第37話 手当て
四人の男からなんとか逃れようともがく俺の耳元で、なにかが飛来する風切り音が聞こえた。
「うっ!」
それまで無言だった男の一人がうめき声を漏らし、こめかみから血を流している。
しかも、通りの向こうからフードを目深にかぶった人がこちらに走ってくるぞ。
あの人が助けてくれたのか?
よくわからないけど、これで押さえつけられていた右手が自由になった。
俺は腰に手をまわし、エカテリーナの乗馬鞭を掴んだ。
ピシッ!
安全のために出力は最小にしていたのだけど、軽く振っただけで右側の男が吹っ飛んでいた。
やっぱりこの鞭はすごいな!
俺を捕えようとしていた残りの二人も危険を感じて飛びのいている。
だが、俺にとってはその方が好都合だ。
完全に自由の身になった俺はエカテリーナの乗馬鞭を構えて男たちと向き合った。
「次に女王様のお仕置きを受けたいのは誰?」
満足するまでつきあってやるわよ!
満足かい、この豚どもが!?
「カミヤの旦那!」
「バスカーさん!」
バスカーさんが俺たちの間に入り込み、有無を言わさず暴漢たちの腹に拳を叩きこんでいく。
うげ、あばらが逝っちゃってるんじゃないか?
バスカーさんの拳には金属のナックルがはめられていたのだ。
あんなので殴られたら悶絶ものだろう。
それにしたって一人につき一撃で昏倒させているのだから、バスカーさんの手並みも相当なものか……。
地面でうめいている男たちの顔をバスカーさんはあらためた。
レミィも倒れている男にドロップキックをかましているが、こちらはほとんど効いていないようで、男の髪がわずかに揺れているだけだった。
「知っている顔ですか?」
「ここいらでは見ない顔です。おそらくウエストエンドあたりで雇われたゴロツキでしょう。どうせ雇い主の名前も知らないでしょうな」
誰に雇われたのか気になるけど、確かめようがないということか。
「それにしても、バスカーさんが来てくれて助かりました」
「な~に、俺は石を投げただけですよ。カミヤの旦那こそあんな力を隠していたなんて水くせえや」
べつに隠していたわけじゃないんだけどな。
「お怪我はありやせんか?」
「おかげさまで。バスカーさんはどうしてここに?」
「ドロナックさんの命令ですよ。ずっとカミヤの旦那を陰ながらお守りしていました」
「そうなんですか? まったく気づきませんでした」
レミィも姿を現してバスカーさんを褒めたたえる。
「妖精である僕の目を盗むとは、君もやるもんだね」
俺やレミィが鈍いということもあるだろうが、バスカーさんはこういうことに長けているのだろう。
「オップマン家と闇の精霊使い。その話を聞いて、姫さまがえらく心配しましてね」
「それでバスカーさんが?」
「ときどきバルヴェニーもね」
バルヴェニーさんまでそんなことをしてくれていたなんて、今後はおかしな行動は慎まないとな。
ほら、道行く美女を眺めたり、目のやり場とかね……。
小声で嫌味を言われそうで怖い。
「すみません、俺のために」
「なーに、カミヤの旦那はブラックラ家の救世主だ。これくらい当然だし、俺は旦那のことが好きなんでね」
「余計な護衛対象ができて、バルヴェニーさんは愚痴とか言ってませんか?」
「あいつも旦那のことは気に入っていますから。ただ、性格が陰険なぶん、怒らせればバルヴェニーの方が怖いですよ。こいつらは運がいい。今日の護衛が俺だったから死なずに済んでいるんです」
レミィも大きなため息をついた。
「いきなりショウタが襲われたから本当にびっくりしたよ。びっくりしすぎて寿命が縮まるかと思ったぜ」
寿命ねえ……。
こいつを見ていると長生きしそうだな、と思うけど。
「ところで、妖精の寿命ってどれくらいなんだ?」
「んーとな、僕はもともと精霊だったんだ」
「レミィは風の精霊だったの?」
「そう! ちなみに精霊の寿命は短い。一年くらいで消滅してしまうこともあるし、平均でも二~三年で星にかえる。そんな中でごく一握りのエリートだけが百年を生き延びて妖精になるんだ」
ということは、レミィは精霊界のエリートだったのか!
