、2歳年上の大変美しい令息。
「ソフィー嬢は私に会いたくないと、避けていると聞いた。手紙の返事もない。贈り物は気に入らないと義妹に譲っている。私の何が気に入らないのですか?」
ソフィーは溜息を吐いた。
レイヴンは一瞬戸惑ったが、婚約者が距離を置く理由がわからなかった。
「会いたくないと言ったのは誰でしょうか。手紙ですか?婚約して半年を過ぎたころから一通も届いておりませんが?
贈り物?私は婚約者から贈り物を頂いた事など一度もありません。
そのくだらない話は全て誰から聞いたのですか?私がその内容の事をパレス様に直接言いましたか?
一年半も音沙汰のない婚約者に興味を持つとでも?デグシラ伯爵家と同様に私を無視し続けた婚約者に興味はありません」
ソフィーから語られる話がレイヴンは信じられなかった。
誰から聞いたのか。
贈り物は全て婚約者でない人が身に着けていた。
手紙は捨てられていると聞いていた。
レイヴンはソフィーを夜会で何度か見かけるうちに好意を持った。下位の者にも優しく親友を気遣う姿に惹かれた。
父に伝え婚約者となってもらえた。
天にも昇る気持ちで毎日が幸せだった。
だが、ソフィーの邸でのレイヴンに対する嫌悪の話を聞かされる度に傷付いた。
婚約解消は絶対にしない。
レイヴンはソフィーをとても愛していたからだ。
結婚してお互い一緒に過ごす中で距離を詰めるつもりでいた。
その考えは周りから止められていた。
ちゃんと話し合えと。
誤解があるならば早く解決したほうが良いと言われ続けていた。
自信がなかった。嫌われたくなかった。
弱気な自分のせいで、取り返しのつかない段階にまで来てしまった。
レイヴンは状況を正しく理解した。
背中に嫌な汗が流れ、寒気が襲ってくるがそれどころではない。
ソフィーはレイヴンを婚約者として見てくれてはいない……。
「パレス様との婚約は解消されると思いますわよ?次のお相手はアリシアでしょうね。良かったですわね。思い人との婚約ですから」
「なっ!なぜそんな話になるのですかっ」
意外な反論にソフィーは驚いてしまった。
「なぜって、婚約者である私とでなくアリシアを同伴して夜会やお茶会に参加すれば、婚約者交代と思われますし。実際に伯爵家は婚約者交代を予定してます。私のお披露目がなかったのがその証拠です。婚約者であるパレス様を他家に紹介しない訳にはいかないでしょうから。
まぁどちらにせよ、私はいない者扱いでしたから全てどうでもいいことですわ」
ソフィーの話を聞く限りレイヴンが聞かされていた話とは違う。
誰が言った?誰から聞かされてきた?
全てアリシアからだった。
全てアリシアの企みで、自分はまんまと策にはまってしまったのだ。
レイヴンはようやく全てが見えたのだったが……。
「ですので、アリシアと仲良くなさってくださいな」
祝う言葉を口にするソフィーからは、嫉妬も憎しみも感じ取れない。
「待ってくれ!私の気持ちはどうなるのだ?私はソフィー嬢を好いているのだ。婚約も私が父に頼み込んでのことなんだ。婚約者の交代なんてしない!絶対にだ!」
真剣な眼差しで気持ちを伝えるレイヴンだが、あっさりと却下された。
「パレス様の気持ちですか?どうもしませんよ?言いましたよね。私は貴方様に興味がないと。婚約者としての義務を私は一切受けていませんので」
「ソフィー嬢だって贈り物一つ、手紙すら送られてきていないではないか。アリシア嬢が夜会にソフィーを連れてくるからと言われた。だが君はいつも来なかった。だから私はアリシア嬢と同伴する形になったのだ」
レイヴンが必死にそう反論する。
「贈り物はきちんと手配しましたよ?証拠はオルゴールの小箱の底に私の名前が刻まれています。あの作家は自身の名前と依頼主の名前を刻みます。もしオルゴールをどなたかに誕生日に贈られていたなら、帰って確認されたらいかがです?誰の名前が刻まれているのかを」
ソフィーはレイヴンと話し続けているうちにイライラが爆発寸前にまで達していた。
「ダレンかメイシーが邸に通したのでしょうが、今日は関係者以外立ち入る事を禁じています。おかえりいただけますでしょうか。これから皆様に挨拶に行かなければなりませんの」
ソフィーは言うだけ言うとさっさと庭園へと歩いて行ってしまった。
取り残されたレイヴンは、ただ呆然とソフィーが消えた薔薇園を見つめていた。
「本来パレス様をお通しするつもりはありませんでした。
一人寂しく過ごされるお嬢様を放置する婚約者は、正直いらないと思っています。ソフィー様から見捨てられれば良いと思ったのでお通ししたのです」
全く悪びれもしないダレンとメイシーを見て、ソフィーが語っていたことは真実だと証明されてしまった。
婚約解消?婚約者交代?
