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悪魔のバット  作者: SDN


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5/7

悪魔の影

 十月。我が東京レイヴンズは、クライマックスシリーズのファーストステージでまさかの二連敗を喫して敗退。あっさりとシーズンを終えてしまった。

 チームは敗退したが、俺は二試合で本塁打を含む五安打四打点と大暴れし、首脳陣とファンに鮮烈な記憶を植え付けることに成功した。


 そして休む間もなく宮崎へ。

 言わずと知れたフェニックスリーグに参加するためである。

 フェニックスリーグは毎年十月に開催される、若い選手の育成を目的とした秋季教育リーグだ。シーズン中に結果を残せなかった選手が、生き残りをかけてアピールするための場でもある。

 二か月前の俺だったら、間違いなく血眼になって参加しただろう。

 今の俺はそこまで追い詰められてはいない。シーズン終盤の活躍は間違いなく首脳陣の評価を上げたはずだ。これで戦力外になることはないという確信があった。


 ただ、東京レイヴンズの首脳陣は選手の能力だけでなく人間性を重視する傾向が強い。なので「来季に向けてさらなる飛躍を期すため」と自ら志願してフェニックスリーグに参加することにしたのだ。言ってしまえばただのポーズだが、俺の活躍をただのフロックだと思っている人間も決して少なくない。


「ここ最近の活躍がまぐれだったと言われないよう、この秋もしっかり自分を追い込みたいと思います」


 俺は待ち受けていた取材陣に殊勝な態度でそう答えると、意気揚々と球場へ向かった。


 試合では適当に悪魔のバットを使って結果を出しつつ、合間合間に取材を受けた。

 取材なんてルーキーイヤーに何度か受けただけで、二軍にいる時は受ける機会なんてほとんどなかった。

 だが、今や俺は崖っぷちから一気にスターダムにのし上がった時の人だ。宮崎に来てから記者に声を掛けられない日はなく、ファンからの声援も信じられないくらいに増えた。移動の最中にサインを求める長蛇の列ができて、ちょっとした騒ぎになったくらいだ。


 ――これが成功した人間の見る景色なのだ。


 だが、まだまだ満足していない。

 これまで芽が出なかった分、もっともっと活躍して大きな成功を手に入れる。この悪魔のバットがあれば、夢の一億円プレイヤーになることだって不可能ではないのだから。


 ただ、気になっていることがひとつあった。

 そう、あの悪魔の少女だ。

 正式な契約を結んだあの日以来、彼女はずっと俺の前に姿を見せていない。

 宣言した通り、本当に観察しているだけなのか。

 これほどの力を与えておいて、ただ見ているだけ。本当にそんなことがあるのか。ひょっとして見えないところで代償はすでに発生しているのではないのか。

 そもそも、彼女は悪魔のバットをなぜ俺に渡したのだろうか。

 疑念は尽きず、少女の存在が常に頭の中にちらつく。


 だが、いくら考えたところで答えが出るはずもない。

 いっそのこと直接呼び出して問いただそうかとも考えたが、不興を買って悪魔のバットを取り上げられたらと思うと、怖くて実行には移せなかった。

 今さらこのバットを手放すわけにはいかない。

 俺が一軍で悪魔のバットを使わなかった打席は、すべて三振か凡打だった。つまり、俺の打撃は一軍でまったく通用しないということだ。

 どの道もう引くに引けないところまで悪魔の力にハマってしまっている。ここまできたらとことんまで突き進むしかない。

 さもなくば俺はプロ野球選手でいられなくなるのだから……。




 試合がない休養日。

 俺は宮崎市内にある小学校を訪れていた。

 市が主催する野球教室に講師役として参加するためだ。

 あまり気が乗らなかったが、マネージャーから「これも人気選手の宿命みたいなものだから」と頼まれては断れなかった。


 澄んだ秋空が広がる晴天の下、グラウンドにはたくさんの子供たちが集まった。

 講師役には俺以外にも三人の選手が呼ばれていた。みんな今勢いのある若手選手ばかりで、その一員として呼ばれたのは俺としても誇らしいことではあった。


 進行役の女性が俺の名を呼ぶと、子供達から「かっこいい!」「すげー!」とひと際大きな歓声が上がった。


 準備体操と軽いランニングを終えた後、ふたつのグループに分かれてキャッチボールとティーバッティングの実演に入る。

 俺はティーバッティングを担当することになった。

 まずは俺がスイングのお手本を見せる。

 力強くバット振ると、子供たちから「おおっ」と歓声があがった。

 乗り気ではなかった当初の気分はどこへやら、子供たちから向けられる羨望の眼差しは、自分が人気選手になったのだと実感できて思いのほか心地よかった。


 グラブを使った守備の実演でも、子供たちは目を輝かせながら食い入るように俺の動きを追っていた。


(俺にもあんな時期があったっけな……)


 俺も小学生の時に同じように野球教室に参加したことがあった。

 憧れのプロ野球選手に直接指導してもらった時の興奮は今でも覚えている。

 だが、あの時に野球を教えてくれた選手は、戦力外になってプロを引退した。


(……俺は絶対にそうはならない。なってたまるか)


