悪魔の渇望
突然、身体が金縛りにあったように動かなくなる。
「えっ……?」
そう呟いた直後、なんの衝撃もなく、俺の胸から白い腕が突き出された。
「か、は……っ!」
胸から生えた手に、眩い輝きを放つ光の玉のようなものが握られている。
腕が音もなく引き抜かれると、俺は引っ張られるように仰向けに倒れた。
見上げた視線の先には、あの悪魔の少女……。
「お……おま……どう……し……?」
上手く言葉を発することが出来ない。
起き上がろうとしたが、悪魔のバットを使ったときのように身体の自由がまったく効かなくなっていた。
少女は俺を見下ろしながら、申し訳なさそうな表情を作った。
「ごめんねー、おにいさん。どうしてもこれが欲しかったの」
言いながら、少女は手にした光の玉に愛おしそうに頬ずりする。
「あ、嘘つきって言いたそうな顔してる。でもね、おにいさん。ウチはバットを使っているあいだ観察するだけとは言ったけど、契約終了後に手を出さないとは一言も言ってないよ。それにほら、ウチは悪魔だから。よく言うでしょ、悪魔の言葉に耳を貸しちゃ駄目だって」
少女は悪びれもせずにケタケタと笑っている。
俺は混乱のあまり何も言い返せなかった。それ以前に喋るどころか、身体は相変わらずぴくりとも動かない。
まさか、このまま死んでしまうのだろうか……。
「大丈夫だよ、死なないから」
心の内を読んだかのように少女が言う。
「ただ、おにいさんが次に目覚めたとき、ウチのことやバットに関する記憶はぜーんぶ消えちゃってるけどね」
「あ……う……」
「え? なに? この光の玉が何か気になるって? 仕方ないなぁ、おにいさんにだけは特別に教えてあげるね」
少女は頼んでもいないのに勝手に語り出した。
「この光はね、人間が非合理な決断をしたときに魂が放つ輝きなの。ウチら悪魔は人間みたいに老いないし、死にもしない。それに感情もないから、人間の心の揺らぎや葛藤が理解できないんだ。だからいっつも真似をするだけ……」
少女はさも悲しそうに眉尻を下げる。
「……でもね、理解したいっていう渇望はあるんだ。蝶が花の蜜に吸い寄せられるように、人間の魂が放つ『強い輝き』にウチら悪魔はとっても惹かれるの。その輝きを手に入れられれば、もっと人間を知ることができるかもしれないって。どう? 人間には一生かかっても理解できないっしょ」
意趣返しのつもりか、少女は挑発するように蠱惑的な笑顔を見せた。
「……それにしても、こんなに純度の高い輝きに出会えるなんて、おにいさんを選んで正解だったよ~。ほとんどの人は悪魔の力を使い続けて魂がどんどん濁っていっちゃんだけど、まさかまさかの大逆転! こういうの、野球だとなんて言うんだっけ? 逆転満塁ホームラン?」
「……あ……うぅ……」
俺は少女の顔を見上げながら、ただひたすら困惑していた。
こいつは何を言っているんだ?
非合理な決断? 魂が放つ輝き? 人間の心の揺らぎと葛藤?
言っていることがさっぱりわからない。
ただ、それらが人間にとって大切なものであることはなんとなく想像がつく。そして、俺はそれを悪魔に奪われてしまったということも……。
「野球がんばってね、おにーさんっ。そうだ、お礼にベッドまで運んどいてあげるね。なんなら添い寝サービスも付けちゃおっかなっ」
そんな悪魔の声を子守歌に、俺の意識は闇に呑まれていった……。
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……あの奇跡の活躍をしたシーズンから、一年が経った。
俺は薄暗い部屋の中で、明かりもつけずにノートパソコンと向き合っていた。
画面には主にスポーツを取り扱うネットニュースのページが表示されている。
ずらりと並ぶタイトルの中から、目当ての記事をクリックする。
わずかなラグの後、ページが表示された。
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【東京レイヴンズ・真嶋拓己選手が戦力外 昨季輝きを放つも今季は一軍出場なし】
20XX年10月24日 14時23分スポーツ〇〇
東京レイヴンズは24日、外野手の真嶋拓己選手(27)に来季の契約を結ばないと通告したと発表した。
真嶋選手はXX年ドラフト4位で入団。昨季シーズン終盤から一気に頭角を現し、クライマックスシリーズでも勝負強い打撃を見せてチームに貢献。今季はさらなる飛躍が期待されていた。しかし春先から調子が上がらず、打撃不振に苦しみ続けた。結局一軍昇格の機会はなく、シーズンの最後まで二軍で過ごすこととなった。
本人は「この世界で生き残るために全力を尽くした。今後についてはまだ何も決まっていないが、しっかり考えて決めたい」とコメント。今後はトライアウトを受けるか、第二の人生を歩むか、選択を迫られることになる。
毎年多くの選手がユニフォームを脱ぐプロ野球界。昨季の活躍から一転、真嶋選手の戦力外は改めてこの世界の厳しさを示す出来事となった。
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震える手で画面を下にスクロールさせ、別の記事をクリックする。
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【東京レイヴンズ、劇的サヨナラ勝ちでファイナル制覇 神谷玲央が値千金の一打】
20XX年10月18日 21時13分スポーツ〇〇
プロ野球クライマックスシリーズ・ファイナルステージ最終戦は18日、東京レイヴンズが大阪グロウラーズを相手に4―5で劇的なサヨナラ勝ちを収めた。勝負を決めたのは、今季現役ドラフトで仙台スピリッツから加入した神谷玲央外野手(27)。九回裏、二死一・二塁の場面で放った左中間への一打が決勝点となり、チームに勝利をもたらした。
神谷はプロ入り後、なかなか芽が出ず苦しい時期を過ごしてきた。今季は「引退をかけた挑戦」と位置づけ、開幕から好調を維持。スタメンに定着し、シーズンを通じて安定した打撃を披露してきた。クライマックスシリーズでも存在感を発揮し続け、ついに大舞台で最高の結果を残した。
試合後、神谷は「ここまで支えてくれた家族、球団スタッフ、そしてなによりファンに感謝したい。まだまだやれるところを見せられたと思う」と笑顔。苦労人の一打が、東京レイヴンズを日本シリーズへと導いた。
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記事には写真も掲載されていた。
サヨナラタイムリーを打った瞬間の神谷玲央を捉えたものだ。
俺は食い入るようにその写真を見つめる。
ただ、俺の目を釘付けにしたのは、神谷玲央の姿ではなく、その手に握られたバットの方だった。
なぜか、このバットが気になって仕方がない。
なんの変哲もないバットだ。
それなのに、どうしても目を離すことができない。
「うう……ッ!」
何かを思い出せそうで、思い出せない。考えようとすると頭の中に濃霧が発生し、思考を阻んでくる。
そのとき、どこか遠くから少女の笑い声が聞こえたような気がした……。
了
最後までお読みいただきありがとうございました。