させるわけがない。
レイヴンが愚かに過ごした一年半が消えるわけではない。
だが婚約の解消など、認めるわけにはいかない。
レイヴンは使用人であるダレンとメイシーに感謝する。
「ありがとう。今日この機会がなければまんまと婚約者交代されるとこだったよ」
ダレンとメイシーは、使用人である自分達に礼を述べるレイヴンに驚き、ほんの少しだけ見直したのだった。
レイヴンはこれから忙しくなる。
真実を知った以上ソフィーを蔑ろにしてきた者を許さない。
そして、自分の恋心を弄んだアリシアを社交界から抹殺する。
そして何よりソフィーが離れる事に怯え、逃げた自分が許せなかった。
ソフィーと関係を悪くした一年半分の謝罪と、自分の気持ちを伝え続けることを誓った。
さて、先ずは誰から締め上げようか。
紳士な表情は消え魔王のような表情のレイヴンに、ダレンとメイシーはどん引きしていた。
ソフィーの秘密の薔薇が軌道に乗るのに開店して一月もかからなかった。
平民向けは特に人気が高く、直ぐに二号店を出す計画を商業ギルドから提案された。
毎日忙しく過ごすなか、レイヴンが数日に一度薔薇園の邸に会いに来る。
一年半分の謝罪を繰り返し口にされ、ソフィーにレイヴンの気持ちを伝えてくる。
最初の頃は無視していたが、何度もレイヴンの話を聞くうちにソフィーも自分から動いてレイヴンに問いかけていれば状況は違ったかもしれないと思い始めた。
そうメイシーに話すと、
「お嬢様は放置されるのが当たり前と思っていらしたのでしょう。婚約者様からも放置されるのは仕方ないと、早々に諦めていたように私もダレンも思っております」
メイシーの言葉を頭で繰り返し考えたソフィーは、レイヴンへ謝罪をした。
「パレス様、私からも早い段階で何かお伝えしたり問いかける事があったら、状況は変わっていたかもしれません。
パレス様と婚約を結んだ時、私は確かに嬉しかったのです。誰かから望まれる事が嬉しかったのです。
ですが、手紙も贈り物も届かなくなり、私からの手紙や贈り物が届いたのかも解らなくなりました。
私は、放置されるのが当たり前だったようでパレス様から見放されるのも当たり前だと受け入れていたのでしょう……。
私もパレス様を蔑ろにしてきたようです。
申し訳ありません」
ソフィーはレイヴンに向かって深く頭を下げた。
「ソ…フィー…」
小さく掠れた声で名を呼ぶレイヴンに視線を向けると、レイヴンの頬に涙が伝っていた。
レイヴンは涙を拭う事はせず、ソフィーの手を握る。
「私が逃げずに貴女に言葉をきちんと伝えていれば、何も負担を負わせる事は無かったのです。弱い自分を見せたくなく、逃げた私が悪いのです」
レイヴンはソフィーの手をギュッと握りしめ、その手を額に寄せるときつく目を閉じた。
「会えなかった時も、今も貴女が好きなんです。婚約の解消はしたくない。私とこれから一緒に生きて欲しいのです」
