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第31話 アードベック船長


 紅茶で一息ついていると、通路から足を踏みならす音としわがれただみ声が聞こえてきた。

 いかにも不満たらたらで、不承不承ここへやってきたとわかる声である。


「まったく、なんだって言うんだよ。もう少しでレーヌを口説き落とせるところだったんだぞ!」

「私だって知りませんよ。とにかく会頭が大至急と言っておられるんです。公爵家の方々もいらっしゃいますのでお行儀よくしてください」

「ふん、知ったことかよ!」


 扉の前は一瞬だけ静かになり、続いて仏頂面の男が入ってきた。


「失礼しますよ」


 そう言って、男はちょっとだけ船長帽を持ち上げた。

 おそらく、この男にとってはそれが、お行儀のよさを示す行為なのだろう。

 赤銅色の肌、海風に洗われたぼさぼさの黒髪と髭、中背ながら眼光鋭い男はアードベック船長と名乗った。

 アードベック船長はロスジアに抗議の目を向けている。


「自分は休暇中なんですがねぇ」

「呼び立ててすまない、アードベック船長。だが、君意外に適任者がいない案件ができてしまったのだよ」


 つまり、この男はロスジアの配下の中でも、いちばん航海に通じているのだろう。

 だからこそ、彼をして、俺の地図の信憑性を確かめさせるのだな。

 もっとも、それは俺としても望むところだ。

 海に詳しい人であればあるほど、この地図のすばらしさを理解できるはずである。

 ガサツなように見えても、アードベック船長は海の男の風格を漂わせている。

 きっと、この地図の有用性を認めてくれるはずだ。

 だけど、アードベック船長は興味なさそうに大あくびをしていた。


「俺にしかできない案件? 海軍の提督にでもしてくれますか?」


 やる気のないアードベック船長を無視して、ロスジアはこちらに頭をさげた。


「カミヤさま、先ほどの地図を船長に見せてください」

「承知しました。船長、こちらをご覧ください」

「あーん……?」


 不審気に俺の手元を見ていたアードベック船長だったが、時間とともに顎が外れたとのか、というくらい口が大きく開きだした。

 ぼさぼさの髭がぴくぴくと震えているぞ。

 いまや、アードベック船長は地図の上に屈みこんで食い入るように見入っている。


「まさか……、いや、間違いねぇ!」


 叫びながら船長は俺の顔と地図を何度も見比べている。

 それから少しだけ居住まいを正して問いかけた。


「これはアンタが?」

「そうです」


 船長は深くうなずき、ごつごつと大きな手を差し出してくる。


「俺はロイ・アードベックだ。ビーガル号というケチな貿易船の船長をやっている」

「ケチな貿易船だとぉ?」


 ロスジアが横やりを入れたけど、アードベック船長は意に介さない。


「神谷正太です」


 握り返した俺の手をアードベック船長はぐいと自分の方へ引き寄せた。


「今日はなんて日なんだ! こんなもんを拝ませてもらえるとはなっ!」


 ロスジアは確認するようにアードベック船長に問いただす。


「船長、この地図は間違いなく本物なんだね?」

「ああ、間違いねえ。俺の経験に即してみても、思い当たる節だらけだ。見てみろよ、プレマシー海峡の入り組んだ地形さえきっちり描かれてやがる。岩礁の位置だって俺の記憶の中にあるのとおんなじだ。こいつを見て違うという船乗りがいたら、そいつの方こそ偽物に違いねえやっ!」


 アードベック船長の確認が取れたところで、俺は地図画面を閉じた。


「あっ……」


 それまで嬉々として地図を眺めていたアードベック船長は、お気に入りのおもちゃを奪われた子どもみたいな表情になってしまう。

 黒い口髭まで情けなく垂れ下がってしまっているよ。


「おいおい、もう少し拝ませてくれよぉ。なっ! なっ!」

「いや、でも……」


 大切な交渉がまだ残っているのだ。

 情報はまだ伏せておきたいというのが本音である。

 だが、アードベック船長は俺の肩に手を回し、嬉しそうに目をキラキラさせた。


「カミヤ、俺と一緒に冒険旅行へ行こう! お前となら世界の果てにだって行けるぞ。あまねく海をすべて見てまわろうじゃねえか!」

「そう言われても、俺は海のことはあまり知りませんので……」

「そんなもん、俺がなんだって教えてやる! 港、港にいる女の口説き方もだ。海はいいぞ。なてったって夢がある。大海原を駆け抜けて、俺と一緒に未開の地を切り開こう! うん、それがいい、そうしようっ!」


 夢を語るアードベック船長に対して姫さまが抗議の声を上げた。


「ならぬっ! カミヤはわらわの騎士だ。勝手に連れまわすことは許さんからなっ!」


 怒りを含んだ姫さまの声に、さすがのアードベック船長もたじろいだ。

 だが、それも一瞬だけのことで、すぐに持ち直している。

 海の男というのは肝が据わっているのだろう。


「だったらお姫さまも行きましょうや!」

「へ? わらわもか……?」

「そうですよ! 噂によればブラックラ家の次女様は火炎魔法の遣い手とか。しかも名高き大将軍ソフィア・ブラックラ辺境伯の妹さまとくらぁ。冒険航海にはうってつけってもんですよ」

「ふむ、それはおもしろそうだ……」


 おいおい、姫さままでその気になっているじゃないか。

 だがいまは、そんな話をしているときではない。

 俺はロスジアの方を向いて話を詰めた。


「いかがでしょうか? これで私の地図については信じていただけたと思うのですが」


 思案を巡らしながらロスジアはうなずいた。


「そうですな。たしかにカミヤさまの地図は信用できそうです」

「でしたら……」


 ロスジアはアードベック船長と社員に退出を命じた。


「私は姫さまたちと大切な話が残っている。二人ともしばらく席を外してくれ」

「それはないぜ、ロスジアさん! 俺はカミヤと話したいことがたくさんあるんだ」


 文句を言うアードベック船長を俺は宥めた。

 荒っぽい人だけど、俺はすっかりアードベック船長のことが気に入ってしまっていたのだ。


「話がまとまったらマリノ港からエステート港への安全で最短な航路を披露しますよ。岩礁地帯の抜け方もばっちりです。描き写してもらってもかまいません」

「ほ、ほんとうか?」

「それもこれも交渉しだいですが」


 アードベック船長はロスジアをキッと睨みつけた。


「ロスジアさん、ケチケチするんじゃねえぜ。これはとんでもない財産だぞ」

「わかっている。ガミガミ言ってないで船長は外で待っていてくれ」


 その後、交渉は無事に進み、マリノ港―エステート港に加え、マリノ港―プレオ港の航路を教える代わりに、4億レーメンを年利12パーセントで借り受けることが決まった。


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