 青空の下、あらためてそう誓った。




 数日後。フェニックスリーグも終わり、ホテルで荷造りをしていた時だった。

 ベッドの上に放置してあったスマホが鳴った。

 画面には三枝先輩の名前。


「はい、もしもし?」


『おう、タクか。今、大丈夫か?』


「うす。飯のお誘いっすか? 俺今、宮崎っすよ」


 この発言がいかに無神経だったか、俺はすぐに気付く。

 が、もはや手遅れだった。


『……実はな、タク。今日、球団事務所に行ってきたんだ』


 それだけで、わかってしまった。プロ野球選手ならこの時期に球団事務所に行くことが何を意味するかわからないはずがない。


「せ、先輩、それって……」


『ああ、来期は契約を結ばないって言われたよ』


 戦力外通告……俺が死ぬほど怯えていた未来が、先輩に……。


『まぁ、うすうすあるだろうなとは思っていたんだ。今シーズンはほとんど二軍だったし、俺みたいな打てない外野手は三十過ぎると伸びしろがないって判断されても仕方ないからな』


 俺は咄嗟に言葉が出てこない。


『ん、あれ? タク、聞こえてるか?』


「あ、はい。それでその……先輩は、これからどうするつもりなんですか?」


『ああ、編成部の人からは球団スタッフに空きがあるって言ってもらったんだが、まだ動けるからな。どこか拾ってくれるところがあれば現役を続けたいとは思ってる。とりあえず十二月のトライアウトだな。独立リーグや社会人は……まぁ、そのときになってみないとわからん』


「そうっすか……」


『あーあ、俺にもお前みたいな打撃センスがあればなぁ……』


 ぽろりとこぼれた先輩の本音が俺の胸に突き刺さった。


「先輩、俺……」


『すまん、冗談だ。お前はようやくチャンスを掴んだんだ。俺みたいにならないよう気合い入れて頑張れよ』


「……うす」


『それだけだ。お前にはちゃんと知らせておこうと思ってな。忙しいところ時間を取らせて悪かったな。宮崎から帰ってきたら一度飯に行こう。付き合ってくれるよな?』


「うす、もちろんです」


 ごちになります――とは、さすがに言えなかった。




 電話が切れた後も、俺はしばらく動けなかった。

 来期は契約を結ばないって言われたよ――先輩の声がずっと耳に残っている。


「くそっ……」


 自分が戦力外になったわけでもないのに心が苦しい。

 ここに来て、俺は自分がとんでもない過ちを犯していたことに気付いてしまった。


 もし悪魔のバットを使っていなかったら、戦力外になっていたのは先輩ではなく、俺だった可能性が高い。つまり先輩は俺の身代わりで戦力外になったようなものだ。

 よく考えれば、こうなる可能性は十分にあった。

 プロ野球の支配下登録選手の人数上限は70人。誰かが生き残るということは、別の誰かが死ぬということだ。

 ただ、先日行われたばかりのドラフト会議で、東京レイヴンズは一位から三位まで投手を指名するという投手偏重のドラフト戦略を取った。だから守備固め要因である先輩が戦力外になることはないと、俺は勝手に高を括っていたのだ。


 ――いや違う。問題はそこじゃない。

 プロは勝負の世界。勝ち負けはすべて自分自身に跳ね返ってくる。

 だからこそ、選手は多くのものを犠牲にして己を鍛え、ワンプレーに命を懸ける。

 俺に打たれた投手の中には成績悪化を理由に二軍に落とされた人もいた。下手をしたら来季の契約を結んでもらえないかもしれない。

 それが真っ当な勝負の結果なら、まだ納得もできるだろう。

 だが、これは俺の力ではない。

 悪魔の力を使ったことで招いた歪まされた結果だ。

 俺は真剣勝負の場を穢した。

 現実を受け入れることができず、勝負から目を背け、安易な道を選んでしまった。


 悪魔の力を使っている間、俺はどうすれば打てるかではなく、せせこましい計算ばかりをしていた。

 ――そう、俺がやっていたのは野球じゃない。

 俺はいつのまにか、野球と向き合うことすらやめていたのだ……。


 ふいに、野球教室での光景が頭を過る。


「どうすれば真嶋選手みたいなホームランが打てますか?」


 質疑応答コーナーで質問してきた少年の真っすぐで純粋な目……。

 あれは子供の頃の俺だ。野球が大好きで、どうしたらもっと野球が上手くなれるか、そんなことばかりを考えていた頃の俺……。

 あの少年の質問に、俺はなんて答えた?

 覚えていない。

 当然だ。有頂天になっていたのだから。

 今の俺に少年の質問に答える資格があるとは、とても思えなかった。


 帰りの飛行機の中も、俺はずっともやもやした気持ちを抱えて過ごした。

 そして自宅に帰りつく頃には、ひとつの覚悟を決めていた。



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