祈るようにソフィーに告げる言葉に、ソフィーは喉の奥がギュッと痛む。
ソフィーは幼少以来泣くことはなかった。
泣いても意味がないと理解したからだ。
でも、痛む喉からは言葉が出て来ない。
代わりに涙が溢れ止まらない。
ソフィーのしゃくりあげる声にレイヴンが顔を上げると、ポロポロと大粒の涙を流すソフィーがいた。
ソフィーは涙の止め方が解らず、ただ霞むレイヴンの顔を見つめていた。
レイヴンはソフィーを抱き寄せ、泣き止むまでその背を撫で続ける。
ようやく涙が止まったソフィー。
恥ずかしくて顔を上げる事が出来ず、ただレイヴンの温かな腕の中でもぞもぞと動く。
可愛らしい動きに、レイヴンはクスリと笑うとソフィーの顔を上げ視線を合わせた。
「ソフィー、貴女はデグシラ伯爵家と縁を切る事に後悔はありませんか?」
「ないわ。私は伯爵家を出る為に事業を始めたの。もう伯爵家とは関わりたくない」
ソフィーは迷う事なく言い切った。
「私も許すつもりはありませんが、両親がデグシラ伯爵家に激怒しておりまして。
私に徹底的にやれと、発破をかける程なのです。ですから、社交界からは消えて頂こうかと…「待って!!」
デグシラ伯爵家が社交界から消える。
その言葉に咄嗟に声を出した。
「家族がどうなろうと関係ないけど、お義姉様、ミシャお義姉様だけには迷惑をかけたくないの。私を唯一気にかけて可愛がってくれた優しい方なの。伯爵家がなくなればミシャお義姉様の未来が潰えてしまいます」
「解りました。父と話し合い落とし所を決めるとします。明日の我が家の夜会で事は起きます。ソフィーは薔薇園のこの邸で待ってて下さい」
ソフィーの額に口付けを落とし、ギュッと抱き寄せた。
「解りました。待ってますね」
ソフィーはレイヴンを信じ、初めて誰かを待つ事にした。
〜 ✿ ✿ 〜
パレス侯爵家の夜会は盛大に執り行われた。
久々にレイヴンの婚約者であるソフィーが見られるかもしれないと、学友や薔薇園で交流をする貴族当主や夫人が待っていた。
パレス侯爵夫妻とレイヴンが姿を見せたけれど、ソフィーの姿は無かった。
期待をしていた者達は内心落胆していた。
パレス侯爵家の近くにはデグシラ伯爵夫妻が立ち、夫妻の隣にアリシアが堂々と並んでいる。側にはソフィーの兄であるオリバーと婚約者のミシャ嬢がいた。
明らかにミシャは不機嫌であった。
オリバーが声をかけるも、反応しない。
「今宵はパレス家の夜会にお越しいただき感謝します。今日はレイヴンの婚約についてお話をさせて頂きます」
その言葉を聞いたアリシアの顔がパッと明るくなり、熱い眼差しをレイヴンに向けている。
そんなアリシアに夫人達は蔑む視線を向けるも、デグシラ伯爵家はミシャを除いて気が付いていない。
実の娘の婚約が解消になるかもしれないのに、晴れやかな夫妻は異常ではないか?
