第9話 蛍の舞
世界でいちばん苦い薬を飲んだような表情の姫さまに俺はたずねてみた。
「蛍の舞とはいったいなんのことでしょう」
「わ、わらわの口からはとても言えん!」
俺の質問に姫さまは真っ赤になって、顔をそむけてしまった。
代わりに教えてくれたのはドロナックさんだ。
「失礼」
あ、またお得意のヒソヒソ話なんですね……。
「先月のことです。国王陛下が小さな宴を催されました。王族や上級貴族たちが招かれ、陛下の蒸留所で作られたブランデーがふるまわれたのです」
「そこに公爵もお呼ばれしたのですね」
「さようです。ブランデーはかなり良い出来で、公爵は一人でひと瓶を空けてしまわれたとか」
「それは飲みすぎなんじゃないですか?」
「はい。かなり飲みすぎでした。そして悪酔いされた旦那様は、陛下や諸侯の前で蛍の舞を披露してしまったのです」
だから、蛍の舞って、なんなのさ?
「蛍の舞とはですね……全裸になり、尻に火のついたロウソクをですな……」
あ、わかちゃった。
「理解しました。みなまでおっしゃらなくても結構です」
「カミヤさまのご配慮に感謝いたします。その場には高貴なご婦人たちも参加しており、特に間近で舞をご覧になった王妃様はショックでひきつけを起こされて……」
それで国王陛下がゲキオコになってしまったわけだ。
「陛下はその場で旦那さまを拘束、領地や屋敷を没収されてしまいました。旦那さまはいまだに宮廷の一室に閉じ込められていらっしゃいます」
ロウンド王国は絶対的な専制君主制みたいだからなあ……。
「命まで取られなかったのは幸いですね」
「さすがに実の甥を極刑にするのは陛下もしのびなかったのでしょう」
俺たちの内緒話が終わったことを見計らったように姫さまが声をかけてきた。
「話は聞いたか?」
「はい、あらましは」
「というわけで、父はいまだに宮廷に閉じ込められている」
「そこまでは説明していただいたのですが、それとビワールになんの関係があるのですか?」
姫さまは大きなため息をつきながら教えてくれた。
「父は陛下にとってはお気に入りの甥なのだ。本気で懲らしめる気持ちはない。ただ、諸侯や王妃様の手前もあるので簡単に許すことはできない。それで、赦免にある条件をつけた」
「それがビワールなのですね」
「うむ、公爵の三人の子どものいずれかがビワールを持ち帰れば父を許そうとおっしゃってくれたのだ。ちなみにビワールはいまだにあのときの悪夢を見る王妃様に献上されることになっている。ビワール葉の茶を飲めば心が落ち着くからな」
ビワールにはそんな効能があるのか。
「果実はお詫びとして宴の出席者全員に配られる予定だ。数が足りればの話だがな」
なんとも困った公爵である。
お調子者だとは聞いたけど、これほどまでとは思わなかったよ。
「お話はわかりましたが、どうして姫さまがビワールを探すのですか? 姫さまにはご兄弟は?」
「姉上は辺境伯として西の要衝を守っていらっしゃる。こんなことのためにお手を煩わせるわけにはいかないのだ。それに弟はまだ十二歳で、いまは外国に留学中だ」
それで自らが大役を買って出たわけだ。
姫さまは責任感が強そうだもんなあ。
きっとお母さんに似たのだろう。
「言いにくいことを教えていただき、ありがとうございました。けっして口外はしないと約束します。私もお手伝いしますので必ずビワールを見つけましょう」
「うむ、頼りにしているぞ」
そう言ってうなずいた姫さまの顔から、ようやく憂いの色が消えていた。
翌日は日の出とともに神殿を出発した。
靄のかかる薄暗い森の山道を俺たちは無言のまま歩いた。
ドロナックさんが先頭を歩き、邪魔な枝や草を剣で払ってくれている。
いやもう驚いたね。
その剣捌きの速いことといったらない。
剣の軌道がまったく目で追えないのだ。
風が舞ったと思ったら、もう道ができているといった具合である。
その動きはまさに剣の舞。
蛍の舞とは天と地ほどの差がありますな。
国で五指に入る剣士、というのも素直に納得できた。
「姫さま、お疲れではありませんか?」
ドロナックさんはときおり振り向いて俺たちの様子を見てくれる。
「問題ない。だが、少し喉が渇いたな」
「休憩にいたしますか?」
「いや、まだ大丈夫だ。それにいつ水が確保できるかわからんからな。ここは慎重にいこう」
水は重いから携帯できる量が限られているのだ。
だが、心配には及ばない。
そこらへんは俺も考えてある。
「ご安心ください。あと三十分ほど進むと、岩から清水が染み出している場所があります。きれいな水のようなので、そこで補給するとしましょう」
「おお、カミヤにかかればそんなことまでわかってしまうのだな」
褒められて俺も鼻が高かった。
しばらく歩くと俺たちは清水を発見した。
喜んで走り寄ろうとする姫さまをドロナックさんが止める。
「まずは私が毒見をしましょう」
だが、その役は俺が買って出た。
「いえ、ここでドロナックさんに不調があってはいけません。清水のことを言ったのは俺です。俺が最初に飲みましょう」
のどが渇いていたというのもあるけど、これは一種の責任感だ。
それに、地図には飲むことができる美味しい水とある。
自分のスキルを信じて、ここは俺が試すしかない。
「それではお先に……」
手を清水でよく洗ってから、俺はすくって飲んでみた。
「うまい……」
とても爽やかな水で飲みやすい。
柔らかな口当たりからすると、きっと軟水なのだろう。
五分ほど待ってみたけど、俺の体に異常は見られなかった。
「腹も痛くなりません。おそらく大丈夫かと」
「では、念のために次は私が」
ドロナックさんも試してみる。
「ほお、めったに飲めない名水ですな」
それを聞いて姫さまは居ても立っても居られなくなったようだ。
「もういいであろう? わらわにも飲ませてたもぉ」
ようやくドロナックさんの許可も下りて姫さまも水に口をつけた。
「たしかに美味い水であるな。これで紅茶を淹れたらさぞかし美味しかろう。姉上がよろこびそうだ」
たしか、西の方で辺境伯をしているお姉さんだな。
「お姉さまは紅茶がお好きなのですか」
「うむ、とても厳しい方だが紅茶には目がなくてな。姉上にこの水を届けてやりたいものだ」
そんな会話をしていると、ドロナックさんが俺たちを守ように体を動かした。
すでに腰の剣は抜かれている。
「お静かに。魔物の気配がいたします」
魔物だって!
こうなるかもしれないことはわかっていたけど、俺は恐怖に足がすくむ。
ついに、本物の魔物にご対面か。
「姫さまもご油断めされるな」
「心得ておるわ」
恐怖に震える俺とは対照的に姫さまは好戦的な笑顔を浮かべているではないか。
そして、その手にはメラメラと紅蓮の炎がともっていた。
これは火炎魔法か。
水のせせらぎのみが聞こえる山の中で、俺はじっと周囲の様子をうかがった。
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