とてもそんな風には見えないけど……。
「じゃあ、レミィはずっとこの世の中を見てきたんだな」
「いやぁ、僕、精霊時代の記憶はほとんどないんだよね」
大人が赤ちゃんの頃の記憶を忘れてしまうようなものなのだろう。
「で、妖精はどれくらい生きるんだよ?」
「さあ……。ただ、時が来れば妖精はその役目を終える。そして幾万もの精霊になるそうだ」
「つまり寿命がくれば、幾万もの風の精霊に分裂すると?」
「それいいな! 最強精鋭のレミィ軍団だぞ」
俺たちの話の腰を折ったのはバスカーさんだった。
「そろそろ戻りましょう。姫さまたちもおっつけ戻ってくる頃です」
俺たちはたまだ倒れている暴漢たちをその場に残しブラックラ邸へと帰った。
居間でくつろいでいると、姫さまが血相をっ変えて離れへすっ飛んできた。
バスカーさんから報告があったのだろう。
「カミヤ、ケガはないか!?」
「姫さま、ドロナックさん、宮廷でのお仕事はもう終わったのですか?」
「いま帰ってきたところだ。そなた、誘拐されかけたそうではないか。バスカーはなにをしておったのだ!」
ドロナックさんまで深々とお辞儀をして俺に詫びてくる。
「このたびの仕儀はバスカーの手落ち。ひいては責任者である私の落ち度でございます。どうぞなんなりと罰してください」
「とんでもない! バスカーさんはよくやってくれました。どうか叱らないであげてください。俺はかすり傷ひとつ負っていませんから」
姫さまは疑わし気に俺を凝視する。
「本当にけがをしていないのだな?」
「はい、手首のところがちょっとあざになっているだけで」
「見せてみろ」
袖をまくると、掴まれた部分が青く変色していた。
時間が経って痣が少し濃くなってしまったようだ。
「爺、大至急治癒士を呼べ!」
「大袈裟ですって」
「大袈裟ではない。こんなに腫れているではないか」
「こんなもん、放っときゃ治りますって……」
無駄な治療費など払ってほしくないのだ。
それなのに姫さまは自分の足で治癒士を呼びに行きかねない勢いである。
俺は助けを求めるようにドロナックさんを見た。
すると、ドロナックさんは興奮する姫さまの耳元に口を寄せる。
「失礼いたします……」
あ、久しぶりのヒソヒソ話ですね。
「(ヒソヒソ)」
「落ち着いてなどいられるか!」
「(ヒソヒソ)」
「そ、それはそうであるが……」
「(ヒソヒソ)」
「うむ、優雅な振舞であるな。それは理解したぞ」
「(ヒソヒソ)」
「薬?」
「(ヒソヒソ)」
「なっ!? わ、わらわが……? そのようなこと、可能なのか?」
「(ヒソヒソ)」
「うむ……、うむ……、うむ……、あいわかった」
どうやら内緒話は終わったようで、姫さまは落ち着きを取り戻した。
ん?
取り戻してはいないな。
なんだかソワソワして、こめかみがぴくぴく痙攣しているぞ。
「カミヤ、うるさくしてすまなかったな。心配のあまりレディーとしての慎みを忘れていた。許してほしい」
「いえ、そんな……」
「ところでな、わらわもいろいろ考えたのだが、治癒士を呼ぶほどではないと判断した。カミヤはどう思う?」
「私もそう思います。この程度の痣なら数日で消えてしまいますでしょう」
「だが、油断は禁物だ」
姫さまは眉間にしわを寄せながら、ぐっと前に乗り出してきた。
「念のために薬を塗っておくほうがよい。わかるな?」
「はあ……」
「そうか、カミヤもそう思うか! ちょうど爺がよい薬を持っているのだ。爺、薬を!」
ドロナックさんが恭しく差し出した小さな薬瓶を姫さまは受け取り、こちらに見せてきた。
「これは打ち身や切り傷によく効く軟膏だ。ほれ、手を出せ」
「ありがとうございます」
てっきり薬をもらえるものだと思って差し出した俺の手を、姫さまはがっちりと掴んだ。
「姫さま!?」
「こ、これより治療を開始する!」
上ずった声で姫さまが宣言している。
そんな、オペの開始みたいに言わなくても……。
思わずドロナックさんを見てしまったが、ハイパー執事さんは窓から庭園の風景を眺めていた。
まるで、俺たちのことは見えない妖精かなにかのような態度だ。
指にたっぷりとつけた軟膏を姫さまは優しく塗っていく。
「痛くはないか?」
「はい、まったく……」
ゆっくり、ゆっくり、その時間がなるべく続くように姫さまは軟膏を塗ってくれた。
だが、どんなものにも終わりは訪れる。
「ありがとうございました……」
「うむ……」
呼吸を止めた俺たちの間に一秒の熱い視線が交差する。
そして、姫さまは握ったままの俺の手を持ち上げ、痣の近くにキスをした。
「ひ……め……」
「む、むかし母上がしてくれたおまじないだ。わらわは治癒魔法が使えぬゆえ、これくらいしか……」
かすれた二人の会話の上にドロナックさんの遠慮がちな咳払いが重なる。
思わず振り向いた俺たちが見たのは、「それはやりすぎちゃう?」といったドロナックさんの視線だった。
「し、失礼。姫さま、おかげさまでよくなりました」
「そ、そうか。痛くなったらいつでも言うのだぞ。これで治療は終了だ……」
名残を惜しむように離した手をさすりながら、姫さまは着替えのために母屋へと戻っていった。
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