会場の貴族達はその愚かさに気が付かないデグシラ伯爵家に未来はないと判断した。
「レイヴンと婚約者であるソフィー・デグシラ嬢の婚姻を二ヶ月後に執り行う事が決定しました」
パレス侯爵の言葉に、会場は祝福の言葉で溢れた。
ただ一人、絶望の顔を浮かべるアリシアと心配する伯爵夫妻以外は二人の結婚を喜んでいた。
「レイ…レイヴン様!私と婚約してくださるのではないのですかっ」
愚かな言葉を発したのは、アリシアだった。
「なぜ貴女と婚約する話になるのです?それに、婚約者ではないので名を呼ばないように言ったはずです」
レイヴンが静かにアリシアに問うた。
「この一年半、一緒にいたのは私ですわ。お義姉様はレイヴン様を避けていたではありませんか」
悲壮感を漂わせ庇護欲を誘う表情で、レイヴンに訴える。
「ソフィーが私に会いたくないと。私からの手紙を捨てて、贈り物はいらないからとアリシア嬢に無理やり押し付けた。貴女は私にそう言いましたよね。ソフィーからは手紙も贈り物も届かなくなり、代わりにアリシア嬢が私に贈り物を渡すようになりましたね。
その中にオルゴールがありましたが、それはアリシア嬢ご本人が用意されたのですか?
あぁ、誤解のないように話しますが、アリシア嬢からの贈り物は全て開封せず母に預けておりますので。ソフィーとの婚姻後返す手筈になっております」
会場の人々はレイヴンの心変わりを心配していたが、そうではない様子に安堵していた。
「オルゴールは私がレイヴン様を想って選んだ物です」
アリシアがそう断言した。
レイヴンが手を上げると執事がオルゴールを持ってきた。
「このオルゴールは巨匠が作りし一点物。箱の中の底に巨匠の名前と、このオルゴールを依頼した者の名が刻まれています。
名はアリシアではなく、ソフィー。そう刻まれています」
アリシアはそんな細工があるとは知らない。
会場からは非難の言葉が次々と投げられる。
デグシラ伯爵がアリシアに対して声を荒げた。
「お前はソフィーの物を奪ったのか!なんて娘だ!お前がソフィーがレイヴン殿との婚約を嫌がっていると、レイヴン殿はアリシアと婚約をしたいと言っていると。
そう訴えたからこそ、ソフィーを婚約者から外しレイヴン殿の婚約者をアリシアに変更すると決めたのだ!
なのに……前提が違うではないかっ!」
夫人もアリシアに冷たい視線を向ける。
可愛がっていたアリシアが、実の娘であるソフィーから贈り物を奪うなど。許されないと非難し始めた。
「デグシラ伯爵。アリシアだけがソフィーのモノを奪った訳ではありませんよ?
娘としての立場、妹としての立場、デグシラ伯爵令嬢というソフィーの居場所を奪い続けたのは貴方達自身ですよ」
レイヴンの言葉に夫妻は納得しない。
オリバーだけは顔色を悪くしつつも、その場から逃げずにいる。
「ソフィーが今どこにいるか、夫妻はご存知ですか?ソフィーが何をしているのか、知らないですよね」
「ソフィーは体調が悪いと、私達と会うのを拒んでいる。邸の部屋で療養中です」
「ソフィーは18歳の誕生日に伯爵家を出ています。それから一度も伯爵家へは帰っていません。私はずっとソフィーと過ごしていますから。それにご友人であるイザベル公爵令嬢達も証言してくれます」
「そんな馬鹿な……体調が悪いとアリシアから言われて……」
「アリシア嬢から言われたとしても、流石にソフィーの誕生日から数ヶ月は経ちます。その間、一度もソフィーと会わなかった……」
デグシラ伯爵夫妻はその場にへたり込む。この時になってようやく己の失態に気が付いた。
つもりはなくとも、娘を蔑ろにした親として周囲の貴族達から冷やかな視線を、言葉を浴びているのだから……。
あまりにも気が付くのが遅過ぎた。
