第32話 精霊たちの祝福の中で
4億レーメンは近日中に届けられることになり、それを待って地図の複写も行うことが両者の間で決まった。
「今後もよいお取引をさせていただきたいものですな」
ご機嫌で帰っていったロスジアを見るに、彼にとっても得るものはあったのだろう。
ひょっとして、もう少し吹っ掛けてもよかったのかな?
強気に出れば、年利10パーセントくらいまでいけたのかもしれない。
だけど、今回はこれで良しとしよう。
ブラックラ家が抱えている3億レーメンの借金さえ返せればそれでいいのだ。
ロスジアたちが帰ると姫さまはすぐ俺に質問してきた。
「4億レーメンとはどういうことだ?」
「1億レーメンは鉱山の開発資金です。残りの3億レーメンはオップマン侯爵への返済に充ててください」
「どうしてそれを!?」
こっそりと退出しようとしていたバルヴェニーさんとバスカーさんを姫さまが呼び止めた。
「待て! お前たちが話したのだな」
「いやぁ、なんのことだか……」
「バスカーが話しました」
あ、バルヴェニーさんがばっさりバスカーさんを切った。
「バスカー!」
姫さまはバスカーさんを叱っているけど、詳細を教えてくれたのはバルヴェニーさんじゃなかったっけ?
それなのにあっさり裏切るなんて、無口侍女、恐るべし!
「どうしてカミヤにあのことを教えた! どうして!?」
一人で叱られているバスカーさんがかわいそうになってきた。
「姫さま、これ以上バスカーさんを叱らないでください。これでよかったではないですか……」
「よくない……」
姫さまは小さく震えている。
「よいわけがないっ! あのことは、わらわが解決しなければならない問題だったのだ。それをまたカミヤに助けられてしまうなんて……」
顔をそむけた姫さまに声をかけられる者は誰もいなかった。
「みな、部屋を出ていてくれ。少しだけカミヤと二人だけで話したい」
いつものようにお小言を言うかと思ったけど、ドロナックさんは一礼して部屋を出ていった。
バルヴェニーさんとバスカーさんもそれに続く。
重要な話なのだろう、みんなには見えていなかっただろうけど、俺もレミィに声をかけておくか。
「レミィ、少し外してくれ」
「しゃあねえなぁ。おやつでも食ってくるか」
そして、部屋には俺と姫さまだけが残った。
物音のしなくなった部屋に西日が差し込み始めている。
どう声をかけていいかわからなくて、俺はしばらく黙ったままだった。
「カミヤ……」
言いかけて姫さまは口をつぐんでしまう。
なんとか話をまとめようと、考えながらしゃべっているようだ。
「わらわを軽蔑するか?」
「どうしてそんなことをおっしゃるのですか?」
「わらわは金のために自分の身を売ろうとしたのだぞ」
「それもこれも御家のためでしょう? だいたい、姫さまが作った借金ではありません」
苦笑しながら姫さまは首を横に振った。
「そんなことはない。数年前までのわらわは無知な小娘でな、気が向くままに贅沢をしておったのだ。ブラックラ家の借金はなにも父だけが作ったわけではない。姉上への援助もあったし、弟の留学費用もしかりだ」
「だからと言って、姫さまだけが犠牲になるのはおかしいじゃないですか」
「それでも、誰かが責任を負わねばならぬ。わらわの婚姻で済むのなら安いものだ、そう思っていた。つい最近までな……」
差し込む西日がまぶしくて俺は窓に背を向けた。
そんな俺を姫さまは目を細めて見ている。
「先ほど、わらわはバスカーを叱りつけただろう? だが、本当は怒ってなどおらなかったのだ。わらわが真に腹を立てていたのは安易に身を売ろうとしていたかつての自分自身だ。その選択を後悔してしまっている今の自分への怒りだったのだ」
「悔恨はやがて毒となり、その人の人生をじわじわと蝕むといいます。だとしたら、今回のことはやはりこれでよかったのですね」
「うむ、そうであるな。だが、カミヤよ……」
言いかけて、姫さまはまた口をつぐんでしまった。
いまだに気持ちが昂っているのだろうか?
もう少しリラックスしてもらった方がよさそうだ。
ぜんぶ吐き出してしまえば姫さまも少しは落ち着くだろう。
「言いたいことがあったら言ってください。俺に遠慮はいりません」
「うむ……。あのな……」
「はい」
「そなたに出会わなければ、わらわはここまで自分の選択を後悔しなかったと思う。嫁ぎ先がどうであれ、それでも借金は帳消しになるのだからな。だが、わらわはカミヤに出会ってしまった。こんな気持ちのまま、どうやって他の男に嫁げるというのか」
「姫さま……」
自分の声がかすれているのを俺は自覚していた。
自覚していながらどうしようもできなかった。
突然の告白に考えがうまくまとまらない。
ただ、心の底から沸き上がる喜びだけは感じ取ることができていた。
「俺は……、俺は誰かのそばにいられることが、こんなに幸せだったことはありません」
「神谷はいま幸せなのか?」
「はい、人生のどのときよりも」
身分の差、社会の在り様、そういったことが原因で、俺たちが結ばれることはないのかもしれない。
それでも、二人が同じ気持ちを共有していることがわかって俺はうれしかった。
「カミヤ、わらわはお前が好きだ……」
立ち上がった姫さまが遠慮がちに俺の手を取った。
その指先は冷たかったのだが、俺には火傷しそうなほど熱く感じる。
小さく震える姫さまを引き寄せ、俺は優しく抱きしめた。
社会的には許されない恋だとわかっている。
それでも、周囲の精霊たちは俺たちを祝福してくれていた。
このお話がおもしろかったら、ブックマークや★での応援をよろしくお願いします!