「デグシラ殿。我が家を侮辱した罪は重い」
パレス侯爵がそう告げる。
「デグシラ家は終わりだ……」
アリシアは状況を理解していないのか、伯爵夫妻とレイヴンを交互に見る。
「本来なら伯爵家を潰すつもりでしたが、ソフィーの懇願によりそれは出来なくなりました」
「ソフィーが……」
夫人の表情が希望に満ちてくるが、レイヴンの言葉に絶望する事になる。
「ソフィーは両親、兄、義妹がどうなろうと関係ないと。ですが、唯一気にかけてくれたミシャお義姉様だけには迷惑をかけたくないと、そう懇願されたのです」
レイヴンの言葉を聞き、ミシャは静かに涙を流した。
どうにか助けたかった。オリバーと式を挙げ、伯爵家に嫁いだらめいっぱい可愛がろう。沢山の愛情を注ごうと決めていた。
でもソフィーはもう嫁ぎ先にはいない。
「夫妻とアリシア嬢は領地にて蟄居されると良い。オリバー殿が家督を継がれミシャ嬢が盛り立ててくれますので」
二度と社交界に顔を見せるな。パレス侯爵は暗にそう告げていた。
「伯爵夫妻は今噂の秘密の薔薇園をご存じで?」
当然伯爵夫妻は知っている。社交界で話題の秘密の薔薇園。
夫妻はレイヴンの質問の意図が読めない。
「薔薇園のオーナーはソフィーですよ。誕生日を祝われなかった15歳から計画を立て、事業をする準備を始めていたのです。随分前からソフィーは家族と縁を切るつもりだったようです。実の娘を放置してきた結果です。ソフィーより可愛がっていたアリシアと存分に家族仲良く過ごしてくださいね」
デグシラ伯爵夫妻は視線を落としたまま、顔を上げる事が出来ない。
娘が何も言わない事で、可哀想なアリシアを可愛がる自分達の行いを正当化してしまった。
社交界でも「心優しい夫妻」と言われる言葉に自尊心を煽られ、更に良く見られようとソフィーよりアリシアを可愛がってしまった。
夫妻はソフィーを疎んでいた訳ではない。
愛情が無かった訳でもない。
ソフィーとアリシアの婚約者交代が実現するならば、実の娘は嫁がずに一緒に過ごせる。
アリシアが嫁ぐ事で侯爵家とは変わらずに縁続きになれる。
可哀想なアリシアに良い縁談を纏めたと、自分達が讃辞を浴びると思い込んだ。
ただ、己が可愛かっただけであった。
伯爵夫妻の周りからは人が離れ、遠巻きに愚か者を眺めているだけであった。
「ミシャ嬢、ソフィーから招待状を預かっている」
レイヴンが内ポケットから一通の封書をミシャに渡した。
ミシャはソフィーが幸せに暮らしている事を知り、渡された封書を大切に胸に抱き一筋の涙を流した。
「すまなかった、ミシャ……」
オリバーがミシャに頭を下げ謝罪した。
ミシャに散々説教されたのにも関わらず、行動を改めなかったのだから。
「オリバー様。謝罪は受け取りますが、許しはしません。実の妹を蔑ろにする人に惹かれた自分を、私は情けなく後悔するほどに貴方様を軽蔑しております。
私はソフィーの為に婚姻をし嫁ぎますが、それだけです」
ミシャはオリバーと婚約を継続する事を選んだ。
パレス侯爵家に嫁ぐソフィーの為にも、デグシラ伯爵家を途絶えさせる事はよくない。
また、自分もこのような愚か者と婚約していた経歴を持たされては良い縁談は来ない。
オリバーは尚更新しい婚約者を見つける事は不可能。そうなると、デグシラ伯爵家の血筋は絶えてしまう。
「ミシャ嬢は自由になって良いのですよ?デグシラ伯爵家が途絶えようと、ソフィーは気にしていません。ただ、ミシャ嬢。
貴女だけをソフィーは心配しているのです。我が家が後見となるので、無理してオリバー殿に嫁がなくとも良いのです」
レイヴンがミシャにそう提案するも、ミシャは首を振り断りを入れた。
「私がもう少し深く伯爵家の事に踏み込めていれば、ソフィーが家を出る事はなかったはずです。迷い、一歩踏み出せなかった私にも責任はあります」
ミシャはオリバーとの婚約の継続を望んだのだ。
侯爵家での夜会はデグシラ伯爵家の醜態を晒す場となった。
その後はソフィーが用意した薔薇園の招待状を配り、参加した貴族達からは不満など上がる事はなかった。
ソフィーの他者を気遣う人柄に触れ、好意を寄せられる結果となった。
日付が変わる頃、レイヴンはソフィーの邸に足を運んだ。
ソフィーはレイヴンが訪ねて来ると信じ、応接室でレイヴンを待っていた。
ダレンがレイヴンの訪問を告げる。
ソフィーは立ち上がりレイヴンが姿を見せるのを緊張しながら待っていた。
「遅くなりました」
少し疲れた顔のレイヴンはソフィーを視界に入れると笑みを浮かべる。
ソフィーは喉の奥がギュッと痛むと堪えきれずレイヴンに抱きついた。
レイヴンは直ぐにソフィーを抱き込み様子を窺うと、ソフィーの肩が震え泣いているようだった。
抱きかかえソファーへと座る。
膝に乗せたままレイヴンは静かに涙するソフィーの背中をずっと撫で続けた。
「ごめんなさい……」
レイヴンの胸に顔を埋めたまま、ソフィーから謝罪の声が聞こえた。
レイヴンは抱き込んだまま、夜会での出来事をソフィーに全て伝えた。
「ミシャお義姉様は婚約を継続されるのね……私のせいね」
「違うとは言えません。ミシャ嬢はソフィーが侯爵家に嫁ぐためにデグシラ伯爵家の存続を選びました。それに、オリバー殿と婚約を続けていた事実があります。オリバー殿との婚約が白紙になっても、ミシャ嬢に良い縁談はないかと……ミシャ嬢の為にも、婚約継続は良かったのだと思います」
「………」
「ソフィーは貴族の体面を保つ考えも、好き勝手噂する社交界も嫌いでしょう?
ならば、侯爵家の権力と薔薇園のオーナーの権力を使いソフィーが少しずつ変えていけばよいのです。それはミシャ嬢を守る事にもなりますから」
レイヴンの言葉を聞き、ソフィーはポツリポツリと話をする。
「家族からも関心をもたれず、いない者として扱われていたわ。
私も最初は沢山の思いがあったし、状況を変えたくて努力をしたわ……。でも、何も変わらなかった。無関心が過ぎると諦めも早くなったわ。
仕方ない事だと、全てを諦めた。自分の力で生きて行く事に私の全てを懸けたの」
ソフィーはレイヴンと視線を合わせる。
真っ直ぐ見つめるレイヴンの瞳は揺れていた。
後悔と不安だろうか……。
「私は貴族をやめる覚悟をしたわ」
レイヴンの瞳は大きく揺れ唇を噛むのが視界に入る。
「事業を始める為に暫くは貴族籍を抜けなかった。事業が軌道に乗ったら離籍届を出す準備は出来ていたの。なによりも早く、伯爵家と縁を切りたかった。
でもレイヴンを知るにつれ、自分にも非があった事にも気が付いた」
それに……。
「今日、初めて誰かを待ったの。レイヴンが待っててって言ったから信じて待った。本当に来てくれるのか、また放置されるのか不安でいっぱいだった……」
ソフィーは一度目を閉じ、深く深呼吸をする。
「レイヴンはちゃんと来てくれた。それがとても嬉しくて、疲れた表情でも私に笑顔を見せてくれた。その姿を愛しく思ったの……。
私はレイヴンを好きなんだと気付けた。それが嬉しかったの……」
涙を流し好意を口にする可愛い婚約者を構わずにいれるだろうか……。
無理だ……。
レイヴンはソフィーの頬の涙に口付けをすると、額に鼻先に唇に……。
次々と口付けを落とす。
「ソフィー、私が最初から間違えなければ傷付けずに済んだ。謝って済む話ではない。だが、ソフィーをずっと好きで愛していた気持ちは本当で、結婚する事をずっと夢見ていたんだ」
言葉を告げながらも口付けはやまない。
「私がこれから失われた家族との思い出を一緒に作って行く。ずっとずっと一緒にいるから……」
お互いが泣きながらの愛の告白はソフィーが意識を手放すまで続いた。
あの騒動の夜会からの動きは早かった。
陛下からデグシラ伯爵家の当主交代の命が下された。
伯爵家の直系である娘を蔑ろにし、他家の娘を尊重する事は当主として能力不足と判断された。
当主はオリバーとなるが、オリバーは当主教育を再度受ける事になった。実質妻となるミシャが主導する形になる。
そして愚かな前伯爵夫妻とアリシアは、ミシャの指示で領地の外れの邸に蟄居させられる事になった。
前伯爵夫妻はソフィーへの謝罪を懇願したが、ソフィーの後見人となったパレス侯爵家が拒否をした。
前伯爵夫妻はアリシアを放置し、邸で後悔の中静かに過ごしていた。
アリシアは領地の邸を逃げだし、行方知れずとなった。
ミシャは報告書を読み、机の引き出しに乱雑に放り入れた。
〜 ❀ ❀ 〜
今日はミシャお義姉様が薔薇園にやって来る。
ソフィーが憧れるミシャは、今日も凛とした姿勢で薔薇園のカウチソファーに座っていた。
「お久し振りです。ミシャお義姉様」
薔薇園では無礼講であり、堅苦しい挨拶はしない決まりがある。
「この薔薇園ではただの人でしかありません。姿勢良く座らなくて良いのですよ?」
ミシャが立ち上がり謝罪する気配を察して、ソフィーが先に声をかけた。
「私もミシャお義姉様も貴族の娘でしかありません。出来ない事の方が多いのです。私はちゃんと理解しています。ミシャお義姉様は出来る範囲で私の心を掬い上げてくれていた事を、ちゃんと知っています」
ミシャの目の前で膝を突き、ソフィーは手を握りしめ気持ちを伝える。
ミシャは言葉を口にする事が出来ない……蔑ろにされながらも、自分を最後まで気遣うソフィーの優しさに胸が苦しく涙が止まらなかった。
「今日は楽しい話をしましょう?お義姉様!」
その日ソフィーはミシャと沢山話をし、薔薇園の中から出て来る事はなかった。
レイヴンとソフィーの結婚式は盛大に執り行われた。
神殿まで向かう馬車で民へのお披露目まで予定されていた。
そんな恥ずかしい事は嫌だと、ソフィーは断り続けたが民達からの要望だと商業ギルドから正式に申請され、王家からも命を出されれば断れなかった。
晴天の日。
王都では街中に薔薇が飾られている。
民達からソフィーへの感謝の気持ちは尽きない。ソフィーはほぼ利益を取らずに沢山の商品を市場に出す。
民達が潤わなければ国は栄えない事を多くの貴族達が再認識させられた。
馬車から幸せそうに手を振るソフィーとレイヴンを、民達は盛大に祝福をする。
神殿にはイザベル、キシャール、セシリア、カレンが大号泣しながら花嫁の到着を待っていた。
婚約者達は号泣する彼女達を見て、改めて親友を大切にする素晴らしい婚約者だと惚れ直す事になった。
ソフィーの周りは沢山の幸せな人々で溢れた。
幸せがどんどん広がると、国の経済も良くなっていく。
あの侯爵家の夜会以降、自分達の家族の関係性を見直す貴族も増えたそうだ。
また、虐げられた子供達はソフィーの邸を訪れ匿われている。
王太子殿下の側近であるレイヴンが筆頭となり、虐待や身分詐称など様々な貴族のトラブルを調査する部署が設けられた。
前世も今世も実の家族とは縁の無かったソフィー。
頑張り続けた結果、自分が選び築き上げた家族を手にする事が出来た。
ソフィーは大きくなったお腹を愛おしく撫でながら、愛する夫の帰りを待ちつつ今日も薔薇園を幸せそうに眺めている。
誤字報告 ありがとうございます。
訂正しました。
表現が重複しているとご指摘を頂き、訂正しました。
報告、ありがとうございます。
色々と、申し訳ありません
作品を気にかけて頂きありがとうございます




